第3話 慟哭 6 ―負けるな……―
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走り出して暫くすると、男と警官の言い争う声はより鮮明に聞こえてきた。
だが、警官達の声色が最前までとは違ってきていると勇気は知る。
威圧的な意気は失われ、『やめろ』や『動くな』と発していても警官達の声の中には明らかな恐怖が生まれていたのだ。
「嫌だ嫌だ! 助けて!」
……と、嘆く者すらいる。
― 何が起こっているんだ……
『嫌だ!』と嘆いた人物は、検問で勇気と麗子に応対した若い警官だった。『止まれ!!』と怒鳴った彼の勇ましさも失われている。
勇気はゆらつきながらも急いだ。
最悪の予感が頭を過り、焦りは増幅していく。
「嫌だ! 俺は死にたくない!」
また、若い警官の声がした。同時に、車のエンジンがかかる音と何かが破裂する様な音も。
「何なんだ……何が起こっているんだ」
勇気は曲がり道に差し掛かっていた。この道の先には平坦な直線があり、その更に先には下り坂がある。その坂を下りれば検問が敷かれていた場所だ。もう少しだ、もう少しだが、警官達の姿も男の姿もまだ視界には入らない。
勇気は転びそうになる程に懸命に足を回し、曲がり道を通り抜けたようとした。が、その時――
「!!!」
爆発音が聞こえた。
「な……何の音だ……」
勇気はゾクリとし、道を曲がった。
そして、真っ赤な炎を目にする。
車が燃えていたのだ。車体は白。勇気はすぐにパトカーだと分かった。
「パ、パトカーが何で……」
疑問ばかりを口にするも、やはり答えは出ず、勇気は足を進めるしかない。炎上するパトカーの横を通り過ぎると、そのすぐ後ろには下り坂があった。
坂の向こうには警官達と男が居る筈だ。勇気は額にかいた汗を拭い、坂の向こうを睨んだ。
直後、勇気は絶句する。
「あ、あぁ……」
体にも異変が起こった。
呼吸は荒れて、動悸がしてくる。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
勇気は悪夢を見ているのかと思った……否、思いたかった、思えなかったが。
何故ならば、勇気は見たのだ。異形の者を、この世の者ではない異物を。
ソレは、坂の下に居た。警官達に囲まれているが、挑発をしている。
手を広げて、高笑いを上げて。
「ば……化け物……化け物だ」
やっと紡ぎ出せた言葉は『化け物』、勇気は《王に選ばれし民》の情報を詳しくは知らない。しかし、勇気は自然と『化け物』と、この言葉を使った。
何故ならば、勇気の目の前に居る存在はこの言葉でしか形容出来ない存在だったからだ――禍々しくも白い姿をした《バケモノ》だったからだ。
「あの男は……化け物……化け物だったのか」
勇気は直感もしていた。目の前の"化け物"が、あの男であると。
そして"化け物"を目撃した直後から、勇気の視界の隅には《王に選ばれし民》が現れた時と同じく、黒い影が、煙の様に浮遊する闇の塊が現れてもいた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
― どうした……落ち着け、落ち着くんだ……幻覚なんて見るな……
勇気は闇の塊を幻覚と思っていた。己に取り憑こうとする弱い心の化身だと。抱いてはいけない心を抱きつつある時に自分自身が見せる幻覚だと。
だから勇気は自分自身に『落ち着け』と呼び掛けた。だが、落ち着こうとすればする程、逆に呼吸は乱れていく。
― 何なんだ……何なんだ……アイツは……
気が付けば勇気は、膝をついて倒れていた。吐き気がこみ上がり、胃液が口から漏れる。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
― 立て……立て……立て……負けるな……負けるな
「――負けるな!!」
勇気は再び自分を奮い立たせ、立ち上がった。
大きく足を踏み出し、走り出す。
拳を握り、歯を食い縛り、勇ましい眼差しで化け物を睨む。
"白い化け物"は勇気の存在に気付いてはいない。
警官達を挑発し、勇気に背中を向けている。
「フハハハハッ!」
「このぉ、か、か、か、怪物ッ!!!!」
警官の一人が叫んだ。
警官達は皆、銃を構えていた。
五人いる警官の内の一人が、両手を広げて高笑う化け物に向かって発砲した。
……がしかし、
「フハハハハハハッ!!」
弾丸は"化け物"が着るロングコートに弾かれてしまい、"化け物"の体には届かなかった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
『このままでは警官達が殺されてしまう!』勇気は最悪の予感を振り払おうとしても振り払えず、もつれそうな足を懸命に回し続ける。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
短い筈の下り坂が長く感じる。
坂の途中ではパトカーが轢き飛ばしたのだろう、カラーコーンが散乱していた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
勇気はあと少しで"化け物"に迫れる距離まで来た。坂を下り切ったその先で、"化け物"は警官達に囲まれている。
「フハハハハハッ!!!」
― 笑うな……笑うな化け物が、パトカーの中にはきっとあの人が居たんだ
勇気は気が付いた。"化け物"を囲む警官達の中に検問で出会った若い警官の姿が無いと。
勇気は炎上するパトカーを目撃した時に『パトカーが何で……』と疑問を抱いたが、この疑問の答えをいま知った。
若い警官が『死にたくない』と叫んだ後に聞こえたエンジン音、直後に聞こえた破裂音、そして燃えるパトカー。"化け物"に向かって『お前はあの人に何をした』と問い掛けなくとも答えは明白であった。明白な答えが勇気を怒らせた。
― あの人の命をお前は奪ったんだ……それなのに……それなのに……
「お前が笑うなッ!!!」
怒りを燃やす勇気は"化け物"の背中に手を伸ばした。
「ん……何だ?! ハハッ! おいおい、お前はさっきのクソガキじゃねぇか!!」
勇気に掴みかかられて"化け物"は漸く警官とは違う敵の存在に気が付いた。だが、高笑いを上げ続ける。勇気を『クソガキ』と罵った。
『クソガキ』という言葉は勇気にとって罵倒でも何でもないが。
「ガキで何が悪い……ガキで上等だ!!!」
勇気は"化け物"が着たコートの襟を右手で掴み、左手では"化け物"の左腕を掴んだ。"化け物"の罵倒を弾き返しながら"化け物"を林道の外へ連れ出そうと走った。
「な、何すんだテメェ!!!」
この勇気の行動に"化け物"は驚いた。
驚くのは"化け物"だけではない、"化け物"を囲んでいた警官達もそうだった。
警官達は"化け物"とは違って、勇気が坂道を駆け下りた直後にその存在に気が付いてはいた。気が付いていたから、最前に発砲した警官に続く者は誰もいなかった。しかし誰一人として、まさか勇気が"化け物"に掴みかかろうなどとは想像してはいなかった。
「うおぉぉぉぉぉ!!!!」
驚く警官達を置き去りにして、勇気は"化け物"を連れて林の中へと飛び込んだ。ただ一本だけパトカーに飛ばされずに残っていたカラーコーンも巻き込まれた。
林道を外れると傾斜があった。勇気は"化け物"と共に傾斜を転がっていく。
「離ッ……離せぇ!!!」
傾斜を転がる途中、"化け物"は勇気を強引に振り払った。"化け物"の力はやはり強い。撥ね飛ばされた勇気は林の奥に落ちてしまう。
「クソがぁ……邪魔しやがってぇ!!」
"化け物"はすぐに立ち上がる。
「はぁ……はぁ……」
反対に勇気は体の限界が近付いていた。立ち上がろうとしても足が滑る。
「負けるか……負けて堪るか!!」
目の前の木を支えにして、なんとか立ち上がるも、
「黙れ、クソガキィ……仕方ねぇな、それじゃあ刑事共よりも先に、お前から殺してやるよ!!!」
"化け物"が右手に生えた銃を構えてしまった。
―――――
「そうだった……俺は化け物を林道の外に落とした後、銃を向けられて……そして……そして……おかしな声を聞いたんだ」
『数時間前の自分に一体何が起こったのか』……を思い出そうとしていた勇気は、雨で濡れた体を震わせながら立ち上がった。どしゃ降りの雨が勇気に降り注ぐ。
「どういう状況だった、思い出せ……もっと思い出せ……」
勇気は雨空を見上げた。雨に濡れれば濡れる程、眠った記憶が甦る気がしたから。




