第2話 狐目の怪しい男 10 ―萌音の心に残る恐怖―
10
「このコーラで最後かぁ……」
山下商店をあとにした萌音の手には、二本目のコーラがあった。
「コーラって何でこんなに美味しいんだろう?その中でもやっぱり山下のコーラが一番だな、他のコーラには無い何かがあるんだよなぁ……」
まるでワインを味わうかの様に、瓶の飲み口に鼻を近付け、萌音は甘い匂いを嗅いだ。
「これで最後だと思うと一口一口が愛おしいなぁ……」
萌音が歩くのは住宅街の狭い道だった。車道には車一台、歩道には大人二人くらいしか通れないだろう。街灯はあるがポツリポツリとだけ。月明かりが頼りでは薄暗い。そんな道を萌音はひとりで歩いていた。
「コーラっていつからある物なんだろ?」
萌音はスマホを取り出した。『歩きスマホはやめなさい』と弟たちに向かっては叱る萌音ではあるが、前方を見ても一本道には自分以外には誰もいない。萌音はコーラの歴史を調べ始めた。
歩きスマホをしていると、本人が思っているよりも視界が狭くなる。数m先の角からスーツ姿の男が現れたが、萌音は気付かなかった。
男は歩いてくる。眼鏡をかけた、四十代くらいの男だ。痩せ型であるが垂れた目が温和な印象を与える人物で、左手の薬指には指輪がある。彼もスマホを見ているが、萌音の様にアプリを開くのではなく、時刻の確認とロック画面にしている幼い子供の写真に癒しを求めただけだった。
萌音がコーラの歴史に興味を持たなければ、前方から歩いてくる男性に気付けただろうし、狭い歩道に自分以外の人物が居たと知って青ざめる事もなかっただろう。だが、萌音は調べものに夢中になってしまっていた。
だからだ、萌音は男性の存在に気が付いた瞬間に叫び声を上げてしまった。
「嫌だ! 助けて!!」
……と叫び、腰を抜かして倒れてしまったのだ。
萌音が男性の存在に気が付いたのは、すれ違う寸前だった。人の気配がして顔を上げると、すぐ目の前に居た。
男は眼鏡をかけた痩せ型だ。夜道は薄暗い、眼鏡の奥の垂れた目までは瞬時には捉えられなかった。
男を見た瞬間に、萌音はストーカー男を思い出していた。全身が震え、青ざめる。
「す……すみません、えと、すみません、ごめんなさい」
「だ、大丈夫ですか?」
叫んでいる最中に男性がストーカー男とは違うと分かった。驚かれた男性も萌音の叫び声に驚いたのだろう、唖然とした表情をして立ち止まってしまったが声を掛けてくる。しかし萌音は謝りながら立ち上がると、すぐにその場から逃げ出そうとした。
男性に対して「すみません」と頷くだけで、萌音は歩き続ける。
萌音は愕然としていた。取り乱してしまった事に対してもだが、何よりもストーカー男へ恐怖している自分が存在していた事に。
「何やってんの……馬鹿じゃん、私……」
一本道の角を曲がり、男性の姿が見えなくなっても萌音の手足は震えていた。コーラを飲んで落ち着こうと思ったが、倒れてしまった時にだろう落としてしまったらしい。その事に男性から離れてから暫く経って漸く気が付いた。こんな自分に萌音は更に項垂れる。
「まだなのか……まだ、あんなストーカー野郎の事が怖いのか。馬鹿だな……今の私には、あんなヤツ、敵にもならないのに……ほんと馬鹿……」
佳代の前では、あの頃の自分とは違うと言ったが、萌音の心には残っていたのだ。
あの日の恐怖が、男に襲われた夜の恐怖が、男に抱いた恐怖心が、トラウマとなって残り続けていたのだ。
第三章、第2話「狐目の怪しい男」 完




