第3話 慟哭 7 ―聞こえてきた声に彼は心を殺されたのか―
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何があった……もっと、もっと、深く思い出せ。
そうだ……化け物に銃を向けられた俺は、情けない事に思わず怯んでしまったんだ。
「フハハッ! どうしたその顔は、怯えているのか? お前、死にたいんじゃないのか?」
化け物は俺を笑った。
邪悪な笑顔だった。禍々しい笑顔だ。
しかも、ヤツの口は本来あるべき場所にはなかった。細く歪んだ目もそうだった、一つは顔の中央にあり……もう一つのは、何処だっただろうか?
覚えていないな。
否、覚えていないのではなく、見ていないんだ。正直、この時の俺は敵の顔をまじまじと観察する程の余裕を持てていなかった。化け物が発する威圧感に圧倒されていたからだ。
「ふざ……けるな! 誰がお前なんかに殺られるか!」
「フハハハハッ! よく吠える犬だ!」
化け物は俺の言葉も笑うが、俺は虚勢を張ったつもりはない。俺はこの時、確かに化け物と戦おうとしていた……それなのに、それなのに、何故いまの俺はこうして無様な格好でいるんだ……思い出せ、思い出せ、
それから……それから……
俺を笑った化け物は、銃を構えながら歩き始めた。ジリジリと俺との距離を詰めてきた。
そんな化け物に、俺は啖呵を切ったんだ。
「笑っていられるのも今の内だ……」
本気だった。俺は本気で化け物を黙らせるつもりだった。化け物の笑顔を潰すつもりだった。
警官を殺したアイツを俺は許さない。
アイツの笑顔は反吐が出るものだ。
俺は化け物が構えた銃に向かって足を振り上げた。
「クソッ……テメェ、なにしやがんだッ!!」
銃を蹴り払われて、化け物は驚いていた。
俺が反撃してくるとは思っていなかったのだろう。
俺は化け物が驚いている隙に、体の支えにしていた木から手を離し、林の奥へと走った。
「こっちに来い!」と怒鳴りながらだ。
体の痛みや苦しさはどうでも良くなった。それよりも、なるべく警官達から化け物を遠ざけたいと思っていたんだ。
「BANGッ!!! BANGッ!!!」
そんな俺を化け物は撃ってきた。
しかし、ヤツの弾丸が俺に当たる事はなかった。ヤツは俺の思惑通りに動いたからだ。ヤツは俺を追い掛けてきた。走りながらでは上手く狙いを定める事が出来なかったのだ。
それから暫く走り続けた俺は、少し開けた場所へと出た。その場所は木々が密集せずに、点々と生えている場所だった。
『相手は銃を使っている。なるべく敵に隠れる場所を与えない方が良い。そんな場所が何処かにないか』……と俺は考えていた。だから、あの場所を見付けた時に『丁度良い場所を見付けた』と思った。
そして、俺は何をしたか……そうだ、そうだった。俺は戦う為の力を得ようとしたんだ。
俺は腕時計を叩いたんだ。けれど……嗚呼、そうだ。結局、力はまた俺のところへは来なかった。
腕時計が何の反応も示さない事を知って、俺の呼吸は再び乱れ始めた。
「な、なに……」
「フハハハハハハハッ!! 何だ? 何をしている?」
俺に追い付いた化け物は、再び俺を笑った。
「フハハハハッ! そう言えば、昨日会ったあのガキもソレと似た腕時計を着けていたなぁ! だが、どうやらお前はソレを使う事が出来ないみたいだなぁ!」
屈辱だった……屈辱でしかなかった。
何故だ……何故、英雄の力は俺のところには来ないのだ。
どうしてだ、どうして……
「どうしてだ……何で! 何でなんだよ!!」
馬鹿みたいだ。化け物と対峙していた時の俺も、いまと同じく腕時計に問い掛けていた。
この時の俺は『今こそが、英雄の力を得られる時だ』と確信していた。何故ならば、その場で化け物と戦える人間は俺しかいなかったからだ。
『目の前の化け物を倒すのは俺なんだ』……と、俺は信じた。
しかし、力は与えられなかった。
そうだ……この時だった。"あの声"が聞こえてきたのは。
どんな声色だっただろうか……男だったか、女だったか、否、思い出せないな。
兎に角、不思議な声だった。
何と言ったのだったか……何て言葉が聞こえたのだったか……声は何て……
『お前の居るべき、場所を、間違えるな』
そうだ……こんな感じだ。いや、感じじゃない。確かにそう言った。
「なに……」
そして、俺はこの声は化け物のものだと思い、化け物に聞き返した。だが、化け物は「あ? 何だよ?」と首を傾げた。
それはそうだ。声は化け物のものではなかったのだから。しかも、化け物には聞こえてすらいなかった。
『お前に相応しいものは、光でも、生でもない、闇と死だ』
「闇と死……何を言っているんだ……」
「はぁあ? お前こそ何を言ってるんだ?」
化け物は更に首を傾げたが、この辺りだったろうか、聞こえてくる声の質が化け物とは違うものと気が付いたのは。
否、化け物だけじゃない、普通の人間とも違う。どこかくぐもって聞こえる感じ、水中で音を聴いている感じだ。
そして、もう一つ気が付いた。
この声は俺の耳に届いていない……と。
俺の脳に直接流れ込んできているのではないのか……と。
『友を間違えるな……お前の友は、死であり、恐怖だ』
「お前は……お前は誰なんだ! 友を間違えるなとはどういう意味だ!」
「何だよ、お前……ひとりで話してよぉ、気でも狂ったのか? ハハハハハッ!!」
化け物はそう言って、腹を抱えた。
『気でも狂ったのか』……と。
嗚呼、そうだ……そうだった。
―――――
「気でも狂った……」
勇気は化け物の言葉を思い出すと、記憶を探るのを止めにした。
自らの記憶を探っている内に乱れた呼吸は落ち着き、吐き気も消えた。だが、化け物の言葉を思い出すと同時に、勇気は大事なものを失くしてしまった。
それは、生気だ。
亡霊の様な青白い顔で、勇気は雨の中を歩き出す。
「そうだよ……俺はあの声に惑わされておかしくなったんだ」
勇気の頬を雨粒が伝った。
勇気の涙と共に、伝った。
「全部、俺のせいだ……全部、全部、俺の……」
勇気の瞳から流れる涙は、慚愧の涙。
「あの人達が死んだのは、俺のせいだ……俺が……俺が……弱いから、あの人達は……」
勇気は全てを思い出していた。




