第2話 狐目の怪しい男 6 ―愛って何だろう?―
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「逆に……逆に……これを見せれば……」
萌音と別れた愛はミスターバーガーを出て、再び並木道を歩いていた。
その手にはリュックから一枚だけ取り出した怪文書を持っている。怪文書を睨み、『これを見せれば、先輩も大人しくなってくれるかも』と考えた。しかし、すぐに首を左右に振る。
「違う! それはダメ、考えが自分勝手過ぎる!! でも、でも、もう……何で先輩は私の言う事を聞いてくれないの。あーっつか、それもこれも元々はバケモノのせいだよ! 《王に選ばれし民》のせい! くそぉ〜〜、いま目の前にバケモノがいたらブッ飛ばしてやるのに……って、そんな事言っても結局何も出来ない、何でなの? 何で私は変身出来ないの……あぁもう、ムカつく!!」
愛の中で様々な怒りが渦巻いた。言う事を聞いてくれなかった萌音に向けた小さな怒り。怪文書を書いた人物と《王に選ばれし民》に向けた大きな怒り。そして、いつまでも英雄の力を得られない無力な自分への怒り。怒りを抱えて愛は歩いていた。
「あぁ~~ダメだ! 今日は飲みたい気分だ……山下行こ!」
ミスターバーガーをあとにしてからアテもなく歩いていた愛だが、行き先が決まった。飲みたくなったからだ、酒を――否、彼女はまだ未成年、酒を飲める年齢ではない。彼女が求めるものは甘い甘いコーラだ。未成年でもストレスが溜まれば発散したくなる。そんな時に愛はコーラが飲みたくなる。飲みたくなれば、下を向いてゆったりとしていた足取りも速くなる。輝ヶ丘の中心部にある並木道から南部にある山下商店までは徒歩では十分以上はかかる筈だが、その半分の時間で到着出来た気がした。
―――――
「お婆ちゃん、そこのコーラもちょうだい。瓶のやつ」
百円未満の駄菓子を六個程選んだ愛は、帳場に座る山下佳代の前に立つと、彼女の背後にあるガラス張りの冷蔵庫を指差した。
その冷蔵庫は明らかに年代物で、昭和から平成を飛び越えて現代にタイムスリップしてきたかの様なものだ。
縦長の胴体の上部と下部には、有名な飲料メーカーのロゴが描かれていて、ガラスドアからは中身が見えるようになっている。
「はいはい。瓶のやつね。うちで飲んでいくの?」
冷蔵庫から瓶のコーラを取り出した佳代は帳場の引き出しを開き、栓抜きを取り出した。
「うん、飲んでく。あ、でもコップはいらないよ。そのまま飲みたい。そっちの方が美味しいから」
「はいはい、どうぞ」
「ありがと……」
佳代からコーラを受け取ると、愛は小上がりに向かった。
山下商店には二種類のコーラがある。瓶のコーラとペットボトルのコーラだ。愛が好むのは瓶の方で、ペットボトルよりも瓶の方が美味しいと思っている。瓶のコーラとペットボトルのコーラには味の違いは無いのだが、愛はそう思っている。コップを使わずに瓶のまま飲むのもそうだった。『そっちの方が美味しい』と思っているからだ。
小上がりに上がった愛は、机に頬杖をついた。溜め息を一つ吐き、それから瓶に口をつける。
愛の中にある怒りは山下までの道中で一つ減っていた。残るのは《王に選ばれし民》へ向けた怒りと、無力な自分への怒りだった。
その怒りを炭酸の爽やかさと砂糖の甘味で飛ばそうと、愛はコーラを飲む。グビグビと一気に三分の一を飲んでしまう。そして、また大きな溜め息を吐く。
「はぁ~~!」
このため息には『やっぱりコーラって美味しいなぁ!』という気持ちも入っていたが、半分はまだ怒りからの溜め息だった。
「はぁ……まだまだスッキリしないな。はぁ……何で私はせっちゃんや勇気くんみたいに変身が出来ないんだろ? 変身出来れば全部解決なのに……」
愛はまた一口のみ、そのまま左腕にはめた腕時計を見た。
「ボッズーは焦るなって言うけど、やっぱ焦るよ。私の中には《愛の心》があって、その心が私を英雄に変えるって言うけどさ。それって本当なの? 本当に私の中に《愛の心》があるの? 無いんじゃないの? っていうか、《愛の心》って一体なに?」
自問自答で答えを探るが分からないまま。愛はまた溜め息を吐く。心の中のイライラやモヤモヤを溜め息と共に全て吐き出したかった。しかし、幾ら吐いても心は晴れず、溜め息は繰り返されていく。
「何だい、そんなに何度もため息をついて。何かあったのかい?」
「あっ……お婆ちゃん」
愛の溜め息が聞こえたのだろう、佳代が小上がりの前に来ていた。
佳代は最前まで、小学生の男の子の集団に「お婆ちゃんも食べて!」と酸味の強いグミを食べさせられて、帳場の向こうで「酸っぱい! 酸っぱい!」と唸っていた筈だが、気が付けば小学生の集団は消えて、店内には愛と佳代だけになっていた。「何があったかは分からないけど、若いのにため息ばかりついてちゃダメだよ」と佳代は言い、「そうだ、そうだ、これでも食べて元気を出しな」とウマウマ棒が陳列されている平台へと向かった。
「え……いいよ。悪いよ。これ、プレミアムじゃん」
「良いんだよ。ほら、元気を出して」
佳代が持ってきたウマウマ棒は《プレミアムチョコ味》と《プレミアムコンソメ味》であった。『ウマウマ棒プレミアムシリーズ』は、通常のウマウマ棒よりも値段がはるが、その分味が濃厚で、子供向けというよりも大人向けの商品である。
「いや……でも」と愛は躊躇うが、「良いって言ってるでしょ、私は愛ちゃんの元気な姿が見たいの、ほら食べなさい」と佳代は無理矢理にウマウマ棒を愛の手に握らせた。
「その二つは私のお気に入りなんだ、きっと元気が出る筈だよ」
「う……うん、あっ美味しい!」
「だろう? どうだい元気出たかい?」
「うん、ちょっとだけだけど」
「ちょっとだけか、うん……それでも良いね。少しでも元気が出たならね。ほら、もう一個も食べな。そっちも美味しいよ」
微笑みを浮かべる佳代に勧められると、愛はコンソメ味も口にした。
「うん、あっ! こっちも美味しい!」
「でしょう? 美味しいものを食べれば、心が暖まるんだよ。溜め息も消えていくんだ」
「うん……そうかも、ううん、確かに気持ちが元気になってきた」
「そうだろう?」と問い掛ける佳代に向かって愛も微笑んだ。
この時、愛は幼い頃に覚えた感覚を思い出していた。それは何か怖いことや悲しい出来事に出会ってしまって愛が涙していると、そっと母が抱き締めてくれた……そんな時に覚えた感覚だ。『抱き締められると、太陽の様な母の温もりが心の中を浄化して、忍び込もうとしていた恐怖や悲しみが消えていく』こんな感覚を、幼い頃の愛は覚えていた。
そして、佳代の優しさを受け取ると現在の愛も幼い頃と同じになった。心の中にあった怒りが浄化された気がしたのだ。
「ねぇ、お婆ちゃん?」
心の中にあったイライラやモヤモヤが消えてなくなると、愛は問い掛けた。
愛の人生の中で《愛の心》を持っていると言える人物は数人いるが、その中でも一番強い《愛の心》を持っていると思えるのは母だった。母に抱き締められた時と同じ感覚を佳代から受けたならば、最前の自問自答で得られなかった答えを佳代ならば答えてくれるかもしれない……と愛は思った。だから問い掛けた。「"愛"って一体何だと思う?」と。
「え……愛?」
「うん。勿論、私じゃないよ。心の中にある"愛"の事。私、それを持ちたいんだ。ううん……持たなきゃいけないの。だから教えて。お婆ちゃんなら分かるよね? "愛"って一体何?? どうしたら持てるの??」
愛の突然の質問は佳代を困らせた。彼女は「どうしたの? 急にそんな事を言い出して?」と困惑した表情を浮かべると「もしかして愛ちゃん、恋でもしてるの?」っとちょっとした勘違いをしてしまった。
「あぁ……違う、違う! 私が言ってるのは恋愛の愛じゃないの、もっと大きいヤツ、人類愛……みたいな?」
「人類愛……何だか壮大な事を言うねぇ」
「でも、お婆ちゃんは持ってるでしょ? だってお婆ちゃん言ってたじゃん。『この町が私の宝物』って。それって町の人達が宝物って意味もあるんでしょ? だったらお婆ちゃんは持ってるんじゃないの、人類愛を? ねぇ教えて、どうしたら持てるの?」
いくらか強引な質問に「いやぁ……まぁそう言われてしまえばそうかもしれないけどねぇ」と佳代は頭を捻った。
それから佳代は答えるが、その回答は質問に近く、愛にとっては意外なものでもあった。
「う~ん……でも、人類愛って言うなら、愛ちゃんだって持っているじゃないかい? いや、愛ちゃんの方がもっと大きいね、愛ちゃんはこの世界全体を愛しているだろう?」
「え? この世界全体を? え……何それ?」
訳が分からなかった。愛は『世界全体を愛している』だなんて、そんな風に思った事は一度もなかったからだ。
愛は首を傾げるが、佳代は「そうだよ、愛ちゃんはそういう子でしょう?」と続けた。
「私は知ってるよ。あぁでもそうだね、自分じゃこういうのは分からない事かもね。だって "愛"というものは、そういうものだからね。『誰かを愛そう』とかそんな決意をしなくても、心の奥から自然と湧いてくるものだから、自分では分からなかったりするんだよ」
「そ……そうなの? じゃあ例えば? 例えば、どんなところ? 私が世界を愛してるって、お婆ちゃんが思うところって?」
心当たりが無さ過ぎて愛は質問を重ねた。そして、焦ってもいた。佳代の言い分が正しいのであれば、変身出来ない謎が更に深まってしまうからだ。
「そうだねぇ、例えばかぁ。色々あるけどねぇ。そうだ、正義ちゃんが帰ってきたから、正義ちゃんとの話にしようかね」
「せっちゃんとの? せっちゃんとの間に起こった出来事ってこと?」
「そうだよぉ。あれはいつだったかねぇ、確か二人が小学校に上がったばかりの頃だったかねぇ」
「えぇ、そんな昔! その頃の私と、今の私じゃかなり違う人間だと思うけど?」
「それは見た目の話だよ。昔のカワイイ愛ちゃんから、美人さんの愛ちゃんに変わったけど、心の大事な部分は変わらないものなんだよ。長いこと子供達を見てきた、私を信じなさい」
佳代はそう言って、愛の瞳をじっと見詰めた。それから語り始める、愛にとっては昔々であるが、佳代にとってはつい昨日の事に様に思い出せる想い出を。




