第4話 みんなを守るために…… 13 ―恐怖心が無ければ―
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「怖いかどうか、それを何故勇気くんが気になるのかは分からんが、正直に言うと、怖いよ」
石塚はパスタを巻きながら答えた。
「石塚さんもですか……」
「そりゃあなぁ、人間だ、当たり前だよ。でもね、俺の仕事――刑事という職務に就くにあたって、この気持ちは大切だとも思うんだ」
「大切……恐怖心がですか、何故?」
丸一日以上睡眠を取っていないからか、それとも食事を取っていないからか、それともその両方のせいか、勇気は体から力が抜けていた。
だが、石塚の返答を聞くと体に熱が宿った。背もたれから離れ、勇気は少し前のめりになる。
そんな勇気を見て、石塚は「そんなに疑問に思うのかい?」とパスタを頬張りながら微笑んだ。
「そうか、そうか、ヨシッ! それじゃあ教えようかな、とある人物が言った格言があるんだ!」
石塚は太い人差し指を掲げた。そして、演説をする様に語り出す。
石塚の声は大きい、午後十一時を回った静かな店内に石塚の声が響いていく――
「まず一ッに、恐怖心が無ければ自分の身に迫る危険を察知出来ない! 二ッに、恐怖心が無ければ恐怖を感じる人の心を理解出来ない! 三ッに、恐怖心が無ければ恐怖を感じる人達を助ける為に"勇気の心"を燃やす事が出来ない!」
石塚は『勇気の心』の言葉と共に、掲げた人差し指を勇気に向けた。
「勇気……」
「そう! キミの名前と同じ"勇気"だ!」
石塚は「ガハハッ」と声を出して笑い、人差し指を下ろした。
「この言葉が誰のものだか分かるかい? 何を隠そう、キミのお父さん、青木純の言葉だ!」
「父さんの……?」
「そうだ!」
石塚は頷くと、微笑みを消さずに再びパスタを巻き始めた。
「純はね、酔っ払うと毎回毎回この言葉を言うんだよ。腕を上げてな『恐怖心が無ければぁ!』ってな感じで」
石塚は勇気の父の真似をしてみせた。
「俺は耳にタコが出来るぐらいに聞かされたよ。でもね、これは良い言葉だ。俺は刑事を続ける限り、今の言葉を大切にしていきたいと思っているよ」
溌剌と石塚は言った。しかし、勇気はその反対で俯いてしまう。
― 父さんも……俺と同じく恐怖心を持っていたのか。でも、俺とは違って《勇気の心》も同時に……
勇気はここで気になった、父が言っていたという『臆病者』という言葉が。
― もしかして……もしかして……父さんも昔は……
「………あ、あの……」
勇気は顔を上げた。石塚の目を見詰めて、珈琲を一口啜る。
「なんだい?」
勇気は抗う事が出来なかった。自分の心に芽生えた希望に。
「あ、あの……では、ですね、父さんも恐怖心を持っていたという事ですか。俺、母さんから聞いたんです。父さんの口癖を。父さんはよく言っていたって、『俺は臆病者だ』『俺は臆病者だから人を守る仕事に就いたんだ』って。石塚さん、臆病者だから刑事になったとはどういう意味ですか? 石塚さんから見て、父さんは臆病者でしたか? でも、変わったのではないですか、臆病者から、いつからか《勇気の心》のある人間に……」
ダムが決壊する様に勇気の気持ちは一気に放出された。言葉は放流されるにつれて速くなり、体は更に前のめりになって、石塚に迫った――勇気は求めていた、石塚の『そうだ』という答えを。『君の父は変わった』という返答を。何故ならば、かつての父が臆病者だったとして『恐怖心が無ければ《勇気の心》を燃やす事が出来ない』という言葉を語れる《勇気の心》を持つ人物に変われたのであれば、『もしかして自分も《勇気の心》を持てるのでは……』と思ったからだ。
「お……おぉ、ど……どうしたんだい急に?」
勇気が鬼気迫る表情をして聞いてくる理由を石塚は知らない。勇気の反応に石塚は驚いた。
「 あ………いや……あの……」
この石塚の驚きは、勇気の言葉を詰まらせてしまう。
勇気は、自分は暴走したと思い、恥ずかしく、情けなく思ってしまった。
― 何を考えているんだ俺は……父さんは、父さんなのに
「す……すみません。いえ、何でも――」
『何でもありません』と勇気は話を終わらせようとした。しかし、石塚が勇気の言葉を遮る。
「そうか……どうやら純は、早くに逝き過ぎたみたいだな。父親として、キミと多くの時間を過ごすべきだった。勇気くん、キミは純の事をもっとよく知りたいんだね?」
石塚は優しく問い掛けた。
「よし、分かった! それじゃあ、おっさんが何でも答えてやるかぁ!」
そう言うと石塚はパスタを豪快に頬張り、甘い珈琲を飲み干して、「よぉし、よしよし」と手を叩いた。
「そうだなぁ、じゃあ先ずは俺から見て純が臆病者だったかって質問に答えようか! うん、それはねぇ、全くもってそうじゃない!」
「やはり、そうじゃ――」
「でも――」
勇気が口を開くと、石塚は空かさず『でも』と口にした。そして、石塚の表情は微笑みから、神妙なものへと変わる。
「――でもね、純自身は自分の事をそう思っていたと思うよ。俺も麗子さんと同じで、ヤツが自分の事を『臆病者』と言うのを何度も聞いているんだ。俺と純は警察学校からの仲なんだが、純は若い頃から、誰よりも危険や恐怖に敏感な男だったからね。何をするにも『もっとこうしないと危険だ、あぁしないと危険だ』とか、いつも危険を探し歩いているみたいなヤツだったよ。刑事になった後も『危険な捜査の前には夜も眠れない』と嘆いていたなぁ」
「父さんが……」
「でもね、アイツは刑事になる為に生まれた男でもあったんだ。何故ならね、純は素晴らしい武器を持っていたからだ。それが何か分かるかい?」
勇気は首を振った。
「それはね、恐怖心だよ」
「恐怖心……?」
「そう。純はね、己が持つ恐怖心を裏返して、武器に変える事が出来たんだ」
「恐怖心を武器に……それは、どうやって?」
勇気の手のひらには汗が吹き出した。
汗ばんだ手を、勇気は強く握った。
「これがきっと、『臆病者だから人を守る仕事に就いた』という言葉の意味に繋がるんだが。勇気くん、さっき俺が教えた言葉を思い出してくれ。『恐怖心が無ければ恐怖を感じる人達を助ける為に"勇気の心"を燃やす事が出来ない』――これをさ。確かに純は危険や恐怖に敏感なヤツだったよ。でも、だったからこそ、純は俺達みたいな鈍感な人間よりも、危険や恐怖に怯える人の気持ちを深く理解出来たんだ。そして、理解出来たからこそ『恐怖を抱く人を助けたい』と思い、『人々に恐怖を覚えさせる悪人を絶対に捕まえる』という強い気持ちを持てていたんだ。アイツはね、人を想い、守るために、己の恐怖心を己の武器に、"勇気の心"を燃やす燃料に変えていたんだよ」
「……」
「頭の良い奴だったから、きっと純は自分自身を冷静に分析したんだろうね。『危険や恐怖に敏感な自分に何が出来るのか?』と自分自身に問い掛けたんだと思う。そして答えに行き着き、そして刑事になる道を選んだんじゃないかな? だから言っていたんだと思うよ。『臆病者だから人を守る仕事に就いたんだ』ってさ。まぁ、さっきも言ったけど、俺はアイツが臆病者だとは一切思わないけどね。けれど、アイツは自分自身を臆病者と言っていた……でも、この言葉を使う時のアイツは"誇り"を持って言っている様に、俺には思えたなぁ」
「……」
熱かった珈琲はとっくに冷めてしまった。
勇気はぬるくなった珈琲をゆっくりと飲み干し、「父さんの言葉は、そういう意味だったのか……」と囁く様に言った。
「俺の憶測も大分入っているけどね」
「そうですか……」
熱くなっていた勇気の体も冷めてしまった。前のめりになっていた姿勢も元に戻り、握った拳も開かれた――希望に溢れた幸せな夢を見た朝は、現実が悪夢に感じるが、現在の勇気もそれと同じだった。
「臆病者だから、危険や恐怖に敏感だから、父さんは刑事になる道を選んだ……でも、そんな答えを出せる時点で、父さんは元から《勇気の心》を持っていた人だったんですね。どこかで変わった、とかではなく……」
「あぁ、そうだった。その質問に答えてはいなかったね。うん、俺が責任を持って答えるよ。純は変わってはいない、出会った時から勇敢な男、勇気のある男だったよ」
「……」
― 何だ……そうか……
石塚のあっさりとした回答に、勇気は再び俯いてしまう。
勇気は『《勇気の心》を持つにはどうすれば良いのか』という疑問の答えを父に求めていた。しかし『臆病者』と自分を語る父も、結局は《勇気の心》を持つ人物だったと知り、勇気は再び希望を失くしてしまったのだ。
― よく考えればそうだった……父さんは『臆病者だから』と、そう言っていたんだ。『臆病者なのに』ではないんだ。頭の中がめちゃくちゃだ……睡眠を取っていないからか、それともまともに飯を喰っていないからか、兎に角頭が回らない。よく考えれば、始めに石塚さんが教えてくれた言葉だけで父さんがどんな人なのか全て分かるじゃないか……石塚さんに無駄な時間を取らせてしまった。父さんはやはり、俺とは違った。俺は恐怖心を武器に変えるなんて出来ない……俺は、《勇気の心》を持たない男だから……
「勇気くんも同じだね」
「え?」
勇気は顔を上げた。
「な……何がですか?」
「"勇気"だよ。勇気くんも純と同じく、恐怖心で"勇気"を燃やせる人だねって意味だよ」
「え? お……俺が?」
勇気は戸惑った。意味が分からなかった。
「何故、驚くんだ? 覚えてないのかい? 勇気くんと麗子さんが輝ヶ丘に引っ越したばかりの頃の話だ。キミは友達を守る為に、自分よりも体の大きい意地悪な同級生に立ち向かった事があっただろ?」
「そ……それは……」
「その話を聞いた時、俺は嬉しかったよ。何故だか分かるかい? 純は勇気くんにも『恐怖心を裏返し、誰かを守る為に"勇気"を燃やせる男になってほしい』と願っていたからさ。だから純は、キミを『勇気』と名付けたんだよ」
石塚は嬉しそうに微笑んだ。
「勇気くんが友達を守って戦ったと聞いた時、俺は凄く嬉しかったよ。純の願いが叶ったんだからね!」
石塚は微笑み続ける。だが、勇気は違った。
勇気は石塚に、辛辣にも聞こえる言い方でこう返した――
「それは昔の話ですよ……」




