108:盲目の少女(1)
◇2040年1月@福島県岩木市 <矢吹天音>
それは、一月も終わりに差し掛かった木曜日の事だった。さすがに二度目ともなると、それが新しく「ムシ」が生まれる前兆なのだと、直ぐに矢吹天音も確信する事が出来た。
そして昼休み、天音のスマホに樫村沙良からメールが届いた。確認すると、『何だか変な感じがする』といった内容だ。この時点で既に天音には、それが南の方だと分かっていた。ところが、沙良は「北」だという。つまり、その子の居場所は、「岩木市の天音がいる場所と、茨城県高萩市の沙良がいる場所の間」という事になる。
それからも天音は、何度か沙良からのメールを受け取った。そうして夕方になると、残業で遅くなるという母の涼子にメッセージを残し、天音はアパートを出て「ムシ」になり、南へ向けて飛び立った。
ところが、茨城県に入る手前の海岸で沙良を発見、それと同時に天音を見付けた彼女は、「ムシ」になってこっちに向かって来る。
〈えーと、ここって勿来海岸だよね?〉
〈はい。その子、勿来の子みたいですよ。たぶん、ここからちょっとだけ、山の方へ行った所の集落だと思います〉
〈そうみたいだね〉
その時には、その子の声が天音にもしっかりと届いていた。
さっきまで西の丘の上がほんのりと明るかったのが、既に真っ暗だ。ここ岩木市は日本列島の東の方に位置する関係上、特に冬は陽が沈むのが早いのだ。
その子の家は、木造平屋建ての古い農家だった。ただし、あの大震災にも生き残ったのだから、古いとはいえ、それなりにしっかりした造りではある筈だ。
天音と沙良は、その子の部屋の前に降り立って変異を解くと、そっと中の様子を窺ってみる。それから再び軽く光を纏い、雨戸と障子戸をすり抜けてから、もう一度、変異を解いた。
その部屋は、畳の十畳間だった。その部屋の中央に小さめの炬燵があって、そこに、セーターの上に大きめの半纏を羽織った少女がいた。
彼女は随分と小柄に見えるけど、たぶん、沙良と同じ歳なんだろう。長い髪を高い位置で纏めた彼女は、見事な金髪碧眼。そんな外見と、畳の部屋で炬燵に半纏という和風との組み合わせが、何ともアンバランスに思えてしまう。
その少女の耳元には大きめのヘッドホンがあって、何かの音楽を聴いている様子。瞼は開いたままで前を向いているというのに、その瞳には何も映っていないみたいだった。
それでも誰かが部屋に入って来た気配は感じている筈なのに、彼女は何も言わない。その事が不気味で仕方がない。
天音は、ふいに隣から沙良の視線を感じて、彼女の方に目をやった。沙良の顔にも困惑した表情が浮かんでいる。その沙良が堪え切れなくなったのか、やや不躾に言葉を投げた。
〈ねえ、うちらの事、怖くないの?〉
少女は、微かに首を横に傾げただけだった。
〈ねえ、私の言葉、聞こえてるんでしょう?〉
〈はい。聞こえています〉
〈だったら、私の質問に答えてよ〉
彼女は、再び首を傾げてみせた。
その彼女の身体は、既に薄っすらと光っている。
〈さあ、どうでしょう? 正直、良く分からないんです〉
〈良く分からない?〉
気が付くと、天音が訊き返していた。
〈すいません。「どうでも良い」の方が適切かもしれませんね〉
〈それって、どういう事?〉
〈はい。あなた方には、全く敵意が感じられませんでしたから〉
どうやら彼女は天音と同様に、ある程度、人の敵意が分かるらしい。もっとも、どの程度かは不明なんだけど……。
〈それとですね。今までの私って、ずっと夢を見ていたって気がします〉
少女が纏う光が、徐々に強くなって行く。たぶん、もうすぐだ。
〈私、今までに色々とあったんです。今は祖父母と暮らしてますけど、正直、たいていの事は、もうどうでも良いと思ってて……〉
そんな彼女の言葉と共に、どんよりとした暗いイメージが彼女から天音の意識に流れ込んで来る。背景に、クラシックのバロック調の旋律。これは、バッハだろうか?
〈ふーん、なんか、疲れちゃったって感じね……。あ、そうだ。さっき言った「夢を見ていた」って、どういう事?〉
〈あ、それはですね……、えーと、少し言い難いんですけど、私、さっきから、なんか頭の中がクリアになった感じがしてまして、それと同時に、「今までの自分って、何て馬鹿だったんだろう?」って気分でいるんです……。すいません。こんなこと言われたって、困っちゃいますよね〉
彼女のヘッドポンから流れてくる曲が変わった。今度は、ベートーヴェンだろうか?
天音は、そこでふと、『彼女、目が見えていないんじゃないかな?』と思った。さっきから既に彼女の身体はハッキリと光っているのに、それについて何も言わないし、怯えた感じも無いからだ。
取り敢えず名前を尋ねようと思って、天音が〈私、矢吹天音って言うんだけど……〉と言い掛けた時だった。突然、彼女の顔に驚愕の表情が浮かんだ。
〈うわっ、これって、何? 見えるってこと?〉
その言葉に、天音と沙良が顔を見合わせた。どうやら、本当に彼女は目に障碍を持っていたようだ。それが、「ムシ」になって急に改善したって事だろうか?
それを天音が訊く前に、沙良が彼女に〈どうしたの?〉と問い掛けた。
〈見えるんです。てか、「分かる」って感じでしょうか? えーと、今までもあった感覚ではあるんですけど、以前よりもずーっとクリアに感じられて、今は部屋の中の様子が手に取るように分かるっていうか……、お二人の姿もクッキリ鮮明に分かります〉
天音は、必死に目の前の出来事を整理しようと試みた。
〈つまり、あなたは目が見えなくて、それが、今は見えるって事?〉
〈はい……あ、いや、正確には「分かる」って感じですけど、ちゃんと色まで分かります。えーと、矢吹さんでしたっけ? あなたのセーター、ピンクですよね? その上に、ベージュのオーバーコートを着てますよね? あ、靴は脱いでもらえませんか?〉
〈あ、ごめん……。でも、これ、ちゃんと洗ってあって、上履きみたいなもんだから……って、そんでも、畳の上じゃ迷惑だよね?〉
〈あ、いや、それなら良いっていうか……〉
その子が靴の事を訊いてきたので、天音も気になる事を質問することにした。
〈あの、さっきも似たような事を訊いたんだけど、突然、私達が現れたのって、不思議だとか思わないの?〉
〈別に……っていうか、矢吹さんって、悪い人なんですか?〉
〈悪い事ねんて、するつもりないけど〉
〈ですよね。実際、お顔を見ても、そんな感じじゃないですもん。てか、私と同じ金髪なんですね?〉
〈そうよ。だって、私とあなたは、同じ仲間だもの〉
〈仲間……ですか?〉
〈そう、仲間……。あ、それと、家の人とかは、大丈夫なの?〉
〈はい。この家には、私と祖父母しかいないんで……。もう、ご飯は食べましたし、お風呂は勝手に入れば良いんで、この後、祖父母は私には何も言ってきません〉
〈そうなんだ。じゃあ、大丈夫なのかな?〉
この家は平屋だけど大きな家だから、ここで何かあったって、聞こえる事は無いってことなんだろう。でも、それって、本当に大丈夫って事になるんだろうか?
〈ふふっ、どうせ私を襲う人なんて、どこにもいやしませんよ。あなた方が私の部屋に現れた事は、簡単に祖父母にバレたりしません。安心して下さい〉
〈そうなんだ〉
〈はい。だから、何も問題はありません……。えっ? うわっ!〉
その時、彼女が纏う光が急に強まった。そして、背中に二対の光の翅が現れる。既に天音逹には当たり前の事だけど、彼女にとっては脅威だろう。
その翅は、パステル調の薄い黄緑色。前翅の上端に濃緑色の丸い文様があり、薄っすらと同系色の翅脈があるのが見て取れる。サイズは沙良の「モクレン」の翅と同じくらい。つまり、サイズは「ミッド」という事だ。丸みを帯びた形状も、沙良のに良く似ている。だけど、何となく光が弱々しく感じるのは、穂積郁代の「ジャスミン」の翅に似てるって気がする。
そして、甘酸っぱいフローラルで爽やかな香り……。
〈なんか、青林檎みたいな匂いですよね?〉
〈うーん、青林檎というよりも、カモミールって感じかな。ほら、何となくだけど、優しく癒される感じがしない?〉
〈確かに、そうかも〉
〈あ、あの、何のお話しをされてます? あれ……、うわっ〉
その子の身体が徐々に浮き上がり、天井の上へと消えて行く。天音と沙良は急いで変異して、彼女の後を追って行った。
END108
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話も「盲目の少女」の続きです。
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