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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

クソ異世界

作者: 牟狗正道

短編といっても結構クソ長いです。

読み終えるまで1時間ぐらいかかるかもしれません。


クズのような主人公が、クソみたいな世界に行き、クソみたいな目に遭うというクソみたいなお話を書きました。


誰でも英雄になれる資質を持っていると思います。

ですが全員が英雄という訳ではないですよね。

英雄になる人、なれない人の決定的な違いとは何でしょうか?

そういうことを考えてみました。


 反吐が出る。

 先ほど、ベッドから起きあがり、トイレを済ませて、スマホを手に取り、書きかけの自作WEB小説を読み返している。

 1200文字ほど書いてみたが、そこから文字数が大して増えることなく、もう1週間以上になる。

 書いたその日は何ともなくても、翌日読み直すと、なぜかアホ丸出しの反吐が出そうな文になっている。

 今日もそうだった。

 呪いにかかったのか?

 とても他人に見せられるものじゃない。

 書き直しても書き直しても、そのループから逃れられない。

 それに今日は新たな不安が湧き上がってきた。

 僕が考える話なんて、知らない所で、もう誰かが作品にしてるんじゃないかということ。

 そう考えると、ますます筆が進まなくなった。


 まだ一度も投稿に至ってない。

 ちゃんと最後まで書いて投稿できる人を尊敬する。

 僕と何が違うんだろう?



 僕は、高校のときに不登校になり、そのまま中退。

 きっかけは高1の10月に偶然、海外オンラインゲームのチートコードを入手したことだった。

 それを使ってプレイしたら、なんとなく夢中になってやめられなくなった。

 すべてが思いのまま。

 圧倒的な戦闘力を振りかざし、僕は数多くの敵対プレイヤーを次々となぎ倒した。

 その夜、僕は覇者になった。


 ――気づいたら朝になっていた。

 なんだか学校に行くのがダルかった。

 母親に「気分が悪い」と言って、その日は学校を休んだ。

 そして翌日も、その翌日も休み続けた。

 母親も1週間目あたりから何も言わなくなった。

 そのうち《学校に行かなきゃ》という気持ちがスッと消え、気持ちが軽くなった。

 担任が来たこともあった。

 僕の名を呼びながら、ドアを何度も叩いていた。

 ガン無視してると毎回20分ぐらいで諦めた。


 それから数年経ち、ニートと呼ばれる存在になった。

 ちなみに、あのオンラインゲームは、僕の人生を狂わせたあと、すぐに廃れて消えた。

 サービス終了頃に残っていたプレイヤーは7人ほど。全員日本人のチーターで、毎日チャットで話す程度になっていた。



 『ニート』というと落伍者のようで聞こえが悪いが、僕は別に働きたくない訳じゃない。

 妥協してテキトーな仕事をしたくないというだけ。

 自分に合った仕事が見つかれば、身を粉にしてバリバリ働くつもりだ。

 それにもう目指す職業は決まっている。


 作家だ。

 これまで何をやっても続かない僕だが、小説を書いている間は楽しくて時間を忘れるのだ。

 これは才能だと思う。

 天職を見つけたと確信している。

 あとで読み返すときに苦痛だが、その時間もムダには感じていない。

 刀鍛冶が鉄を何度も繰り返し鍛えるような感覚。

 やがて名刀になる。

 僕もいつか才能が開花し、アニメ化されるような作品を書けるような作家になれると信じている。



 書いているのは異世界モノ。

 異世界モノは数多くアニメ化されているし、それだけ魅力的なジャンルということだ。

 異世界モノが一番好き……というより、異世界モノにしか興味がない。

 このジャンルを極めたいと思っている。


 現代を舞台にしたホラーやサスペンスの作品も読んだことがあるが、一般的な評価に比べて、僕はあまり面白いとは感じない。

 心理描写が理解できない。

 でも異世界モノで描かれる心理描写は、なぜかすんなり入ってくるから不思議だ。


 もしかしたら僕は、本当は剣や魔法の世界の人間で、何かの罰で記憶を消され、このクソみたいなつまらない世界に飛ばされているのでは? と、そんな妄想をすることがある。

 異世界に憧れる気持ちは、本当は望郷に近いものなのかもしれない。


 結局、今日も筆が進まず、軽く直した程度で、保存して閉じた。



 小腹が空いたので、コンビニに行くため立ち上がった。

 スマホの時計を見ると、もうすぐ14時だ。

 パジャマ代わりのジャージ上下を着たまま、スマホはポケットに入れ、玄関に向かった。


 薄暗い玄関の靴箱の上に、千円札が1枚たたんで置いてある。

 母親がいつも出勤前に置いていく。

 しかし母親は、物価の変動をまったく分かってない。

 今どき1000円程度じゃロクなものが買えない。

 昨日の残りと合わせて1201円。


 ドアノブに手をかけた。

 このドアを開くと、別の世界が広がっている妄想をすることがある。

 しかし現実は、市営団地の2階のドアの外。

 正面の公園から小さな子供の声が聞こえている。


 階段を降り、コンビニに向かった。

 5〜6分程度の道のり。

 僕の行動範囲は、ほとんどこれだけだ。

 散髪に行くときぐらいしか、この範囲を出ない。



 ポケットからスマホを取り出した。


 何気なく開いたらSNSでは、ブサイクな女性のお笑い芸人が、他の女性芸人にSNS上で不適切な発言をしたとして、何やら騒ぎになっていた。

 実際に見てみると、『死んでほしい〜!』といった文面だった。

 最初は、ただのおふざけで書いたもので、芸人同士で笑って済む内容としか思わなかった。

 気の合う仲間が集まったときに「おめぇ殺すぞぉ〜」なんて笑いながら言い合う姿に似ている。

 悪意は感じない。


 でも、ほとんどの人々の反応は違った。

『本性を表してるな』

『ただの暴言』

『不謹慎』


 誰も冗談と解釈している人はいない。

 考えてみると、冗談でも軽々しく『死』なんて発言するのは良くないと考え直した。

 それに以前から、なんでこんなブサイクなヤツが売れてんだろ? と思っていたし、いい気味だと思ったので、僕も『芸能界のゴミ 地球のゴミ 消えろ!』と書き込んでおいた。



 自分の考えが、世論とズレることが多い。

 しかし、それを周囲に知られないよう、いつも気をつけている。

 異端者にはなりたくない。

 もし異端者として責められようものなら、僕はここ世界で生きることをやめると思う。

 自分の考えることなんて、たかが知れている。

 みんなはちゃんとよく調べてから判断し、発言しているはずだ。

 それに異を唱える資格など僕にはない。



 数年前にも似たようなことがあった。


 チェーン店を多く持つ飲食店の店舗で、小学生くらいの子供が店内でイタズラをしている動画が炎上していた。

 実際の動画を見ると、目を背けたくなるような不潔な行為を、店の備品にこっそり仕込んでいた。

 正直、何も面白くない不快な動画だった。

 だが僕はこう読み解いた。


 何が面白いかなんて、誰にも分からない。

 知名度のあるタレントでもなければ、何か突飛ことをしなければ、注目を集めるなんてまず不可能。

 禁じられているのは分かっているが、なぜダメなのかはよく分からない。

 だから、考えうる一番のタブーに挑戦してみた。

 そうするとどうなるのか?


 多分そんな感じだろうと考えた。

 そして結果は、おそらく本人の想像を遥かに超えているであろう大炎上。


 まだ子供だから、色々間違うこともあるだろう。

 今回は大勢に迷惑をかけてしまったが、これに懲りて、今後はちゃんとボーダーラインを見極めて、新たな挑戦をするべきだ。


 そんな風に思っていたが、このときも僕の考えはSNSの他の意見とは違っていた。

『他人の迷惑を考えないのは、大人になっても変わらない』

『こんなヤツが反省するワケない』

『一生、負い目を感じて生きろ』



 一度の過ちが、一生を台無しにすることがある。

 彼は人々の心の平和を乱した。

 そのような者を許してはいけない。

 二度と、一般の人々と同列に並ぶ権利はない。

 そう考え直した。


 例外なく、何かを他人と違うことをするときは、他人の迷惑を最優先に考える。

 もし迷惑がかかる可能性が少しでもあるなら、突飛なことは控える。

 みんなそうすべきだし、それが正義。

 その輪を乱す者は悪だ。

 いくら責められても、文句は言えない。




 コンビニに入り、スマホをポケットに入れた。

 惣菜パン2個とパックの乳飲料を2つ買い、コンビニ袋に入れて店を出た。

 あまり人と話したくないから、セルフレジは僕にとってうってつけのシステムだ。



 狭い団地の階段を、電気会社の人とすれ違いながら上がり、2階の玄関を開けた。

 自室に入りコンビニ袋をテーブルに置き、動画サイトでも見ようかとノートパソコンに向かった。


 パソコンは動いているが、バッテリーモードになっており、【通信接続切れ】の表示になっている。

 ルーターを切った覚えがないが、再び電源を入れようと起動ボタンを押した。


 ……つかない。


 周囲をよく見たら、コンセントに接続された機器の電源ランプが全部消えている。

 スマホにも充電中のマークがない。


 さっきの電気会社の人。


 急いで玄関に戻った。

 薄暗い靴箱の上には、ガス代や電気代の払い込み用紙の入った封筒が5〜6通ほど未開封で乱雑に置かれている。

 確認すると、2ヶ月分の電気代の請求書が手つかずで残っていた。

 僕がコンビニに行っている間に、代金未払いで電気を止められたのだ。



 前にも同じことがあった。これで2回目。

「ちゃんと払っとけよ、クソババア」

 僕は頭を掻きむしった。

 ルーターも切れてるから、動画が観られない。


 ……何もすることがない。

「クソが」

 舌打ちして、ベッドに横になった。


 時計は14時すぎ。

 クソババアが帰るまであと4時間もある。

 帰ってきたら、靴を脱ぐ暇も与えず、そのままコンビニに向かわせよう。

 そう思いながら、目を閉じた。



   *



 遠くから、カポカポという足音が聞こえ、ブルンと馬の鼻息のような声が聞こえた。

 目を開けると、ここは自分の部屋じゃないことに気づいた!


 慌てて上半身を起こす。


 薄暗い小屋。

 壁板の隙間から差し込んでくる光で、ホコリが舞ってるのが見える。

 僕は干し草の上にいた。


 これは夢か?

 いや、夢じゃない。

 ――異世界!?


 僕は思いがけず、異世界転移していた。

 あのクソみたいな世界から抜け出した。

 心の奥の密かな願いが叶ったのだ。


 この世界でイチからやり直そう。

 可能性は無限だ。

 どうせなら英雄を目指そう。

 英雄への道を一歩ずつ歩みはじめるのだ!




 ゆっくりドアを開けて、外の様子を伺った。

 日差しはあるが、少し肌寒い。

 着ているジャージを通して、少し冷たい空気が染み込んできた。

 実際に行ったことはないが、アルプスの高原のような風景が広がっている。


 小屋から少し離れたところに、道が見える。

 さっきはその道を、馬か、それに近い生物が通ったのだろう。今はもう見えない。



 道の傍まで歩き、左右を見回した。

 左は遠くに雪山が見えるだけの高原が広がっている。

 右には、かすかに建物らしきものが並んでいるのが見える。

 どうやら町があるようだ。


 自然と足が建物に向かった。


 やがて右側が森になった。

 森の遠くで、聞いたことがない鳥類のような鳴き声が聞こえる。

 1kmほど歩いただろうか。

 町が近づいてきた。

 人影は見えないし、ここまで誰とも会わなかった。

 あまり交易が盛んな町ではないのかもしれない。


 いよいよ町が目の前に見えてきた。

 町には塀などはなく、道端に自然と家々が立ち並んでいるような造りだ。


 ――誰かいる!

 一番手前に、さっきと同じような小屋があり、その小屋に寄りかかる姿勢で男が立っている。

 服装は少なくとも、現代の日本ではない。中世RPGに出てくる村人のような格好。

 異世界であることを確信した。

 彼は腕組みをして、ただ地面を見つめている。表情は見えないが、今あくびをした。


 男が僕に気づいたようだ。

 しかし動く様子はなく、ただ僕の方を見ている。

 僕は気にしていないフリをすることにした。

 男からわざと目を逸らし、そのまま町に向かって歩き続けた。


 ここがどこか訊きたい気持ちもあるが、誰かと接触するときは慎重にいきたい。

 特に最初の1人目となると尚更だ。

 今後の運命を大きく左右する可能性がある。


 男の足元には、棍棒が立てかけてあるのが見える。

 武器を持っているということは、よそ者を排除するためか、またはモンスターでも出るのか。

 でもモンスターなら、囲いもなく、こんな無防備な町はあり得ない。

 ではあの男は、町を出入りする者を見張っている立場の者かもしれない。

 もしそうなら、このまま黙って町に入ろうとするのは、逆に危険かもしれない。


 やはりトラブルを避けるため、意を決して、男に話しかけることにした。

 男に方向転換。


 第一村人との接触。

 最初が肝心だ。

 こういうときは、怯えたり、卑屈な素振りは見せず、強気で堂々とした態度でいた方が良いと思う。

 棍棒を武器にしているということは、大した身分のものではない。おそらく町の権力者から、町を見張るよう言い付けられている程度の人物だ。


 近づくと、男は思ったより大きかった。

 180cmはゆうに超えている。

 年齢は30代ぐらいか。


 相手にしてみれば、武器も持たない小柄な僕が、見たこともない服を着て、こんな所までひとりで旅をしてこれたのだ。『何か能力があるに違いない』と思っているはず。

 堂々といこう。


 僕が近づくことで、壁にもたれかかっている姿勢をやめ、男の背中が小屋から離れた。

 しかし武器を取る様子はないようだ。

 かすかに微笑んでいるように見える。


 僕は立ち止まり、精一杯の明るい声で言った。

「あなたはこの町の住人ですか?」

 どういう訳か、両脚のヒザがプルプルと震えだした。

 堂々としていたいのに、勝手に震えてしまう。

 怯えているようで恥ずかしい。


 しかし男は、そんなことは意に介さず、僕に向かって手招きを始めた。

 僕の問いに答える様子はない。

 ただ微笑みながら手招きしている。


 言葉が通じない?

 尚も手招きは続いている。

 どうすればいい?

 ……状況が進展しない。

 仕方なく、震える脚で少し歩み寄った。

 すると男は、今度は小屋のドアを開け、《中へ入れ》といった仕草を見せた。

「あー、そこに何かあるんですか?」

 言葉が通じないのか、この男が話せないのか分からないが、相変わらず男は無言で、僕に小屋へ入るよう促し続けている。

 こうなったら、ムダな争いを避ける意味でも、とりあえず男の言う通りにするしか選択肢がなさそうだ。


 できるだけ警戒している素振りは見せないようにして、横目で男に注意しながら、ドアの中を覗き込む。

 一体、何があるというのか。

 ……薄暗くてよく見えない。

 だが誰もいないことは判る。


 やがて目が慣れてくると、木箱がいくつか並んでいるのが判った。その中には、衣服やガラクタのようなものが入っているのが見える。

 更に目を凝らすと、そのガラクタの中に、スマホらしきものが見えた。その他にヘッドホンや野球帽?

 なぜこの世界に?


 すると突然、首の後ろにガツンと衝撃が走った。

 意識が遠のいてゆく――。


   *


「ほら、起きろ」

 声が聞こえて、ゆっくりと目を開けた。

 僕は地面に、俯きに寝かされていていた。

 どうやら、まだ小屋の中だ。

「さっさと起きろ。立て」

 鎖の音がしたかと思うと、僕の首がグイッと上に引っ張られた。

 犬のように、首輪が着けられていた。

 とっさに地面に手を着けようとしたが、腕が動かない!

 後ろ手に、手枷が掛けられているのだ。

 頭の後ろがズキズキ痛む。


 グイッと引っ張り上げられ、僕は立ち上がった。無理矢理に立たされたといった方が正しいか。

 鎖を握っているのは、さっきの男だった。

 その顔からはもう微笑みは消えており、何の感情もない冷たい表情になっていた。


 気づくと、僕は服をすべて脱がされていた。パンツも脱がされており、完全に全裸だ。

「よし、来い」男はドアに向かいながら、乱暴に鎖を引っ張った。

 少しだけ抵抗して動くまいと思ったが、男の力が強く、0.5秒も耐えられなかった。


 小屋を出た。

「どうしてこんなことを?」

 男に話しかけた。


 不思議なことに、男の言葉が解る。

 しかし男が日本語を話してるのではない。僕の方がこの世界の言葉を理解していた。


 男は質問には答えず、無言で歩いた。

 最初は町に入っていくと思ったが、すぐに外れて山の方に向かう道を進み始めた。

 ただでさえ肌寒い空気のなか、全裸では余計に寒い。

 手も使えないから、体を摩ったりもできない。

「何か誤解があるのかもしれない! 僕は何もしてないし、するつもりもないんですよ!」

 男は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

「黙って歩け」


 ――悪寒が走った。

 これまで見てきた人の【目】の中で、この男の目が一番恐ろしかった。

 おそらく彼にとって、僕は人間ではない。

 今、僕を殺したとしても、罪悪感など一切感じないであろう、そういう目だった。

 虫だ。虫と話した感覚だ。

 今の僕は、虫のような男に、虫のように扱われている。



 このままついて行っても、ロクなことがないのは間違いない。イヤな予感しかしない。

 なんとか逃げ出さなければ。


 しかし、その方法が思いつかない。

 この男を倒す? ……無理だ。

 握った鎖をなんとか出来れば……それもダメだ。

 両手が不自由な状態で、逃げ切れる自信がない。何かにつまずけば終わりだ。

 そもそも逃げて、どこへ隠れればいいのか。


 ほぼ真っ直ぐな道を、山に向かって進んでいく。

 もう10分ほど歩いた。

 道の先には何も見えない。

 寒い。

「あの……どこへ行くのですか?」

 黙るよう言われたが、訊かずにはいられなかった。

 でもこれで、何か変化があるかもしれない。

 現状より悪い状況は考えられない。

 また同じことを言われるか、無視されるか、「もうすぐだ」と言われるか、どれかだろうと思った。

 しかし結果はどれも違った。


 男は2秒ほど歩いて立ち止まり、振り向くと同時に、僕のみぞおちに、すごい速さの拳を食い込ませてきた!


 ――ドス!!

「かはっ!」


 息ができない!

 僕は両膝をついた。

 前方にうずくまり、頭を地面につける。


 まだ呼吸が戻らない。

 しかし容赦なく男は鎖を引っ張り上げた。

 鎖を短く持ち、丁度むなぐらを掴んだような格好になった。

 そして男は僕に顔を近づけた。

「黙って歩けと言った」そう言うと、男は再び鎖を持ち替え、元の体勢に戻った。

 なんとか呼吸が戻った。

 男はまた歩きだした。


 この男は慣れている。

 僕が気を失ったときの一撃、さっきの一撃、どちらも洗練されていた。


 なぜか、涙が流れてきた。

 泣きたい訳ではないのに、涙が止まらない。

 大粒の涙が頬をつたってアゴから落ち、僕の胸元を冷たく濡らした。



 それから更に5分ほど歩かされた。

 前方に大きな平屋建ての建物が見えた。

 煙突が3本あり、白い煙が噴き出ている。民家ではない。何かの工場のように見える。

 やはり塀などはなく、正面に木製の大きな両開きの扉があった。


 そこから入るのかと思ったが、男は建物の右に回り込み、側面の扉のない入り口に向かった。

 そこに入ると、入ってすぐ横の壁に留め具あり、そこに慣れた感じで持っていた鎖を引っ掛けた。

 両手が自由になった男は、奥の人物に声をかけた。

「こいつ頼む」

 工場の事務所のような場所なのだろう。

 部屋の中には、中年のヒゲの男が1人いるだけだった。机で何か書いている。

 ヒゲ男が顔を上げて答えた。

「ああ、わかった」

 ヒゲ男は椅子から立ち上がり、僕の方へ歩み寄ってきた。

 そして僕の足元から頭まで一通り見て、僕の上腕部を軽く掴んだりした。

「うん、銅貨15枚かな」

「ああ、それでいい」

「じゃあ待ってろ」

 ヒゲ男はそう言うと奥の小部屋に入り、茶色い硬貨を手にして戻ってきた。硬貨を男に手渡した。

 男は硬貨の枚数を確認し、そのまま黙って出ていった。


 僕はヒゲ男に銅貨15枚で売られたらしい。

 ヒゲ男の目も、さっきの男と同様、僕を人間とは扱っていないのが分かる。

 ヒゲ男は僕には目もくれず、奥の扉に入っていった。

 扉が開くと、その向こうから金属がぶつかる音や、鎖のシャラシャラとした音が聞こえた。

 ヒゲ男は手に布きれを持って戻ってきて、布を横の台に置くと、また机に向かって何か書きはじめた。


 相手は1人。ここには扉がない。壁の留め具には、簡単に鎖を引っ掛けてあるだけ。

 留め具さえ何とかなれば、こっそり抜け出せる。

 しかし留め具は、僕の身長より少し高い場所にあり、両手が使えない今は外すのは至難の業だ。


 少し離れ、鎖を張った状態にしてジャンプしてみたり、頭を鎖の下に潜り込ませ上に押し上げてみたりしてみた。

 どうもうまくいかない。

 いずれもあまり大きな音が出ないように静かにやったつもりだったが、そうではなかった。

「妙なマネするな。じっとしてろ」

 後ろから、犬をしつけるような声が聞こえた。

 振り返ると、もう男は机に向かっていた。



 ――それから15分くらいだろうか。

 外で大股で歩く足音が近づいてきた。

 入ってきた男性は40歳くらいの禿げ頭で、少し猫背で、背は低いがガッシリした体型だ。

 首輪を着けており、薄汚れた簡易的な服を着ている。どう見ても奴隷スタイルだ。

 僕の方をチラリと見てから、ヒゲ男に向き直った。

「ウストファさん、新しい作業員ですか」

「ああ、そうだ。どの房に入れるかは任せる」

 ヒゲ男はそう言うと、台に置いていた布きれを禿げ頭に渡した。

「わかりました」

 布きれを受け取った禿げ頭は、それを脇にはさみ、僕に言った。

「じゃ、向こうを向いてくれ」

 僕が言う通りにすると、禿げ頭は手枷を簡単に外し、無造作に床に落とした。

 自由になった両手に、さっきの布きれが持たされた。

「キミの服だ」

 鎖も外された。

 しかし首輪だけは着いたままだ。これが奴隷の印なのだろう。

「それ着て」

 すぐに破れそうな簡素な生地のシャツとズボン。裸よりマシという程度の服だ。

 その服を着ると、禿げ頭と同じ格好になった。

 つまり奴隷スタイル。

「では連れていきます」禿げ頭がヒゲ男に言った。

「ああ」ヒゲ男は机に向かったまま応えた。


「じゃ、こっち来て」

 禿げ頭の後ろをついて部屋を出た。

 首輪は着いたままだが、手枷と鎖から解放され、今は絶好の逃げるチャンスに思える。

 しかしそれを見透かしたように禿げ頭は言った。

「逃げようなんて思わないでくれよ」

 振り向いて、冗談を言うときのような笑みを浮かべた。

「私はリックだ。キミは?」

「あ……アヤト、です」

 名乗った瞬間、人間の尊厳を取り戻した気がした。

 また意味不明な大量の涙が溢れてきた。

 どうにか堪えようとしたが、僕の意に反して涙は溢れるばかり。

「おい、どうしたんだ?……そうか、ツラい目に遭ったんだな」

 リックさんは僕の肩に手を置いた。



 僕が泣きやむまで、リックさんは待ってくれた。

 やがてリックさんが僕の背中を軽くポンポンと叩いて、再び歩きだした。

「異世界から来たんだよな。私もだ。この世界では、どうやら私たち異世界人は、かなり嫌われているようだ。みんなゴキブリを見るような目で見るよ。外見では見分けがつかないが、どうやらこの世界の人間には、私たち異世界人の見分けがつくらしい。何か特殊な感覚があるのかもな」

「どうして、そんなに嫌われてるんですか?」

「さぁね。私も知りたいよ。とにかく、逃げてもムダってことだ。この世界に我々に居場所なんてないのさ。今は異世界人同士で、助け合って耐えるしかない」

「じゃ……死ぬまで奴隷ってことですか?」

「その呼び方は良くないな。以前はみんなそう言っていたが、私が『作業員』と呼ぶように進言したんだ、さっきのウストファさんにね。皆のモチベーションが下がるって。あの人は現場監督みたいなもんだ。で、試しに呼び方を変えたら、作業効率が上がったんだよ」

「現場監督が話を聞いてくれたんですか?」

「ああ。なんせここは長いからね。もう6年だ。最初の頃はヒドかったよ。食事なんか、鉄格子の隙間からパンを投げ込まれて、動物みたいにそれを拾って食べてた。トイレなんかも、まぁ深い穴が空いてるだけだが、扉もなくて見える所で用を足してたし。そんなだから病気にかかって動けなくなったり、作業中に脱走をはかったり――でも、そういう者はオークに殺された」

「オーク?」

 僕は驚いて聞き返した。

「ああ、すまない。実は採掘場にはそういう種族もいるんだ。ほとんど人間に近いけど、耳が尖ってて、コウモリみたいな鼻をしてる。あんまり知能は高くない。イノシシみたいなキバもある。最初は怖いと思うかもしれないけど、妙なことをしたり、話しかけたりしなければ大丈夫」


 オークを知らない訳じゃない。ゲームやファンタジー小説によく出てくる。

 この世界の種族が、元の世界でも知られてるということは、過去にこの世界から生還できた人がいたのかもしれない。


 リックさんは更に続けた。

「とにかく作業員の健康面やメンタルに気を配るように頼んだ。病気になったからといって使い捨ててたら、また新しい人材を増やさないといけないし、それにはお金もかかる。仕事もイチから教えなきゃならない。それじゃ効率が悪いってね」

「リックさんは、ここに来る前は何をしてたんですか?」

 そんな疑問が湧いてきた。

「私かい? 私は自営で宅配業をやってた。ネットで注文された商品を家まで配送する仕事さ。ある日、激務が続いてね。疲れて、運転に支障が出そうだったから、事故る前に河原に車を停めて少し眠ってたんだ。そしたら、なぜかここの森の中で目覚めた」

 リックさんは遠くを見るような目をした。


「ほら、見えてきた」

 リックさんの目線の先を見ると、大きな洞窟の入り口らしきものがあり、鉄格子がついている。

 しかし一番目を引くのは、その傍に立っている大男だ。

 上半身裸で、耳が尖っているのが分かる。

「オーク……」

 思わず声が漏れた。

「オークは、言葉は話せないが、こちらの言葉は理解できる。私は今から話しかけるけど、キミたちは絶対にダメだ。オークに話しかけるのは禁止」

「あ、はい」


 僕たちはオークに近づいていく。

 オークは、さっきからこちらを見ている。

 たしかにリックさんの言う通り、コウモリみたいな顔をしている。

 近づくにつれ、オークから耐えがたい悪臭が出ていることに気づいた。形容しがたい、なるべく避けるべき臭いだ。

 リックさんは平然とオークに近づく。

「新しい作業員を入れたい」

 オークは、いびきのような唸り声を出し頷いた。

 声からして、やっぱりコウモリよりブタの方が近い。

 僕の脚よりも太い腕で、腰のベルトからキーを外し、鉄格子の鍵穴に差し込んで、高さ4mほどの大きな扉を開けた。

 仮装かと思えるほど、人間と変わらない動作だ。

 開いた扉を通り抜け、洞窟に入った。



 中はかなり広い空洞になっており、薄暗く、左右には鉄格子があった。

 日差しがない分、外より寒い。

 鉄格子の中には、いくつか粗末なベッドが並んでるいるのが見える。

 後ろでオークが扉を閉め、カギを掛ける音がした。


「天然の洞窟を利用した収容施設だ。左右に3つずつ、全部で6房まであって、ひとつの房に16人分のベッドがあるよ。アヤト君は左の一番奥、第3房に入ってもらう」

 リックさんは対象の房を指さした。

「誰もいないんですか?」

「今は全員、現場で作業中だ。全部で71人いる。日が落ちる頃に帰ってくる。あと2時間くらいかな」

 リックさんはそう言いながら、僕の背中を軽く押し、第3房の前まで誘導した。

 扉のカンヌキをスライドさせると、簡単に開いた。

「カギ……かかってないんですね?」

「ああ。でも工夫がされていて、内側から開けようとしても、簡単には開かない仕組みになってるんだ」

 リックさんはそう言いながら、房の中へ入るよう僕に促した。

「そこの手前の2番目のベッドを使ってくれ。トイレは奥のドアだ。トラブル防止のため、指定されたベッド以外は使用禁止だ。他人のベッドに座るのもダメ。この房には、あと12人いる。とにかく喧嘩は厳禁。もし喧嘩したら、理由に関わらず処罰の対象になる」

「処罰って何ですか?」

「……殺される」リックさんは少し言いづらそうに答えた。

「あと、まぁあり得ないが、夜間は房の外にいるのもダメだ。いつもオークが見張ってる。繰り返しになるが、くれぐれも逃げようなんて考えないでほしい。この世界で、私たちに行き場なんてないんだからね。ここで力を合わせて乗り切ろう、な?」

 リックさんは懇願するような目をした。

 この目を拒否することはできなかった。

「わかりました」

「明日から鉱山で働いてもらうことになる。少しキツいかもしれないが、大丈夫。最初は私がついてるから。あと2時間ほどで、作業を終えたみんなが戻ってくる。キミのことは、みんなには伝えておくよ。じゃあ私は採掘場に戻る。ここで待っててくれ」

 そう言うと、重苦しい動きでカンヌキを掛け、もう一度僕の方を見た。

 何も言わなかったが、悲しみを含んだ《本当は、こんなことはしたくないんだよ》という表情に見えた。

 リックさんが視界から消え、出口でオークに声をかける声が聞こえた。


 鉄格子の開く音。

 そして閉じる音。

 カギの掛かる音。

 静寂――。


 僕は房に取り残された。


   *


 どのくらい経っただろうか。

 僕は指定された質素な汚いベッドに、何もせず座っていた。

 毛布も何もない。地べたで寝るよりマシというだけの小さなベッド。

 数えると、たしかに16個並んでいる。


 何か脱出する方法はないかと見回したが、そんな方法があれば、70人もいて誰も試してないのはおかしい。

 明日はおそらく過酷な労働が待っている。

 リックさんが『キツいかもしれない』と言っていたのを思うと、耐えられるか不安だ。



 遠くで人の声が聞こえた。

 扉が開錠された音、扉がキィと開く音が聞こえ、それに続いて、ぞろぞろと大勢の足音が聞こえ、こちらに近づいてきた。


 僕の鼓動が早くなった。

 座ったままでいいか、立っていた方がいいか、そんなことでも悩む。


 見知らぬ男の姿が見えた。

 少し俯いて、ぼんやりしており、僕に気づいているのか、いないのか分からない表情。

 その後ろから似た表情の、無精ヒゲの奴隷服を着た男たちが次々と姿を現した。

 全員無言。


 そのうちの1人がこちらの房に向かってきた。

 いや、他にも数人向かってくる。

 先頭の30歳前後に見える男が、不機嫌そうな顔で扉を開けて入ってきた。

 チラリとこちらを見たが、何も言わず、奥の自分のベッドに座った。

 他の者たちも同様。他の房に目をやると、やはり同様の光景が見てとれた。

「はぁ〜、だる」

 最初の30歳前後の男がひと言発した。

 しかし誰も反応しない。


 唯一、知った顔が最後に現れた。リックさんだ。

 リックさんは、全員が房に入ったことを確認してから、各房の扉を次々と閉めていった。

 この第3房には一番最後にやってきて、中に入ってきた。

 そして全員を見回しながら言った。

「さっき言ったアヤトくんだ。知っていると思うが、喧嘩や口論は厳禁だよ。からかったりするのもダメだ。自分が初めて来たときのことを思い出してくれ。いいね」

 まるで先生みたいな口調。

 しかし誰も返事をしない。

「じゃ、仲良くな」

 反応がないのは当たり前のことらしく、リックさんに気にする様子はない。

 房を出てカンヌキを掛け、入り口の近くにある壁掛け松明に火をつけ、オークに声を掛けて外に出ていった。



 松明の光はこの第3房には直接届かないが、真っ暗よりはマシな程度だ。

 周囲は特に会話などなく、ぐったり俯いている者や、ベッドに横になっている者がいた。


「ウィッス、ボクはアレックスだ」

 隣のベッドから小声で話しかけられた。

 振り向くと、よく見えないが、僕と同じ年くらいのヤツだった。

 みんな、うつろな顔をしているのに、この男だけはやや明るい表情をしている。

 自分も名乗ろうとしたが、別の方から声がした。

「おい、あんまり騒ぐなよ。ブタが来る」

 奥の不機嫌なアラサー男だ。恐らくこの房で最年長。

「分かってる。新入りに一言いうだけ」

 アレックスはそう言うと、僕の方に顔を近づけ、笑顔で言った。

「地獄へようこそ」


   *


 入り口の方から誰かの声が聞こえた。

 扉の開く音。

 その後、カシャカシャと金属が触れ合う音がした。

 入り口付近で何かが行われているようだ。

 鉄格子の近くまで行けば、なんとか見られるかも知れないが、他は誰も動かないし、自分一人で見にいく勇気がない。


 やがて鉄格子の外に男が現れた。

 同じ奴隷服を着ているが、房の中の者と比べるとあまり汚れていない。

 この房を覗きながら、右手の人差し指を出して、小さく「いち、に、さん、し……13」とボソボソ言っている。

 そのタイミングで、ベッドに座っていた数人が立ち上がり、房の隅に並び始める。

 数えていた男がパンらしきものと、お椀の乗ったトレイを運んできて、鉄格子の横長に空いた隙間から差し込んできた。

 すかさず列の先頭の男が受け取り、自分のベッドに戻った。

 再びトレイが差し込まれ、次の男も同様にした。

 列の人数が減ってくると、それを補充するように別の誰かが列に並ぶ。

 今は食事の時間のようだ。

 こうして列は消え去り、房の外の男が無表情で、最後のトレイを差し込んでいる姿がぽつんと残った。

 アレックスが手の甲で軽く僕の肩を叩き、トレイの方を指さした。

 やっぱり僕の食事だった。

 僕は慌てて立ち上がり、トレイを受け取りにいった。


 房の外の男が、なぜか小さく「あっ」と言った。

 古い知り合いに再会したような顔をしているが、特に覚えがない顔だった。年齢も僕より5歳ほど上に見え、知り合いである可能性は低い。

 僕に見覚えがあるのか?

 訊こうと思ったが、その前に素に戻り、踵を返して向かい側の房の人数を数えに行ってしまった。

 単なる人違いだったのだろう。

 彼の後ろに、大きな鍋の乗った木製の台車ようなものを引いた男と、更にもう1人が追従しており、計3人が配膳していた。



 この世界の初めての食事。

 フォークや箸などない。

 パン(らしきもの)を手に取ってかじってみた。

 硬く、パサパサして全然美味しくない。

 お椀を取って、スープ(らしきもの)をすすってみた。

 雑草を煮込んだらこんな感じかもしれない。形容しがたい変な味だ。痺れるような不快感が口の中に残り、気持ち悪くなってきた。

「オエッ」声が出てしまった。

 お椀をトレイに置いた。

 するとまたアレックスが声をかけてきた。

「我慢して飲んどいた方がいいよ。夜は喉が渇くから」

 それを聞いて、仕方なく僕はパサパサのパンを口に含み、それを流し込むように無理矢理スープを飲み込む。

 それを繰り返し、なんとかゴミのような食事を完食した。


 食べ終えた者から、トレイとお椀をそれぞれ分けて房の外側に積み上げていた。

「食事は毎日こんな感じだから、頑張って慣れてくしかないね」

 アレックスはそう言いながら、僕のお椀を拾いあげて、自分のお椀に重ねた。

 促されてトレイも渡すと、アレックスは自分のものと重ねて、僕の代わりに房の外に置いてきてくれた。


 最初は意地悪なヤツかと思ったが、案外いい奴なのかもしれない。

 さっきの『地獄へようこそ』も、普通なら意地悪な言い方だが、本当に地獄のような場所に来たのだから、ただの歓迎のあいさつだったと思える。



 食事が終わったら、ほとんどのみんなは横になった。

 ここの人たちはみんな無気力を絵に描いたような顔をしている。ただ感情を殺して働くだけのマシーンと化しているのだ。

 それを理解するのは簡単だ。

 キツい肉体労働、娯楽のない監禁生活。

 粗末な食事。

 無気力にならない方がムリな話だ。

 ここの生活に慣れたら、僕もこんな風になってしまうのだろうか。


 そう考えると、ただ1人、リックさんだけはそうではない。

 他人を気遣う余裕がある。

 その余裕はどこから生まれてくるのだろうか。


 《逃げようなんて考えないでほしい》

 ふと、リックさんの言葉がよぎった。

 逃げようと考えるだけで苦痛。なんとか逃げ出せたとしても絶望。

 多分、そういうことなんだろう。



「ジブン、スキル使わへんのか?」

 急に後ろから小声で話しかけられた。

「えっ」

 振り返ると、垂れ目で太い眉毛の男が喋っていた。

「スキル持ってるやろ?」

「そうなの?」

「あ、大きい声出したらアカンで」

「ごめん」

 すると、アレックスも話に入ってきた。

「え、なになに、この新人さん、スキル持ってるの?」

「ああ、自覚ないっぽいけどな」

 驚いた。

 僕がスキルを持っている?

 気づかなかった。

「あの、僕は、何のスキルが?」

「インパクトナックル。攻撃系や」

 太眉毛は僕の手首を取って、手の甲を見た。

「もし最初から気ぃついてたら、こんな所に来ずに済んだかもな。異世界人のスキル持ちは、俺以外で初めてやわ」

「その……、キミにもスキルが?」

「まぁな。俺はヒロキ。俺のは感知系や。人の持っているスキルが分かんねん。まぁそんだけや。せやからこんな所におる。加工場にいるウストファってオッサンな、あれは炎を操る魔導系や。あの人には喧嘩売らん方がええで」

 すると、アレックスが興奮気味で割り込んできた。

「なぁヒロキ、新人くんのインパクトなんたらってやつは、強いのか?」

「めっちゃ強い思うで。よっしゃほな、ケガせん程度にちょっと試してみよか」

 ヒロキは立ち上がり、僕にも立つよう促した。


 周囲は関心がないのか、もう寝入っているのか、誰も注目する様子がない。

 ただ一人、一番奥のアラサー男がゆっくり起き上がり、ベッドに座った姿勢でこちらを見ていた。

 騒ぐなと注意されるかと思ったが、何も言わなかった。


 僕とヒロキは向かい合わせで立った。

「ええか、まずは右手の拳に【気】を込めろ。全身の気を集中しろ。『これでええんかな?』なんて思うな。『これでええ!』と自信を持て。要は気持ちの問題や。ええか?」

 僕は右手を顔の前で握り、目を閉じた。

「ゆっくり呼吸しろ」

 拳に意識を集中する。

 ――何か変化が起きる様子がない……そもそも【気】なんて操ったことなどない。どうすれば気が込められる? よく解らない。

「集中や。ちゃんと自信を持て」

 そうだ、自信だ。

 自分を信じる。

 スーッと息を吐き、集中した。

 ――やがて拳が、ビリビリと電気を帯びたような感覚になってきた。

「おっ、せや、それや!」

 更にビリビリが強くなった。

「ええぞ。ほな、集中したまま、ゆーっくり目を開けろ」

 ゆっくり目を開けた。

 拳は、見た目には特に変化はない。

 だがまだビリビリは続いている。

「ほな、その拳を、俺の胸のここ、ここに打ち込め。ただし超スローで頼む。ゆっくりや」

 ヒロキはそう言って、心臓とは反対側の右胸の上の方を指した。

 僕は静かに頷き、右腕を一度後ろに引き、スロー映像のような速度で、静かに前に拳を突き出した。


 そして拳がヒロキの胸に触れた。

 そのとたん、ヒロキの身体は大きく後ろに吹き飛び、洞窟の壁に強く打ち付けられた!


 ――どかっ!


 ぶつかった大きな音が、洞窟に響いた。

「ヤバいぃ!」

 アレックスはそう言いながら、素早く鉄格子に向かい、出入り口の方を窺った。

 オークが扉を開ける音は聞こえない。

「よかったぁ。ブタ野郎には聞こえなかったみたい。アイツ来ると臭いからね」

 そう言いながら、自分のベッドに戻った。


 すると今度は、奥のアラサーがベッドを立ち上がった。

 大きな音を立てすぎてしまった。

 今度こそ、何か言われるかもしれない。


 しかしアラサーが向かったのは、壁際でうずくまっているヒロキの方だった。

「おい、ヒロキ、大丈夫か?」

「ロブさん、すいません。デカい音だしてもうて」

「そんなことはいい、ケガしてねーか?」


 ハッとした。

 僕にとって不本意な図だ。

 わざとではないにしても、僕のせいで痛い目に遭った人がいるのに、僕は何もせず棒立ち。

 そして他の人が介抱している。

 それどころか、僕は自分のことしか考えていない。何か言われるんじゃないかとビクついているだけ。


 こんなの英雄じゃない。

 僕はこの世界で生まれ変わると決めた。

 スキルもあった。

 あとは行動だ。


 僕はヒロキに駆け寄った。

「大丈夫?」

「ああ、気にせんでええ。俺が『やれ』言うたんやし。でも想像以上やったわ。ビックリやな」

 ヒロキは胸を押さえたまま微笑み、ゆっくり立ち上がった。

「ここ、どうかなってへん?」

 彼はそう言いながら服の裾をたくし上げ、僕が狙った胸のあたりを開いて見せた。

 彼の胸には、痛々しい楕円形のムラサキ色のアザができていた。

 これがインパクトナックルの衝撃!?

「アザになってるじゃねーか」

 アラサーのロブが目を丸くした。

「ホンマや。おいおい、ゆっくりでコレやぞ。全力で打ち込んだら……こりゃ死ぬで」

「威力、パネェな」

「ジブン、めっちゃええスキル持ってるやんけ」

 すると、アレックスがキラキラした顔で近づいてきて、僕の肩を軽く叩いた。

「すごいじゃん。だったらさ、ブタ野郎も一撃なんじゃない?」


 ロブも希望に満ちた顔で僕を見ている。

「よし決めたぞ。今日だ。今夜ここを脱出するぜ。そのチカラがあれば、必ずここを脱出できる。だから手を貸してくれ」

「え、今夜ですか?」

 急に突拍子もないことを提案されて戸惑った。

 だが冗談を言ってる顔じゃない。

 あたかも、最初から答えが「イエス」と決めてかかったような言い方だ。


 でも、ここを抜け出すとなると、命懸けなのは間違いない。

 そんな安易に決めることじゃない。

 戸惑いながら僕は答えた。

「いや、でも、まだ力の使い方がよく分からなくて。できれば、もっと練習したいんですけど……」

 ロブは少し思案して、口を開いた。

「……いや、その技はたしか、生きてるものにしか効かないはずだ。そのへんの壁に試しても何も起きねぇ。だから練習はムリだ。それとも、また誰かにケガさせる気か?」

「いや、それは……」

 練習できない?

 生体にしか効かないということは、僕のスキルは気功術かなんかに近い部類なのか。

 ネズミでもいれば試せたかもしれないが、そんなものはいない。


 ロブがイラつきはじめた。

「おい、ビビってんじゃねぇぞ、チキン野郎。オレはずっと待ってたんだ。あのブタを倒せるヤツをな。やっと現れたと思ったら、とんだチキン野郎だぜ」

 鬼の形相で顔を近づけてきた。

 こんな環境でなければ、おそらくもっと大声で怒鳴って、僕を殴っていただろう。


 ロブの耳たぶは2つに裂けている。多分、ピアスを耳から引きちぎられた跡だ。

 短気で暴力的。

 一番関わりたくないタイプだ。


 アレックスとヒロキは黙っているが、その表情から、ロブと同意見だと判る。

 一方、僕には味方がいない。

 リックさんはここにはいない。

 自分一人で決めるしかない。

 せめて考える時間が欲しい。

 いくらなんでも今夜というのは急すぎる。


「あの、でも来たばかりで……数日、いや2〜3日ぐらい欲しいです」

 絞り出すように今夜の逃亡を拒否した。

 しかしロブは、僕の言うことを予想していたのだろう、間髪入れずに反論してきた。

「あのなぁ、周りのヤツら見てみろよ。ヘトヘトになるまでコキ使われて、ぐったりしてんだろ。お前も明日にはコレだぞ。な? クタクタのヘロヘロだ。そんな状態で、さっきの技が出せんのか? 言っとくが、オレたちには休日も病欠も無ぇんだぞ」


 明日以降、スキルが発動できるか分からない?

 それを最初から見越しての『今夜』だったのか。

 ロブは意外に頭の回転が速い人なのかもしれない。

 そして行動力もあるのだろう。


 それに比べて、僕は行動力のカケラもない。

 何かを思っても、行動は明日にしようと先に延ばしにして、結局何もせずに終わる。

 そして悔やむ。

 そして忘れる。


 この世界で変わると決めたのに、変わってない。

 自分が情けない。

 すぐ決めなければ。

 そして行動に移す。


 またリックさんの言葉がよぎった。

 《逃げようなんて考えないでほしい》

 あれは懇願している目だった。

 僕がこんな風に悩むことを、リックさんもまた見越していたのだ。


 気づけば、《懇願》と《威圧》の間で揺れていた。

 ならば、悩む必要はない。

 威圧されて言うことを聞くのはザコだ。

 僕はザコじゃない。


 ――決めた。

 やはりリックさんを裏切らないことにしよう。


「やめときます」

 期待に胸を膨らませていた3人の顔が、一気に落胆に変わった。

「なんでだ?」ロブが食い下がる。

「その、逃げようと考えるなって言われたので」

「ああ、あのハゲな。あ、お前まさか、あのハゲが良い人だとか思ってんの?」

 ロブは鼻で笑った。

 あとの2人もニヤニヤと笑っている。

「えっ?」


「いや、お前、ガチのお花畑な。咲き乱れてんぞ。考えてみろよ。あのハゲ、ここにいねーだろ。じゃあどこにいる? オレたちはグッタリしてんのに、アイツだけハツラツとしてんのはなぜだ?」

「…………」

「その答えはな、あのハゲは、自分だけ快適な所に住んで、陰でいいモン食ってんだ」


 ワイングラスの置かれたテーブルに着き、ナイフとフォークを手に、ステーキ肉を頬張るリックさんの姿を想像した。


 でも僕が泣いてしまったときに、泣きやむまで優しく寄り添ってくれた。そんなに多く話さなかったけど、ずっと僕に優しかったように思う。

 それらすべて演技だったというのだろうか?


 ロブは更に続けた。

「つまりこういうこった。いいか。あのブタ、オークを雇うにはカネがかかる。つっても現金を渡してる訳じゃない。食いモンで雇ってるんだ。アイツらはよく食う。1体だけでも高くつく。そこで、あのハゲの出番だ。オレたちが一切逃げようとせず、大人しくしてたらどうだ? 見張り役のオークは少なくて済むだろ。それだけ経費が浮くってカラクリだ。あのハゲとヒゲはグルなんだよ。なんか契約でもしてるんだろう」

「じゃあ、この世界の人たちに、僕たちが嫌われてるって話……」

「言ってたな。『見分けがつく』って話だろ?」

「そうです」

「はんっ。そんなのデタラメに決まってんじゃねーか。そもそも、そんなこと、あのハゲがどうやって知ったってんだ? 分かるワケねーだろ」

 困惑する僕の顔を見て、ヒロキが口を開いた。

「気持ちは解んで。俺も最初ダマされたわ。めっちゃええ人や思てたし」


 冷静に考えてみると、たしかにおかしい。

 僕が、言う通りにここで大人しく働いたとして、リックさんに何のメリットがある?

 何もないとしたら、やっぱりダマされていたとしか考えられない。

 僕たちを大人しくさせることで、何らかの報酬を得ている。そう考えるのが自然に思える。



 今までぼんやりとしか見えていなかったものが、くっきり見えた気がした。

 僕はなんて愚かだったのだろう。


 情けない……。

 段々悔しさが込み上げてきた。

 こんな所で大人しくしてたまるか。

 チャンスがあれば、一泡吹かせてやりたい!

 これがおそらく、ロブさんや他の全員の気持ちなんだと悟った。


 そして今、僕というチャンスが訪れた。



「わかりました。今夜ここを出ましょう!」

 僕は真っ直ぐな目で答えた。

「よく言った。いい目になったじゃねーか」

 ロブさんの表情が穏やかになった。

 アレックスが、僕の肩をぽんと叩いた。

「頼りにしてるよ。救世主」


 しかしどういう訳か、他のメンバーは関心がないのか、相変わらず寝たままで、注目する気配がない。

 今夜、ここを出られるという話をしてるのに。

「どうしてみんな……」

 僕が周囲を見回していると、ロブさんが肩に手を乗せてきた。

「まぁコキ使われて、疲れ果ててんだ。そっとしといてやってくれ。1秒でも長く寝たいんだ。ここでの希望は、まぁ毒みてえなもんなのさ。それでも出口が開きゃ、多分、全員飛び起きるぜ」

 つまり希望は必ず裏切られる場所ということだ。

 そんな場所に何ヶ月も、何年も閉じ込められたらと想像すると、思考が停止するのは当然かもしれない。

「なるほど。ところで、ここからどうやって逃げるんですか? 何かプランが?」

「もちろんある。まず、房のカンヌキを外す必要があるが、それはオレに任せとけ。で、開いたら、お前1人が房を出る」

「つまり僕が1人でオークを倒すと」

「そうだ。出口のカギ開けたまま入ってくるだろうから、ブッ飛ばしてくれ。そこさえクリアできれば、あとは脱出するのみ」

「出たら、どこに向かうんですか?」

「ああ……、まぁ、せっかく逃げたのに、捕まったら意味ねーよな」

 するとアレックスが意気揚々と割り込んできた。

「それなら大丈夫」

 みんながアレックスに注目した。

「実はここから東に10kmか、15kmほど行った所にさ、王都があるんだよ」


 王都!

 立派な巨城を背景に、城下町の中心には噴水があり、周囲は人々や馬車が往来して賑わっている風景を想像した。

 しかしそういったところには、武装した兵士たちが警備しているのが定番だ。

「いやでも、そんな所、脱走した僕たちが行って大丈夫なの?」

「まぁ聞いて。んで去年、先代の国王が病気で亡くなってさ。まだ若い……16歳だったかな、若い姫様が継いで女王になったんだ。この女王様が優しい性格でね、載冠してすぐ、俺たち異世界人を差別することを禁じたんだ」

「え、じゃあどうして僕たち?」

「そう思うよね。実は、この町は辺境すぎて、お触れが行き届いてないんだ。古いやり方が残ってて、徹底されてない。つまりこの町でしていることは違法なんだ」

 ヒロキがぽんと手を叩いた。

「なるほどなぁ。ほな、首輪したまま、王都まで着いたらええんや」

「そういうこと。王都にさえ着けば、黙ってても衛兵に素性を訊かれると思う。それが狙い。道のりは長いかもだけど」


 何も難しいことはない。

 たどり着くだけでいい。

 そうすれば女王様に守ってもらえる。

 僕たちにも安住の場所があった!



 脱出後の目的地も確立し、あとは実行あるのみになった。

「房は、どうやって開けるんですか?」

 ロブに訊いた。

「ここな、内側から1人じゃムリだ。相棒が要る。以前、試しにやってみたんだ。見事に開いたぜ。でも閉めらんなくてな。翌朝、あのハゲが怒鳴ってたよ。『二度とやめろ』ってな。まぁオレだとは気づいてねぇけどな」

「もう1人は?」

「数ヶ月前に死んだ。具合が悪くなってな。でもオレたちは休ませてもらえないから、そのまま働くしかなかった。結局そいつ途中でブッ倒れて、怒った見張りのブタに横腹を蹴られて、ピクリとも動かなくなった。多分、内臓が破裂したんだろーな」

「俺、それ近くで見てたわ……」

 ヒロキがぽつりとつぶやいた。


 改めて実感した。

 僕たち異世界人は人間として扱われていない。

 この辺境の町では、不当な差別が行われてる。

 そのことを陛下に知らせなければいけない!


「で、どうやって開けるんですか?」

「やる気だな。言っとくが、開けたらもう後戻りできねーぞ」

 やる気満々の顔でロブが微笑んだ。

 僕は深く頷いてみせた。

「よっしゃ、そんじゃさっそく開けるぜ。一緒にやってくれ」

 そういって房の入り口まで歩きはじめた。

 僕も倣って、扉の側に立った。

 アレックスとヒロキを振り返ると、キラキラした顔でこちらを見守っている。

「いいか、この向こう側に小さなレバーがある。小指ほどもない小さいレバーだ。俺がカンヌキを動かす間、そのレバーを押し上げてくれ。少し重いぞ。カンヌキを一気に動かすとデカい音がするから、ゆっくり動かす。途中で一度でもレバーを離すと、元に戻して最初からやり直さなきゃならねぇ。だから絶対に離すな。やってみろ」

 僕が格子の間から手を入れようとすると、静止された。

「そっちからじゃダメだ。下から手を入れて押し上げろ。でないと、お前の腕がカンヌキに当たっちまう。あと、オレが動く邪魔になるから左手でやってくれ」

「はい」

 僕は地面に座り込む姿勢になり、格子の間から左手を伸ばした。

 指先に小さなレバーが当たった。

「ありました」

「押し上げてみろ」

 僕は指先に力を込めて、レバーを押し上げてみた。

 しかし固くて動かせない。

「手前のデッパリが絶妙に邪魔だよな。分かってる。だがなんとか頑張れ」

 指先に渾身の力を込めた。

 すると、どうにかレバーを動かすことができた。しかし下に戻ろうとするバネが強い。

 指先がすべったりしたら、すぐ下に戻されそうだ。

「うご……き……ました」

「よし、一度離していいぞ」

 そう言われて、急いで手を引っ込めた。

 攣りそうだった。

 生まれて一度も使ったことがないであろう筋肉を使い、腕の筋が痛い。

「じゃあ少し休んだら開けるぞ。30秒だ。カンヌキを静かに動かすには、それくらい要る。やれそうか?」

 できなくても、やるしかない。

「頑張ります」

「よし、お前の合図で俺がカンヌキを動かす。頼むから耐えてくれよ」


 腕の痛みが落ち着いた。

 軽くグーとパーで指を動かし、問題ないことを確認した。

 再び格子の外に左手を出し、レバーに指をかけた。

「……じゃ、いきます」

 指にグッと力を込め、レバーを押し上げた!


 コッ……コッ……とカンヌキが動く音が聞こえる。

 直接見ることはできないが、後ろから時々、筋トレをしているようなロブさんのうめき声が聞こえる。

 動かすのも大変なようだ。

 何秒たっただろうか。

 まだ5秒ぐらいか。

 コッ……コッコッ……。

 カンヌキの動く音。

 腕がプルプルする。

 まだか!?

 手が汗ばんできた。

 今一瞬、レバーに押し返された気がする。

 1ミリほど戻されたかもしれない。

 また上に押し返そうとしたが、動かない。

 大丈夫だろうか。

 戻されたのは錯覚だったのか。

 カンヌキはまだ動いている。

 手の感覚がなくなってきた。

 レバーに触れているのかも分からなくなった。

 早く、早く開いてくれ!


 カタッ。

 小さく金属のぶつかった音がした。

「よし、開いた」

 息を切らしながら、ロブさんが言った。

 すぐさま僕はレバーを離し、手の感覚を確認した。

 指も腕も肩も、全部痛い。

 しかしそれを上回る達成感があった。


「よくやったな。少し座って休め」

 ロブさんが僕に背中をぽんと叩いて、奥の自分のベッドに戻っていった。

 僕もベッドに座り、腕の痛みが落ち着くのを待った。

 アレックスが近づいてきた。

「すげーじゃん。多分あれ、ボクだったら30秒もやる自信ないよ」

「いや、僕も、もう一回やれって言われたら自信ない。最後の方は、ほとんど気力だけだったし」

 僕は苦笑いをして見せた。


 これはまだ第1段階。

 次は、あのオークを倒さなきゃいけない。

 今度は僕一人の仕事。

 腕の痛みも落ち着いてきた。

 そろそろ、この作戦の肝に取りかかろう。



 フーッと息を吐いてから、僕はゆっくりベッドから立ち上がった。

 振り向くと、ロブさんが静かに頷いた。

 僕も頷いて返した。

 いつの間にか、周囲で寝ていたはずの面々が次々と上体を起こし、僕に視線を送りはじめていた。

 その目は、先ほどまでとは正反対に、ギラギラと期待に溢れた目に変わっていた。


 深く深呼吸し、右手の拳を握った。

 みんなには見えないだろうが、僕の拳は、白い稲妻で包まれている。

「ブッ飛ばしてやれ」

 後ろからロブさんが小さく声をかけてきた。

 その声は、ここにいるみんなの声を代表したものだ。

 気づくと、向かいの房のみんなも、こちらの様子を窺っていた。

 全員の期待を全身に浴び、意を決して、僕は房の扉を開けた。



 ブォォンという低い音が鳴った。

 出口に目をやったが、松明の火が揺れているだけで、オークが動く気配はない。本当にいるのか?

「念のため、カンヌキかけといて」

 後ろからヒロキが言った。

 僕は黙って頷き、扉を閉めカンヌキをかけた。

 キィー、カチャン!

 あんなに苦労したカンヌキが、外側からは簡単に動いた。

 もう静かに動かす必要はない。気づくなら勝手に気づいて来ればいい。


 扉を閉めたことで、房の中のみんなから隔離されたような図になり、ふと強い孤独感を感じた。

 でも負けてはいけない!

 僕の気力が、このミッションの成否カギだ。


 出口からカチャカチャとカギを開ける音がする。

 カンヌキの音が聞こえたのだろう。

 ――来る!


 僕は少し広い場所に移動した。

 出口の大きな扉が開き、遂にオークが入ってきた!


 両ヒザが、僕の意に反してガクガク震えたが、僕は構わず、ボクサーのようなファイティングポーズをとり、拳に【気】を送った。

 脚の震えは止まらない。しかし拳の稲妻は最高潮だ。

 強気こそが最大の武器だ。

 怯んだら負けだ! 絶対に怯んではいけない。


 大勢が見守る中、1対1の決闘。

 コロシアムの剣闘士は、こんな気持ちなのだろう。


 荒い呼吸音を発しながら、オークが怒りの表情でノシノシと近づいてきた!


 全員の想いを、この一撃に賭ける!

「うぉぉぉ!」

 少し助走をつけ、オークの胸元に右手の拳を打ち込んだ!

 全力の一撃だ!

「インパクトぉぉ!」



 しかし僕の拳は、あっけなくオークの脂肪に弾き返された。

 ――不発!?


 今度はオークが両手で、僕の頭を包み込むように掴んできた。そして両ヒジを左右に張り、僕の頭を左右から強く圧迫してくる。

 歯を食いしばって抵抗した。だがオークの両手は容赦なく締め付けてくる。

 すごいパワーだ!

 このままでは、頭を潰されてしまう!

 何か手はないか!?


 やはり僕の武器はコレしかない!

 起死回生を賭けて、両手の拳に急いで気を込めた。

 なぜさっきは不発だったのか……。だが、もうそんなことを考えているヒマはない!


 オークの腕をめがけ、左右の拳で下から突き上げるように、渾身の一撃を打ち込んだ!

「インパクトぉ!」


 ――ゴキッ!


 耳の側のどこかの骨が砕けた。

 ゴキゴキッ。

 左右からの圧力に、頭蓋骨がどんどん砕けてゆく。




 ――不思議と、もう何も感じなくなった。

 あらゆる物事が俯瞰で見えた。


 どうしてこうなった?

 単純な話だった。

 僕がモブだからだ。



 大勢が、誰か1人に罵声を浴びせているとする。

 すると僕は、大して事情も理解しないまま、大勢のグループに入り一緒になって罵声を浴びせる。


 大勢に紛れていれば安全。

 全国には不登校の生徒が大勢いる。ニートなんて大勢いる。

 だから大丈夫。

 そんな風に考える人間だ。


 語気の荒い者、または集団の意見に瞬時に同調し、あたかも最初から自分も意見が同じだったかのように振る舞った。

 何かに挑戦する者を無知と嘲笑い、自分は誰かの敷いたレールの上しか進まない。



 そんな人間が、どうして英雄になれようか。

 真実を追い求めることもせず、ただ他人に流されているだけの存在。

 それはモブ以外の何者でもない。


 だがモブであること自体は悪いことではない。

 僕のミスは、モブでも能力さえあれば、いつか英雄になれると思っていたこと。

 モブである以上、そんな能力に目覚めるはずはないし、もし目覚めたとしても間違った使い方しかできない。



 耐えもせず、考えもせず、何かに立ち向かうこともないのであれば、英雄になろうなんて考えないことだ。

 そうすれば、長く生きられるだろう。

 モブとして。

 奴隷として。



   *



 今日来たばかりのアホな新入りが、オークに頭を潰された。

 頭を潰された新入りの身体は、目玉が飛び出し、縦に潰れた顔をこちらに向け、だらしなく舌を垂らし、房の外の床に横たわっていた。


 オークは6つのすべての房のカンヌキをチェックし、すべて閉じられていることを確認すると、新入りの脚を掴み、引きずって出ていった。



「うは、グロぉ〜」

 オークが出ていくと、アレックスがおどけて、ムンクの『叫び』を真似たポーズをした。

「アホ面がイケメンになってたじゃねーか」

 ロブが笑う。

「うん、イケてたイケてた」

「あ、でも途中危なかったぜ。まさか脱出したあとの目的地を訊かれるとは。アレックス、マジ助かった」

「あー、あれね。なんか困ってると思ってさ。それよりヒロキもかなりの功労者じゃない? 昨日ケガした場所使ってさ」

「これな。ここめっちゃ痛いねん。ちょっと触っただけでも、フッ飛びそうやわ」

「実際に跳んでたし」

「めっちゃ後頭部打った。マジ痛かってんで。アイツ『ダイジョウブゥ〜?』とか言うとったな」

「演技かと思ったら、半分本当だったんだ」

「あ、それより、あの王都の話、どこまでホンマなん?」

「え、全部ウソだけど?」

「全部? ほな即興か。やるやん」

「ボクが知ってるワケないじゃん。それよりさ、その女王様の話のとき、アイツの顔見た?」

「見た見た。めっちゃ鼻の穴膨らんどったな。キッショイ顔なってたわ」

「そうそう。アホ丸出しの顔」

「思うんやけど、アイツの背中押したん、その女王様ちゃうかな?」

「あ、そうかもね。あり得る。アホだから本当に会えるとか思ってたのかな。そんじゃMVPは女王様ってことで」

「そういや、あのアホの名前なんやったっけ? ロブ、覚えてる?」

「んー? いや知らね」

「一回、聞いた気ぃすんねんけどな。何やったかなぁ」

「それ、別にどーでもよくねーか?」

 すると、アレックスが自信満々で言った。

「覚えてるよ、『インパクトナックル』でしょ」

「なんでやねん」


   *


 収容場所から100mほど離れた場所に、ポツンと小さな一軒家が佇んでいる。

 近くには井戸があり、リックが手を洗っている。

 先ほどまで町に行っており、小麦粉などの入った重い袋を運び、持ち帰ったところだ。

 濡れた手を服で拭きながら、星空を見上げ、本日の業務がすべて無事に終わったことを味わった。


 家の中は、半分が厨房のようになっており、もう半分は収容施設にあるベッドと同じものが4つ並んでいるだけの寝室だ。

 豪華などとは程遠い。

 今はベッドに2人が眠っている。


 リックが入ると、糧食担当の3人のうち1人だけが起きていて、小麦粉を丸めている。

「あれカズヤくん、まだ起きてたのかい?」

「リックさん、おかえりなさい。ちょっと今日はトラブってしまって、明日の仕込みが遅れてしまって。朝早いから、2人には先に寝てもらいました」

「それはキミもだろ。どれ、私も手伝うよ」

「食料の運搬でお疲れなのに、すみません。実は、早く伝えておきたいことがあって、どのみち起きてるつもりでした」

「仕込みは、あといくつ?」

「あと14個です」

「よし、とっとと片づけよう」


 2人で小麦粉を丸めはじめた。

「で、伝えておきたいことって?」

「ああ、今日新しい作業員が増えましたよね」

「ああ、アヤトくんだね。みんなとうまくやってくれるといいけどな。ちょっと気弱そうで心配だ」

「彼、魔力持ちですよ。しかも自分より断然上です」

「え、アヤトくんが、そうなの?」

「ええ。かなり高い能力を秘めてます。彼に呪文を教えたら、多分最強でしょうね」

「それは朗報だ。だから早く伝えたかったのか」

「そうです。例の計画、そろそろ実行してもいいんじゃないですか?」

「うん。オークの集落を抜けるには、カズヤくん1人じゃキビしいと思ってたからね。アヤトくんが加わってくれたら百人力だ」

「じゃあ近々?」

「ああ。まずアヤトくんには、この糧食担当に入ってもらって様子を見よう。明日、彼に言ってみるよ」

「リックさんが町から持ち帰った魔導書もありますからね。きっとうまくいきます」

「でも慎重に行きたい。長い時間をかけた計画だ。絶対に失敗したくない。もし万一のときには、私がオトリになる。その隙にみんなは逃げてくれ」

「そんな、ダメですよ! 一番の功労者なのに。リックさんは、絶対に生き延びてくださいね。お子さんが待ってるんでしょ。オレが命懸けで守ります」

「ありがとう。その気持ちだけで充分だ。まぁ私もそうそう簡単に倒れるつもりはないよ。絶対にポータルにたどり着いて、こんな世界は抜け出そう。元の世界に帰るんだ、全員でね」

どうでしたか?

アヤトくんは異世界に行かなくても、小説を書き上げることは多分できなかったでしょうね。

あなたの価値観は、本当にあなたのものでしょうか?

もし誰かに乗っかってるだけなら、それは他人の価値観ですよね。

最後まで読んで頂いて、心から感謝します。

本当にありがとうございます。


正直に言います。

実は異世界モノの小説は全然読んだことないです。


『牟狗正道』と書いて、ウンコと読みます。

全然関係ないですが、ゲーム実況やってたりします。

『ムークのゲーム実況』

ウンコみたいなyoutubeチャンネルです。

よろしくお願いします。

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