第1話 約束の日は前途多難 8 ―リーダー格の男と、坊主と長身―
8
少年が部屋に入ると、男の仲間の二人は染みだらけの汚ならしいソファから立ち上がり少年を見た。
一人は小柄で首筋にタトゥーの見える坊主頭の男、僅かに伸びた髪が薄くなった頭頂部をより目立たせている。
もう一人は細身で長身の男、焦点の合わない目が蛇を思わせる男だ――坊主も長身も部屋の入口に背面を向けたソファの向こうからニヤニヤと嫌な笑みを浮かべていた。
「えへっ……二人目ぇ? 兄貴ぃ、今日は威勢が良いじゃん」
長身の男が間延びしたまぬけな口調で言った。
長身はゆらりゆらりと揺れながら、ソファを回って少年に近付いてくる。
「まだアイツも居るのにッ、二人も抱えて良いんすかッ! 兄貴ッ!」
今度は坊主の方だ。坊主は語尾を切る様な話し方が特徴的である。
― コイツらが俺を拐った男の仲間か、しかも『兄貴』……じゃあ俺を拐ったこの男がリーダー格って事か
三人は顔も身長もバラバラであり、本当の兄弟ではないと明白。
少年は自分を拐った男がリーダーと知ると、背後に立つ相手を横目で睨んだ。
「男かぁ?」
そんな少年の顔を長身の男が覗き込んでくる。
長身の顔が近付くと口臭が強く臭った。煙草の臭いと、腐った果物の臭いが混じった様な独特な臭い。
「うっ……」
少年はその臭いに耐えきれず顔を反らした。
「なんだぁ?」
「お前の口が臭いってさ!!」
「あ~ん? 俺のぉ?」
坊主が小馬鹿にした口調で笑うと、長身は唇を噛み「キィィィ」と奇声を発した。
「俺の口のどこが臭いって言うんだよぉ~」
長身は腕を振り回して、まるで子供の様な仕草で坊主に詰め寄っていく。
「おい! 静かにしろ!」
直後、リーダー格の男の怒声が響いた。
「ガキの遊びじゃねぇんだ、騒ぐな」とリーダー格の男は更に坊主と長身を怒鳴り付け、怒鳴り声の勢いのまま少年をソファに向かってを突き飛ばした。
「おい、ボン! そのガキを縛れ!!」
リーダー格の男は坊主に向かって命じた。『ボン』と呼ばれた坊主は鞭で打たれた様にビクリと体を震わせながら「ヘ……ヘイッ!」と応え、床に転がっていた縄を一つ取って少年に近付いてくる。
「しっかりと縛れよ、隙間ひとつ空けるな!!」
リーダー格の男は怒鳴り続け、『ボン』はリピート再生かの如く言い方で最前と全く同じ返事を繰り返した。
対して少年はどうか……少年は大人しかった。ただ静かに、縛られても抵抗せず、視線だけを動かして部屋の内部を見回していた。
この建物に連れ込まれる前と同じだ。少年は観察をしているのだ。部屋の構造を、何があるのかを。
部屋の形は正方形と謂え、広くはない、八帖程だろう。『多分、工場が稼働していた時には事務所に使われていた部屋だろうな』と少年は思った。
部屋の中にある物はソファの他に、テーブル、テレビ、冷蔵庫があり、入口から見て右方には入口とは違うもう一つの扉があった。その扉には曇り硝子の小窓があり外の景色がぼんやりと見える。
「チョウ、先に捕まえたアイツの世話はちゃんとやってたよな?」
リーダー格の男の声が少年の鼓膜を叩いた。
部屋の観察を止め、声がした方向を見るとリーダー格の男が長身に詰め寄っていた。
「あ……やばっ……あの……」
「どうなんだ、チョウ?」
『チョウ』と呼ばれた長身はガリガリと腕を掻きむしる。その姿は明らかに焦っている。仕方がない、リーダー格の男の手の中ではナイフがクルクルと回っているのだから。
「おい、サボるなと何度言ったら分かるんだ?」
「あっ……あぁ……待って、やめてぇ」
『チョウ』はガクガクと震えながら、今にも切りかかってきそうなリーダーに向かって両手を突き出した。
「やめてじゃねぇよ!! ……この馬鹿がッ!!」
リーダー格の男はそんなチョウの足を側面から蹴り上げた。
「うぅ……」
「殺すぞ……糞が」
チョウがガクリと膝を落とすとリーダー格の男は屈み込み、その首を掴んだ。
「あ……兄貴ぃ……ごめん……ごめんよぅ……」
チョウは泣いた。少年よりも頭ひとつ分も背の高いリーダー格の男が小さく見える程の体格を持っている筈なのに、情けなく泣くチョウのその姿はまるで子供だ。
「謝るんだったら、始めからちゃんとやれよ、なぁ?」
リーダー格の男はチョウの顎を指先で持ち上げて微笑みを見せた。
「あ……はは……うん! やる!」
きっとチョウにはリーダー格の微笑みは救いに思えただろう。
嘆きの涙も、安堵の涙へと変わ――
――るその前にチョウの顔面は血飛沫をあげた。
少年と同じだ。リーダー格の男の拳が突き刺さり、チョウの色白の顔面から鼻血が噴き出たのだ。
「馬鹿が」
顔面を押さえて倒れ込んだチョウをリーダー格の男はゴミを見るような目で見下した。
「おい、ボン……そいつを縛ったらチョウの介抱をしてやれ。また、ぎゃあぎゃあと騒がれたら困る」
「へ……ヘイッ!」
少年の足首を縛りながら坊主のボンがドギマギと答える。その返事はやはりリピート再生だ。
「俺はアイツの世話をしてくる。飯くらいはちゃんとやったよな?」
「へ……ヘイッ!」
「そうか、アイツは大事な道具だからな、これからは用が済むまではちゃんと世話しろよ。なぁ、チョウ……」
リーダー格の男は泣いて踞るチョウの尻を蹴り、肩に掛けていた少年のリュックを床に向かって乱暴に落とした。
リーダー格はそのまま部屋を出ていく……その姿を見ながら少年は思った。
― やっぱりか……やっぱり俺以外に捕まってる人が居るのか……
少年は男達の会話を一語一句聞き逃すまいと耳をそばだてていた。
チョウと呼ばれた長身が言った『二人目』、ボンと呼ばれた坊主が言った『まだアイツが居るのに』、リーダー格の男が言った『先に捕まえたアイツ』……その言葉は明らかに少年以外の誰かが捕まっていると言っていた。
この事には既に少年は気付いていた。
この工事に連れ込まれるその前から。
そして、手足を縛られて無惨な姿ながらも少年の瞳からは輝きは消えていない。何故なら、
― でも、間に合った……
少年は希望を掴んだからだ。
― 『用が済むまではちゃんと世話をしろよ』リーダー格のアイツはそう言ってた。って事はまだ生きてる、だったらどうする俺。あぁするか? こうするか? いや………
少年は入口の扉の上にかかった時計を見た。チクタクと動く時計。時刻は13時12分を指している。
― 一番の問題は約束の時間までに終わらせられるかどうか……だな
少年は部屋に残されたボンとチョウを見た。