010:発現
◇2038年5月@福島県岩木市 <矢吹天音>
自宅のアパートに着いても、そこには誰もいなかった。矢吹天音は、一人っ子。両親は、どちらも仕事なのだから仕方がない。
その両親は、実は同じ高校を卒業し、同じカマボコ工場に就職している。ただし、父の正史は、天音が小学校に上がってしばらくした頃、高校を卒業してからずっと働いていた工場を退職。生鮮食品の宅配会社に転職した。現在は、そこで管理職として働いている。家の都合で大学へは行けなかったが、彼が卒業した高校は地域で一番の進学校。そこでの成績はトップクラスで、人望があり友人も多かった。つまり、出世して当然の人材だったのだ。
一方、母の涼子の場合も、余裕で国立大学に進学できる成績だった。だけど、唯一の肉親である妹を優先した結果、大学への進学を諦めた経緯がある。現在、カマボコ工場ではラインリーダーを務めていて、現場の従業員としては高給取りだ。
要するに、未だに賃貸アパート住まいとはいえ、今の矢吹家はそこそこ裕福なのである。
その矢吹家は、七階建てアパートの五階にある。このアパート自体が夢浜海岸に近い高台に立っていて、リビングの窓からの見晴らしが最高に良い。海が一望できるオーシャンビューで、それが天音は、このおんぼろアパートに住む唯一のメリットだと思っている。
当然、欠点の方はいっぱいある。エレベーターはゆっくりでちっとも来ないから、いつも天音が使うのは階段だけど、コンクリートむき出しで隅の方は蜘蛛の巣だらけ。一応、震災の後に建てられた訳だから、絶対に安普請だったに違いない。
当時、海沿いの建物は、みーんな流されちゃって、海から少し離れた家も一階が浸水して駄目になったって言うから、建築資材は高騰してた筈。それに職人だって引く手あまただったに違いないから、安普請でも仕方ないのかもしんないけど……。
とはいえ、このアパートが抱える問題の本質は、住民が年寄りばっかって事だと天音は思っている。もちろん、お年寄りが嫌いって事じゃない。皆、天音には優しくしてくれるし、可愛がってもくれる。アパートの外の人達とは大違いだ。
だけど、本当は天音だって、年の近い話し相手が欲しい。
母の涼子は、「天音に友達が出来ないのは、あたしのせいね。あたしが耳の悪い身体で生んでしまったから」と良く言うけど、やっぱり一番の問題は、近所に子供がいない環境にあるんじゃないか?
確かに、同性代の子がいればイジメられるリスクもあるけど、天音が今の状態になった一因に、従兄の丈流以外、幼馴染がいないって事が影響してるのは間違いない。
天音が住むアパートに老人ばかりが住んでいるのは、震災で家を失った人達のうち、若い人のほとんどが余所に働きに出てしまったからだ。天音の両親のように、近くに職場が得られた方が少数派なのである。
そんな事をぼんやり考えながら、チャチャッと冷蔵庫にある物で夕食を作る。ご飯は朝に炊いたのが残ってたから、サッと炒めてチャーハンにした。
出来上がったチャーハンを食べながら、天音はテレビのスイッチを入れてみた。矢吹家のテレビは、古い液晶のタイプで3Dですらない。それでも、最近の天音はあまりテレビを見ないので、特に不満は無いんだけど……。
夕方のニュースは、殺人だとか暴行だとか、怖い話ばかりだ。都会だと、女の子が歩いて学校から換えるだなんて有り得ないと聞く。ここ岩木だと徒歩での通学が普通だけど、それでも事件が無い訳じゃない。
本当は、天音だって怖い。クラスメイトの女子は、集団での登下校が普通だ。天音のように一人で歩いてる女子なんて、他には居ない筈。何とかしたいけど、今は対策が思い付かないや。
夕食を食べ終わった天音は、溜め息を吐きながら洗い物を始めた。
★★★
夕食を終えた後、天音は少しでも身体の違和感を和らげようと、サッとシャワーを浴びてみた。それからは自室に籠ったのだが、まだ気分はスッキリしない。
最近、家に居る時の天音は、Tシャツとショートパンツ姿。それでも今日はちょっと肌寒いから、薄手のブルーのパーカーを羽織る。
五月の終わりは日が長い時期なだけに、なかなか陽が沈まないけど、それでも外は徐々に暗くなって行く。どうやら、雨は降らないみたいだ。とはいえ雲が多いから、星は見えないに違いない。暑い雲の隙間から、時々、薄ぼんやりと白い月だけが見えていた。
天音は、旧式の卓上端末を立ち上げると、宿題を始めた。そうして順調に数学の問題を解いて行き、残り僅かとなった時だった。
朝から感じていた身体の違和感が、更に強まった。天音の第六感とでも言うべき感覚が、さっきから脳にやたらと警報を送っている。
仕方がないので、いったん端末を落として立ち上がる。そして、思いっきり伸びをした。
すると、身体がぼんやりと光っているのを感じた。思わず手を見てしまう。確かに手の周囲がぼんやりと光っている。
天音は、部屋の電気は点けず、ずっと手元の灯りだけで宿題をやっていた。だから部屋の中が薄暗く、僅かな光でも良く見えるのだ。
うわあ、何なの、これ?
「身体が光る」なんて現象、聞いたことがないよ!
それでも、咄嗟にネットでググってみた。だけど、「身体が光る」なんて病気は、なかなか見付からない。
どうしよう? チャット○○でも聞いてみようか?
そんな事をやっているうちにも天音の身体は、ますます輝きを増して行く。それに伴って、部屋の中も明るくなって行った。
天音は、もはやパニックになっていた。
★★★
いつの間にか窓の外は、すっかり暗くなっていた。
そうなると、室内が明るければ窓ガラスは鏡へと変わる。そこに天音の全身が映り込んだ時、彼女は更に愕然とすることになった。
私の背中に、何かデカいのが付いてる!
光で縁取られたその形は、何だか天使の羽みたい。いや、それにしては大き過ぎるんじゃない?
それは、天音の身体よりもずっとずっと大きくて、端の方が天井と床に潜り込んでいた……っていうか、そこに床や天井が無いかのように、それは明確な意思を持って、外枠から丸みを帯びた形を成して行く。更には、ぼんやりしていた内部に薄い紫の色が塗られて、それが徐々に濃さを増して行った。
すると今度は、背中に近い付け根の部分から放射状に細く黒い線が描かれて、そこから分かれた細かい線が、鱗のような網目を作り上げる。
そうして窓ガラスに現れたのは、羽というよりも二対の巨大な「翅」だった。
これって、ひょっとして「チョウ」なのかな?
胴体の部分は銀色に光っていて、服など着ていないかのように、天音の身体の線をクッキリと見せている。顔も光ってはいるけど、かろうじて自分だと分かる感じ。どう見たって今の天音は、巨大な「光のチョウ」だ。
そう思った矢先に、天音は全身が浮遊する感覚に襲われた。さっきまでもパニックではあったけど、今はそれに輪を掛けての大パニックだ。
天音の意識に関係なく、背中に出来た翅が動いている。天音の身体は一瞬で天井をスルッと突き抜けて、そのまま加速して上昇して行ってしまう。
うわああああああああ!
声にならない叫びを上げた所で、どうせ誰も聞いてくれそうにない。それでも天音は、全力で叫ばずにはいられない状況だった。
そうして、ひとしきり叫び続けた天音は、いつの間にか加速が収まっているのに気付いた。『あれ?』っと思った彼女は、「身体がフワフワと空中に浮いている」という常識的に有り得ない事実にも気付いてしまい、またしても絶句した。
ところが、更に次の瞬間、彼女は視線を地上に向けてしまい、自分が浮かんでいるのはアパートから数百メートルもの上空だと知ったのだ。
その途端に天音は、もう一度、心からの叫び声を上げたのだった。
END010
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★★★
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(ジャンル:パニック)
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