第2話 絶望を希望に変えろ!! 6 ―少年よ、戦え―
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目映い光が消えた時、男の子の手足を縛っていた縄が二本同時に床へ落ちた。きつく結ばれていた筈の縄が、いとも簡単に。
「えっ……?」
男の子は縛られている感覚が無くなったのは分かっても、何が起こったのかが分からず、縛られた格好のまま後ろに立つ少年へ不思議そうな顔を向けた。
「へへっ! 一丁上がりだぜ! スゴいだろ~! ほらほら、取れたぜぇ!!」
少年はそんな男の子に向かって縄を持ち上げて見せる。
「あぁ……」
その縄を見た男の子は一瞬驚いて、固まった。
……が、少年がニンマリと笑って縄を見せ付けるものだから、男の子の表情は徐々に緩み始め、遂には「ぷはぁ!」と吹き出した。
「へへっ! 良い笑顔だ!!」
男の子が大きな笑顔を見せた理由は縄が取れた安堵感もあったろうが、一番の理由は少年の笑顔だ。少年の優しさと慈愛に満ちた太陽の様な笑顔が男の子の心に希望の花を咲かせたのだ。
「ん? あれ……何だ?」
その笑顔を見て、少年の瞳からひとすじ。涙が溢れた。
意識せずに流れた涙に少年は驚くも、すぐに「へへっ!」と笑い、頭をひと掻き。照れくさそうにしながら、少年は涙を手の甲で拭った。
それから少年は男の子の前に回り込み、膝をついて座った。そして手に持っていた縄を床に置くと、男の子の背中に腕を回してそっと抱き起こす……そのままぎゅっと抱き締めた。
「良い笑顔だよ……マジで。その笑顔を絶対失くしちゃダメだかんな、絶対な……」
「うん……」
少年のぬくもりと優しい声に男の子の瞳も自然と潤んだ。
男の子の涙は頬を伝い、落ちた涙が少年の赤いダウンジャケットを濡らす。
この……ほんの僅かな時間の抱擁を彼らは一生涯忘れる事はない。
彼ら二人の友情が始まる、大切な想い出となるのだから。
「さて……そろそろ出ようか」
少年は男の子の頬から顔を離した。
男の子は「うん……」と頷くと、涙を拭って少年の目を見詰める。
「でも、出るってどうやって? あの人達はまだいるんでしょ?」
「あの人達?」
少年の頭に『もしやまだ捕まっている人がいるのか?』という考えがよぎったが、男の子の顔に恐怖の二文字が再び浮かび上がったのを見ると少年は言葉の意味を察した。
「あの三人組の事か、それなら大丈夫! 俺の友達が戦ってくれてるよ! そうだなぁ、もう今頃やっつけてぇ――」
ドゴンッ!!
爆音と共に部屋が揺れた。
「な……なんだ?」
少年は驚いて天井を見る。天井に吊り下げられている電球がゆらゆらと揺れているのが少年の視界に入った。
「この音、さっきも聞こえたよ。お兄さんが入ってくる前に」
「俺が入ってくる前? あっ……」
少年は膝を打った。
「そうか、アイツまた天井に穴を開けやがっ――」
そこまで言って少年は黙った。
少年の顔は見る見る内に曇り始める。
少年の耳には聞こえたのだ。足音が。その足音はこの部屋に向かって走ってきている……
「え……なに?」
少年は男の子を再び抱き寄せると、急いでテーブルの下へ押し入れた。
「ど……どうしたの?」
驚く男の子に「しっーー!」、少年は人差し指を立てて見せた。
その意味が分かったのか、男の子はコクリと頷く。
バタンッ……
部屋の扉が開く音が聞こえた。
少年はテーブルの下から滑り出ると最前まで男の子を縛っていた縄の"切れ端"を掴んだ。
「このクソガキ……なんでお前がこの部屋にいるんだ! お前、やっぱりあの変な鳥みたいなヤツの仲間なのかッ!!」
そして、少年が縄を持って立ち上がった時、そこには奴がいた。少年の予想通り。あのリーダー格の男だ。
「まさか、お前! あの子供を助けるためにわざと忍び込んだじゃねぇだろうなぁ!」
リーダー格の男の目はギョロリと血走っている。鼻息荒く怒鳴る姿は、獲物に噛みつこうとする猛犬の様だ。
「へぇ、意外と勘が鋭いな!」
少年は笑みを浮かべた。最前まで男の子に見せていた太陽の様な笑顔ではなく、不敵な笑みだ。しかし、これは余裕の表れではない。少年なりの虚勢だ。この状況に焦っていない訳はない。
「お前は初めから変な奴だったからな! まさかと思ったらやっぱりか!」
リーダー格の男は少年に向けて右手を上げた。
男の手には禍々しい物が握られていた。ナイフではない、何処かに隠し持っていたのだろう、それは命を奪う為だけに存在するの物――銃だ。
「動くなよ! 動いたら撃つぞ!」
映画やドラマでよく聞く台詞。だが、男の激昂を見るに嘘ではないだろう。男が本気なのは一目瞭然だ。
「お前、妹がいるって言ったなぁ、まさかアレは嘘か? 本当は弟で、お前あの子供の兄貴か?」
リーダー格の男にとって少年は不可思議な存在なのだろう。目を血走らせながらも少年が現れた理由を考え巡らせていると分かる。
「……」
対して少年は男の質問に答えなかった。答えないどころか、不敵な笑みを浮かべた後に男から揺れる電球へと視線を移していた。電球の揺れはそろそろ収まろうとしている。
「やっとか……」
「あぁん? なんつった?」
男が何度問い掛けようが、少年は答える気はない。
「………ッ!!」
少年は不敵な笑みを捨てた。鋭く電球を睨み、腕を大きく振り上げる。
その手には縄がある。縄は縛るだけの物ではない、ときには鞭ともなる。少年は大きくしならせた鞭を、小さく揺れる電球に向かって振った。
バチンッ!
破裂音と共に部屋は暗くなった。その瞬間に少年は鞭を投げ捨てた。テーブルの上にのぼり、男に向かって駆けた。
「オリャーーーッッ!!」
男に近付くと少年は走る勢いを落とさずにテーブルの上を滑った、スライディングだ、スライディングの形のまま男に蹴りを見舞う。
「かはぁッッ……!!!」
男の腹に少年の蹴りがめり込んだ。
男は床に倒れ、その手から銃が離れる。
カラカラと銃が転がる音を聞いても、まだまだ少年は止まらない。テーブルから滑り下りると倒れた男に掴みかかり、暗がりの中で男の顔面に拳を振り下ろす。一発、二発、三発……三発目で少年の拳は濡れた。男が鼻血でも出したのだろう。
だが、男も負けてはいない。四発目の拳が届く前に男も少年の顔面に向かって拳を振った。
ドンッと鈍い音が少年の頭に響く。
男の拳が少年のこめかみを打ったのだ。
「クソガキがぁッ!!」
男は少年のダウンジャケットの襟元を両手で掴むと下から押し上げた。
今度は少年が床に倒れる。二人の上下は逆転し、リーダー格の男がマウントを取った。
「テメェェェェブッ殺してやるッ!!!」
リーダー格の男は吠えた。ベルトに挟んでいたナイフを取り出し、少年の胸に向かって振りおろす――絶体絶命、ナイフの切先が少年に突き刺さろうとした瞬間、何か固い物がナイフを遮った。
「何ッ!!」
直後、男の顔面に激痛が走る。「うぅ……」と唸りながら男は仰け反った。四発目だ。少年の拳が男の顔面を打ったのだ。
少年は『このチャンスを逃してはならない!』と男の体を撥ね除けて立ち上がる。
「へへっ……この腕時計は、やっぱり俺の最高のお守りだぜ!」
そう、男のナイフを遮った物は少年の腕時計だった。ナイフが胸に突き刺さる寸前に、間一髪、少年は腕時計の文字盤でナイフを防いだのだ。
「どうやら俺の方がお前よりも暗闇に慣れちまってたみたいだな!!」
少年の言う通りだ。暗闇で行動する時間の長かった彼の目はすっかりと慣れていた。明かりを失って暗闇に染まった部屋でさえも冴えて見える。
「ふ……ふざけんなぁ!」
男は鼻血で染まった顔面を歪ませながら、少年の足に掴みかかろうとした。
だが、暗闇は少年の動きを妨げるものにはならない。少年は持ち前の運動神経を発揮して、男の手を蹴り払った。そして、蹴り上げた足を男のこめかみに向かって振りおろす。
「!!!」
踵落としが男の脳を揺らした。
男は呻き声すら漏らさずに気を失っていく。
「……」
男が白眼を剥くと、少年は急いで男の子の元へと戻った。気絶したとはいえ、男がすぐに立ち上がる気がしてならなかったからだ。
男の子はテーブルの下で体を丸めてじっと隠れていた。瞼は皺ができる程に瞑られ、丸めた体は震えている。
「もう大丈夫だ」と少年が手を伸ばすと、「あっ……」と男の子は息を漏らした。少年が帰ってきたと気付いた男の子は瞼を開いて自分から少年の体に腕を回した。少年はそんな彼を優しく包むように抱き、立ち上がる。
「よっっこいしょッ!! 行くぜ!!」
男の子を抱え上げると少年は一気に走り出す。
― 急げ! 急げ! 早くこの子をこの工場から脱出させないと!
倒れた男の横を通り抜ける時、少年の体に汗が吹き出た。が、男が襲い掛かってくる事はなかった。