第2話 狐目の怪しい男 4 ―正義は勇気の意見を欲していた―
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勇気の母の趣味はガーデニングだ。勇気の家に数え切れないくらい遊びに行った事のある正義にとって、それは常識だった。
『勇気の母ちゃんの趣味は六年経っても変わらないんだな』そんな事を思いながら、南欧風の門扉を開いて、正義は青木家の敷地内へと足を踏み入れた。
門扉を抜けてからは曲線を描くように等間隔に敷石が置かれ、周りには色とりどりの花や心を癒す緑の葉が茂っている。
「あらあらぁ~~、正義ちゃん! いらっしゃいませぇ〜!」
インターフォンを押すと、青木麗子の嬉しそうな声が聞こえてきた。「ちょっと待っててね、今から開けに行きますからねぇ」と言われ、待たされること十分。勇気の家は正義の家に比べると大きいが、待たされ過ぎな時間が経ってから、漸く扉が開いた。
「おばさん、こんちわ! その後、ケガの具合はどうっすか?」
「大丈夫よぉ~、全然元気なのぉ。心配してくれてありがとうねぇ」
「へへっ! そっか、良かった!!」
上がり框に座って靴を脱ぎながら、麗子と雑談を交えていると、
「おい、何時だと思ってる。まだ朝の九時だぞ……こんちわって何だ」
正義の背後から、言葉の合間に「はぁ……」と溜め息が混じった、低血圧な声が聞こえてきた。
「まだ九時って、もう九時だろ? それにな、俺は夜中から活動してんだよ。俺にとっては、こんちわの時間なの!」
「そうか……だが、俺にとっては違う。土曜日くらいゆっくり寝かせてくれ」
振り向くと、玄関を上がったすぐの所にある階段に、勇気が腰掛けていた。大分眠そうに、顔をしかめて。
―――――
「ウマッ! おい勇気、お前が淹れたこの珈琲めっちゃ美味いな!」
「そうか……それはよかった」
勇気の自室に通されると、正義は数分待たされた。勇気が珈琲を淹れていたからだ。
勇気の淹れた珈琲は、普段は砂糖のたっぷり入った珈琲しか飲めない正義でも飲みやすかった。苦味がありながらも爽やかで、すぅーと喉を通った。
「砂糖やクリームはご自由に――」
……と、勇気はガラス製の低いテーブルの上を指差す。テーブルの上には、スティックシュガーとコーヒーフレッシュが置かれていた。
「で、飲んだらサッサと帰ってくれ」
「えっ! なんでだよ、話があるって言ったろ!」
「話って……昨晩の調査の結果だろ、こんな朝早くにする話か」
勇気は珈琲を啜って、ソファに横になった。
眠そうな目線を送られた正義は、カーペットの上に胡座をかいている。昔からこうだった。自分の部屋が畳敷きだからか、正義は地べたに座る方が良く、勇気はそれを知っているから一人でソファを占領する。
昔と違うところは、ガラス製のテーブルの上にある飲み物が、ジュースから珈琲へと変わったところと、テーブルを挟んだソファの向かいにあるテレビの前に置かれていたゲーム機が、クローゼットの中に仕舞われてしまった事だけだ。
昔々、二人で競い合った対戦ゲームは熱狂もすれば、二人の喧嘩も招くものだから、正義が転校してからは仕舞われてしまった。『正義が遊びにきたら、久し振りにやっても良いな』と四、五日前に起動チェックでスイッチを押してみた勇気であったが、今は眠かった。眠すぎた。低血圧だからだ。だから、出てくる言葉は不満ばかりだ。
「桃井も居ないし、ボッズーも連れてきていない。二人で話しても仕方ないだろ」
「それはだなぁ……もう、いいから聞けって!」
眠い勇気は不機嫌と、昔からの仲であるから正義は当然知っている。それでも正義は勇気の意見を欲していた。
拒否する勇気を無視して、正義は話を始めた。
深夜に行った調査の結果と、公園で出会った男の話と、山下佳代から聞いた話を。
「怪文書の犯人でもあるストーカー男と、真田先輩の接点が二年前には既にあった……か」
話を進めていく内に、明らかに勇気の眠気は覚めていった。とろんとした目線は鋭くなり、佳代から聞いた話まで進むと、寝転がった姿勢から居住いを正した。
「という事はもしかしたら……」
「やっぱり勇気も、"もしかしたら"って思うか?」
勇気が話に乗ってくると、正義の声は上擦った。
聞かれた勇気は頷き、「勘繰るなって方が無理だろ」と返した。
「俺達は、真田先輩の自宅が燃やされた理由も、自宅の前に不思議な石が置かれていた理由も、真田先輩が怪文書を批判したからと結論を出していた。しかし、怪文書を書いた人物と真田先輩が、二年も前に出会っていたならば話が変わってくる。しかも、怪文書を書いた男が先輩を逆恨みしているなら尚更だ……」
「やっぱ、ストーカー男ははじめから真田先輩を標的にするつもりだったって考えちゃうよな?」
正義は山下佳代の話を聞いている内に、勇気が述べた内容と同じ疑問と違和感を覚えていた。
「バッチャンの話を聞いてると、俺もそう思えてきてさ、だから勇気の意見が聞きたくって来たんだよ」
正義が言うと、勇気は「そういう事か……」と呟き、珈琲を一口啜った。それから顎に手を置いて、「しかし、こうも考えられるな」と言った。
「男の標的はやはり無差別で、輝ヶ丘の全てであったが、怪文書をばら蒔いた事で、真田先輩が再び男の前に現れてしまった。そして、男は過去の恨みを思い出した。だから先輩は襲われてしまった……とも」
「先輩を狙うと決めたのが先なのか、それとも輝ヶ丘が先だったのかって事だ」と、勇気は再び珈琲カップに口をつけた。
「どっちが先かって、そんなに重要か? 結局は狙われてるんだぜ?」と正義が聞くと、勇気は「重要だろ」と答える。
「男の標的がはじめから真田先輩であれば、無差別的な犯行はフェイクでしかないが、そうでないなら無差別攻撃は続くんだ。実際、お前が公園で見付けた新たな怪文書には『死の運命は誰に降り掛かっても可笑しくはない』とあったんだろ。であれば、俺たちが男から守る相手も、真田先輩一人か、それとも町全体か……変わってくるぞ」
「う〜ん、確かにそれはそうだな」
「だが――」
正義は納得しかけた。だが、勇気はまだ続けた。
「フェイクであって、フェイクではない場合も考えられるな……」
勇気はそう言うと、「ん? どゆこと?」と聞く正義に対して、「お前はアガサ・クリスティーを知っているか?」と尋ねた。
「アガサ、クリスティ? あぁ、知ってる! 有名な博士だろ?」
「バカ、違う……小説家だ」
勇気はソファから立ち上がり、窓際に置かれた本棚へと進んだ。
「これを書いた人だよ。世界的に有名なミステリー作家だ」
本棚から一冊の小説を取り出した勇気は、ソレを手渡してくる。
「ミステリー? ホラーとは違うのか?」
「全然違うよ……その小説はな、アガサ・クリスティーが1936年に発表した物なんだが、その小説の犯人は優れた頭脳を持つ、狡猾な人物なんだ」
「へぇ、でも小説だろ?」
「そうだよ……でも良いだろ、いいから聞け」
興味なさげな正義に対してムッとした表情を浮かべた勇気は、長い足を組んで再びソファに座った――それから語り始める。
「犯人はまず名探偵ポアロに挑戦状を書くんだ。簡単に言えば『自分が犯す事件の謎が解けるか?』って感じのな。それからすぐに事件が起きる。警察もポアロも捜査に乗り出すが、すぐに二件目が起こってしまう。そしてそのまた次も、犯人は合計で三件の殺人を犯すんだ。だが、殺された人物たちの年齢や性別、殺された場所もバラバラであって、事件は無差別殺人と思われた――」
「思われた? ってことは?」
「違かったんだ、犯人にはれっきとした目的があったんだよ。挑戦状を書き、猟奇殺人鬼の皮を被っていたが、明確な動機がな」
「無関係に思えていた人たちに関係性があったって事か?」
「いや、違う。やはり被害者達には接点はない」
「じゃあ何だよ、どういう事だよ?」
「たった一件なんだよ。犯人が本当に犯したかった殺人は。その一件を犯す為に、他の二件も殺ったんだ」
「何だそりゃ?本当に犯したかった殺人の為に他にもって意味ないじゃん! おかしな奴だな……」
正義は『何だそりゃ』の答えを探そうと、本をパラパラと捲った。しかし、漫画と違って文章だけでは頁に書かれている場面が、どこの場面なのか分からない。
「隠れ蓑だよ」
正義が答えを見付けられずにいると、勇気が教えた。
「犯人は狡猾な人物と言ったろ、目的を持った殺人だけを行なえば、自分に疑いがかかると分かっていたんだ。だから、余計な人も殺した。無差別殺人と思わせておけば、自分は捜査線上に上がらないと考えたんだよ」
「ひぇ〜、ヒド過ぎないかソイツ!」
「まぁ小説の中の人物だからな……で、俺が言いたい事が何か分かったか?」
小説を睨む正義に、勇気は問い掛けた。
正義は一瞬考える。頭に手を伸ばし、一掻き、二掻き。それからテーブルの上に本を置き、答えた。
「今回のバケモノの計画は、この小説の犯人の計画に似たものかもって事か? 真田先輩を標的にしつつ、自分が隠れ蓑に隠れるために大量殺人を犯すって。でもさ、ストーカー男は俺の目の前に現れちまったぜ? それじゃあ隠れ蓑も何もないぜ?」
「それが小説の登場人物と、実在の人間との違いってところだろうな。己の承認欲求に抗えなかったのか……しかし、ストーカー男からすれば、お前と山下のお婆ちゃんに接点があるとは思っていなかっただろうし、真田先輩を逆恨みしている人物とバレる筈はないと、まだ隠れ蓑に居るつもりでいるのかも。顔を晒してしまったとて、何処の誰なのか分からなければ、探しようがないとタカを括っているのかもな」
「そうなのかなぁ」
「まぁ、どちらにしろ俺が言いたかったのは、ストーカー男が真田先輩を標的にしているとしても、彼女だけを狙うとは限らないって事だ」
勇気はそう言って、小説を本棚へと戻した。
「男の計画が、真田先輩だけを狙った計画なのか……これを計画Aとするが。はじめから無差別殺人を目的として、真田先輩を標的に加えた計画Bなのか。真田先輩を標的にしながらも、隠れ蓑にする為に無差別殺人を犯す計画Cなのか。真相は、男自身に聞かなければ分からない」
「男自身にねぇ……じゃあ、聞きに行くか?」
「聞きに行く、何処にだよ?」
冷めてしまった筈の珈琲に息を吹きかけている正義に向かって勇気が聞くと、正義は「塾、ストーカー男が働いてたっていう、相川塾だよ」と答えて、チビりと珈琲を飲んだ。
「でも、もうクビになってるんだろ」
「でも、何処に住んでるかくらいは分かるんじゃね?」
「まぁ、確かにな……」と勇気はテーブルの上に置いていたスマホを手に取った。
「あっ、でも今日はダメだな」
「なんで?」
「今日は塾が休みだ、しかし隔週で日曜日に開いているな。特別授業を行なっているらしい。毎月第一と第三日曜日か……丁度良い、明日はやってるぞ」
「そっか、じゃあ決まりだな! 明日だ、明日行こうぜ!」
正義と勇気はコクリと頷き合った。




