第1話 約束の日は前途多難 9 ―輝ヶ丘大防災訓練―
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「……でぇ~あるからしてぇ」
マイクの反響が体育館に響く。
「輝ヶ丘大防災訓練はぁ」
『もう反響なんてイチイチ気にしていられない』とでも言う様に校長のスピーチは続く。
「あなた達、輝ヶ丘に住む者や、私達輝ヶ丘で働く者にとって、一大イベントであり、且つとっても大事なぁ、命を守るための訓練でもあります」
選挙演説の様に一言一言切るようにして話す校長のスピーチは、愛や勇気たち輝ヶ丘高校の生徒達にとってそらでも真似出来るものだ。
『同じ人が台本を書いたのではないか?』と問いたくなる程に小中高の校長は皆同じ事を言うのだから、子供の頃から輝ヶ丘に住む愛や勇気にとっては聞き馴染み過ぎて聞き飽きたものだった。
校長のスピーチは『命を守るための訓練でもあります』の後に、必ずその歴史と成立ちを話す。
「輝ヶ丘の再開発が行われた際に、当時の鈴木隆一市長がぁ、」
――数十年前に輝ヶ丘の再開発を推し進めた当時の東都市市長 鈴木隆一氏が掲げた"街作り"の一番の売りが『強固な防災設備を備えた街作り』というものだった。
市長のその言葉通り、輝ヶ丘には一万五千平方メートルにも及ぶ地下シェルターが作られた。
「そのシェルターを使い、行われるのがぁ、」
――市長は街の何処からでも避難出来る様に、街を12ブロックに分けて各ブロックに一つ入口を設置した。このシェルターを使い、行われているのが輝ヶ丘大防災訓練=シェルターへの避難訓練である。
輝ヶ丘の住民は当日の15時までに各ブロックの集合場所に集まり、輝ヶ丘消防署・輝ヶ丘警察署の指導の元、一斉に避難訓練を開始する。
参加した全ての人がシェルターの内部に入るまで約一時間。
そしてそれから始まるのが輝ヶ丘消防署、警察署の隊員・署員によって行われる、災害時・テロ事件時を想定した、防災・緊急避難に関する講義だ。
その年によって取り扱われる内容が変わり、今年は『災害時の最適な避難行動と、備えておいてほしい備蓄品に関して』という内容の講義が行われる予定である。
こちらも約一時間行われ、それからまた一時間、今度はブロックごとに消火器や簡易トイレ・レスキューシート等を使っての消火訓練や防災グッズの説明会が行われる。
そこでやっと大防災訓練は終了となるが、開始から終了までに約三時間もの時間がかかり、そしてまた参加した全ての人達がシェルターを出るまでに一時間がかかる。完全終了して、輝ヶ丘がいつもの姿を取り戻すまでには合計して四時間弱もかかってしまうのだ。
「大変長い訓練となりますが、必ず身になる訓練でありぃ、」
――大防災訓練中は街からは殆どの住民が居なくなる。再開発当時の鈴木市長の独断で始められた訓練であるが、他に類を見ないこの大規模で特殊な防災訓練を真似しようとした地域は他に無く、真似するどころか"奇祭"とも捉えられ、毎年国内から、そして時折海外から密着取材が入る程であったりもする。
昔は訓練中の空き巣や車上荒し等の被害が多かったらしく、実施を反対する住民もいたが、警官が配備される等の改善策は取られたものの防災訓練自体が無くなることはなかった。
「今年は――」
――実施される回数は年に一度。時期は毎年変わり、春・夏・秋・冬の予測はつかない。その日程が発表されるのは年明けの三が日が過ぎてからである。
「――例年より比較的早く、本日、2月15日に行われる事となりましたぁ、」
「ふぁ~あ……」
校長の長いスピーチに誰かがアクビをした。
「ふぁ~……」
「ふぅ~う……」
伝染する様に次から次へとアクビが続く。
クラスメートが続々と感染していくなか、愛だけは真剣な表情をしていた。
だが、校長のスピーチを大事に聞いているのではない。校長のスピーチは毎年同じなのだから。ただ、今年の大防災訓練は愛にとって『めんどくさい」』や『退屈』と思えるものではなくなっていた。
昼休みが終わる前、愛は勇気から聞いたのだ。今年の大防災訓練が街の住民の生死を分ける大事なものである事を。
―――――
「まさか……大防災訓練が"今日"行われるのを、偶然とでも思っていたのか?」
昼食を終えた勇気は校庭のベンチから立ち上がると、キョトンとした顔で固まっている愛を振り返った。
「だっ……だって、まさか勇気くんの差し金だなんて思わないもん!」
「おいおい、差し金なんて変な言葉を使うなよ。まるで俺が悪い奴みたいじゃないか」
言い返す勇気であるが、その顔には天使の微笑みが浮かんでいる。
「いやぁ、俺だって驚いたさ。まさか爺さんがあんなにすんなりと俺の言う事を聞いてくれるなんて思わなかったし、"噂通り"の権力を未だに持っているとも思っちゃいなかったよ」
「どんな風にお願いしたの?」
愛が首を傾げて尋ねると「簡単なモンさ」と勇気は天に向かって両手を広げた。
「――その日は進みたい大学のさるお方の公開講義があるんだ、どうしても行きたい、次の日にしてくれないか? ……ってな」
「へっ? それだけ?」
「あぁ……それだけだ。最初は2月14日に予定されていたみたいだからな。一日変えるだけなら、そう難しくはなかったんだろう」
『俺も驚いた』と勇気は言ったが、愛の目にはその驚きは出来事の大きさに比べると本来感じるべき驚きに圧倒的に足りていないと思えた。どこか自慢話の様に話す素振りは『驚き』というよりも『当然』と言いたげにも思える。
「大防災訓練の日程をズラさせるなんて、一日だけっていっても、あんな大規模な催しを、そんな一言で……流石、鈴木元市長の孫――」
愛が称賛とほんの少しの嫌味を漏らすと、勇気は称賛の方だけを頂いた。
「爺さんは昔から俺に甘いからな。父さんが早くに逝ってしまったから、きっと……その分俺の世話を焼いて父親代わりをしてやろうと思っているんだろう。時々、ウザッたくも思うが今回はその気持ちに甘えさせてもらったよ」
鈴木隆一元市長は勇気の母方の祖父である。
二十年以上も市長を勤めた隆一氏は退いて十数年と経つ隠居の身でありながらも、未だに輝ヶ丘の影の支配者とも噂されている存在だ。
勇気の言葉を素直に受け止めれば、祖父が有力者だという事は勇気も噂話でしかないと思っていたらしいが、今回はその権力を行使させた事になる。
「二月中に行うと爺さんから聞いたのは去年の夏くらいだったな、別に俺の方から聞き出した訳ではないぞ――」
愛を聞き役に回して勇気は話し続けた。
「――『来年の大防災訓練は二月の上旬にやるらしい』と、爺さんが俺の家に来た時にポロリと溢してな。更にもっとよく聞いてみると、2月14日に決まり欠けていると教えてくれたんだ。爺さんは話し好きだ、知ってる事なら全部喋る。まぁ……父さんの命日には手を空けられそうだと、母さんに伝えたかったのもあるんだろうけどな」
「そっか、丁度明日だったよね? 勇気くんのお父さんの……」
「あぁ……」
勇気は頷く。その表情は祖父の話から一変して、影を帯びる――苦い顔を浮かべて下唇を噛んだ。
「今年で十年だ。父さんの顔は、もう写真を見なければ思い出せないよ」
「あ……勇気くん、ごめん」
影を帯びた勇気の表情を見て、愛は咄嗟に謝った。が、勇気は自分の顔が曇ったとは意識はしていなかったらしい。「ん? 何故、謝るんだ?」と言って首を傾げた。
「あ……いや、んと」
「ふっ、やはり今日の桃井は変だな。まぁ……そういう事で、これで約束の17時には街からは人が殆ど消えてる筈さ。その間に俺達の手で終わらせよう。"今日"起きた出来事は『都市伝説だ』と言われるくらいに一瞬で」
勇気は顔から影を消し、愛に向かってニコリと微笑んだ。
―――――
― やってやる! 絶対やってやる! 出来る、絶対、私達なら!!
愛は『俺達の手で終わらせよう』と言った勇気を思い出しながら、漲る闘志を抑えられず、スピーチを行う校長を拳を握って睨んでいた。
― 勇気くんが皆の安全を確保してくれた、後はやるだけ!! やるだけなんだ!!!
愛は右手を開き、左腕につけた腕時計の文字盤をこっそりと叩いた。
― こうやってもまだ何も起きないけど、でも、でも、やれる!! だって、私達は選ばれたんだから!!!
―――――
少年が縛られてから十分少々が経った。
手足を縛られ、少年は身動きを取れずにいる。
しかし、少年は大人しい。寝かされたソファの上でただじっとボンとチョウを観察していた。
リーダー格の男が部屋を出てから『この後、何をされるんだろうか……』と少年は考えたが、今のところ特に何も起きていない。
坊主の男=ボンは少年を監視しながら立て続けに煙草を吸っては、ソファの対面にあるテーブルの上の灰皿に吸い殻の山を作っていた。
長身の男=チョウはリーダー格の男に叱責されたのがこたえたのか放心状態で天井を見詰めていたかと思うと、暫くすると起き上がり、今では床に転がる少年のリュックを触っている。