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玉置くんは化け物ではない。  作者: 蛸中文理
第四章『サンサンたる瞳』
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第39話 玉置創治郎(12)

 ♦ 8月6日 ♦


 背後からは強烈な視線と怨念。

 ひりつく様な感情の圧力は、ほぼ全速力で走っているのに薄まる気配はない。

 佐戸市は、周辺を山に囲まれた盆地の端に位置している。比較的平地に位置している佐戸駅と佐戸高校は、住宅地のど真ん中に建っているのだが、学校を超えてさらに西に進むと一気に景色は山となる。狙いはそこだ。

 佐戸駅から続く線路沿いにとにかく走る。高架下をくぐり、細い林道へ入る。

 軽トラ一台がやっと通れるような道を進む。

 さっきまで溶けそうな日の下にいたのに、走ってしまえばもう何も関係ない。

 よし、もうここで大丈夫かな。

 急に止まらないように、ゆっくり速度を落とす。途端心臓がはじけるように重く脈打ち、汗が全身から噴き出した。


「くっそ…一年なにもしてないとこんなことになんのか…」


 振りかえると、陽炎の中に揺らめく小さなシルエット。視界の端が黄緑色にぼやける。


「殺すわけには、いかないんだ。あんまり本気出してくれるなよ。化け物が」


 腰のベルトに忍ばせたナイフをひとつ取り出す。

 おそらく俺がナイフを投げれば一撃が殺ってしまう。しかしそれは惜しい。いくつかの依頼と、月1レベルのやべぇ事案。そして早田さんから聞いた異妖の異能の事実。異妖は、極力殺したくない。

 俺ができることは、足止めだ。それなりに走ったから、10分程度で大丈夫かな。そしたら多分、俺の想像通りになる。


「さあ、来い」


 輪郭が揺らぐことのない距離まで近くなった異妖は、俺を見て腰を落とす。

 そして地面を蹴った。

 俺は両手を広げ、異妖を迎える。

 自分でも、正直恐ろしい。

 今、俺はなにも感じていない。いや違うな、全部わかってる気がする。


 俺から2メートル。異妖は俺の顔面目がけて飛び上がる。

 視線、集中。

 研ぎ澄ませて、それを現実に投影する。


「開眼」


 かちりとすべてが停止する。風も、暑さも、轟く蝉の泣き声も。いや、限りなく停止状態に近くなっているのか。

 ナイフを逆手に握り直し、四肢にそれぞれ一刺し。

 柄で背中を叩きつけようとして…空を叩いた。

 耳が壊れるような爆音が世界から再開され、生ぬるい風が吹き抜ける。

 異妖は地面で恨めしそうに俺を見上げていた。


「これが限界か…」


 おそらく10秒も持ってない。目が押しつぶされそうだ。

 こんなことを流零は日常的に使えるってのか。すげぇな、受け身の能力者は。

 目頭をマッサージしながら木陰に腰を下ろす。

 あとは、待つだけかな。


「な、ゆっくり待とうぜ」


 異妖の頭をなでる。


「おっと」


 歯をむき出しにして俺を睨む異妖の瞳が小さく緑に揺れている。

 なにかが心臓を撫でた気がした。


「ははーん、なるほどな。でも俺には多分聞かないよ、それ。…あ、早田さんですか?玉置創治郎です。ええ、異妖は確保しました。大丈夫です。次の連絡で迎えに来てもらえますか」


 ♦


 時間にして約3分。

 体感時間というのは大切で、俺がこいつとわちゃわちゃしていた時間とそう変わりなないはずなのに、退屈な3分はこれ以上ないくらい長く感じた。早く来ないかな、内海。


「あれ?玉置君?」


 俺が走ってきた方から声がした。

 あんまり嬉しくないけど、俺の思ってた通りだ。


「ああ、小森さん。どうしてこんなところに?」

「…うーんわからないんだ。いや、でもどうしてかな。大庭が、いや、うーん」


 これは少々予想外。てっきり大庭さんに会えるような気がすると答えるとばかり思っていた。


「まぁとりあえず帰りましょうか。異妖はこちらで対処しました。もう悪さをすることはないと思います」

「ああ、そうだね」


 小森は、うつむいたまま小さく答える。

 その拳は固く握られている。

 なんだろうすごく、嫌な感じがする。

 落ち着いていた心臓の脈が速くなる。

 その動悸に合わせるように、カツカツと坂の下から足音が近づいてきた。


「はぁ、はぁ、玉置、危ない気がする。玉置が…」

「危ない?」


 こくりと内海が首を縦に振る。

 瞬間、背後で何かが立ち上がった。

 さっきとは差にならないほどの速さで俺の耳元を掠め、小森さんの足元に。そして体を這いあがり、異妖は濁った緑色の瞳を小森さんの目に摺り寄せる。

 どろり、小森の瞳の奥でどす黒いものが揺らいだ。


「内海!いますぐ逃げて早田さんを呼んでくれ!」

「わ、わかった」


 内海はポケットから携帯電話を…


「逃げるのが先だ!」

「りょうかい!!」


 軽快な足音。

 流石元運動部キャプテン。


「で、どういうことっすかね、小森さん?」


 小森さんは地面を見ている。ひくひくと口角が歪んでいた。


「なんか、ぜんぶうまくいかないんだよ。大庭は結局すぐ復帰しそうだし、それよりなんだかずっとモヤモヤしてる」


 髪を掻きむしる。


「お前らが来てからだ。お前のせいだろ。大庭が怪我して、俺がやっとメンバーに入れて、でもなんだよ。俺の邪魔ばっかりしやがって。あいつも大した怪我じゃねえならわざわざ対異研なんて呼んでんじゃねぇよ」


 次第に声が大きくなる。


「そんでもってあいつらも俺を馬鹿にしやがって…いい加減にしろどいつもこいつも…大庭が悪いんだ、あいつらが悪いんだ…なによりお前だよお前!玉置創治郎!」


 これは…なんだ?

 異妖の影はみるみる薄くなり、今はもうほとんど影が見えない。

 もしも、と考えたことがないわけではない。

 でもそれはあくまで宿主から異妖への一方通行だ。

 異妖の敵意が、宿主に影響したのか?

 それが小森の中にあった小さな感情を増幅させた…。

 確かに弓道部での事件で、病室で矢羽根は急に泣き始めた。ずっと抱え込んでいたものがあふれ出したとしても、それにしても明らかに吹っ切れたような態度だった。

 あの病室で情緒不安定になっていた矢羽根は、もしや彼女自身の異妖が近くに来ていたということなのか?一匹病室に近づいた異妖を早田さんが始末したという話は聞いている。

 宿主と異妖が近づくと、一時的に同期するのか?

 負の感情が薄まってほとんど感じなくなった彼らにそんなことが起これば…飲み込まれるのは宿主の方じゃないのか?

 あまり嬉しいことではないが、俺の直感が大きく外れたことはない。

 小森の現状を見ると俺の考えはおおよそ間違っていないのだろう。


「殺すしかないってことかよ…」


 ナイフをもう一度握り直す。

 こうなりゃ仕方ないだろ。距離は10mぐらい。

 きっちり当てる。

 左腕を大きく引く。


「小森さん、ごめんけど、仕方ないから…!」


 しびれるような感触が指先に流れる。

 コントロールは寸分たりとも間違えるな、異妖の眉間を貫け。

 俺ならできる。

 振りぬいた腕の向こうで、一閃の稲妻が走った。

 落ちた緑の葉が舞いあがる。

 その隙間、異妖の手前に日焼けした足が見えた。


「玉置創治郎って名前、ずっと引っかかってたんだ」


 気持ち悪い感触が鼓膜を撫でた。

 小森が歯を見せる。

 ナイフが、地面に対し垂直に突き刺さっていた。


「有名人だから仕方ないね。で、あんたどうゆうつもりだ?その異妖は危険だ。離れたほうがいい」

「絶対的なリーダー、成績優秀スポーツ万能。中学サッカーでは名の知れた選手だったらしいじゃないか。高校で名前を聞かなくなったから忘れてたんだけどさ」


 俺の話を聞いちゃいない。

 ずっと、笑っている。


「でも関わってわかった。お前ずっと女侍らせてるよな。モテるんだかしらねぇけど、ハーレムでいいじゃないか」

「おいおい馬鹿言うなよ。上条には立派な彼氏がいるんだから余計なこと言ってくれるなって」


 いいぞ俺。留まれ、流されるな。小森は異妖の影響でああなってるだけだ。


「はぁ?でもなんだっけ?あの内海って女も、どうせお前の名前と外面でほいほい近寄ってきたやつなんだろ?いらねぇなら俺がもらうぜ?」


 だから話を聞く必要なんて…


「…あ?」

「お前だってめんどくさいんだろ?聞けば女絡みで結構苦労してたみたいだしさ」

「……」


 小森のシルエットが歪んでいく。

 不愉快だ。

 なにかが、瓦解した。


「何?黙って。もしかして俺がナイフ止めたことにビビってんの?」


 心臓が脈打っている。

 あいつは、なにかずっと言っている。

 音もなんだかくぐもってきた。

 妙に息が苦しい。

 それもこれも、全部。


「内海が、なんだって?」


 指先、足と地面との接地面、視界の端。すべてに稲妻が回る。

 なにかが生まれるような、いや吐き出すみたいな妙な快感と気持ち悪さ。


「グダグダと猿みてぇなことぬかしやがって」


 ほんの一瞬、視界が4色の壁に囲まれた。


「今ここにいるのは、俺だろうが」


 意識するのは、視線と感情。

 空気がびりびりと震えだす。

 饒舌だった男の瞳は、ゆらゆらと一点以外を彷徨う。


「さぁ目を向けろ。お前の相手は玉置創治郎(おれ)だ」


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