第1話 血色の怪文書 8 ―不穏なニュース―
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翌日、真田萌音は最悪の朝を迎えた。
終わりが見えてきた高校生活に油断したのか、それとも昨夜も怪文書の事を考えていた為に夜更かしをしたせいか、寝坊をしてしまったのだ。
「最悪……」
いつの間にかアラームを止めていた自分自身に恨みを込めて、萌音は呟いた。
あと二十分で家を出なければ確実に遅刻だ。メイクをする時間もなく、小さな溜め息を吐きながら萌音は起き上がった。
タイムリミットは迫っている『制服に着替えるのを先にした方が良いか、それとも顔を洗うのを先にした方が良いか』と考えていると、ドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。
萌音には弟が二人いる。長男の瑠樹に次男の大翔。瑠樹が反抗期を迎えてしまった中学二年生、大翔がまだまだ子供らしい小学五年生。ドタドタと足音を立てて走るのは大体が次男の大翔の方だった。
「姉ちゃん! 姉ちゃん!」
やはり足音の主は大翔であった。大翔は騒がしい声で萌音を呼びながら、許可も取らずに引き戸を開けて、ズカズカと萌音の部屋へと入ってくる。
「なんなの、ソラ……朝から煩いし、ちょっとあっち行っててよ。私、今から着替えるから」
萌音は寝坊の苛つきを弟に当てながら、壁に掛かった制服を手に取る。萌音は顔を洗う前に着替える事にした。が……
「着替えなんか後回しにしてよ、それよりっ――」
と、大翔は部屋から出ていこうともせずに萌音の手を引いた。萌音のパジャマの袖口を引く大翔の声は高い、普段から子供らしくテンションの高い大翔であるが今日はいつも以上に高い。妙だと思いながらも、萌音は弟の手を剥がす。
「あのね、私ね……今日寝坊してんの。だから、アンタの相手をしてる暇はないの、急がないといけないの、分からない?」
「うん! 分かってる!」
「はぁ……分かってんだったら邪魔しないで。つか、アンタだってそろそろ出ないと遅刻でしょ」
萌音は大翔に背を向けた。パジャマを脱ごうとボタンに手を掛ける。
「ルキは? アイツは学校行ったの?」
「行ったよ、さっき! だからさぁ俺、姉ちゃんに見せたい物があるんだ!」
今度の大翔は萌音を引っ張りはしなかった。しかし、その代わりに萌音の前に回り込み、パンツのポケットに手を突っ込むと、妙な物を取り出してきた。
「コレ、瑠樹兄ちゃんが学校に行く時に家の前で見付けたんだ! 見てよ、姉ちゃん! 面白くない?」
萌音に見せながら、嬉々とした声で大翔は言った。
「コレね、耳に近付けるとヴォー、ヴォーって変な音がするんだよ」
大翔は手に持った物を耳に近付ける。
その手にある物は、直径四㎝程の石だ。
「どう、面白くない? 姉ちゃんの記事に出来たりしない?」
大翔は無邪気に聞いてくるが、大翔が石を取り出した時から萌音の動きは止まっていた。
大翔が持つ石は形自体は何処にでもある石と変わりはしないが、明らかに普通の石とは違った物だったからだ。
石は目にも鮮やかな色をしていて、まるで宝石の様に煌めいているのだ。その為に大翔は『面白くない?』と聞いてくるのだろうが、萌音は正反対の気持ちを抱いていた。
不思議な石の存在に驚いた萌音は聞く――
「その変な石、何処にあったの? そんなの持ってきたらダメじゃん……」
「何処って、だから家の前だよ。さっき言ったじゃん。ねぇ、コレって宝石みたいだけど宝石じゃないよね? ヴォーヴォーって音がするし」
「だから、宝石じゃないと思うなら手に取ったらダメでしょ。ほら、お姉ちゃんに渡して!」
萌音は大翔の手から取ると、不思議な石を見詰めた。
「まさか……」
大翔が言うには石は自宅の前にあったらしい。
萌音はその事に恐怖し、震え始める。
この時、萌音は《王に選ばれし民》と名乗る悪の集団を思い浮かべていた。否、怪文書の存在も脳裏に過っている。
「ちょっと、返してよ! その石、学校に持ってきたいんだ、友達にも見せたいんだよ!」
「いや……ソラ、ちょっと待って。この石、お姉ちゃんに預からせて」
萌音は思う『この石は大翔に持たせてはいけない物だ』と。
「なんで!!」と大翔は反論するが、萌音は「良いから、言う事を聞いて」とだけ言って、大翔を部屋から追い出した。
萌音は震えてくる手を落ち着かせようと深呼吸をし、不思議な石を握り締めて考えた。
――瞼を閉じると、浮かんできたのは桃井愛の顔だった。
萌音は石を奪われて怒ってしまった弟を宥めて、無理矢理学校に行かせると、制服のブレザーを手に取った。
―――――
「えっ……」
真田萌音が不思議な石を手にすると同時刻。自宅のリビングのソファに座って、食後の珈琲を楽しんでいた愛は、思わず顔をしかめた。
愛の家は萌音の家よりも学校に近い、まだ珈琲を味わう時間はある。
愛は最近やっと珈琲をブラックで飲めるようになった。しかしエスプレッソのように苦味の強い物はまだ苦手……だが、珈琲の苦味が彼女の顔をしかめさせた訳ではない。
愛が顔をしかめた原因は、母がザッピングするテレビにあった。
「ちょっとお母さん、さっきのに戻して」
愛の隣に座って、同じく食後の珈琲を味わっていた母は『最近は物騒なニュースばっかり、ペット特集とかやってないの……』と呟きながら、チャンネルをザッピングしていたのだが、一瞬だけ映ったニュース番組の映像を愛は見逃さなかった。
「さっきの? どれ?」
「二個前のやつ……」
……と愛が言うと、母はチャンネルを戻した。それから愛は押し黙る。画面に映ったテロップが、画面に映る場所が、愛に緊張を覚えさせたからだ。
ニュース番組の右上に映るテロップには『輝ヶ丘で連続放火事件発生 王に選ばれし民による犯行の疑い』と出ていた。愛はこのテロップを母がコロコロとチャンネルを変える一瞬で目にしていた。
― やっぱり見間違いじゃなかった……
愛は心の中で呟くと、「うそ、このニュース輝ヶ丘じゃない?」と自分と同じく顔をしかめた母に頷き、テレビの画面を凝視する。
画面に映る場所は、よく知る場所だった。それは駅前公園。愛が連日連夜、懸垂に挑んでいる公園だ。
「何があったの……」
愛は珈琲カップをテーブルの上に置くと、拳を強く握った――
それから愛は、後一分でも出発が遅れてしまえば確実に遅刻する、そんなギリギリまで粘って情報収集につとめた。
事件の内容はテロップにもあった通りに放火であり、被害者は出ていないが現場は五ヶ所あった。
・駅前公園内の花壇
・空き家になっている民家
・不法投棄された車
・営業時間の終了した骨董品店
・宅配業者の倉庫
この放火が何故『王に選ばれし民の犯行の疑い』と報道されているのかは事件現場付近の防犯カメラに映った不審者の存在があったからだ。カメラに映った不審者は長身で灰色の体を持ち、複数で行動し、まるでゾンビの様に歩いていた。防犯カメラの少しぼやけた映像でも、ソレは人間には見えなかった。
番組の司会者はデカギライの写真を持ち出し、『以前現れた怪人の仲間と思われる』と神妙に語っていた。
犯行時刻も特定されていて、時刻は深夜一時前後。ニュースキャスターは『付近の防犯カメラに不審者が映った時刻と、消防署への通報時刻から推測される情報――』と伝えた。更に『事件現場はそれぞれ離れた場所にありますが、五ヶ所とも全てが同じ時間だとの事です』とも。
ここまで情報を取得すると、愛はソファの下に置いていたスクールバッグを手に取る。
報道は続いていたが、家を出なければならない時間が来てしまったから。
テレビを凝視し続ける母に「それじゃあ、私そろそろ行くね」と告げると、愛はソファから立ち上がった……直後、ニュースキャスターの叫ぶ様な声が愛の耳に届く。
「続報が入りました、怪文書です、現場から怪文書が発見されました――」
「えっ?!」
玄関に向かおうとしていた愛の動きは止まった。愛は急いで振り返り、再びテレビを凝視する。テレビ画面には血色の文字が映っていた――
『愚か者共よ、俺に逆らった罰を与える
輝ヶ丘の住民が全て消えるまで俺は止まらない
英雄に救いを求めても無駄だ
奴等はいつか我が王に平伏す
今回は余興だ
次は犠牲者が出ると思え』
それはまるで犯行予告と取れる内容であり、愛は"読み飛ばしてはいけない一文"に気が付くと恐怖を覚えて震え始める。
「我が王って……それじゃあ怪文書を書いたのって」
愛の脳裏には空が割れた日に見た《王に選ばれし民》の面々の姿が浮かんだ。
そして『次は犠牲者が出ると思え』という文章が真田萌音の姿と共に頭を過る。
「ちょっと……何、変な想像しちゃってるの私、やめてよ」
愛は自分自身に首を振ると、ふぅと息を吐いて震える自分を黙らせた。




