第2話 狐目の怪しい男 8 ―もう一人の来店者―
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「この日の事、覚えてる?」
話し終えた佳代が聞いてきた。
「うん……覚えてる。『せっちゃんのバカヤロウ』って思って、思わずビンタしちゃった」
「そうかい。それじゃあ、あの日に正義ちゃんに対して何て思ったのか、その気持ちも覚えるだろう?」
愛は頷いた。
「うん、せっちゃんが……花の事も、花を育ててくれた人の事も、花を好きだって思ってる人の事も、花壇に飛んでた蝶々の事も……全部無視して、自分のやりたい事だけをやった気がして悲しかった。こんな悲しいせっちゃんだったら、このままだと皆に嫌われる事をいっぱいしちゃうんじゃないかって……そういう心配もあったかな。あの頃のせっちゃんは喧嘩っ早かったりもしたし、同級生に乱暴者って勘違いされることも多かったから」
「だから愛ちゃんは、正義ちゃんを叱ったんだね」
佳代は愛の瞳を見詰めながら、優しく問い掛けた。
「うん……」
「じゃあ、やっぱり愛ちゃんは"愛"のある子だね」
「え……う~ん分かんないよ」
「"愛"っていうのはそういうものだって、さっき言っただろう? 心の奥から自然と湧いてきて、自分では気付かないって。でも、正義ちゃんの事もお花の事も大事に思えて、花を育ててくれた人や、花を好きだった人、会った事も無い人の事も考えられて、蝶々の事だって大事に思える愛ちゃんが、"愛"の無い子な筈がないだろう?」
「う~ん…… だったら、何で私は」
愛は納得していなかった。もしも、この話が他人の話ならば佳代に共感出来ただろうが、自分の話となると愛は分からなくなってしまう。
「なんだい?」
「え……あぁ何でもない」
『何で私は』の続きを、愛は言えなかった。『英雄になれないのだろう?』と続くからだ。
「どうしたんだい? 誰かに何か言われたのかい?」
「ううん……別にそんなんじゃないよ」
「だったら自信を持ちなさい。私が保証するよ。愛ちゃんは"愛"のある子だってね」
「自信……自信かぁ……」
「そうだよ、自信を持って」
「うん……」
頷くが、愛の気持ちは晴れなかった。晴れないまま、山下商店を後にした。
佳代によって苛つきもモヤつきも一時は消えたが、佳代の話によってモヤつきは甦ってしまった。二本目のコーラを飲みたい気分にもなったが、山下で飲むのはヤメにした。愛は独りになって、なぜ正義や勇気の様に英雄の戦う姿になれないのか、自問自答に没頭する方を選んだ。
―――――
「よしっ、出来た! またやっちゃったよ! 私ってマジで天才かも、マジでいい文章過ぎる!!」
窓から見える景色は既に暗く染まった、そんな時刻。時計の針はそろそろ午後五時三十分を指そうとしている、そんな時刻、自室の机の前で胡座をかいていた真田萌音は、自画自賛の言葉と共にノートパソコンを閉じた。
「あっ、丁度良い時間じゃん。そろそろ行くか!」
そして、一服を取る事もなく立ち上がると、壁に掛かったコートを手に取った。
自宅を出て、向かうは山下商店だ。萌音は『夕方になったら山下に行こう』と、PCを立ち上げた昼過ぎには決めていた。
「ついでだし、夕飯はカヨちゃんのもんじゃ焼きにしようかな!」
萌音は上機嫌だった。自分の未来が輝けるものだと信じて疑わないのだろう。イヤホンから流れるお気に入りの音楽に乗って、跳ねる様に歩いていく。
夕飯は母が用意してくれているが、萌音はどうしても山下商店へ行きたかった。理由は佳代と話がしたかったからだ。
「カヨちゃんお疲れ!」
風見の自宅を出て約三十分後の午後六時過ぎ、萌音は山下商店に到着した。
「あらあら、萌音ちゃん、いらっしゃい。こんな時間に珍しいじゃない」
店の奥にある帳場に、佳代は座っていた。
山下商店の客の多くは小学生と中学生であるから、午後六時を過ぎれば店内は静かになる。たった一人の店内で一服を取っていたのだろう、茶を啜っていた佳代は、萌音の来店に少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「ごめんね、閉店までゆっくりしたかったでしょ! でも、ひと仕事終えたらカヨちゃんの顔が見たくなっちゃってさ!」
「そうかい、そうかい。それは記者のお仕事? それともアルバイトの方かい?」
「まぁ、記者の方かな。ねぇカヨちゃん、こんな時間だけどもんじゃいける? 私、お腹空いちゃって!」
「うん、勿論だよ。何もんじゃが良いの?」
「どうしよっかなぁ? お腹空いてるから何でも良いんだけどなぁ」
「何でも作るよ。そっちに座ってゆっくり考えたら良いよ」
佳代は帳場から立ち上がると、小上がりを指差した。
「そうさせてもらうね、あ……ごめんカヨちゃん、その前に入口閉めて良い? 歩いてきたからまだ全然だけど、そのうち冷えそう」
「うん、勿論だよ。今日は萌音ちゃんが最後のお客さんだろうからねぇ」
山下商店の出入り口の引き戸は、天候が悪くなければ、子供達が入ってきやすいように開け放たれている事が多い。その引き戸を萌音は閉じた。
「ありがと、カヨちゃん。それじゃあ、もんじゃだよね。どうしよっかなぁ? 明太も良いけど、今日はベビベビもんじゃにしようかなぁ」
「はいはい、ベビベビもんじゃね」
萌音が「うん、よろしく!」と返すと、佳代は帳場の奥へと入っていった。
山下商店は駄菓子店でもあるが、山下佳代の自宅でもある。一階が店舗で、二階が居住スペースになっている。帳場のすぐ後ろに掛かった暖簾をくぐれば、二階に上がれる急勾配な階段があり、その階段の脇には小さな台所があるのだ。
この台所で佳代はもんじゃのタネを作る。
小さな台所であるし、山下商店自体が小さな店舗だ。台所に入ってしまっても、少し大きめの声であれば店内に居る客との会話も続けられる。
「そういえば、今日の昼間に愛ちゃんも来たんだよ」
「桃ちゃんが? いつ?」
「昼過ぎだったかねぇ。何だか悩んでいる感じだったよ。萌音ちゃん何か知ってるかい?」
「いいや、何も知らないけど」
萌音は幼い頃からの常連客だ、台所に居る佳代にどんなボリュームで返せば彼女の耳に届くのかを知っている。
二人の会話はザッザッとキャベツが切られる音を混じらせながら続けられた。
「悩んでる……そうなんだ。私が会った時は何も言ってなかったけどなぁ。あっ、そうそう私も昼間に桃ちゃんと会ったんだよ、その後なのかな、ここに来たの?」
「あら、会ってたのかい」
「うん、ちょっと用事があって。さっき、ひと仕事終えたって言ったでしょ。それ関係で! あっ、そうだコーラ飲みたい! カヨちゃん、瓶のやつ一本もらうね!」
萌音は小上がりから立ち上がると、帳場の裏へと向かった。冷蔵庫のガラスドアを開き、冷えた瓶のコーラを取り出す。
「栓は自分でやるからいいよ」
それから、帳場の引き出しから栓抜きも取り出した。
萌音は山下商店に十年以上も通っている。栓抜きの場所なんて、聞かなくても知っていた。
「コップもいいや、こっちの方が美味しいし!」
山下商店には瓶とペットボトルの二種類のコーラがあるが、萌音は必ず瓶のコーラを選んでいた。
瓶のコーラとペットボトルのコーラには味の違いはないのだが、萌音は『瓶の方が美味しい』と思っていた。そして、コップを使わずに飲むのもそうだった。『コップに入れるよりも、ラッパ飲みの方が美味しい』と信じているのだ。
面倒見の良い萌音は、この事を学校の後輩達にも教えている。その為に、彼女を慕う後輩の中には『コーラは瓶の方が美味しい。それも、そのまま飲めばもっと美味しい』と信じ込み、萌音のスタイルを真似する者が多数いた。
栓を抜いた萌音は台所を覗き込み、もんじゃのタネを作る佳代の横顔を見ながらコーラを飲み始める。
「こらこら、萌音ちゃん、立ち飲みは行儀が悪いよ。座って飲みなさい」
「えぇ~、カヨちゃんがもんじゃ作ってるところを見るのが好きなのに」
「いいから。行儀悪いんだから」
「はいはい……」
佳代から叱られた萌音は肩を落とすと、小上がりへと戻っていく。
「萌音ちゃん、もしかしてあんまり寝てないんじゃないかい? 昨日、あんな事があったばかりだし、睡眠がちゃんと取れてないんだろう?」
「え? 何それ急に? ちゃんと寝てるよ」
小上がりに戻った萌音は、胡座をかきながらそう言った。
「そうかい? 肩なんて落として、何だか疲れている感じに見えるけどねぇ」
「肩を落としたのはカヨちゃんに素っ気なくされたからでしょ」
「あぁ、そうかい? でもね、さっきは言わなかったけど目の下に隈が出来ちゃってるよ。目付きも眠そうじゃないかい? 折角の美人さんが、それじゃあ台無しだよ。もしも、気持ちが落ち着かなくて眠れないなら、寝る前に白湯を……いや、ホットミルクでも良いね、飲んだら、少しは気持ちがホッとして、眠りに入りやすくなるから試してみな」
「もう……何それ、大丈夫だよ。私の気持ちは全然落ち着いてるし、心配しないでよ。ちゃんと睡眠は取ってるから。目付きも隈も、ただノーメイクなだけだから」
佳代が心配してくれる事は嬉しかった。しかし、余計なお世話にも思えて、萌音の唇は尖った。
「本当かい? 無理してない?」
「してないよ、してないし、私は全然大丈夫だから。全然どころか、私はこれから戦おうとしてんだからさ!」
萌音が鼻を鳴らす様に言うと、佳代が暖簾をくぐって出てきた。もんじゃのタネが出来たのだ。
「戦う? 何とだい?」
「そんなの決まってるじゃん! 勿論、《王に選ばれし民》だよ!」
萌音は『当たり前の事を聞かないで』と腕を組んだ。




