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玉置くんは化け物ではない。  作者: 蛸中文理
第二章『かけがえのないもの』
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第17話 太田流零(4)

 

 夕方5時半の校内放送が鳴り、斜陽が化学室を染めている。金属バットとラケットの打撃音が混じり、乾いた砂を蹴る音が何層にも重なっている。ランダムに耳に入る管楽器の伸びた音色は、この部屋の静寂に微かな息を吹き込んでいる。


 今、僕の手には、ナイフが握られている。


 ゆっくりと顔の前で構える。

 目の前には源光。

 その目は微かに僕の持つ銀色の先端を捉えている。


 「あ、あなた光に……!」


 上条が長い髪を振り乱して腕を伸ばす。

 しかし、源光は涼しげな微笑みでそれを制す。


 「大丈夫心配すんなって。葵を置いて死にはしねぇよ」


 上条は胸の前で手を組み、唇を噛む。頬がキラリと光る。


 「泣くなよ……大丈夫だって、言ってんだろ?な?」


 最後は僕の方に目を向けてそう言った。


 「ふぅ……」


 1度深呼吸。

 大丈夫だ。真っ直ぐ足を出すだけ。


 「痛くないようにはするよ」


 たったひと突き。それで全て、終わる。

 足の震えはやがて手に伝染し、呼吸までもが震えるように浅くなる。


 「うおぉぉぉぉお!!!!」


 固まる足、手、体、脳に自らの声で鞭を打つ。そして全体重を、前に出していた右足に掛け、その右足の力を抜く。

 体が傾くと同時に固く握ったナイフを標的の腹に伸ばしていく。


 「ぁぁぁぁあぁぁ!!!」

 「光ぅぅぅぅぅぅぅ!!」

 「うぁぁぁぁぁぁ!!!」


 重なる3つの断末魔は、その先端の勢いを止めることは無い。

 オレンジの輝きが服にめり込み、そして……


 ペトッ。


 情けない音をたてて、くにゃっと刃が曲がった。

 しばしの静寂。


 「おぉ!まったく痛くねぇぞこれ!」


 源光が僕の手を握り何度も自分の腹に押し付ける。その度にナイフはその刃をこんにゃくのように曲げ、まったく刺さる気配がない。


 「すごいですね……」


 僕も思わず感嘆の声が漏れる。


 「ひーかーるぅぅ〜!」


 上条は泣きじゃくって源に飛びつき、源はそれを嬉しそうに宥める。けっ、リア充め。

 ナイフに目を戻すと、そこにはショートボブのつややかな髪があった。ばっ、と顔を上げ、内海は楽しそうに僕の持つナイフを人差し指で弾く。


 「ほんと、こんにゃくみたいだね!」

 「う、内海それ僕が考えてた」

 「え!?何そのマウント!?」


 短い髪を揺らし、眉を八の字にして「とほほ」と頭を抱える。


 「……本当に見た目は本物のサバイバルナイフみたいですね」


 創治郎は、机に置かれたサンプルに手を伸ばし、くるくる回している。


 「あぁ、重さと塗装だけは本物と大差ないからね。人間には効かず、異妖にしか効果を成さないってのが、このナイフの唯一の特殊性さ」


 そう答える男のグレーのスーツは、相変わらずきちっと着こなされている。

 ……ていうかなんだその都合のいい機能……ウエスタンヒルは一体どれだけの技術があるんだろうか。

 でも、ナイフなんだよなぁ。

 異妖は、悲しみをなくし、能力を使える人間にしか見えないと早田は言っていた。

 つまり、実体があるのかないのかよくわからないものであるのはたしかだろう。とはいえ、見た目や行動は獣のそれだ。

 狩人だって、猟銃を用いるのに、僕らにはサバイバルナイフだけしかないのか?


 「銃は、ないんですか?」


 僕の問いに早田は目を細める。


 「お、まさか君からその言葉が聞けるとはね。あるにはあるよ。ただ実験中でね。エアガンのようなものらしいが、この素材のBB弾を今まさに製造中なんだそうだ。だからまだ僕も手にしたことはない」


 いずれ、来るのか。

 僕の能力は自分にかかる力の方向を逸らすこと。つまり、捌きに似たものだ。だから僕にはあまり関係ないが、創治郎の「投げたものの速さが異常に上がる能力」のように、自分の手から離れることにより能力が発動するパターンの人は、投げる以外にも、弓やエアガンでも同じ能力が発現するらしい。実際に、弓道やアーチェリーでの事故が報道されていたし、創治郎自身も、ボールペンをノックした時に、芯がカバーを突き抜けて机にめり込んだ事があるらしい。

 つまり、エアガンは、その手の能力者にはもってこいの武器になるのだ。


 「これで明日の討伐はどうにかなるかもね!」


 斜陽に照らされた内海が、そう言って笑顔を咲かせた。


 ◆


 弓道場に着くと、袴姿の依頼者萩野結美先輩が僕達を出迎えてくれた。

 創治郎は早田さんからバインダーを受け取り、萩野先輩に一礼する。


 「それで異妖は、えー、安土?に居座ってるとの事でしたね」


 髪の先のカールがふわりと揺れる。


 「ええ、そうです」


 そして穏やかな微笑みを湛える。

 ……ん?なんか依頼に来た時とずいぶん印象が違うな。あの時はまるで、それこそ鬼のような面をしていたのに、今はなにか吹っ切れたような表情をしている。

 僕が感じた違和感は、僕以外も感じていたようで、後ろからは囁き声が聞こえてくる。


 「なぁ葵、あの人あんな感じだったか?」

 「光、私も今まさに同じことを聞こうとしていたの」

 「え、まじ?」

 「まじ」

 「「イェーィ」」


 ほんとなんなんだよこいつら……

 こんな陽キャリア充……くそ!陽キャとリア充を繋げると間にキャリアが生まれるだと!?ふざけるな!なんだよ!なんでエリートになっちゃうんだよ!いやいや待てよ?陰キャリア充……い、いける。

 そんな人達は放っておいて、僕は隣にいる内海に声をかける。


 「なんか雰囲気違うんだが?」


 すると艶やかなショートボブがこちらに迫ってくる。


 「そうなんだよね、私も思ってた。何かあったのかな?」


 ち、近いんだけど……

 僕は思わずたじろいてしまう。


 「ん?どうしたの?」


 彼女は覗き込むように首を傾げる。

 包み込むようなその囁き声から逃れようと、僕は思いっきりかぶりを振った。


 「な、なんでもない。そ、その、なんだろうなぁ。なにか吹っ切れることでもあったのかもな」


 なんで僕、口ごもってんだよ。

 まぁ、距離の近い女子への苦手意識が消えてないんだろうな。


 「吹っ切れること、ねぇ」


 意味ありげに内海は復唱する。

 そして自嘲気味にはにかんだ。


 「何言ってんだ、ってね!」


 胸の中に一抹の曇りが広がる。

 きっとこれは悲しみとは違う。

 そうこれは……


 これは、怒りだ。


 そんな感情を吹き飛ばしたくて、僕は首を横に振る。


 「あいさつ、終わったみたいだ」


 創治郎の手招きを確認して、僕達は弓道場の扉をくぐった。

 外からの見た目は、まるでプレハブのような感じだったけど、中に入るとまた雰囲気が変わる。木目が綺麗に広がる床は、靴下を通してもほんのり冷たくて、昔ほんの少しだけやっていた空手を思い出す。壁は少し汚れていて、吹き抜けからは緑が敷き詰められた道の先に文字通りの土の壁がそびえ立つ。そのには5つの的が等間隔で立てられている。そして、ちょうど的と向かう合うように、道場の壁面に弓がこれみよがしと立てかけられている。

 微かに香る土の匂いと、扇風機の「ゴォォ」っと言う音。

 まるで、ちょっとした異世界のような、今と昔が混じりあったような、そんな空間。


 「へぇ、弓ってこんなにあるのか……」


 源光が立てかけられた弓を舐めまわすように見ている。萩野先輩はそれを見てくすりと笑った。


 「えぇ、弓は自分専用のものがないから、練習に合わせて変えたりするの」

 「変える?種類があるってことですか?」

 「そうね、弓にシールが貼ってるわよね?そこの数字、何キログラムって書いてるでしょ?これは弓の強さ、つまり、弓の馬力みたいなものね」

 「なるほど……」


 感慨深そうに光は頷く様子を、上条は母のように優しく眺めている。

 はーい、幸せ幸せ。

 そんななか、ふだんなら笑って2人の様子を見ている創治郎と内海は、じっと萩野先輩を見つめていた。


 「創治郎?」


 少し細めていた目を開いて、僕の方へ首を向ける。


 「いや、なんでもないよ。ただ……」

 「ただ?」

 「異妖の気配がしない」

 「気配?」


 内海が首を傾げる。


 「そんなのあるの?」


 光も弓から目を離し、それに続く。


 「あぁ、気にはなっていたけど、玉置お前、異妖探知でもできるのか?」


 上条も静かに頷く。

 ピクリと僕の隣で、彼の方が跳ねた。

 茶色がかった短髪の黒髪の毛先がかすかに揺れる。


 「……そうみたいだな……その、なんか、いるかいないかみたいなのが感覚的にわかるんだよ」


 まくし立てるように口にしたその言葉は、いつもの創治郎からは想像もつかないようなもの。こんなに動揺するなんて、珍しいな。


 「ともあれ、萩野先輩?」

 「はい?」

 「このあとは僕達に任せていただくということでよろしいですか?」

 「えぇ、構いませんよ」

 「なら……」


 創治郎は先程の揺らぎを微塵も感じさせない芯のある声で続けた。


 「しばらくこの部を見学させてください」


 すっと萩野先輩の細い目が開かれる。

 前で組んでいた手を後ろに回して、薄く微笑んだ。


 「えぇ。構いませんよ」


次回更新は5月30日です。


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