041: 凜華の岩木訪問
本日の二話目です。
◇2039年3月@福島県郡山市&岩木市 <玉根凜華>
隣に住む大谷知行に自分が「ムシ」である事をカミングアウトして以来、玉根凜華は、随分と心が軽くなったと感じていた。
元から凜華は、できるだけ目立たないように、ひっそりと陰に隠れて生きてきた少女だった。もちろん、この時点での他の「ムシ」達、矢吹天音や安斎真凛と比べたら、あらゆる点で彼女が恵まれた環境にいたのは間違いない。それでも、淡い茶髪や途中から欠損した左の小指といった身体的特徴は、彼女を何か気味の悪い存在として周囲の子供達から浮き上がらせて、学校でのイジメを誘発するのに充分だった。その為、その事が彼女の自己評価を下げ、常に他者からの攻撃に怯える状態に自らを追い込んでいたのである。
それが、「ムシ」になった事で自信を取り戻し、更に今回の知行へのカミングアウトによって、より一層、対人への不安を解消させたという訳だ。
ここ数日で凜華は、「福島ムシ情報サイト」に隅々まで目を通していた。
そこにコメントを寄せた大部分の閲覧者は、「ムシ」に関する一連の現象を事実だとは考えていないように見て取れた。特に県外の閲覧者には、その傾向が強いと思われた。だけど、実際の「ムシ」を目にしていないのであれば、納得できる反応ではある。
問題は、「ムシ」を自分の目で見た事のある人であっても、「ムシ」という存在にネガティブな感情を持つ者が多い事だった。彼らは「ムシ」に対して「何か得体のしれない存在」といった漠然とした恐怖を感じており、中には自衛隊のような公的機関による排除を望む声さえあった。しかし、これも未知の存在に対する反応としては、充分に考えられるものだ。つまり、「ムシ」の側としては、そうした人達を念頭に置いた行動を取る必要がある訳だ。
凜華は、「福島ムシ情報サイト」で岩木市の「ムラサキ」という「ムシ」の存在を知って以来、その彼女に「会いたい」という思いが募るばかりだった。
もっとも、「彼女」じゃなくて「彼」である可能性だってある訳だけど、凜華には何となく「ムラサキ」もまた女の子だという気がするのだ。
もちろん、根拠がない訳じゃない。「ムシ」の胴体部分が写り込んだ画像の幾つかにおいて、女子のフォルムだと思われる物があったからだ。
凜華は、「ムラサキ」に会いに岩木市へ行く話を最初に知行にした。ところが、絶対に賛成してくれると思ったのに、彼の意見は「オレは反対だ」だった。理由は、危険だから。確かに、普通の女子小学生だったら、一人で岩木市まで行くってのは、今のご時世だと反対されてもおかしくはない。
でも、凜華は普通の女の子なんかじゃない。それに凜華なら、恐らく一時間もあれば、岩木まで充分に行けるだろう。往復でも二時間だから、夜の間に余裕で帰って来られる。
そんな話を何度も知行にして、最終的には納得してくれた。
となると、次は真凛だ。凜華は、真凛を連れて行くつもりはない。理由は、彼女の飛行速度は遅いし、長距離が飛べないからだ。だいたい、彼女には飛行途中に墜落し掛けた事だってある。
それに、今は冬だ。夏だったら、家族旅行に引っ掛けて会いに行くといった方法だってあるけど、冬では難しい。
案の定、真凛は拗ねてしまった。それでも何とか説得したのだが、決行の日の前夜、再び〈本当に行くの?〉と何度も訊かれた。
〈もちろん、行くよ〉
〈ねえ、本当にアタシも行っちゃ駄目?〉
〈駄目。だって、岩木って遠いよ。二本松からだと真凛じゃ帰ってこれなくなちゃう〉
〈でも、一緒に行きたいんだけど〉
〈我儘、言わないでよ……あ、そうだ。夏になったら海水浴とか行こうよ。そん時、岩木の「ムシ」の子に会えば良いじゃない〉
〈たぶん、アタシの親は大丈夫だろうけど、凜華の場合、中学一年生の女子だけの旅行なんて、許してくれるのかなあ?〉
〈大丈夫。日帰りだし、どうしても駄目なら、知行も連れてく事にするから。あんなんでも、あいつ、うちの母親に信用されてるから、反対はされないと思う〉
〈そっか。分かったよ。まあ、そっちは先の話だから良いや。とにかく、気を付けてね。疲れたら早めに休むんだよ。一人なんだから、途中で変異が解けちゃったりしたら、死んじゃうんだからね。ちゃんと、元気に帰って来てよ。約束だよ〉
〈もう、何度も言わなくても大丈夫だよ。ちゃんと、分かってるから。真凛とは違うんだからね〉
〈あのさあ、アタシだって空中で変異が解けそうになったのは、たったの二回だけじゃない〉
〈二回もでしょうが。そもそも、一回だって危ないんだからね。たまたま助かったから良いようなものの……〉
〈はいはい。まっ、凜華は大丈夫だとは思うけど、でも本当に気を付けてね。アタシの大切な「お母さん」なんだから……〉
★★★
小学校の卒業式の日、珍しく母の美華が銀行を休んで、式に出席してくれた。父の聖人も早めに帰って来て、三人で駅前の高級なレストランに行って食事をした。ちゃんと、人間のお姉さんが料理を持ってきてくれるレストランなんて、本当に久しぶりで感動した。いつも行くのは、コンベアーに流れて来る料理を自分で取って食べるとか、注文用のタブレット端末で頼んだ料理を、給仕ロボットが運んでくるとかのお店ばかりなのだ。
家に帰るとすぐにお風呂に入って、出ると「今日は疲れたから、もう寝るね」と宣言して自室に向かう。単なる気休めだけど、一応、ドアノブに「就寝中」の木札を掛けて、もう一度、大急ぎで余所行きの服に着替える。上にオーバーコートを着込むと、すぐに変異して夜空へと舞い上がった。
真凛には散々心配されたけど、岩木市への道中は至って順調だった。
凜華は途中で一度も変異を解く事は無く、一気に岩木駅の上空に到着。駅の近くの二十階以上あるタワーマンションの屋上に立ち、目を瞑ってじっと耳を凝らす。
感じる。誰かが呼んでるみたい……。
分かった! 海の方角だ!
凜華は、再び飛び立った。そして、海のある東へ向けて、力強く翅を羽ばたかせる。
凜華には、全く迷いが無かった。
会える! それは確かな思いだった。
そして、それから僅か五分少々の飛行時間で、その海岸に到着した。確か、岩木夢浜海岸。延々と続く白い砂浜に、打ち寄せる波の音。右手の小高い丘の上には白い灯台が見える風光明媚な海岸だ。
だけど、凜華が生まれるずっと前、海岸沿いにあった街は津波で跡形も無く流されてしまったそうだ。その時は、多くの人が亡くなったとも聞いている。
突然、凜華の頭の中に、落ち着きのある柔らかい女性の声が響いた。
〈私を呼んだのは、あなたね?〉
すると、そこに紫の巨大な翅の「光のチョウ」が舞い降りた。間違いない。「ムラサキ」だ!
その人は、サッと変異を解いて、ゆっくりと砂浜を歩いて来る。凜華より、少し年上に見えた。
彼女も凜華と似たようなオーバーコートを着ているけど、色は違う。凜華のグレーに対し、その人のはベージュ。白い顔が余計に際立つ色だ。
その人は、凜華の髪が紛い物に思えてしまう程の完璧に美しい金髪だった。それに、白い肌と華奢な身体。大きな薄茶でアーモンド形の瞳が、優しげにこっちを見てくれている。
凜華は、『まるで、女神のような人だ』と思った。
その人との距離が十メートルくらいになった時、風と波の音に負けない、張りがあって良く響く声で彼女は言った。
「初めまして。矢吹天音って言います。あなたは?」
凜華は、未だに光を纏ったままだった事に気が付いた。どうやら、だいぶ緊張しているようだ。
サッと変異を解いた後、凜華は精一杯の大きな声で、前もって考えていた自己紹介を始めた。
「わ、私は、玉根凜華って言います。私は、きょおりやま……、きょおり……。すいません」
「郡山でしょう?」
「あ、はい。郡山市から来ました。えーと、今日で小学校を卒業しました。そんで……、あ、そうだ。去年の十二月に、『光のチョウ』になれるようになりました」
途中で噛んでしまったけど、何とか頑張って最後まで言う事ができた。
「そっか。凜華ちゃんって言うのね。会いたかったわ……。凄く凄く会いたかった……。あ、ごめんなさい」
彼女の声が途切れた。
潮風が吹きすさぶ音が、やけに煩く感じられる。
「本当は、私の方から会いに行きたかったんだけど、ごめんなさい。どうしてもできなくて……。凜華ちゃんは、立派だわ。私より小さいのに……」
「あ、いや……」
「ふふっ。それに、『ムシ』と言わずに『光のチョウ』って言う辺りも、とっても好感が持てるわ。私も『ムシ』って言葉は嫌だもの……。私が『光のチョウ』になったのは、去年の五月。それで、来月から中学二年生になるから、少しだけお姉さんになるわね……。えーと、ここは寒いから、私の部屋に行きましょうか?」
「あ、はい!」
言われてみれば、確かに寒い。たぶん、気温は郡山の方が低いけど、風が凄く強いみたいだ。
天音さんが、ゆっくりと光を纏い出したのを見て、凜華も再び光を纏う。そして、二人同時に舞い上がると、凜華は彼女の美しい紫の翅の後ろを、ゆっくりと付いて行った。
END041
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、天音視点で、「初めての仲間」です。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
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★★★
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(ジャンル:パニック)
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