第54話 シシドー(2)
駅まで来て、人が少ないことに気がついた。
暗がりに奴がいることを確認して俺は全てを理解する。
「お前にはあんまり会いたくなかったんだけどな」
「私も同感ですね…不自然に人が少ないのはあなたが通行人にちょっかいをかけていたからですね?クラモト君」
男はぬるりとこちらに振り返り、退屈そうにあくびをした。
「人探しをしてただけでそうも言われるのは癪だね。僕はただ玉置創治郎の手がかりを探していただけじゃないか」
カガミは肩を落とす。
「あなたは不安定が過ぎる。己を保てなくなったあなたは攻撃的になり過ぎる。それじゃただの犯罪者と変わらない」
うーん、少し嫌な雲行き。
カガミとクラモトはあまり折り合いが良くない。常識人的なカガミと、狂人的なクラモト。だがその評価は時折逆転する。
それは両者が双方を兼ね備えているということであり、つまりは同族嫌悪の類でしかない。くだらねぇ言い争いだってことだ。
「まぁそれはアジトに戻ってからにしようぜ」
見開いていたクラモトはスッと目を細め、退屈そうにため息をついた。それを見てカガミはメガネをハンカチで拭き始める。
「そろそろ原異形が動き出すころですから…」
「遅いね」
ハンカチを拭くその手が止まる。
声?どこから…いや、いつから!?
「シシドー!!」
振り返ろうとして気がついた。
俺の背中に、ナイフが突き付けられている。
「てめぇ、ナニモンだ」
背後のナニカは動かない。されど言葉を発した。
「原異形の早田だ。君たちが噂の能力犯罪グループってやつなのかな?合ってるなら…」
言い終わる前に動く。
カガミが早田の反応より早く俺に触れる。瞬時の回転に合わせて裏拳を見舞う。しかし拳は鼻先に届かない。
「ば、バカな!」
カガミが珍しく素っ頓狂な声を上げた。
…躱された?この速度で?
早田は下がって距離を取る。
開眼を使った様子はない。だとすれば素の視力と反応速度で俺とカガミの合わせ技を見切ったことになる。
「カガミ、動きを速めるタイプの可能性が高い。2対1で叩くぞ」
「当たり前です。ついてきてくださいよ」
グレーのシャツにカッチリと締められたネクタイを早田は緩める。そして不敵に笑った。
「君たちは、うちの管轄する組織の高校生にちょっかいを出した。間違いないかい?」
俺とカガミはかぶりをふる。
「あ?メガネ野郎と小学生だろ?あれはあっちから仕掛けてきたんだぜ?巻き込み事故ってもんだろうよ」
「ほう?でも君は、その小学生に能力を振るった。そこの眼鏡のヒョロっちいのも、こっちのメガネ君に手を出した。仕掛けたかどうかは関係ない。問題は手を出したかどうかだ。それに、その後ろでボーッとしてる君。君はうちの部員に危害を加えようとしたみたいだね。僕は原異形として、あるいはいち大人として言っておかなくちゃならない」
ベラベラと喋る不敵なその男は、薄く張り付いた笑顔を消した。
「改心するなら今のうちだ。3秒で即決しろ。それが無理なら僕はもう知らないよ」
俺とカガミは顔を見合わせて笑ってみせる。
後ろのあいつは知らん。
「改心?俺たちはただ能力というものに興味があるだけだ。やる相手だって無差別じゃない。悪行だとは思わねぇ」
早田はため息をつく。肩をすくめてニヒルに笑った。
「そうか。じゃあ時間切れ。君たちの負けだ」
「あぁ?いっとくが」
閃光。
呻き声。
黄緑色の稲妻。
尾を引く光の残像の先に、後ろにいたはずのクラモトがうずくまっている。顔を上げ、姿勢を低く取るクラモトに、普段の狂乱はない。
「お前…お前だな…!」
稲妻が走る体。
花火が照らすシルエット。
黄緑色の光を両眼に灯し、整った顔立ちを使いこなす少年。
「玉置、創治郎…!」
明らかに普通じゃない。足音もなく、人間の域を超えた速度で、警戒心の強いクラモトを一撃で動けなくした。
ハハッ、最高じゃねぇか。
隣のメガネも肩が上下している。
玉置創治郎は手首のブレスレットに手を添え、両眼の光を消した。
「いりませんでしたかね?早田さん」
「いいや、危なかったよ」
「目の前の大男と眼鏡の人、ですね?」
「うん。間違いない。任せていいかい?」
「大丈夫です。終わったら連絡します…大丈夫ですよ」
玉置創治郎から、気さくな笑みが消えた。
「殺しはしない」
まるで雷撃。
背骨を撃ち抜かれたかのような恐怖。
決定的に、圧倒的に、根本的に、格が違う。
「高校生だからって、容赦はしないぜ?殺すつもりでこいよ」
だからこそ、強がって、強くあってみせる。
玉置創治郎は眉を顰めて俺たちを見た。
「死にたがりを死なせるほど俺はお人好しじゃない」
「へ、甘ったれが」
「今からするのは八つ当たりだ。俺は今、ちょっと腹が立ってる」
彼の両眼がこちらを捉える。そこに先ほどの光はない。
いつしかクラモトと早田がいなくなっている。
嵌められたってわけね。いや、御膳立てか。
「歯、食いしばっていこうぜカガミ」
「ええ、そのほうが力が出ますからね」
化け物みたいに笑った彼に、俺たちは足先を向けた。
◆
カガミが触れ、回転したところを俺が叩く。基本的にはこれだけで俺たちなら勝てる。
通常なら、だ。
玉置創治郎相手に通じるとは思っていなかったし、今だって思っていいない。
だからこの状況には疑問を抱かざるを得ない。
拮抗している。
カガミの能力に翻弄され、俺の打撃が通っている。これならあの弟のほうがよっぽど強い。理由ははっきりしている。
「どうしたんだよ!どうしてさっきまでのアレを使わないんだよ!」
所々に打撲痕を作りながらも、玉置創治郎は俺たちの攻撃をいなし続ける。
「さっきも言ったろ?人は殺したくないんだよ」
カガミが手を止めた。
おそらく同じ理由で、俺も距離を取る。
肩で息をする『怪物』は、えらく窮屈そうに見えた。人は殺したくないということは、つまりさっきのアレを使えば、あいつが能力を使えば、俺たちは容易く死ぬということ。そんなちっぽけな、脆い存在であり、うっかり能力を使ってしまわないように玉置創治郎はリミッターをかけている。そんな状態で、俺たち2人の攻撃を避けきれず肩で息をし、一撃入れればいいという甘い思考で立ち回る。
そんな、そんなのは、あまりにも…
「舐めやがって」
カガミがメガネを押し上げる。鼻先が引くついて、いつもの冷静さはない。
「殺したくない?私たちを、その程度だと思い、手を抜き、傷を負っている。傲慢が過ぎるのではありませんか?神童、天才、怪物。畏怖の視線を受け続けたが故に、鼻が高くなりましたか。どれだけの能力を使えるのかは知りませんが、玉置創治郎、全力で、殺す気で、死ぬ気で来い」
見たこともないほど、その手は握りしめられている。カガミは、あんなふうに見えて戦いを楽しむタイプだ。そんなやつにとって、手を抜かれることの屈辱というのは想像し難い苦痛に違いない。俺でも、こうなのだから。
玉置創治郎は肩をすくめる。
「やだね。そもそも本気でやってるアンタ達が俺を仕留めきれてない時点で、その程度だってことだろ?」
そうだ、こいつがここにいるはそもそも…
「なら」
我ながら、嫌なことを思いついた。
まるで世界がゆっくりになるかのように、一言一句、確実に伝わるように。言葉は勝手に紡がれている。
「ここで俺たちが負けた後にまだ生きていたら、お前の近くにいる奴を殺す」
花火が上がる。紫色が照らした少年の瞳が、黄緑色に煌めいた。
「そうか。じゃあ壊してやる」
俺は、間違えた、のか?
世界が揺れた。
気味の悪い色をした稲妻が地を這い怪物の体を伝う。全身を包み込み……消えた?
テールライトのように尾を引く眼光は、瞬きの間にカガミの懐に移動していた。奴の掌底が、カガミの鳩尾を的確に捉えている。
カガミ!
声を出すより先、奴は白い歯を見せる。
「耐えろよ?」
カガミが音も立てずに吹き飛ぶ。背後の木にヒビを入れ、ガクリと首を折った。
何が、起きた?
いや、こうこなくちゃ。
そうだ。これが玉置創治郎だ。
玉置創治郎は、こうでなくちゃ。
最強の才覚を的確に使いこなし、全てに勝る。
「ようやくだな玉置創治郎!!」
いつしか奴は俺に左腕を伸ばしている。
「能力、集中」
ゆっくりと指を曲げ、コイントスのように親指を内に引っ掛ける。体を纏う稲妻が、徐々に指先に集中する。
あまりにも、美しかった。
「いいぜ殺せ!お前は強い!間違いないじゃなかった!お前は、玉置創治郎だ!」
親指が弾かれる。
凄まじい轟音と爆風が俺を包みこみ……包み込んで、それだけだった。
少年は屈託なく笑う。
「なんてね。あ、そこのメガネさんは大丈夫だよ。あれは掌底の衝撃で吹き飛んだわけじゃないから。まぁでも、次はないぜ?」
そう言って、玉置創治郎は俺の横を通り過ぎる。後ろは向けなかった。足音が消えたのを確認して、カガミに駆け寄る。体を揺らすも反応はない。
仕方ないし花火でも見るか……
カガミの横に腰掛ける。
大輪が咲き、少し遅れて爆発が鼓膜を叩く。
花が乱れ咲きを始める。
「!?」
重い衝撃。視界がブレる。
火花?いや、これは…
じんわりと後頭部が響き出す。体は言うことを聞かない。コンクリートが縦になった。
「騙し討ちみたいで悪いな。ちょっと聞きたいことがあるってだけだよ」
漆黒の瞳は、そう言いながらも俺たちの方を見ない。だんだんと爆発音がくぐもって聞こえる。
あぁ、玉置創治郎が、ちゃんと強くて良かったな。