第32話 早田智幸(7)
「先に君の話を聞かせてくれよ、玉置くん」
住宅街の街灯が少し頼りなく地面を照らしている。
それとは反対に、ニヤリと口端をゆがませる彼の目はいつも見せない少年のような輝きを放っていた。
「では、前置きはなしに聞きますよ」
「ああ」
「早田さん、あんた何者なんです?」
どこかで聞いたような口ぶりだ。あの中年ジジイも似たようなことを初日に聞いてきた。
やはり僕の目に狂いはなかった。玉置創治郎は本物だ。
「あの、なに笑ってんですか?」
「いやいや。で、何者かっていうのは?」
「説明させるんですね」
なんだこいつため息なんて。こんなガキみたいな一面があったのか。
「まず、早田さんの異妖と異能についての知識です。あの仮説といい、異妖討伐の報告書を早田さんが書くことといい、むしろこちらに感づかせようとしているとしか思えないことばかりだ」
「うんうん、でもそれはその方が仕事が楽にいくからかもしれないよ?以前僕もそういう風にいったつまりだけど」
おそらく太田ならここでむくれていたところだろう。だがどうだ。助手席で腕を組む彼の、まるで算数の問題が解けたことを自慢する小学生のような無邪気な表情のなんと美しいこと。
「他の高校の生徒から聞いた話ですが、異妖の討伐は禁止されているそうですね。でも理由はわからないとも言っていました。そこで、ひとつ考えてみたんですよ。早田さんの仮説を使って」
「ほう、続けてくれ」
「異妖は負の感情が外に抜け落ちたようなものというのが早田さんの考えでしたよね。なら、異妖の討伐が意味することは、文字通り感情を殺すことになります。こんなことを坂西智幸が許すわけがない」
「坂西智幸について詳しいような口ぶりだね」
「彼の考えは、少し面白いと思っていましたから」
ほう。
「まぁ、話の筋は通っているが、それでも僕の仮説という枠はでないんじゃないかな。真実かどうかはわからないと思うけど」
「どこまで渋るつもりなんですか…俺は、早田さんの考えがどうも仮説とは思えない。やけに具体的すぎませんか?原異形のひとりに過ぎないあんたが、そこまでの情報を持っているのはあまりにも不自然だ。異妖について、もっと根本的な情報を知っているんじゃありませんか?」
やはり、と言った以上の感想はなかった。驚くほど驚かない。玉置創治郎は高校以前ではリーダーの役割に回ることが大半だった聞いた。それが中学3年の後期学級委員を皮切りに数を減らし、いまでは対異研以外ではその手の役職を担っていない。なにがあったかは知らない。あまり興味がない。だが今何者かはとても重要だ。
「ひとつ聞くね」
彼の目は輝いたままだ。
「もう後には引けなくなる。もしかすれば、君は絶望することになるかもしれない。それでも、知りたいか?」
僕にしては弱気な言葉だとは思う。それにあまりにも含みが大きい。だが僕にも自信がある。
「ここまで聞いて俺が怖気づくとでも思いましたか?」
玉置創治郎は、僕の提案を断らない。
♦
玉置創治郎は、己の事を語らない。
中学時代の話も、それ以前の話も多く語らない。それは今を楽しもうとする姿勢ととらえることもできるだろう。実際そういう点もあるだろうし、打算的にやっていることもあるだろう。だがこの異妖と異能の話においては、彼には語れない理由がある。
「君の異能力。その、悲しみと異能力の両立は、特殊なSWHから起因するものだ」
場所を河川敷に移し、近くの自販機で買った缶コーヒーを渡す。白い缶コーヒーを受け取った彼は、神妙な面持ちで息を吐いた。
「SWHっていうのは、佐戸の異能を発現させた薬ってことでいいんですよね。その特殊なものを、俺は投薬されたってことですか」
僕が知っている情報のほとんどを玉置には話した。いささかショックだったのか言葉数が先ほどより減ったが、それでも彼の瞳が輝いている。
「ああ、その通りだ。おそらくは君の両親がSWHの開発に携わっていたことに関係している。実際、あと2人特殊なSWHを投与された特異妖者が存在しているが、それも開発に関わった者の子どもだ」
「えらくまぁ、残酷なことをするもんですね」
「君を前にして言うのもなんだが、身内に押し付けただけマシさ。どうしようもないことに変わりはないけどね」
玉置は口を開かず首を縦に振った。
それに甘えて。
「僕の目的はこの街の悲しみを消すことだ。要はこの街にすでに存在するすべての異妖の殺害。それによる感情の永久的な損失。まぁ、見知らぬ誰かの感情を殺すんだ。僕はある種のテロと言われても否定できない。それでも、やってみる価値はあると思うんだ。人は悲しみを誰かの悲しみで再現し、あまつさえ悲しみを感動にすり替える。そこには微塵も歩みがない。戦争は殺害と弾圧で解決し、悲劇は感動の物語として紡がれていく。悲しみがある限り、便利な感情として共有され、誰一人物事の本質に直接目を向けようとしない。悲しみは、現代には必要のないものだ」
彼はいつしか真剣に僕の話を聞いていた。
せき払いを挟む。僕も、悲しみをひとつの言い訳にしている人間の1人に過ぎない。でもだからこそ、僕は殺したい。
「そこでだ」
彼が小さく頷いた。
僕たちはいつしか巨大な雨音に打たれる車内でも互いの声を認識していた。それくらいには、真剣だった。
「僕から君に提案がある」
彼の瞳がほんの一瞬、微かに黄緑色を帯びた気がした。
「この街の悲しみを、僕と一緒に殺してみないか?」
「具体的な方法は、あるんですか?」
「ある。君の、特異妖者としての能力を利用する。そのためには君とともに、君自身の能力について知る必要がある。僕も特異妖者という存在はしっているものの、その実態はよくわからないんだ。どうだろう、君にとっても悪い話じゃないと思うんだ」
細い眉は跳ねた。
思わず座席の位置を調節して紛らわせる。
ゆっくりと大きく、彼は息を吐いた。
「…俺の特異妖者としての能力を調べることには今すぐにでも協力します。ただ俺の能力の利用については少し考えさせてください」