115:杏海の障碍
明けましておめでとうございます!
◇2040年2月@福島県岩木市 <菅波凪斗>
それは、菅波凪斗の娘の杏海が、まだ歩き出す前の事だった。妻の笙子が不安げに話し掛けてきたのだ。
「ねえ、凪くん。杏海ちゃんの事なんだけどね、やっぱり、ちょっと変だと思うんだよね」
「えっ、何処が?」
「何処がっていうか、とにかく普通じゃないの」
「どういうこと? ちゃんと目は見えてるって……」
「うん、目は大丈夫なんだけど、耳がね」
「耳だって? でも……、ほら、こうすると、ちゃんとこっちに寄ってくるんだけど……」
凪斗が手を叩くと、杏海は満面の笑顔で凪斗の方に這い寄って来る。
「うん……。でもね、それって単に凪くんの手の動きを見てるんだと思うの。確かに、妙に勘が良いのよね、この子」
そういう所は、姪の杏樹に似ているかもしれない。杏樹は小学校の特別クラスに通い出して一年目だが、学校でも「たまに、健常者と同じ動きを見せて、びっくりすることがあります」と、先生に良く言われているそうだ。
家でも普通に走り回っていて、「何かに、ぶつかる」という事なんて、ほとんど無い。食卓の椅子とかの配列が違っていたり、椅子が通路を塞いでたりしても、ちゃんと、その前で立ち止まることができる。
もちろん弱視だから、ぼんやりとは見えてはいるんだろうけど、室内が真っ暗であっても同様の対応が取れる所からすると、『何か、視力以外の力を持っているんじゃないか?』と思いたくなる事があるのだ。
それと同じ様なことが、杏海にも言える。
例えば、凪斗と笙子の会話中に杏海のことが出てくると、決まって寄って来たり、笑ってみせたりといった仕草をするといった事だ。
後日、笙子は杏海を病院に連れて行って精密検査を受けさせたのだが、やはり両方の耳がほとんど聞こえていなかった。先天的な欠陥らしい。それなのに、正常な赤ちゃんと同じような反応を示すのだと言う。
「たぶん、耳は聞こえていない筈なんですが、恐らく何らかの形で、聴力の代替手段を持っているとしか思えませんね。ただし、この先、成長しても今の状態が機能し続けるかどうかは、何とも言えません」
それから五年半が過ぎて、今の杏海は六歳。春からは小学校に上がることになっている。
残念なことに、未だに杏海はほとんど話せない。つまり、杏海が持っている聴力の代替手段というのが、きちんと機能していない可能性が高い。
ところが、小学校への入学まで一ヶ月と少しに迫った今になって、そんな杏海の様子に変化が見られるようになったのだ。
それは、恐らく杏樹が、不思議な「光のチョウ」へと変異するようになったのがきっかけで、その後の杏樹と彼女の仲間の子が杏海に何かしたんだと思う。
以前から杏樹は杏海と仲良しで、杏樹は目が、杏海は耳が悪いにも関わらず、お互いに意志の疎通が取れているようだった。だから、今は杏樹自身が何か特別な力を得て、その力で杏海に聞こえない筈の「声」を教えたんじゃないか?
凪斗は、そんな風に杏海の変化の理由を考えているのだが、本当の所は分からない。
だけど、密かに凪斗は、『このまま行くと、もうすぐ杏海が喋り出すんじゃないか?』などと、普通では有り得ない筈の期待を持っていたりするのである。
★★★
結婚後も凪斗は両親と同居している関係上、杏樹と杏海は同じ家で実の姉妹のように暮らしている。二人の歳の差は六つ。杏海にとっての杏樹は、大きなお姉さんといった感じの存在だ。
その杏樹の視力だが、例の変異をするようになって以来、普通に見えているようなのだ。もっとも、前から見えているようではあったのだが、今は「健常者と同じか、それ以上の視力がある」と医師も太鼓判を押しているという。
これについては担当の眼科医も首を傾げるばかりだそうで、杏樹は本の内容を言えるだけでなく、難しい漢字も含めてスラスラと音読することが出来るらしい。それで、中学では特別クラスでなく、普通のクラスで学ぶ事になったようだ。
「うーん、目が見えるっていうのとは、ちょっと違うんだよね。なんか、『分かる』って感じかなあ」
そんな風に杏樹は言うけど、凪斗には何が違うのか今ひとつ良く分からない。
その杏樹は目下、中学校への入学を心待ちにしている。普通のクラスに入る事への不安は、それほど感じていないようだ。
そして、凪斗と杏果は現在、杏樹の時のように、杏海を小学校の特別クラスに入れるかどうかで悩んでいる。以前だったら間違いなく特別クラスに入れただろうけど、最近の変化で欲が出て、普通クラスでやって行ける可能性に思い至ってしまったからだ。
小学校側としては、「たとえ喋れなくても、先生の話が理解できて大人しく席に座っていられれば、普通クラスでも大丈夫ですよ」と言われている。
だけど凪斗には、「本当に先生の話が理解できるのか?」が心配なのだが……。
「昨日、杏海と一緒に小学校の入学説明会に行ったじゃない。その時、先生から聞いたんだけど、最近たまにいるんですって、杏樹ちゃんや杏海と同じ色の髪の子。もちろん、染めてるんじゃなくて地毛だってことは、その先生も分かっててくれててね。県内の学校の先生の間じゃ、割と有名な話らしいよ。その先生、杏海がそのことでいじめられないように充分注意しますからって言ってくれたの」
「そういや、天音ちゃんも沙良ちゃんも、髪の毛の事で良くイジメられたって言ってたな」
「そうなのよねえ。実は私も、そこがちょっと心配だったの。だから、先生が気を遣ってくれるってのは、凄く助かるわ。本当を言うと、『髪の毛を染めて下さい』とか言われたら、どうしようって思ってたんだ」
どうやら、笙子にとっての不安は、別の事にあったようだ。
凪斗にとって、杏樹と杏海の髪の色にはすっかり慣れてしまっていて、今更、気にもしてなかったのだが、笙子は密かに気に病んでいたらしい。
「どっちにしたって、大丈夫だよ、杏海は。明るい子だし」
実際、杏海は良く笑う子だ。それに一切人見知りをせず、誰とでもすぐに打ち解けることができる。
同様の傾向は杏樹にもあるが、彼女の場合は杏海と比べるとずっとおとなしく穏やかな性格だ。
「まあ、いずれにせよ、様子を見るしかないよね」
凪斗は笙子の言葉に頷きながら、愛娘が従姉と楽しそうに音と映像に溢れたゲームに興じる姿を、そっと目を細めて見守るのだった。
END115
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、穂積郁代の視点で「郁代の大冒険」です。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
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★★★
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(ジャンル:パニック)
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