第3話 空が割れた日 3 ―世界の終わり―
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大地の揺れは、地球が目前に迫った驚異に慄いたのかも知れない――昨日までならば、こんな事を言う人間がいれば狂人だと罵られたろう。だが、"今日"からは違う。これまでの人類の常識では測れない出来事が今、正に起ころうとしているのだから。
されば、恐怖を覚えた勇気を責められる者がいるだろうか。
勇気は臆病者ではないのだ。それどころか迫る驚異を未然に知り、"今日"までずっと世界を守る為の準備をし続けていた男だ。
当たり前なのだ。
地球が震える程の驚異に怯えぬ人間がいる筈がない。全ては当然、恐怖を覚えて当たり前であった。
しかし、勇気自身は恐怖を覚えた自分を責めてしまう。『勇敢に戦う英雄でいなければならない自分にとって、恐怖は覚えてはならない感情だ』という間違った考えを持ってしまっていたから。
―――――
三度目に起こった光と轟音はそれまでよりも強かった。
痛い程の光が輝ヶ丘を襲い、轟音は二度三度ならず、四度と続いた。轟音は震動すらも起こした。その揺れは轟音が響く前に起こった大地の揺れと合わさり、勇気達は地に倒れてしまう。
「クソッ……!!」
倒れても勇気は再び立ち上がろうする。歯を食い縛り、拳を握る……がしかし、震動は強い。勇気は立ち上がれない。
「ゆ……勇気くん!! ど……どこ!!!」
倒れた拍子に勇気と愛の手は離れてしまった。
愛は水中で踠く様に手を振るが、すぐ近くに居る筈の勇気が見付からない。
「ど……どこにいるの!! 勇気くん!!」」
愛の視界は光によって遮られてしまっている。
彼女の叫びは轟音にかき消されて誰の耳にも届かない。愛は『この世界でたった一人になってしまったのではないか……』という不安と孤独に襲われた。
「クソ……クソ……!! 俺は何をしているんだ!! 馬鹿野郎!!!」
勇気は冷たいコンクリートの上で自分自身を叱責していた。
だが、彼は動きを止めていない。視界を遮られて行く道も分からない中、それでも輝ヶ丘の大木に向かおうと懸命に踠いていた――勇気はどんな状況でも自分の使命を忘れはしない。自分は世界を救う英雄に選ばれたと忘れはしない。
だからこそ彼は悔しかった。何も出来ずにいる自分が、歯痒く、悔しかった。
― このままでは空が割れてしまう……このままでは、あの日見た光景の様に、皆が、世界中の皆が……クソッ、倒れている場合か!! 何故、17時じゃない……まだ時間には早いだろ!! 何故、何故、俺は認めなければならないのか……世界を救う作戦の失敗を、愛すべき人々が死に行く未来を、俺は変える事が出来ないのか!! 力さえあれば、こんな光も、迫り来る敵も、全て薙ぎ払える筈だ!! それなのに……何故、俺の体は震える!! 何故、怯えるんだ!!
「なにが勇気だ!! 名前負けにも程がある、こんな臆病者、他にはいないッ!!!」
勇気は地面を殴った。
鈍い痛みが拳に走る。それでも何度も何度も勇気は殴った。自分自身に対しての怒りと悔しさが衝動となって止まらなかった。
「力をくれ……俺に力をくれ!! 頼むッ!!!」
勇気は望みを掛けて腕時計を殴った。
しかし……
腕時計には何も変化は起こらなかった。
「何故だ……何故、何も起こらない!! 世界が……終わろうとしているんだぞ!!」
勇気がどんなに訴えても、叫んでも、何も起きない。何度叩いても、腕時計は勇気の気持ちに応えようとはしない。
「何故……何故……」
勇気は世界を救う約束をしたその日から、英雄としての誇りと重責を胸に持ち、何度も腕時計を叩いてみた。"今日"という日の為に、自分に与えられる能力を知っておきたかったから……出来たのは通信を取る事のみだが。
"本来の役割としての機能"を腕時計は一度たりとも勇気に見せてはくれなかった。
「"今日"になれば……そう思っていた。腕時計の力は"今日"の為に生まれた物だ。だから"今日"にならなければ力は与えられない。そう、自分に言い聞かせていた。でも――」
そうではなかった。
「やはり大木なのか? 約束の場所へ行かなければ力は与えてくれないのか?」
力を与えられない日々の中、勇気は考えた。『約束の場所の意味は何だ?』と。
「やはりそういう事なのか? 大木へ行かなければならないのか? それが条件なのか? 教えてくれ……しかし……しかし……大木へ向かいたくても、体が思った様に動かないんだ!!」
勇気は立ち上がろうとするが、出来ない。
轟音が起こす強い揺れと、"恐怖"するが為の震えが邪魔をしてくる。
「クソッ………クソッ!!! 俺の体よ、震えるな!! 立てッ!! 大地の震えなどぶち壊すくらいに立ち上がれッ!!!」
勇気がどんなに悔しがろうが、恐怖を覚えた自分に抗おうが、それでも彼の震えは消えない。
そんな勇気を嘲笑うかの如く、輝ヶ丘に響く轟音は更に激しくなっていく。
「クソッ!!!」
勇気は叫んだ。いや、叫んでいたのは勇気だけではない。街には悲鳴が溢れていた。
果てなく続く轟音と、轟音が起こした激しい震動、そして視界を遮る目映い光。この怪現象に悲鳴をあげぬ者などいなかった。
……が、人々の悲鳴は誰の耳にも届かない。何故ならば、轟音がかき消してしまうから。
何が起こっているのか、何故轟音はあるのか、誰にも分からない。
自分の叫び声ですら、かき消してしまう程の激しい轟音の中、人々は皆、孤独になった。
『世界が終わる』
誰もが皆そう思った――
……………こ………な………じし……なに………
だが、突如として孤独の世界に轟音とは違うノイズが混じった。
「……?」
勇気はノイズに気が付くと、音を聞き分けようと轟音の中に耳を澄ます。
「……」
すると聞こえてくる。それは、
泣き叫ぶ子供の声……
怒声を発する大人の声……
激しいクラクションの音……
勇気が耳を澄まし始めると轟音は徐々に徐々にと消えていった。
視界を遮る目映い光も、薄らいでゆくのが分かる。
「はぁ……はぁ……」
自分の吐息が聞こえた時、勇気は瞼を開いた。
「また消えたのか……う……うぅ……」
勇気の視界は白い靄がかかった様になっていた。強い光を受けたせいだ。焦点もブレて、全てが二重に見える。
「ク……クソッ……」
目を擦って、まばたきをくり返していると不快感は徐々に薄れていく。
靄もブレも無くなると、勇気は辺りを見回した。
「あっ……」
最初に目に入ったのは電柱に衝突した一台の車。クラクションの音はこの車から発せられていた。幸いにして車の持ち主は無事だったらしく、呆然とした表情で車外に立ち、辺りを見回している。
次に、泣き叫ぶ我が子を守ろうとベビーカーに覆い被さる女性の姿があった。
近くでは、腰を抜かして座り込んだ男性が訳も分からず叫んでいる。
輝ヶ丘高校からも生徒達の叫び声が聞こえてくる。
高校の目の前にある住宅街では住民達が外に出てきていた。その人達は怯えた顔で空を見上げ、皆が思い思いの言葉を口にする。
「何が起こったの?」
「大地震? ついに来た?」
「一体何なんだ……」
「勇気くん……大丈夫?」
聞こえてくる声の中に愛の声が混じった。
「桃井……」
勇気は地面に倒れたまま、首を傾けて後ろを振り向いた。
「大丈夫?」
愛と目が合うと、彼女は心配そうな顔で勇気に問い掛けてきた。が、勇気は答えなかった。
「……」
答えを返さずに、勇気は愛から視線を外してそのまま体を反転させる――仰向けになった勇気は空を見上げた。
勇気は愛の質問にどう答えて良いのか分からなかったのだ。生きているのだから大丈夫とも言えるが、心は憔悴し傷付いていた。勇気は空を見詰めながら唇を噛んだ。
「……」
傷付いた心とは裏腹に、轟音と光が止んだ空には朝から変わらない快晴が広がっている。
否、変わらない筈はない。空に生まれた亀裂は未だに存在しているのだから。
「やはり、消え去ってはくれなかったか……」
勇気は亀裂に視線を移した。勇気は『もしも』を期待していた。これまでよりも強い、破壊的な光と轟音が消えると共に亀裂も消え去ってくれてはしないか……と。"今日"何が起こるかを知っている者として『あり得ない』と知りつつも、一縷の望みをかける想いで、勇気は空を見上げたのだ。
だが、その望みは捨てられ。全ては逆に動いた。
「……」
亀裂を睨む勇気の目には、はっきりと見えていた。蜘蛛の巣状の亀裂の一辺一辺が、まるで孵化寸前の卵かの如く動く姿が。
亀裂は動く度に更にひび割れて、極々細かくなっていく。
「……」
勇気は亀裂の変化を確認しても表情を変えなかった。視界には再び"恐怖"が現れているが、勇気はもう慌てない。『抗う術は全て失われた』と、そう思うから。
今回現れた"恐怖"は初めて見えた時よりも色濃くなり、大蛇の様に蠢いていた。『こっちへ来い』と手招きするかの様に、『恐怖の先にある絶望の世界に一緒に行こう』と誘うかの様に、蠢いていた。
「……」
この時、風が吹き、勇気の髪をなびかせた。前髪が目に落ちる。落ちてきた髪を勇気はすぐにかき上げる。空が見えなくなるからだ。空の変化は続いている。
そして、細かくなった亀裂の一つが、たった今、落ちた。
"空の欠片"がひらひらと。
落ちた"空の欠片"は、風に飛ばされて粒子状になって消えていく。
更に、二つ三つと欠片が落ちる……
欠けた空の痕はどんよりと紅く、血の色に似ていた。
四つ……五つ……六つ……欠片は落ち続けた。
ほんの僅かな時間だった。"空が割れる"という壮大な筈の出来事は、いとも簡単に終わってしまった。
最初の欠片が落ちてから、ほんの僅かな時間で空には穴が空いていた。紅の穴が開いてしまっていた。
「……」
勇気はこの光景をただ黙って見ていた。
それは勇気だけではない。言葉で説明出来ない出来事に直面すると人間は言葉を発さなくなるものだ。勇気の周囲の人々も騒がずに押し黙り、静寂の中で空を見詰めているだけだった。
「……」
空が割れる光景を目撃し終えると、勇気は瞼を閉じた。
紅の穴から"蛍"が現れたからだ。否、本物の蛍ではない。勇気が似ていると思っただけだ。
目映く光る、蛍に似た光体が、一匹、二匹、三匹と、穴を通って現れたのだ。
「……」
勇気は腕時計を叩いた。
しかし、何も起きない。
「……そうか」
自分に何も変化が起こらないと知ると、勇気は小さく息を吐いて、瞼を開く。
「世界が……終わった……」




