貴族学園の学園祭で落語を披露したら、生徒会長の公爵令息から「おもしれー女」と言われた!?
「ねえねえハンナ、ハンナは学園祭の出し物、何やるの?」
「え、えっと、私は演劇部の仲間と一緒に創作劇をやる予定」
「あ、そっか、ハンナは演劇部だもんね」
貴族学園のとある昼休み。
今日も私は親友のハンナと二人、食堂でランチを取っていた。
うちの学園祭は三部制になっており、まず第一部は私たち一年生が全校生徒の前で各々出し物をし、第二部はその二週間後、二年生が出し物をする。
そして大トリの第三部として更にその二週間後、三年生が出し物をするという構成になっているのだ。
「エルゼは何をやるの?」
「へっへーん、私は落語をやるんだ!」
「落語? 落語って何?」
「東方にある倭国の文化でね、まあ所謂一人芝居みたいなものだよ。ただ、基本的に演者はその場で座ったまま移動はせずに、話術だけでお客さんを笑わせるの」
「えー、それって凄く難しそう!?」
「うん、実際難しいけどね、でもメッチャ面白いよ! 実は私の父方のお爺ちゃんが倭国の落語家だったんだ。そんで私も小さい頃からお爺ちゃんに落語を仕込まれてて。いい機会だから、披露してみようと思ってさ」
「へー、そうなんだー。楽しみにしてるね!」
「うん、ありがと!」
「さあさあディルク様、お席を取っておりますので、どうぞこちらへ!」
「ご苦労」
「「――!」」
その時だった。
食堂へやたら声のデカい男性集団が入って来た。
その中心にいるのは、名門ライヒシュタイン公爵家の嫡男であり、我が学園の生徒会長でもある、ディルク様だった。
その威風堂々とした佇まいは、ただ歩いているだけで、周りにただならぬプレッシャーを与えている。
流石陰で『魔王』と呼ばれているだけはあるわ。
「ん? オイ、そこのお前ら」
「「っ!?」」
魔王様が私たちの目の前にズカズカ歩いて来た。
えっ、なになにッ!?
魔王様は背も高いので、仏頂面で見下ろされると、威圧感がパない。
「わ、わわわわわ私たちに何か御用でしょうかッ!?」
可哀想にハンナは、プルプル震えながら涙目になっている。
「確かお前たち二人は一年生だったな?」
「そ、そそそそそそうでございますですッ!」
緊張のあまりハンナの敬語がおかしくなってるわ。
……でも、まさか魔王様が私たち下級貴族の一年生の顔を把握しているとはね。
生徒たちの顔を覚えておくことも、生徒会長としての務めの一つってことなのかしら?
「フッ、つまり学園祭では、お前たちの出し物が見れるということだな」
魔王様は不敵にニヤリと口角を上げる。
それがあまりにも不気味で、私は背筋がぞわっとした。
「そ、そそそそそそういうこともございますかもしれませんですねハイッ!」
そろそろ勘弁してあげてくれませんか魔王様?
ハンナが限界です。
「フッ、精々俺を楽しませろよ」
そう言うなり私たちに背を向けて、取り巻きたちと共に魔王様は食堂の奥へと消えて行った。
何だったのよ今のは……。
「ハァ~、緊張したぁ~」
ハンナはしなびたスライムみたいにへにゃへにゃになっている。
「大丈夫、ハンナ?」
「大丈夫なわけないじゃない! だってあのディルク様に話し掛けられちゃったんだよ!? どうしてエルゼはそんな平気な顔してるの!?」
「え?」
どうしてって……。
「あー、でもやっぱ近くで見たらディルク様とっても素敵だったー!」
「んん??」
ハンナは両手を頬に当てて、舞い上がっている。
「え? ハンナってああいうのがタイプだったの?」
「いやいやいや、私ごときがディルク様をタイプとか、おこがましいよ! ……でも実際ディルク様ファンの令嬢は多いみたいだよ。何せ名門の跡取りでカリスマ性もあって、その上あんなにイケメンなんだもん。憧れないほうが不思議でしょ。何故か未だに婚約者もいらっしゃらないらしいし、ワンチャン狙ってる令嬢もたくさんいると思うよ」
「ふーん、そんなもんかなぁ。正直私はあの手の俺様気質な男はいけ好かないけど」
「ふふ、そんなこと言って。そういうエルゼも、そのうちディルク様にキャーキャー言うようになるかもよ?」
「いやいや、ないない」
あるわけないじゃん、そんなの。
「あううう~、凄く緊張したよ~エルゼ~!」
「お疲れ様ハンナ! メッチャよかったよ!」
そして迎えた学園祭当日。
私は体育館の舞台袖で、今しがた演技を終えたハンナを出迎えた。
ハンナは主人公の親友役だったのだが、開始早々台詞を噛んでしまい、どうなることかと肝を冷やしたが、その後は特に目立ったミスもなく、見事最後まで役を演じ切っていた。
まだ一年生だということを加味したら、十分合格点だったと言っていいだろう。
「……でも、ディルク様は終始つまらなそうだった」
「……あー」
チラリと客席を伺うと、最前列のド真ん中の席でふんぞり返っている魔王様は、拳で頬杖をついていつもの仏頂面を浮かべていた。
「ま、まあ、ハンナたちの劇は令嬢たちの間で流行ってる婚約破棄モノだったし、男子生徒にはあまり面白さが伝わらなかっただけだよ!」
「うん、ありがとエルゼ。エルゼは頑張って、私の分もディルク様を楽しませてね! ところでエルゼの今日の格好、とっても可愛いね!」
「えへへ、サンキュ! これは落語をやる時の伝統衣装で、着物っていうんだ」
私は両手を広げて、全身をハンナに見せた。
この着物は、今日のためにお爺ちゃんの地元から取り寄せた特別製だ。
「続いての演目は、エルゼ・ハッテンベルガーさんによる、『落語』です」
「あっ、私の番だ。じゃあちょっくら行ってくるわ!」
「うん、ファイト、エルゼ!」
二重の意味でハンナに背中を押され、私は舞台に躍り出た。
その瞬間、全校生徒の視線が私に集まるのを感じた。
フフ、お爺ちゃんの前では数え切れないほど演じてきたけど、これだけ大勢の前で演るのは初めてね。
緊張で全身が粟立つ。
でもこの緊張感さえ、今は心地いい。
さあ、見せてやるわよ、私の落語家としての初舞台を!
私は舞台中央に敷かれている座布団(これもお爺ちゃんの地元から取り寄せた)に正座し、一度深く頭を下げた。
そしておもむろに頭を上げると、まず最初にディルク様の仏頂面が目に飛び込んできた。
ふん、絶対その仏頂面が滅茶苦茶になるくらい笑わせてやるから、覚悟しなさいよ!
「貴族令嬢というのは、今も昔もとかくお茶会というのが好きな生き物でございます。今日も公爵令嬢クリスティーンの家では、取り巻きたちを交じえて盛大なお茶会が開かれておりました」
『うふふ、みなさん、本日もわたくしのお茶会にお越しいただき、ありがたく存じますわ』
『いえいえクリスティーン様ぁ! こちらこそお招きいただき、恐悦至極に存じますぅ! 今日のクリスティーン様の縦ロールもとっても素敵ッ! いつもより二回転半も多めに巻かれてるじゃありませんかぁ!』
『何故縦ロールの回転数を把握されてるんですの!? ちょっと怖いですわよあなた!?』
途端、客席中からブフッという吹き出す音が響いた。
よし、掴みはまずまずね。
チラリとディルク様の顔を伺うと、驚いたように大きく目を見開いていた。
お、おや?
何そのリアクション?
ま、まあいいか、今は演技に集中集中!
『いやいやそんなぁ、クリスティーン様に怖いものなんてあるわけがございませんわぁ!』
『いや、わたくしにだって怖いものの一つや二つございますわよ?』
『まぁ! 例えばどんな?』
『……カーテンの隙間とか』
『かっわいい~!! ギャップ萌えッ!! クリスティーン様はギャップ萌え公爵令嬢ですわぁ!!』
『何ですのその区分けは!?』
客席からの笑いが、ドッともう一段階大きいものに変わった。
よし、まだまだいくわよ!
『そ、そういうあなたは、怖いものはございませんの?』
『……はい、最近は鏡を見るたび小皺が増えているのが怖くて怖くて』
『何歳ですのあなたは!? あー、ニコルさん、さっきからずっと無言ですけど、あなたの怖いものは何ですの?』
『え? 私ですか? うーん、特に怖いものはないですね』
『いやいや、そんなことはないでしょう』
『そうよ! ギャップ萌え公爵令嬢のクリスティーン様が訊いてるんですから、正直に答えなさい!』
『それはもういいですわ!』
『うーん、そうですねぇ。――あっ、そういえば、一つだけ怖いものがありました』
『ほう? 何ですのそれは?』
『……実は、タルトが怖くて』
『タルト? タルトってあの、ケーキのタルトですか?』
『はい、そのタルトです。あぁー、タルトという名前を聞いてるだけで怖くなってきた! 申し訳ありませんが、私はお部屋で休ませていただきます!』
『えっ!? ニコルさん!? ちょっと! ……行ってしまいましたわ』
『でもぉ、タルトが怖いなんて、ホントニコルさんは変わってますねぇ』
『そうですわね。……フフ、実は今日のお茶請けは、ちょうどタルトを用意してたんです。試しにそれを、ニコルさんが寝てる部屋に置いてみましょうか』
『まあ、クリスティーン様は小悪魔系公爵令嬢ですわぁ!』
『だまらっしゃい!』
私はジェスチャーだけで、タルトをニコルが寝ている部屋にそっと置く動作を表現する。
『さあこれでどうなることやら』
『ん? この匂いは……。あっ、な、何故こんなところにタルトが!?』
『ウフフ、気付いたみたいですわね』
『ひぃぃ~、タルト怖い! タルト怖いわぁ! 見てると怖くなっちゃうから、食べてなくしちゃえ! モグモグモグ』
『あれ!? ニコルさん、タルト食べちゃってませんか!?』
この辺からオチが予想できた観客たちから、沸々と笑いの波が湧き上がってくるのを感じた。
『あー、こっちはシャインマスカットのタルトじゃないですか! 最近ホント高いんですよねシャインマスカット! これも怖いから食べちゃえ。モグモグモグ』
『だ、騙された~! わたくしたち完全にハメられたんですわ! ちょっとニコルさん! よくも噓をつきましたわね! あなたが本当に怖いものは何か、正直に答えなさい!』
『はい、ここらで一つ、熱~い紅茶が怖い』
「おあとがよろしいようで」
私が深く頭を下げると、客席中から割れんばかりの笑い声と共に、万雷の拍手が鳴り響いた。
よし、私の落語は、みんなの前でも通用する!
「アッハッハッ!!! アーッハッハッハッハッハッハッ!!!!」
んん??
この笑い声は……!
ふと顔を上げると、目の前で魔王様が、腹を抱えながら大口を開けて大爆笑していた。
え、えぇ……、この人、こんな笑い方もできたんだ……。
「エルゼー、すっごく面白かったよー!」
「えへへ、ありがとハンナ」
舞台袖に戻ると、感極まったハンナからギュッと抱きつかれた。
緊張から解放された安心感とやりきった達成感がないまぜになって、思わず目が潤む。
「オイ、そこのお前」
「「――!!」」
その時だった。
いつの間にか私たちのすぐ横に、魔王様が仏頂面で突っ立っていた。
な、なんで魔王様がここに!?
私に抱きついていたハンナは慌てて離れ、また「ひええええええ」とブルブル震えている。
「わ、私に何か御用でしょうか?」
「フッ、なかなかおもしれー女だな、お前は」
「っ!?」
口角を上げてニヒルに微笑む魔王様に、思わずドキリとする。
な、何言い出すのよこの人ッ!?
「……エルゼ・ハッテンベルガー、折り入ってお前に頼みがある」
「……は?」
急に畏まった態度になった魔王様に、無数の疑問符が浮かぶ。
私に、頼み???
「――俺に、落語を教えてくれ!」
「――!!」
魔王様は私に、深く頭を下げた。
えーーー!?!?!?
「あのー、魔王……じゃなかったディルク様、さっきのはいったいどういうことだったのでしょうか?」
流石に人前じゃあれだったので、魔王様と二人で、誰もいない体育館裏に来た。
「……俺の今までの人生は、ずっと敷かれたレールの上をただ歩くだけのものだった」
「……ハァ」
唐突な自分語りが始まったぞオイ。
「お前も知っての通り、俺の父はこの国でもトップクラスの権力を持つ、ライヒシュタイン公爵家の当主。俺はこの世に生まれた時から、父の後を継ぐことを絶対的な義務とされ、ありとあらゆる教育を施されてきた。……正直人生が楽しいと思ったことなど、一度もなかったよ」
「……」
魔王様は眉間に皺を寄せながら、天を仰いだ。
なるほどねぇ、だからいつもつまらなそうな顔ばかりしていたのか。
名門貴族のお坊ちゃまというのも、それはそれで大変なのね。
「だが、さっきお前の落語を見て、生まれて初めて心の底から笑えたんだ! こんなに楽しいものがこの世にあるなんて知らなかった! 四週間後の俺たち三年生の学園祭で、俺もどうしても落語をやってみたくなった! だから頼むエルゼ・ハッテンベルガー! ――どうか俺に、落語を教えてくれ」
「っ!?」
魔王様は右手を私の顔のすぐ横に突き、所謂壁ドンの体勢になった。
オォォイ、それが人にものを頼む態度か!?
こ、これだから俺様系は……!
……でも、思ってたよりはなかなかおもしれー男じゃない、この人。
「じ、事情は何となくわかりました」
「そ、そうか、じゃあ!」
「ええ、お引き受けしましょう。――その代わり、芸の道は決して生易しいものではありませんよ。やるからにはディルク様でも忖度なしで、ビシバシ厳しくいきますから、そのおつもりで」
「ああ、望むところだ、エルゼ・ハッテンベルガー」
どうでもいいですけど、ディルク様って女のことをフルネームで呼ぶ系男子なんですね。
あと、いい加減そろそろ壁ドンの体勢から解放してもらえませんかね?
「では、今日から早速稽古をつけていきます」
「よ、よろしく頼む」
あれから数日。
放課後の空き教室で、私とディルク様は二人だけで向き合っていた。
まさかあの魔王様が、私の弟子になるとはね……。
数日前の私に言っても、絶対信じないだろうな。
「まずはこの座布団の上で正座してください」
「正座か……、足が痺れるから、あまり得意じゃないんだがな」
「まあ、我が国ではあまり正座は一般的じゃありませんもんね。でも落語では正座が基本姿勢です。大丈夫、毎日正座してれば段々慣れますから、頑張りましょう!」
「あ、ああ」
渋々ながらも、座布団に正座するディルク様。
うん、背筋もピンと伸びてるし、姿勢は綺麗ね。
流石名門のお坊ちゃま。
「因みに私がお渡しした台本は、どの程度覚えてきましたか?」
先日私が演った『タルト怖い』を、男性向けに手直しした台本をディルク様にあらかじめ渡していた。
「ああ、あれなら全部暗記してきたぞ」
「マジですか!?」
「当然だろう?」とでも言いたげな、涼しい顔をするディルク様。
ハァ、これだから秀才は……。
「そういうことなら話は早いですね。まずは我流でいいので、最初から最後まで通しで演じてみてください」
「あ、ああ、わかった」
さて、お手並み拝見といきますか。
私もディルク様の目の前で正座する。
「え、えー、男というのは、今も昔もとかく飲み会というのが好きな生き物でございます。えー、今日も公爵令息フリードリヒの家では、えー、仲のいい貴族令息たちが集まって、盛大な飲み会が開かれておりました」
『オ、オウオウ皆の衆、きょ、今日はオイラのために、よく集まってくれたな』
『あー、何を仰いやすかフリードリヒ様。アッシらとフリードリヒ様の仲じゃねーですか。あー、フリードリヒ様のためとありゃあ、あー、たとえお袋が危篤状態だったとしても、うん、取るものも取り敢えず駆けつけやすよ』
『い、いや、そこは流石にお袋さんを優先してやれよ! オ、オメェの忠義が、逆に怖ぇよ!』
ふむ。
「はいそこまで。一旦止めましょう」
「っ! ……どこか悪かったか」
「そうですね。まあ初めてなのでしょうがないんですけど、まず台詞のところどころで『えー』とか『あー』とか間が多いのが気になりました。多分台詞を思い出しながら言ってるから、そうなってるんだと思います」
「ああ、それは確かにあるかもしれんな……」
「あと何よりマズいのは、やはり照れが見え隠れしているところですね。どうしてもまだ役に入り切れていないです」
「う、うん……、そうか……」
ディルク様は露骨にシュンとしてしまった。
まるで雨に濡れた大型犬みたいだ。
ちょっとだけ可愛い……。
「あ、でも、台本を全部暗記してきたっていうのは本当みたいですね! そこは凄いと思います! 普通初心者は台本を覚えるだけでも、一苦労するものですから」
「そ、そうか!」
一転、今度はパァッと光が射したような顔になった。
まるでご主人様にお手を褒められた大型犬みたいだ。
ひょっとしてこの人、ギャップ萌え公爵令息なのでは?
「さっき私がダメ出しした部分は、とにかく繰り返し何度も稽古していくことで慣れさせていくしかありません。今日は時間の許す限り、ひたすら通し稽古をしていきましょう」
「わかった! よろしく頼む、エルゼ・ハッテンベルガー!」
こうして私とディルク様の、二人きりの稽古の日々が幕を開けた。
秀才なだけあって、稽古を重ねるごとに台詞のつかえは徐々に減っていったものの、本番一週間前になっても、どうしても役に入り切れていないという点だけは克服できずにいた。
「ストップストップッ! また表情が固くなってましたよ! そこは陽気に言わないと笑えないところですから、もっと役になり切ってください!」
「うっ……、すまん、エルゼ・ハッテンベルガー……。クソッ、なんて俺はダメなやつなんだ……!」
ディルク様は頭を抱えながら、俯いてしまった。
うーん、普段はあんなに偉そうにしてるのに、意外とメンタルスライムなのよねこの人。
……いや、むしろこっちが本来のディルク様なのかもしれない。
劣等感にまみれた心の弱さを隠すために、必死で俺様系という役を演じていたのかも……。
――そうか!
「それですよディルク様!」
「は? 何がだ?」
「ぶっちゃけディルク様は、普段は俺様系というキャラを演じてるんですよね?」
「なっ!? そそそそそ、そんなことはないぞッ!」
「いや、師匠の前では変な見栄は張らなくていいですから。でも、だからこそディルク様は、実は『演じる』というのが人一倍得意なはずなんです!」
「――!」
途端、天啓を得たような顔になるディルク様。
ふふふ、私の言いたいことがわかったみたいですね。
「なので落語の時も、普段通り役を演じればいいんです。その役が、俺様系から太鼓持ちやツッコミ役に変わるだけ。――後はディルク様の覚悟次第です。私に見せてください、ディルク様の覚悟を」
「……エルゼ・ハッテンベルガー」
この瞬間、私はディルク様のエメラルドの瞳に、確かな覚悟の炎が宿るのを見た。
「おおー、やっぱディルク様着物似合いますねー! ホントスタイルいいと得ですねー」
「そ、そんなに似合ってるか?」
そして迎えた本番当日。
私は体育館の舞台袖で、着物に身を包んだディルク様に見蕩れていた。
「すまなかったなエルゼ・ハッテンベルガー。これ、お爺さんの地元からわざわざ取り寄せてくれたんだろ? 倭国の男性は平均身長も低いらしいから、俺に合うサイズを探すのも苦労したんじゃないか?」
「あはは、まあまあ堅苦しいことは言いっこなしですよ。私はディルク様の師匠なんですから、弟子の晴れ舞台へのお祝いに、これくらいは贈らせてください」
「フフッ、本当にありがとな、エルゼ」
「っ!?」
ディルク様が太陽みたいな笑顔を向けてきた。
し、しかも今、私のこと初めて『エルゼ』って呼んだよね!?
あわわわわわ……!
心臓が自分のものじゃないみたいにバクバクいってる……!
わ、私はディルク様みたいな、俺様系はタイプじゃなかったはずなのに……!
……いや、そういえばディルク様の俺様系は、あくまでキャラ作りなんだった。
だったら私の中でディルク様は別に、ナシじゃないってこと……?
いやいやいやいやいやいや!?!?
だからなんでそんな発想になるのよ、私ッ!!
「……あ」
「え?」
その時だった。
客席の後方に視線を向けたディルク様が、目を見開いた。
ディルク様?
私もつられて視線を追うと、いかにもお偉いさんのオーラを全身から醸し出した、長身で仏頂面のイケオジが、ちょうど保護者席に座るところだった。
しかもそのイケオジは、顔がディルク様そっくり。
まさかあのお方は――!?
「……父さん、なんで。今日は仕事で忙しいって言ってたのに」
うわ~、何このシチュエーション~!
エモ~!
「これはお父様に、最高の演技をお見せするしかありませんね!」
「……ああ、そうだな」
ディルク様は涙を堪えるように、眉間に皺をグッと寄せた。
ふふふ、可愛いなあ。
「続いての演目は、ディルク・ライヒシュタインさんによる、『落語』です」
「さあ、いってこい、弟子よ!」
「はい、いってきます、師匠!」
私は二重の意味で、愛弟子の背中を押した。
愛弟子は稽古初日のたどたどしさが噓みたいな、凛とした佇まいで舞台に躍り出て行った。
中央の座布団の上で優雅に正座した愛弟子は、深く頭を下げてから、おもむろに顔を上げる。
「男というのは、今も昔もとかく飲み会というのが好きな生き物でございます。今日も公爵令息フリードリヒの家では、仲のいい貴族令息たちが集まって、盛大な飲み会が開かれておりました」
『オウオウ皆の衆、今日はオイラのために、よく集まってくれたな!』
『何を仰いやすかフリードリヒ様! アッシらとフリードリヒ様の仲じゃねーでやすか! フリードリヒ様のためとありゃあ、たとえお袋が危篤状態だったとしても、取るものも取り敢えず駆けつけやすよ!』
『いやそこは流石にお袋さんを優先してやれよッ! オメェの忠義が逆に怖ぇよ!』
途端、客席中からブフッという吹き出す音が響いた。
よしッ!
ここまでは完璧!
後はこの流れでいければ――。
『いやいやまさか、フリードリヒ様ともあろうお方が――あ……』
――!!
その時だった。
ディルク様が途端に無言になって、露骨に目を泳がせた。
ま、まさか、台詞がトんだ――!?
しまった――!
稽古では滅多にこんなことなかったから、油断してた……!
こういう時の対処法も教えておくべきだった……!!
――ディルク様!
『オ、オイオイなんでぇ、もう酔いが回っちまったのかい? まだまだ宵の口だろうが。酔いだけにな』
――!?!?
アドリブーーー!?!?!?
あんなの私、教えてないのにいいいい!!!!
うぐぅ!
ヤバい……!!
愛弟子のあまりの成長っぷりに、私泣きそう……!!
『えっへっへ、こりゃあすんまへん。いやあ、フリードリヒ様には怖いもんなんかないでやんしょと言いたかったんでやすよ』
『いやいや、俺だって人の子だ。怖いもんの一つや二つあらーな』
『おや? 何ですかい、そりゃ?』
『あー、風呂で頭を洗ってる時の背後とか?』
『わかるぅ!! 何故かいつも妙な視線を感じるんですよねアレ!! いやあ、俄然フリードリヒ様に親近感が湧きやしたよ!』
『そういうオメェさんは何が怖ぇんでぇ?』
『えっへっへ、アッシでやすかい? そりゃあ年々尿の切れが悪くなることでやんすよ』
『いったいいくつでいオメェは!? ……ん? オイ、ヤン、オメェさんさっきからずっと無言じゃねーか。オメェさんの怖ぇもんは何なんでい? 言ってみな』
『え? アッシでやすか? うーん、特に怖いもんはないでやすね』
『ハァ? そんなことはねーだろーよ。人間怖ぇもんの一つや二つあって当たり前じゃねーか』
『そうでいそうでい! 恥ずかしかったらモールス信号でもいーから言っちまいな!』
『それは解読がメンドクセーな!?』
客席の笑いのボルテージがどんどんと高まっている――!
……凄い、とても落語を始めて一ヶ月の人の演技とは思えない。
実はディルク様って、落語の天才だったのかも――。
『うーん、そうでやすねぇ。――あっ、そうだ! そういえば一つだけ怖いものがありやした』
『おっ、何でい、そりゃ!?』
『……シュークリームでやす』
『シュークリームゥ!? シュークリームってあの、スイーツのシュークリームのことかい!?』
『へい、そのシュークリームでやす。ああ、シュークリームって名前を聞いただけで寒気がしてきた! 申し訳ございやせんが、アッシは部屋で休ませていただきやす!』
『オ、オォイ、ヤン!? ……行っちまいやがった』
『それにしても、シュークリームが怖いなんて、随分変わった男でやすね、ヤンは』
『そうだなぁ。へへっ、実は飲み会のデザートにちょうどシュークリームを用意してたんだ。これを試しにヤンが寝てる部屋に置いてみよーぜ』
『へっへっへ、お代官様も、ワルでございやすねぇ』
『誰がお代官様でい!?』
よし!
後はオチだけですよ!
『んん? この匂いは……? ああ!? なんでこんなとこにシュークリームが!? ヒエエエエ、怖い怖い怖い! 見たくもない! 怖いから食べて見えなくしてやろ! ムシャムシャムシャ』
『ありゃ!? ヤンの奴、シュークリーム食ってやがるぞ!?』
『おー、こっちはクッキー生地のシュークリームだ。これ大好物……じゃなかった大恐物なんだよなー。これも食べなきゃ。ムシャムシャムシャ』
『あんのヤロォ! まんまとオイラのことハメやがったんだな!? オイ、ヤン、よくも騙しやがったな! 正直に言いやがれ! オメェの本当に怖ぇもんは何なんでいッ!』
『へい、ここらで一つ、濃~いコーヒーが怖い』
「おあとがよろしいようで」
ディルク様が深く頭を下げると、客席中から割れんばかりの笑い声と共に、万雷の拍手が鳴り響いた。
嗚呼、涙でディルク様の姿がよく見えないよ……。
「アッハッハッ!!! アーッハッハッハッハッハッハッ!!!!」
――!!
この笑い声は……!
客席の後方を見ると、ディルク様のお父様が、腹を抱えながら大口を開けて大爆笑していた。
ふふ、本当に親子なんだなぁ。
笑い方もそっくりだよ。
「……父さん」
そんなお父様を見て、ディルク様は目を細めながら奥歯を噛み締めていた。
「ディルク様、本当にお疲れ様でした! お世辞抜きで、最高の落語でした!」
舞台袖に戻って来たディルク様に、正直な感想を贈る。
「いや、ここまでやれたのは、根気よくお前が教えてくれたからだよ、エルゼ。――本当にありがとう。心から感謝している」
「――! ディルク様……」
ディルク様は私に、深く頭を下げた。
嗚呼、ヤバい。
また泣きそう……。
「ウム、このお嬢さんの言う通り、いい落語だったぞ、ディルク」
「「――!!」」
その時だった。
いつの間にか私たちのすぐ横に、ディルク様のお父様が、不敵な笑みを浮かべながら立っていた。
こうやって気配を消して近付いてくるところも親子そっくり!!
「……父さん!」
お父様から褒められたことで感極まったのか、ディルク様のエメラルドの瞳が水の膜で潤む。
うんうん、よかったですねディルク様!
「それもこれも君のお陰だ。本当にありがとう、エルゼさん」
「っ!?」
お父様から不意にイケオジスマイルを向けられ、心臓がドキリと跳ねる。
ふおおおおおおお!?!?
「あ、いえいえいえいえいえ!?!? わ、私なんて、大したお役には立ててませんですしおすし!?」
ああ、あまりの緊張でしどろもどろに!?
私もハンナのこと言えないな……。
「いや、そんなことはない、エルゼは最高の師匠だよ。もっと自分を誇ってくれ」
「ディ、ディルク様……」
ディルク様に肩に手を置かれ、真っ直ぐな瞳で見つめられる――。
あ、あれ、何この空気……!?
「フフ、どうやら私はお邪魔のようだ。お暇するとしよう。こんな息子だが、これからもよろしく頼むよ、エルゼさん」
「あ、は、はい! こちらこそ!」
軽く手を振りながら、お父様は颯爽と去って行った。
実際お会いする前は、どんな大魔王様みたいな人かと思ってたけど、意外と気さくな方だったな……。
つくづく親子揃ってギャップ萌えだわ。
「……あー、エルゼ、その、な」
「?」
ディルク様がボリボリと頭を掻きながら、頬を染める。
えっ、だから何なのこの空気は!?
ま、まさか……!!
いやいやいや、そ、そんなわけないないッ!
「――エルゼ、大事な話があるんだ」
「っ!?」
だ、大事な、話……!?
「お、俺は――お前のことが……」
「――!!」
わーーーー!!!!!
「ゴ、ゴメンなさいディルク様ッ! 私、後夜祭の準備があるので、ちょっと失礼いたしますッ!」
「えっ!? エルゼッ!?」
ディルク様に背を向けて、私はダッシュでその場から逃げた。
「もう、エルゼの意気地なし」
「うぅ……だってぇ……」
後夜祭の目玉であるキャンプファイヤーを遠目で眺めながら、ハンナにお説教されている私。
煌々と夜の闇を照らす炎はまるで聖火のようで、随分幻想的に見える。
「好きなんでしょ、ディルク様のこと?」
「そ、そんなこと……!?」
ない、と言おうとしたら、言葉が詰まった。
……くっ!
「……まったく、落語だとあんなに堂々としてるクセに、恋愛になるとホント不器用なんだね、エルゼは」
「う、うるさいな! こんな気持ちになったの初めてなんだもん! そりゃ戸惑うに決まってるじゃん! そういうハンナは、恋愛のことわかるっていうの!?」
「……少なくとも、エルゼよりはわかってるつもりだよ」
「え……」
ハンナは唇を真一文字に引き結びながら、そっと夜空を見つめた。
そんな……!
全然気付かなかった……。
ハンナって好きな人いたんだ……。
「エルゼ」
「「――!」」
その時だった。
不意に後方から聞き慣れた声がしたので慌てて振り返ると、案の定そこにはディルク様が、覚悟を滲ませた顔で佇んでいた。
……まったくこの人は、いつも急に現れる。
「さっきは言いそびれたが、大事な話があるんだ。――少し時間をくれないか?」
「……ディルク様」
わ、私、は……。
「行ってきなよ、エルゼ」
「――! ハンナ……」
ハンナが二重の意味で、私の背中を押してくれた。
ハンナはほんの少しだけ、寂しそうな顔をしていた。
この瞬間、私の頭にとある考えがよぎった。
――もしかして、ハンナの好きな人って。
……くっ!
「ありがとう、ハンナ。じゃあちょっくら行ってくるわ」
「うん、ファイト、エルゼ」
「ディルク様、あっちで話しましょうか」
「ああ」
私とディルク様は、校庭の隅にある林の中に入って行った。
「ディルク様、さっきは突然逃げ出して、すいませんでした!」
「――!」
二人きりになった途端、私はディルク様に頭を下げた。
今更ながら、自分がどれだけ失礼なことをしていたのか自覚して、急激に恥ずかしくなっていた。
「いや、俺のほうこそ、本当はこういうことは、もっと段階を踏むべきだったと反省している」
「ディルク様……」
顔を上げると目の前にディルク様が立っていて、慈愛に満ちた顔で私を見下ろしていた。
「まずは改めて礼を言いたい。エルゼのお陰で、俺は長年父さんとの間にあった誤解に、やっと気付けた」
「誤解?」
とは?
「確かに父さんは俺を跡継ぎにするために、幼少の頃からありとあらゆる教育を俺に施してきた。――だが、だからといって今思えば父さんは一度だって、俺が遊ぶことを咎めたりすることもなかった」
「――!」
ディルク様は後悔を嚙み締めるように、拳をギュッと握った。
「それなのに俺は勝手にプレッシャーを感じて、ストイックに生きなければいけないと自縄自縛に陥っていたんだ。……まあ、父さんも親として、もう少し口で言ってくれたっていいんじゃないかという思いもなくはないが、あの人も不器用だから、詮無き事だな」
「ふふ、本当に似た者親子ですね、お二人は」
「フッ、そうかもしれないな。――だから俺はこれからも、生涯の趣味として落語を勉強していきたい。どうか末永く、俺の落語の師匠でいてくれ、エルゼ」
「――ッ!」
ディルク様は樹を背にした私に、またしても壁ドン(いや樹ドン?)してきた。
この人はすぐ壁ドンしてくるッ!!
私の心臓が、キュッと締まるのを感じる。
「わ、わかりました。とはいえ私もまだまだ勉強中の身ですので、一緒に頑張りましょう」
「フッ、言ったな? 言質は取ったぞ?」
「え?」
ディルク様はニヒルに微笑んだ。
あれ!?
私何か、マズいこと言っちゃった??
……あ、よく考えたら今のって、取りようによっては――。
「いや、こんな曖昧な言い方はよくないな。やっぱりちゃんと言う。――エルゼ、好きだ」
「――!!」
「生涯を俺と共に過ごしてほしい。――俺の婚約者になってくれ」
「ディルク様……」
ディルク様が真っ直ぐなエメラルドの瞳で、私の目を見つめる。
その瞳の中に燃え上がるような熱が籠っていて、この瞬間、私の心は完全に溶かされた……。
「……は、はい、私も……、ディルク様が好きです」
「っ!」
多分今の私は、耳まで真っ赤になってるはずだ。
嗚呼、落語でもこんなに緊張したことないよ……。
「どうか私を、ディルク様のお嫁さんにしてください」
「エ、エルゼッ!」
「きゃっ!?」
ディルク様に強く抱きしめられた。
ふおおおおおおおおおお!?!?!?
ディ、ディルク様の胸板……、凄く逞しい……。
「愛してる、エルゼ! もう一生離さないからな!」
「ふふ、私もです」
私はディルク様の広い背中を、そっと抱きしめ返した。
「「――!」」
その時だった。
ドーンという轟音と共に、夜空に大輪の花火が打ち上がった。
ああそっか、これで完全に学園祭も終わったんだ――。
私とディルク様は手を繋ぎながら、夜空を彩る花火をぼんやりと眺める。
だが程なくして真横から視線を感じたのでディルク様の顔を覗くと、ディルク様は蕩けるような笑顔で私を見下ろしていた。
――なっ!?
「な、何ですかその顔は!?」
「いや、俺の未来の奥さんは、本当に可愛いなと思ってな」
「か、かわ……!?」
もう!
あの仏頂面の魔王様の面影は、綺麗さっぱり消え去りましたね!
「やれやれ、これは先が思いやられますよ」
「フッ、何だ、お前にも怖いものがあるのか?」
「――!」
愛弟子兼、未来の旦那様からの絶好のフリ。
これは師匠兼、未来の嫁として、ちゃんと応えなきゃね。
「ええ、私はディルク様の愛が怖いです」
おあとがよろしいようで。
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