第5話 俺とお前のオムライス 3 ―象の腹の下で―
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「雨止まないなぁ……」
正義は残念そうに呟いた。
子供の気分は千変万化。正義はもう転校生の事も、せんねんまんのチョンマゲの事も、失った三十円の事も、全てを山下商店に置いてきたかの様に一ミリも考えてはいなかった。今はただ『雨ヤダなぁ……』としか考えていない。
正義は山下商店から出るとすぐ近くの公園に向かった。パンダの遊具があり、通称『パンダ公園』と呼ばれている公園だ。
70年代のパンダブームの頃にパンダの遊具を設置して以来、いつの間にやら『パンダ公園』と呼ばれるようになった公園ではあるが、時が経つにつれてパンダ以外にも動物の遊具は増えていき、今では犬やカエル、アヒルやウサギ、象だっている。動物ばかりの一風変わった公園だ。そして、そんなパンダ公園の中で『雨ヤダなぁ……止まないかなぁ』と考えている正義は象の遊具の下に居た。
象の遊具は公園の真ん中にあり、本物の象と同じくらいの大きさがある。かなり目立った存在で、『パンダ公園は象の遊具がある公園』と認識している人だっている。
目立っているからか、象の遊具は子供達から人気があり、正義もお気に入りに思っていた。
この遊具の遊び方は公園にある遊具なのだからいたって単純で、簡単にいえばすべり台である。四つの足で立った体には、お尻にある垂れた尻尾の形をした階段から登れ、長い鼻が滑り台になっているのだ。
晴れた日であれば、正義はこのすべり台を何時間でも滑っていられるのだが、今日は生憎と雨。でも、象の遊具は雨の日でも重宝する存在だったりもする。
大きな足と足の間をくぐれば腹の下に入れるからだ。くぐった先には何も無くて、ただの空洞ではあるが、ゲームをするにも、漫画を読むにも、せんねんまんのチョンマゲをするにも、雨宿りをするにも最適な場所なのだ。
この場所で正義は、本日三回目のせんねんまんのチョンマゲを始めようとした……が、他の三人から断固拒否されてしまった。だから、雨を見詰めるしか出来ていない。『雨ヤダなぁ……』と、『晴れないかなぁ……』と考えながら。時には「雨が止んだら鬼ごっこがしたいなぁ」と妄想を口にしたりして。
「今日はもう止まないよ。天気予報で言ってたよ」
正義が妄想を口にすると、隆が言ってきた。
隆は正義が奢ったウマウマ棒の袋を開けながら、「つか正義、本当にいらないの?」と聞いてくる。
「うん。いらない」
正義はウマウマ棒には興味がなかった。今ある興味は雨の事だけだ。
「そっか、じゃあ食っちゃうな」
正義の返答を貰うと、隆はウマウマ棒の一口目を齧った。
「ねぇ、今日はコレ食べたら解散にしない?」
モグモグと口を動かしながら紋土が言った。
「俺さ、さっきから鼻水が出てくるんだ。風邪引く前に帰りたいよ」
早春の小雨は寒さを増してくる。紋土はさっきから洟を啜っていた。
「そうだなぁ……俺も今日はもう帰りたいわ」
紋土に同意したのは拓海だ。
拓海は正義と隆に「二人はどうする?」と聞いてくる。
聞かれた隆は「う〜ん……」と考える素振りを見せながら、ウマウマ棒の二口目を……というか最後の一口を頬張って、「正義はどうする? 正義が残るなら俺も残るよ?」とパスを出した。
対して正義は象の足の間から外を見詰めたまま「う……う~ん、どうしよ」と首を捻った。
「残るの? どうすんの?」
「う〜ん……そうだなぁ、残ろうかなぁ。今帰っても母ちゃんに宿題やれってうるさく言われるだけだし。もうちょっとここにいるよ。あ、でも隆も帰って良いよ。俺はあそこに歩いてる蟻が水溜まりに落ちない様に見守ってから帰るから」
正義は砂利の中を歩く一匹の蟻を指差した。
正義の興味は、隆がウマウマ棒をたった二口で食べる間に雨から蟻へと移っていた。
「多分、あの蟻はあそこの穴ぼこに向かって歩いてると思うんだ。蟻がちゃんと穴に入れるか見守ってから帰るよ」
小さな体で歩く一匹の蟻の数十センチ先には小さな穴があった。小さな蟻がその穴まで辿り着くには、おそらく十分以上はかかるだろう。
「正義は相変わらず虫が好きだな」
「虫だけじゃないよ、犬も猫も、花も好き」
「そっか、じゃあ俺も帰るよ」
蟻を見詰めたまま正義が「うん」と頷くと、約一分後、紋土と拓海もウマウマ棒を食べ終わり、皆は象の中から出ていってしまう。
一人残された正義は、蟻を見守り続ける。
蟻が穴に入るまで、十三分掛かった。
「おっ、入った! 入った! へへっ……じゃあ俺も帰るか。本当はもう少しここに居たいけど、一人じゃやる事ないもんなぁ……」
時刻はまだ十五時過ぎ、定食屋を営んでいる赤井家は忙しくなる寸前であり、少し余裕のある時間だ。今帰れば母に『ゲームよりも先に宿題やりな!』とどやされる未来が正義には見えている。
だが、やはり一人ではやる事がない。
「蟻さんともサヨナラしたし、仕方ないよな。帰るしかないよなぁ……」
正義は唇を尖らせながら傘を取り、象の遊具の下から出ようとする。すると、背後からガサガサと物音が聞こえた。
「ん?」
正義が振り返ると、反対側の足の間から誰かが象の腹の下へ入ってこようとしていると分かった。
― あ……ヤダなぁ、上級生かな?
その人物は傘を斜めに構えて、象の足と足の間に蓋をする形で背中から足の間をくぐってきた。
雨に濡れぬ為だろうが、そのせいで正義には顔が見えなかった。
しかし、現れた人物が自分よりも体の大きい人物だとは分かる。『上級生だったら気まずいな』と考えながら正義は急いで外へ出ようとする。が、その前にその人物が振り返った。
「あっ!」
「あっ……」
二人の目と目が合った。
上級生ではなかった……が、現れた人物は上級生よりももっと気まずい相手であった。
「おまっ!」
「またキミか……」
何故なら現れたのは正義にとってムカつく相手、名も知らぬ転校生であったからだ――否、ムカつく相手なのは転校生にとっても同じだろう。転校生は正義の顔を見るな否や、愕然とした表情を浮かべたのだから。
「またって! それはこっちの台詞だよ、なんでお前がここに来るんだよ!」
正義は早速突っ掛かった。蟻を見ていた時に抱いていた穏やかな気持ちは一瞬にしてすっ飛んでしまっている。
「そっちこそ、何故ここに……」
「俺は雨宿りを!」
「だったら俺も一緒だ、ここはキミだけの場所じゃないだろ。俺だって使っても良い筈だ……」
そう言うと転校生は傘を畳み、胡座をかいて座った。
「そ……そうだな、それはそうだ。まぁ、別に良いよ。俺もう帰るし!」
反対に正義は傘を開く、外に出ようとする。
「あ、いやちょっと待ってくれ!!」
「え?」
正義が外に足を踏み出した時、何故か転校生が呼び止めてきた。
驚いた正義が振り返えると、転校生はモジモジとボソボソとこう言った――
「キミ……今暇か?」
「暇? な……なんだよ急に?」
「いや、もし暇だったなら、これ……」
「こ、これ?」
転校生は手に持っていたレジ袋を指差した。
袋には『山下商店』と印字がされている。
「あぁ、これだ。これ……良かったら一緒に食べないか?」
「え? な……なんで?」
正義は転校生の突然の提案に目が点になる程に驚いた。
対して転校生はモジモジを続けながら理由を話してくる。正義に目を合わせようとはせず、途中途中で吃りながら。
「いや……急にキミが現れたから驚いてしまって今は思わず酷い事を言ってしまったが………さっき駄菓子屋で聞いた話を思い出したんだ。俺は、確かにキミに酷い事をしたみたいだ。その気はなかったが、少し力が強かったかも。キミは、俺と山田とのいざこざに関係はないのに、とても失礼をしてしまった。だから……詫びとして」
転校生は胡座をかいて高く上がった膝を片手で擦っていた。
転校生が詫びるのは今日の二時間目と三時間目の間の小休憩で正義を突き飛ばした事についてらしい。
「わ、詫び? ……それって、ごめんって事?」
正義は『詫び』という言葉を初めて聞いた。ニュアンスで『ごめん』と結び付くが、確める為に聞き返す。
「あぁ……そうだ」
転校生は頷いた。顔は小雨の降る外に向けている。でも、耳を見るとポッと紅い。
「あ……」
その耳を見た正義は気が付いた。そして傘を置いて象の中へ戻ると、転校生の顔を覗き込む。
「え? な……なんだよ」
顔を覗き込まれた転校生はまた吃る。そんな転校生に向かって首を傾げながら正義は聞いた。
「ねぇ……もしかして、照れてる?」
……と。
「え?! て、て、照れ? そんな――」
「あ! やっぱり照れてるの?」
正義は幼い。だから頭に浮かんだ考えをすぐに口に出してしまう。『照れてるの?』と聞かれても、照れてる相手は『照れている』と認める筈が無いのに。
「な、な、なんだよその質問は……い、良いから食べろって」
転校生はレジ袋を正義の顔にグッと押し付けた。




