気になるひと
「原田のパーマって天然?」
放課後、教室を掃除していたら同じ当番の矢野くんから質問された。当番はあと三人いるのだけど、今日はたまたまお休みと急用が重なって私達だけだった。
「うん」
「やっぱりそうなんだ」
そう言って矢野くんは掃除を再開した。急にどうしたんだろうと思いながら私も手を動かし始めると「ずっと気になってたんだ。もし気にしてたならごめん」と矢野くんが言った。
「気にしてないよ。急に聞いてきたからびっくりしたけど」
「そっか。どちらにしろごめん」
「いいよ、別に。そもそも校則的にパーマかけちゃだめでしょ」
「確かに。でもいつも綺麗にカールしてんなーって見ててどっちなんだろうって思ってて。それってマッシュ?」
「うん」
クラスも当番も一緒だけど矢野くんとそんなに話した事はない。現在会話のラリーは新記録更新中な上、“マッシュ”という言葉を聞いて矢野くんて髪型に興味がある人なんだと思った。
「私、映画見るの好きなんだけど、お気に入りの映画に出てくる女の子がこんな髪型しててそれがすごく可愛くて。その子も癖っ毛なの。その真似してるんだ」
「何ていう映画?」
途中、自分で何をペラペラ喋ってんだろうと思っていたけど、思いの外矢野くんは興味を持ってくれた様だった。私はその映画のタイトルを教える。
「それって配信されてる?」
「うん。私もそれで見たから」
「サンキュ。見てみるわ」
そしてそれから特に大きな会話もなく、掃除し終えると「じゃあな」と言って矢野くんは帰って行った。
それから一週間後、また私達に当番が回ってきた。今回は誰も欠ける事なく、私は友達とお喋りしながら、矢野くんも同じ様に男の子とお喋りしながら掃除していた。
実は今日が来るまでそわそわしていた。矢野くんは本当に見たのかな、教えてと言われたから勧めたけど男の子が好む様なものじゃなかったかもな、と少し不安だった。そう気になりつつも、元々雑談する様な仲じゃないので矢野くんとは今日まで一度も話さなかった。
本当はすぐにでも話しかけたい。ただ今回は他にも人がいるし、接点のない私達が急に映画の話をし出したらあれこれ詮索されそうな気がして、どこかでこっそり声をかけれるタイミングはないものかと伺っていた。でも終盤に近づくにつれ、そんなタイミングは無さそうだと察する。
また来週も当番は回ってくるし、もしかしたらそれまでの間にどこかのタイミングで話しかけれるかもしれないと思いながら、掃いたゴミをちりとりで集めていた時だった。
「原田、こっちのもお願い」
矢野くんだった。他の人は寄せていた机を動かしていて、もしかして、と思って近付いたら案の定矢野くんが小声で「観たよ」と言った。
「…どうだった?」
「フランス映画って初めて見たけど、なんかおしゃれだな」
私達は周りの雑音に紛れる様に、みんなには背を向けて作業しながら会話を続ける。
「そうだよね…男の子に勧める様なものじゃなかったかもってちょっと思ってたんだ」
「そうか?全体的に雰囲気が良くて結構好みだった」
「ほんと?」
「あと原田が言ってた女の子、憧れるの分かるわ。主役じゃないのに目引いた」
「だよね!」
「なあ、他にもお勧めある?」
私はこの一週間、これを薦めれば良かったと思っていた作品を矢野くんにいくつか教えてあげた。矢野くんは「また観てみるわ」と言った。
そして次の週の掃除当番の時も、同じタイミングで矢野くんは話しかけてくれた。勧めた中でSFものの反応が良さそうだったのでそれを重点的にまたいくつか教えてあげる。そして次の報告会を楽しみに一週間待った。
「めっちゃ良かった。おかげで寝不足」
今回勧めたのは映画ではなくドラマだった。本格的に物語が動くまでに話数がかかるのでどうだろうと思ったけど、これまでとは違う反応に私は嬉しくなった。
「分かる。私も一時期ハマりすぎてやばかった」
「他に勧めてくれたやつ、まだ観れてない」
「あはは、いいよ別に。あのさ、逆に矢野くんのおすすめとかってある?」
「俺の?」
少し考えた後に、矢野くんはアニメを教えてくれた。とあるスポーツを題材にしており、「ハマるか分かんねえけど面白いよ」との事らしい。私は帰宅後早速視聴してみた。
そしてものの見事にハマってしまった。今までアニメはあまり触れてこなかったけど、笑えて泣けて、心を熱くさせる内容に今度は私が寝不足になった。そして気付けば本屋に走り、原作漫画を全巻購入していた。
待ちに待った秘密の報告会の日。私はなるべく抑えながらも興奮気味に「すごく良かった…!」と伝えると、矢野くんが嬉しそうに笑った。
「だろ?」
「もうハマりすぎて漫画全巻買っちゃった」
「まじ?俺持ってたのに」
「えっ」
そこまでの巻数ではないがまあまあの散財だった。でも本当に名作だから後悔はしていない。ほんの少しだけ、先に聞いておけば良かったと思ったけど。
「あのさ」
「何?」
「後で連絡先教えて」
中腰でゴミを集めている私にだけ聞こえる様に、矢野くんが少し屈んでそう言った。ドキ、と心臓が鳴る。私は無言で頷いた。
「じゃあ終わった後もここに残ってて」
矢野くんはそう言うと私の手から箒とちりとりを取ると片付けてくれた。
私達は掃除を終わらせ先生からチェックをもらって解散になった。私以外の女の子達は部活動に所属していて、掃除が終わったらいつも玄関まで一緒に行っていた。けど今日は先生に聞きたい事があるからと誤魔化して私は教室に残る。一方矢野くんは一緒の当番の男の子と教室からいなくなっていた。
ここに残っててと言われたが、聞き間違いだったろうかと少し心配していたら、遠くから走ってくる音が聞こえた。
「ごめん」
息を切らして教室に入ってきたのは矢野くんだった。
「片山くんは?」
「忘れ物取りに行ってくるって言ってきた。先生も近くにいないから今のうち」
そう言いながら矢野くんはポケットからスマホを出して操作すると、私に画面を差し出す。そこにはメッセージアプリのQRコードが映し出されていた。私も慌てて鞄からスマホを取り出しそれを読み取り“矢野”と書かれたアカウントを登録した。
「スタンプか何か送っといて。じゃあな」
「うん。バイバイ」
そして矢野くんは帰って行った。私はその場で“原田です”とメッセージを送り教室を出た。
家に着くと矢野くんから返信がきていた。どうも、という言葉と共に送られてきた文章に、私はまた胸が高鳴った。
“原田にすすめたアニメの続編が今上映されてんだけど一緒に観に行かん?”
その情報は知っていた。もちろん観に行くつもりだったが、矢野くんと一緒に行きたいな、と心のどこかで思っていた自分に気付いた。私は了承する返事をして、早速明後日の土曜日に観に行くことになった。
集合する時間を決め、矢野くんの“よろしく”という言葉にスタンプを送ったらそれから返事はこなかった。私は寝る直前まで、ただの業務連絡でしかない矢野くんとのやり取りを何度も見返した。
翌日、教室に入ろうとすると丁度矢野くんと鉢合わせた。目が合って、心臓が鳴った。
「おはよう」
「おはよ」
相変わらず人前ではお喋り出来ないけど、顔を合わせば挨拶し合うくらいにはなっていた。でも今日は矢野くんがいつもと違って見えた。矢野くんも、何かを含んだ笑顔で私に挨拶を返すと、そのまま教室から出て行った。
私達は明日映画を見に行く。それを知っているのは当たり前だけど私達だけで、すごく胸がドキドキした。そして廊下を歩く矢野くんの背中をちらりと見て、明日何着て行こうかな、と考えた。
fin.
矢野くんの将来の夢は美容師さんです。