017:天音の変貌(2)
◇2038年9月@福島県岩木市 <矢吹天音>
生徒指導の武田先生が教室から出て行った後、矢吹天音は、叔母で養護教諭の藁谷葉子に頭を下げてお礼を言った。
「あの、葉子さん。どうもありがとうございました」
「いや、私は、好きでやっただけだよ。てか、ちょっと大人げなかったわよね。お姉ちゃんが知ったら、絶対に怒られちゃうから、言わないでくれると助かるわ」
「はい。分かりました」
「でも、お姉ちゃんに聞いてたとおり、本当に耳が聞こえるようになったのね」
「えっ?」
天音の耳が聞こえるようになった事は、両親しか知らないと思ってたけど、違っていたようだ。まあ、叔母には知ってもらっても問題ないんだけど……。
ちなみに、担任の渡辺先生を含めた先生方に「敢えて耳の事は言わない」と決めたのは、両親と話しての事である。天音の身体の件を知っていながら、今まで助けてくれた事なんて一度も無くて、その上、今回のような事件まで起きてしまったんだから当然だろう。要は、言うだけ無駄って奴だ。
「だけど、髪の毛の事は困ったもんね。と言っても、教師の方の問題であって、天音ちゃんは全然、悪く無いんだけど……」
「はあ……」
「まあでも、あんだけ言っとけば、少なくとも武田先生の方は大丈夫だと思うわ。問題は永山大志の方ね」
「あの先生、大志って名前なんですか? そう。ぜーったいに歪んだ『大志』を抱いちゃってる迷惑な奴でさ……あ、私、同期だから、あいつには詳しいんだ。甘やかされて育ったからか、やたらとプライドが高くて、しかも思い込みが激しいの。常に自分が正しいと信じてて、絶対に間違いを認めない。さっきみたいに、自分が不利になったって感じると、現実が受け入れられずに最後は逃げちゃう。前に何度も同じような事があって、それで武田先生が指導する事になってたんだけど……、あの事なかれ主義のオヤジじゃダメだったわね」
「そうだったんですね」
「まあ、問題児の永山先生に関しては、教頭に報告しても治らない場合、別の方策を考えましょう。それより、今日みたいな事があった時は、できるだけスマホで録音してくれると助かるんだけど……」
「あ、今日も録音してあります」
「えっ、そうなの? それは、すっごく有難いわ」
「はい。後で音声データを送っておきますね」
「ふふっ、なんか、天音ちゃんは変わったわね。耳が聞こえるようになって、自信が付いたのかしら?」
「はい。そうみたいです」
天音は、そこでニッコリと微笑んで見せた。
★★★
問題教師の永山大志が天音の頬を打った事件は、スマホの録音データがあった事もあり、割と迅速に処理された。つまり、翌日から彼は学校に来なくなったのである。
ただし、学校をクビになったとか別の学校に移ったとかじゃなくて、研修所送りになっただけのようだ。
その永山先生は一ヶ月半後に戻って来たのだが、その時は、さすがに生徒指導の担当を外されていた。それに、天音と会っても目を逸らしてしまう。たぶん、そういう風に指導されているんだろうけど、天音としては「一言くらいあっても良いのに」と思ってしまった。
尚、永山先生は、意外にも校内で女子生徒達に人気があったようで、しばらくの間、天音は彼を学校から追い出した元凶の女として、噂の対象になっていた。もちろん、『被害者の私が何で?』と思って、それなりに天音も腹が立ったけど、その噂も永山先生が研修所から戻って来た時には、すっかり下火になってしまっていた。
どうやら、永山先生に頬を打たれたにも関わらず「天音が悪い」とする噂については、天音以上に藁谷先生が怒り心頭さったようで、「学校側が積極的に噂の鎮静化に努めない限り、永山先生がやった事を公表する」と教頭に迫ったのだそうだ。藁谷先生は現場の録音データを持っている訳で、教頭も無視はできない。
また、その辺の事情は永山先生にも伝わっていて、その為に天音を積極的に避けているのだという。でないと、あれだけプライドの強い男が、研修所に一ヶ月半いたくらいで天音に絡んで来ない筈がない。
その後、永山先生が研修所に行っている間に前期末テストがあって、天音の結果は良好だった。なんと、県内の公立中学全体で百位以内に入る事ができたのだ。天音にとっては、初めての快挙である。
だけど、正直な所、そんなに天音は成績に拘っていない。以前よりは裕福になったとはいえ、大学に行けるかどうかが疑わしいからだ。それに、今の天音には、大学に行ってまでしてやりたい事が無い。
その事を藁谷先生に言ったら、「今は、それでも良いんじゃない?」との事。
「だけど、やりたい事が見つかった時、ちゃんと大学に行けるようにしておくのは大事だと思うわ。その為には、できるだけ良い成績を維持しておきなさい」
とまあ、そんな訳で天音は、そこそこ勉強も頑張ってはいる。そして、そのご褒美として、毎晩のように「光のチョウ」になっては、夜空の空中散歩を楽しんでいるのである。
★★★
幼少時からイジメに遭い、様々な理不尽に怯えながら生きてきた天音だが、元から彼女には優秀な頭脳と、髪色の問題はあるにせよ、秀逸な見た目とが備わっていた。それらに加えて、直感や予知夢の形で、だいたいの危機を事前に察知する能力があった訳だが、ここに来て更に、常人以上の聴力と視力、そして最悪の場合の脱出手段までもを手に入れた訳だ。そんな彼女の心に余裕が生まれ、徐々に自信が芽生え始めたのは、自然な摂理と言える。
全ては、例の事件の後、藁谷葉子が天音に言った通りなのだ。優秀な聴力と視力で周囲の状況を的確に捉える事ができて、それらを正しく分析し判断する知性があるのだから、自信を持って当然だろう。
そんな風に芽生え始めた天音の自信は、当たり前の事ながら、話し方や態度にも反映されて行った。親しくない相手とも落ち着いて応対できるようになったし、多少たどたどしくとも言いたい事を伝えられるようになったのだ。
見た目だってそうだ。以前は前髪をたらして顔を見せないようにしていたのに、今は余計な前髪を思い切ってカット。ちゃんと人に顔を見せるようになった。それに、俯き加減だった昔とは違い、きちんと姿勢を正して座るようになったし、歩く姿も見違えるように美しくなった。
それらの結果、天音の髪は本来の「綺麗な金髪」として男女共に認知されるようになり、特に男子達の間で彼女の事が、「最近、なんか綺麗になった女子」として噂されるようになった。更には、何処からか「実は、成績が県内でもトップクラス」との噂までもが出回るようになった事で、やがて彼女は、教室内ヒエラルキーの上位へと躍り出て行ったのである。
★★★
ちょうど前期の期末テストが終わった頃、珍しく岩木市付近にやって来る台風があった。そして、当然のように天音は「光のチョウ」に変異すると、喜び勇んで台風の中心部へ近付いて行った。
強風で様々な物が飛び交う海辺の街を、光の翅を羽ばたいて飛ぶのは新鮮でスリリングな体験だった。光の翅は風の影響を受けないからこそ可能な芸当であり、豪雨でも濡れないし、寒くもない。だけど、もし変異が解けたりしたら、天音のように華奢な少女はひとたまりもないに違いない。吹き飛ばされてビルの壁に叩き付けられたりしたら、絶対に大ケガしちゃう。だから、常に気を張っている必要があった。
花火大会の時のようなヘマは、もう二度と御免なのである。
やがて秋も深まって木々が色付き出すと、天音の夜間の空中さん歩は、更に楽しみを増した。
例えば、国宝の白水阿弥陀堂の辺りは、毎年この季節になると夜間にライトアップされて、ただでさえ幻想的な光景が楽しめる。そこに今年は、その背景に巨大な「光のチョウ」が加わったのだから、そこを訪れた者達にとっては、きっと、得も言われぬ美しさだった事だろう。
更に年末が近付き、街はクリスマスの装いに彩られる頃、天音は今まで遠慮していた岩木市の中心部、平地区の繁華街にも出没するようになっていた。
最初は、クリスマスで浮かれているカップルや、忘年会で酔っ払う人達を上空から眺めているだけだったのが、そのうち次第に高度を下げて行き、小名浜地区での行動と同様に、そこにいた人達を驚かせたりもするようになって行く。だけど、それで電動自転車に乗った警官が、驚いて近くの電柱にぶつかるのを見た時、『できるだけ、人に迷惑が掛からないようにしよう』と思い直した。
この頃になると天音も、以前のような考えなしで行き当たりばったりだった自分を反省し、それなりに節度ある行動が取れるように成長していたのである。
END017
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「二人目の少女(1)」になります。新しいヒロインが登場します。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
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