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玉置くんは化け物ではない。  作者: 蛸中文理
第四章『サンサンたる瞳』
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第38話 玉置創治郎(11)

 ♦ 8月5日 ♦


 強烈な頭痛で目が覚めた。

 いつかのあの時のような、脳を引っ掻くような感覚。

 手探りで部屋の灯りをつける。

 灯りをつける前ほんの一瞬、暗い部屋に黄緑色の光が尾を引いた気がした。

 どうせ気のせいなんかじゃない。

 でもせめて、この妙な違和感は気のせいであって欲しかった。


「兄さん」


 扉の向こう、小さく俺を呼んだ声。

 こめかみを一度おさえてから、ドアを開けた。


「次郎、どうしたんだよこんな」

「うん…」


 枕を持って俯く次郎の鼻先を見て、俺は言葉を止めた。


「どうしたんだ、次郎」


 震える声を隠すので精一杯だった。


「うん、カオルがね、カオルから何かが抜けてね、俺に入ってくるんだ…」

「カオルってのは、友達か?」

「うん…」


 顔をあげろ、といつもなら言う。

 でも今は、だめだ。


「兄さん?」

「…っ!」


 顔をあげた次郎の不安そうな声が俺の目を内側から圧迫させる。


「兄さんも、眠れないの?」


 少し開いた口から漏れる言葉は、俺を気遣う言葉だ。


「大丈夫、大丈夫だよ次郎。一緒に、寝るか?」


 次郎の軟らかそうな頬がほころぶ。

 布団に入って、次郎に背を向けた。


「ねぇ兄さん」

「ん?」

「兄さん、どうして泣いてるの?」


 寝返りをうって次郎と目を合わせる。

 頭痛は、一層ひどくなる。


「人は眠くなると涙が出ちゃうんだよ」


 滲んだ黄緑色が、雨の日の信号のように点滅して消えた。


 ♦ 8月6日 ♦


 あの日、早田さんから聞いたことは全部覚えている。

 佐戸市に異変をもたらした原因であるSWHのこと、そしてその効果への対策としてウエスタンヒルもとい坂西智幸は特殊なSWHを俺を含めた同世代の学生3人に投与した。俺と、次郎と、そしてもうひとり、SWH開発に関わった研究員の一人息子。

 特殊なSWH被験者、つまるところ特異妖者はこの街を元に戻すための能力が備わっている。あのファイルに入ってる情報によれば、異妖と能力者に存在するSWHの因子かなにかを一極集中させる。つまり、俺がすべてをかき集める。方法はわからない。ただ、俺に備わるヘイト操作や異妖感知も、明らかに異妖を探し、異妖を俺の方向に向けるものとしての機能としか考えられない。

 だからこそ、正直認めたくないものがある。


 小森さんから感じた異妖と悪意の視線、そして…


「で、どうしたの?玉置にしては珍しく寝不足?」

「いやぁ、暑いとなにかと活発になるよね」


 となりを歩く内海の足が止まる。


「…なんの話してんの?」

「いや蚊の話してんだよ?」


 ぷいっと顔を背ける。


「で、今日はほんとに病院の前で待機するだけで大丈夫なの?」

「大丈夫、大丈夫。早田さんと俺の感覚が正しければ、異妖は攻撃対象に向かって進行するはずなんだ。だからきっと病院の周辺に現れる」


 佐戸市に異変が起こって真っ先に対異妖結界が設置されたのが医療施設だった。特に入院設備のある施設は最優先事項として取り扱われたと早田さんかた聞いている。文字通り湧くように出現する異妖の被害が屋内で多発したことからも、多くの人が個別に滞在する施設は危険度が非常に高いと言えるだろう。ちなみに病院に続いて学校や宿泊施設、ついで幅広い屋内施設という順番で対異妖結界が展開されていった。結果として異妖の目撃情報は屋外が9割を占めているという。残りの1割を月1ペースで体験している俺たちからしてみれば、生きてる世界が違うとしか思えない。


「なんで小森さんは狙われてるんだろ。特段恨みを持つような感じもしないんだけどなぁ」


 相変わらず内海はそんなことを漏らす。


「まぁ、人は見た目によらないのかもな」

「玉置にしては珍しいこと言うね」


 ニヤリとなぜか少女は笑う。

 いじらしくて、なんだか嬉しくて、ほんの少し不快だ。


「俺だって別に聖人なわけじゃないんだから。黒い面だってありますよって」

「ふーん…そういえばさ」


 そういって言葉を詰まらせる内海の横顔は、髪に隠れて見えない。


「ん?」

「うん、いや、なんか体育祭とか、文化祭とか、てっきり実行委員やるんだと思ってから、なんか意外だなって」


 揺れる髪の隙間からほんの少し目が合った。そしてまた正面を向く。


「いやいや、決まったの結構前じゃない?」

「だーかーら、なんとなく、そういえばって言ってるでしょ!ほんと、なんとなく思ったの」


 懐かしむように細められた目と、なんだか楽しそうな口元。陽気なローファーの音とクソうるさい蝉の音が、意地悪なほどに時間の経過を知らせる。


「今内海とまったり喋りながら歩くみたいなのも、悪くないなって思ったんだよ」


 あっけに取られたように目を丸くして、やがてくしゃっと満点を笑顔を咲かせる。後ろに組まれた手が、落ち着きなく組み直される。


「引退会見じゃないんだから」


 チクりと心臓の表面が締め付けられる。

 …なんだ?いや、まぁ、それも悪くないか。


「…お!着いたな」


 そびえたつ白い四角の集合体。建物の周囲には庭が広がり、それらを丸ごと囲むように俺の身長ぐらいの塀が広がる。その塀の途切れ目、3車線分ぐらいの広い正門が俺たちを出迎えていた。陽炎に揺らめいて、まるで地面に生えた入道雲だ。


「とりあえず外で待つんでしょ?」

「そのつもり。異妖が来たら俺の能力で人気のない場所まで誘導する」

「ねぇ玉置」

「あ?」


 街路樹の木陰でしゃがむ内海は、小さく咳払いした。


「大丈夫なの?」

「なにが」

「いやだから、その、異妖のヘイト操作能力なんて、そんなの」

「そんなの?」


 タンと飛び上がるように彼女は立ち上がる。

 日向にいる俺と、木陰にいる内海。じっと俺の目を見て、胸に手を添える。


「そんなの、普通じゃない。絶対なんかある。玉置はのんびりしたいってさっき言ってた。でも部活のことになると今までの玉置が戻って来るみたいで、なんか私…私玉置のこと心配なんだよ」


 くらくらする。

 頬を汗が伝い、シャツが二の腕に引っかかる。のどが渇いて仕方ない。


「ありがとう内海」


 泣きそうな表情。

 でも、きっと彼女は泣けない。


「でも大丈夫だ。俺は玉置創治郎なんだぜ?」


 紅潮した頬が、ほんの少し増して赤くなった気がした。


「そう、だったね」


 白い歯を見せ、優しく微笑む。

 ざわざわと街路樹が揺れた。心地よいはずもない、熱風が吹き抜ける。


「風ぐらい快適であってほしいよね」

「そうだな…ん?」


 車の走行音とサイレン、信号の音声案内、雑踏の中、これは…後ろ

 正門か!?


 振りかえると、あの日俺は始末しきれなかったネコ型異妖。そしてその前を歩く小森。それはまるで長年連れ添った飼い主とペットのようで。


「あ、あれっ、小森さんじゃない?」


 制服の裾がぐいぐい引っ張られる。

 ただでさえ暑いのにちょっとやめてほしい。


「小森さんが敷地に入ったのと同時に俺は異妖を誘導する。内海は小森さんを尾行してくれ」

「え?でも病院内は大丈夫ってさっき言ってなかった?」

「異妖の標的になるってことは、異妖の宿主からなにかしらの感情を向けられてるって事だろ?大庭さんとの話のなかでなにかわかるかもしれない。だから、頼む」


 ほんの少しの沈黙の後、服の裾から手が離される。


「絶対、無茶しないでよね」

「ああ、大丈夫」


 ハイタッチひとつして、内海は正門の方へと歩き出す。

 小森さんが敷地内に消えた。

 門の入り口で異妖は虚空に威嚇している。


 意識するのは、視線と感情。

 目の端に締め付けるような感覚が広がっていく。

 心拍数の上昇と、ほんの少しの高揚感。

 みんなは俺のこれを、異妖のヘイト操作だと言う。

 俺がそう最初に表現したからだ。というより、そういう以外に伝わる気がしなかった。だから厳密にはヘイト操作なんかじゃない。

 俺は異妖に、嘘をついている。

 俺が異妖の攻撃対象であるという、嘘をつく。

 だから異妖は、俺を宿主の攻撃対象だと誤認する。

 濁った緑色の瞳がゆらり俺を見て揺らめいた。

 ぞくりと背筋に虫が這う。


 さあ来い、お前の敵は玉置創治郎だ。


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