113:凪斗と笙子
◇2040年2月@福島県岩木市 <菅波凪斗>
そんなこんなで、男女のあれこれに急に目覚めてしまった菅波凪斗だったが、彼とて美少女として名高い美帆の弟。歳を経る毎に、見た目はイケメンへと成長して行った。ただし、あまり身長が伸びないのは致し方ない。高校に進学した時点で、ようやく百六十五センチ強。これだと、百七十センチに届くのは難しいかもしれない。
中学生の半ばまでは相当に奥手だった凪斗だったが、姉の妊娠で色々と知識を貯め込んだ結果、中学を卒業する頃には、随分と妄想逞しい男子に変貌を遂げていた。そうして迎えた高校デビューの後、いよいよ凪斗も色気づくことになる。
実は、凪斗が入学した県立高校は、難易度としては大したことは無いのだが、女子の制服の可愛さでは市内でも一押しの有名校だったのだ。何でも数年前に東京の有名なデザイナーが手掛けた自信作との事で、その制服を着ただけで、人並みの顔の女子が雑誌の読者モデルくらいに見えてしまう。内気で純情だった凪斗としては、入学式の時から目のやり場に困る状態だったのである。
それで、密かに「絶対、可愛い彼女を作ってやる」と意気込んでいた凪斗だったが、気に入った女子の前だと、思ったことが全く話せない。思い返してみると、中学の時もそうだった。姉の友達とかが家に来ても、挨拶以外は上手く話せない。特に綺麗な人の前だと、頭の中が真っ白になってしまい、どうしても黙り込んでしまう。
そこで凪斗は、ふと過去の嫌な出来事を思い出してしまった。姉のお腹が大きかった時だから、たぶん、中学二年の夏休みの事だろう。
その日は両親が共に畑に出ていて、家には姉と姉の友達の女の人が三人、それと凪斗しかいなかった。
姉の部屋に呼ばれて女の人達に挨拶した凪斗は、やっぱり、その後がうまく喋れずにもごもごしていると、姉の美帆は、散々「ヘタレ」だと罵倒した後で、「あんたも女と一発やっちゃえば、少しはまともになると思うんだけどねえ」と呟く。すると姉の友達の一人が、「だったら、あたしが相手してあげよっか?」と言い出して、いきなり姉の布団の上に押し倒されてしまった。
その時、何で部屋に布団が敷いてあったのかは、憶えていない。だけど、その布団からは姉の甘ったるい体臭がしたのと、押し被さってきた女の人のにゅるっとした唇の感触だけは、今でも鮮明に覚えている。
その後、凪斗は抵抗したけど服を脱がされてしまい、女の人も服を脱いで色々とされたけど、その辺の事はあまり覚えていない。結局、うまく行かなかったようで、気が付くと自分の部屋にいて泣いていた。
あの時の事を思うと、正直、「もったいない事をしたなあ」と思ってしまう。たぶん、そう思うことができる自分は、きっと健康な男子なんだろう。だけど、気の弱い奴だったら、女性恐怖症とかになってもおかしくない。それを思うと今でも腹立たしい。
そもそも、あれって、れっきとした犯罪行為だ。最近は、男性の性被害者も多いと聞くし、訴えれば間違いなく大事になった筈だ。まあ、絶対にしないけど。だって、あまりにも恥ずかし過ぎるし……。
そこで凪斗は、ハッとなった。これって、性被害者が泣き寝入りするパターンじゃないだろうか?
つまり、あの時の凪斗は、泣き寝入りしてしまった訳だ。
やっぱり、僕はヘタレなのかもしれない。
いくら高校生になったとしても、凪斗の悩みは尽きないようだった。
★★★
そんな風に思い悩む凪斗の元へ救世主のごとく、もしくは女神のように現れたのが、遠藤笙子だった。
笙子と凪斗は幼馴染。実は母親同士が高校の同級生で、小学校の頃は母の杏果に連れられて、お互いの家を頻繁に行き来していた仲である。
だけど、小学校も中学も学校は別々だったし、中学になると勉強とか色々と忙しくなって、顔を合わせることは無くなってしまっていた。だから、その日の放課後、突然、彼女が凪斗の教室にやって来て、まだ席に座ったままの彼が声を掛けられた時、その子が誰なのか全く分からなかった。
「なによ。私のこと、分かんないの? あ、さては、久しぶりに会った私が綺麗すぎて、ドギマキしちゃってるとか? ふふっ、凪斗のくせに、ちょっと可愛いかも……」
生意気なタメ口で話す目の前の女子が、妙に腹立たしい。確かに彼女はスラっと背が高くて、そのくせ出るとこは出てて引っ込む所は引っ込んでいて、充分に魅力的な体型をしている。そこに、うちの制服の可愛さが加わったのだから、破壊力抜群だ。顔だって好みの部類だし……って、どっかで見た気がするんだけど……。
「ほら、あんたの誕生日の日のおねしょ!」
「な、なんだよ、いきなり……」
「……それは、小学三年生のとある冬の日曜日の朝でした。いつもは早起きの凪くんが、その日に限ってなかなか起きて来ません。その日、たまたま凪くんの家にお泊りしてた私が部屋を覗いてみると、お布団に包まったままの凪くんと目が合ってしまいました。不審に思ってエイッとお布団を剥いでやると、プーンと臭うアンモニア臭……」
「こら、止めろ!」
まだ大勢の生徒が残っている教室中に響く、やや高音の良く通る声。何となく記憶にある語り口は、紛れもなく幼少期の生意気な女の子のもので……。
「ふーん。やっと、思い出したんだ」
「ああ、遠藤笙子だろ?」
「せいかーいっ!」
ドヤ顔で胸を張る笙子に何気なく目をやった途端、そこから目が離せなくなった。
うわっ、何だこれ? そういや、こいつの母親もデカかったっけ……。
そんな凪斗の視線を笙子が見逃す筈もなく、悪戯っぽい目で睨んでくる。
「もう、そんなに見ないでよ……ってか、私もちゃんと成長したの分かったでしょう? もちろん、あんたが見てたとこだけじゃなくて、色々だからね」
「確かに、そうみたいだな」
「そうよ。まっ、凪くんの場合も、ちゃんと私よりデカくなってくれたから、許してあげる」
この場合の「デカい」は、身長の事だ。でも、凪斗の目算だと、まだ少しだけ笙子の方が高い気がするんだが……。
もっとも、小学生の時の笙子は、凪斗よりも頭ひとつデカかった。そして、その頃、こいつに言われた事がある。
「ねえ、凪くん。もし凪くんが大人になって、私より背が高くなってたら、私、結婚してあげても良いよ」
「バーカ。何で僕がお前なんかと……」
「ふーん。勝てそうにないから、負け惜しみ言ってんだね?」
「ち、違うわ」
「本当? 私に勝てるの?」
「か、勝つに決まってんだろ!」
「そっか。じゃあ、指切りね。勝てなかったら、ハリセンボンだよ」
「分かった……。指切りげんまん……」
結局、あの時に指切りさせられたように思うけど、アレって今思えば、完全にハメられたような気がする。
そもそも、あの時の凪斗にとっては、全く勝ち目の無さそうな勝負だったのだ。と言うのは、凪斗の家族は全員小柄な部類であり、特に母の杏果に至っては、笙子の母親と比べると頭一つ分は背が低い。杏果は百五十センチそこそこで、相手は百七十センチ以上。つまり、完全なムリゲーって事だ。
「ほら、凪くん。ちゃんと立ってみてよ」
笙子に腕を引っ張られるがままに、仕方なく凪斗は立ち上がった。すると笙子は、ぴったりと身体を凪斗にくっ付けてくる。
次の瞬間、笙子の手が上に上がって、凪斗の頭にポンと置かれた。そうかと思うと、今度は凪斗の顔をじっと見詰めてくる。
近い、近過ぎる。たわわに実った二つの胸が身体に当たっちゃってるし、ぷっくりと膨らんだ柔らかそうな唇が、すぐ目の前だ。それに、彼女のショートボブの髪からは、柑橘系の甘い匂いがする……。
凪斗は、心臓の鼓動が急に激しくなって、どんどんと顔が赤くなって行くのを感じた。それなのに笙子の方は、そんなのは一切お構いなしといった調子だった。
「しっかし、あの凪くんが、ここまで大きくなるなんてねえ……」
そう言う笙子だが、ほんの少し膝を曲げている事に、ちゃんと凪斗は気付いていた。
だけど、敢えて口にはしない。だって、針千本なんて飲みたくないし……。
「仕方ないなあ。約束は約束だし、例の件、ちゃんとOKしてあげるよ。ただし、返品は認めないからねっ!」
「な、な、な……」
いきなりのプロポーズの言葉に、凪斗の頭の中は真っ白になっていた。
たぶん、教室にいる連中には分かっていないだろうけど、それでも、注目を浴びているのは間違いなさそうだ。さっきから、そいつらの視線をビシバシ感じるからだ。
ああもう、この後の言い訳がすっごく面倒……。
「……そうだね。まずは凪くんのご両親の所へ挨拶に行かなきゃだね。うーんと、杏果さんに会うの、久しぶりだなあ……。あ、そう言えば、凪くんのお姉さん、結婚して赤ちゃん産んだんだったよね。えーと、男の子? 女の子?」
「女の子だ」
「うっわあ、女の子なんだあ。会うの、すっごく楽しみーっ!.」
人の話を全く聞かずに勝手に話し続ける所とか、やたらと押しが強くて何でも自分の思う通りに進めてしまう所とか、もう全部が昔の笙子そのまんまだった。
だけど、今だけは『それでも良い』と、凪斗は思ってしまったのだ。
きっと将来、この瞬間の自分の判断を後悔する日が来るのかもしれない。
それでも、その時の自分だって、やっぱり、こう思う筈だ。
だって、しょうがないじゃないか。どうせ、僕はヘタレなんだから……。
END113
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、菅波凪斗の閑話の続きで、「杏海の誕生」です。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
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