第23話 玉置創治郎(7)
少女の泣き声が聞こえた。
廊下にいるとはいえ、あまり心地よいものではない。というよりちょっと気まずい。
「君が玉置くんか?そうか。部の事は迷惑をかけた。怪我は大丈夫かい?そうか。君にひとつ、お願いしたいことがあるんだ。結美にとっても、矢羽根ちゃんにとっても、お互いはとても大事な存在だからね」
弓道部部長の体調が戻ったという知らせがあった日曜日、早田さんの携帯を通して直に部長からそう伝えられた。
内海から聞いた情報から察するに、どうせ誤解なんだろうと思ってはいた。そしてこの部長の言葉だ。もともと何かしら動こうとしていた俺にとってこれほど好都合なことはなかった。
「わかりました。僕が病室まで彼女を連れていきます」
わりとすんなりと矢羽根さんが承諾してくれたことが今回のことで一番うれしい誤算だと言えるかもしれない。
病室の中は見ていない。
なんとなく声から話している内容は察したが、俺としては矢羽根さんをここまで連れてくるのが役目だ。もしなにかしら問題が起きれば割って入ることもできたが、どうやら必要ないらしい。なにかあったなら彼女はいまごろ病室を飛び出しているだろう。
というわけで、俺はお先に失礼しよう。
受付の人に説明だけして、俺は病院を後にする。
荷物は学校において来た。
大通りにまたがる歩道橋を渡って、いつもの通学路に入る。道を挟んで右左だが、それだけでまるで異世界のような心地よさがあった。たった数か月でこれだ。卒業するころには、今よりもっと当たり前の空間と化したこの道を、なにを思って歩くのだろう。
青春なんてものは、大人ばかりがそれを語る。
俺たちにはそんなもの見えない。
ただ毎日を生きて、悩んで、苦しんで、そしてたのしいことがあって、その中でほんの少しの寂しさが漂う。いわば当たり前を生きている。大人たちはそれを青春と呼んで、いいものとして俺たちに語る。
それは煌めいていて、それでいてなにか儚い。
特別、なんだろうか。
俺たちの日常は、特別なんだろうか。
それとも、俺たちが大人になったとき、すべてわかるのだろうか。
まぁ、そんなことわからない。
だからこそ気になった。
大人になった俺が、この道を見て何を感じるのか。
大人たちの言うような、煌めいたものであればいい。なんとなくそんなことを思う。
物思いにふけるとあっという間に時間は過ぎるわけで、気が付けば俺は学校の正門をくぐるところだった。
カチカチと鳴るメトロノーム、背後から聞こえる甲高い打球音、そして閑散とした校舎の窓から見える3年生。
ちょいとコーヒーでも飲むかな。
食堂に入り100円を投入して俺は黒の缶コーヒーのボタンを押す。
音を立てて排出されたそれを取り上げた。
そのとき、食堂の入り口のドアが乱雑に開けられた。横目でみれば、肩で息をする少女がひとり。
「はぁ、はぁ…いた…」
俺は小さくため息をつく。
「…飲む?」
「いえ、私、ブラックコーヒーは苦手なので」
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座ってしばらく息が上がりっぱなしだった矢羽根さんに、俺は結局スポーツドリンクを奢ることとなった。イッキ飲みしてしまうのではないかと少し心配になりそうなほどに喉を鳴らすその姿は、さきほどまでの孤高な雰囲気が見事に剥がれ落ちていていてまるで別人のようだ。
なんやかんやすべて飲み干した少女は少し激しく缶を机に置いた。
「ふぅ…すみません、ありがとうございます」
「いいよいいよ、勝手に帰ったのは俺なんだから」
呼吸が整うにつれて申し訳なさそうに瞳に影を落としていく。
「ごめんなさい、今回は本当にありがとうございました」
「どういたしまして…それを言いに来たの?」
「いや、違うんです!その、いや、うーん、わからない。でも、ちゃんとお礼は言わないきゃいけないと思って」
その口ぶりは病院に行く前とは異なり、活力にあふれている。少しいじわるなことを聞いてしまったな。
「それに…」
矢羽根さんはまっすぐと俺を見る。背筋を伸ばし、咳払いひとつ。
「私は、あなたともっと関わりたい。私を救ってくれたあなたに、もっと、返せるものがあると思うから」
「おいおい、ありがたいけど、俺はなにもしてないよ。連絡が入ったから君に知らせただけだ」
すると一つ結びがうしろで横に揺れた。
矢羽根さんの瞳に一切の揺らめきはない。
「いいえ今回の件だけじゃない。異妖に襲われた時だって、私を助けてくれた。連絡を伝えてくれたのも玉置くん、あなたじゃないですか。だから、お礼をしたいんです」
一度捉えた的は、外さない。
そんな意志が見えた気がした。
「まぁそういわれればそうかもしれない…うん、でもお礼は本当に大丈夫だ。その気持ちだけ受け取っておくよ」
そう言って俺は席を立つ。
曇った表情で彼女はうつむいた。
缶をゴミ箱に入れ、食堂を出る。その時、ガタンと背後で大きな音がした。
振り返ると、矢羽根さんは椅子をたおして立ち上がっていた。
「わかりました!では今回はかるく一言で済ませましょう。ありがとうございました」
「どういたしまして」
笑顔を作ってそう言った。そして俺は食堂のドアを閉め・・・
「いてっ」
「ん?」
振り返ると、彼女がドアに足を挟んでいた。
「なんて私が終わらせると思いましたか!?」
俺をじっと見て、そしてドアを開ける。
「私の気が済まないんです。通報したって無駄ですよ?」




