第16話 太田流零(3)
今回より第二章です!
4月も暮れ、葉桜がその緑を輝かせるようになった。桜餅のような景色も嫌いではないけれど、一面に揃えられた緑はやはり綺麗だ。
僕は5月だとか6月だとか、世間的に初夏と言われる季節が好きだ。
花粉の猛威が過ぎ去り、心地よい風が吹く。
それを全身にまといながら、自転車で学校へと向かうことが、今の僕の癒しそのものだ。
そんないい気分で校門をくぐっても、直ぐにその高揚感は呆れへと変わり、嘆息が漏れる。
僕が登校するのと同じタイミングで、内海里香を見かけるからだ。
もうとっくの前から、内海里香が創治郎のことが好きなことぐらいわかっている。僕から見るに、創治郎に脈がないというわけではない。押せばどうにかなりそうな気がしなくもないのだ。
だから、見ていてもどかしい。
創治郎と楽しそうに話しておいて、創治郎が去った後に微かに浮かないような、悔しそうな、そんな表情が漏れてしまうのならば、さっさと告白してしまえばいいのだ。そうすれば、答えは直ぐに得られる。
悲しいなんて、覚えているだけで、今は感じないのだから。
教室に入ると、創治郎と内海里香が教室の端でなにやら話している。普段教室ではそこまで深い関わりを持たない2人だが、今日は一体どうしたのだろう。
……これからの部の方針でも相談してるのかな。
「おはよう創治郎」
いつもより少し鋭い目の創治郎は、僕の声に反応するや否や、普段の優しい瞳になった。
「おっす流零!」
その声はやはり、僕の知っている創治郎だ。
なんて思っていたら、茶色がかった短い髪が視界の端で揺れた。
「ねぇちょっと?堂々と私のことないもの扱いは酷くない?」
「はい?ないもの扱い?してませんけど?」
「じゃあ挨拶ぐらいしてくれたっていいじゃないのよ」
少し拗ねたように僕を睨む。
ほんといい顔するよな、内海里香は。
心做しか上がった鼓動の赴くままに、僕は内海の方へ体を向ける。
「ちゃっす」
「うわぁなんか腹立つ!」
内海が頭を抱えて音を上げる。
僕の魔王魂にさらなる火がつこうとした瞬間、頭をガシッと掴まれた。
「ほらほらそこまでだぞ〜。全く……俺ハブられて寂しくなっちゃうからね?」
やっぱりだ。
創治郎は、僕と内海がこうしてある種のコミュニケーションを取っている様子を見ると直ぐに割ってはいる。本人は気づいていないかもしれない。
でも僕には分かる。
それが普通の創治郎とは少し違う心の動きなんだってことぐらいは、わかるのだ。
僕はそんな創治郎の姿に、ずっと応援していたバンドの曲調や歌詞の雰囲気がガラッと変わってしまったかのような、そんななんとも言えない冷たい感情が湧き上がってくる。
彼は幸せになるべきだけど、それ以上に彼は彼自身であるべきなのだ。
今みたいな中途半端な状態は、創治郎にふさわしくない。
僕はゆっくり創治郎へ首を向ける。
創治郎は、好きな人、いるの?
なんて話ふっかけてやろうかなんて考えて、結局俯いた。
創治郎も内海も、怪訝な顔をしている。
「なんでもないよ」
そう言って微笑みかけると、創治郎も無邪気な笑みを浮かべた。それに釣られるように、内海も呆れ顔だ。
「まったく……太田はそんなんだから不思議くん扱いなんだよ?」
「え、僕、不思議くん扱いされてるの?」
内海は目を丸くする。はらりと耳元の髪が揺れた。首元で揃えられた髪は重力に従うがまま頬にかかり、チラと耳をのぞかせる。
「え、知らなかったの?」
息が止まるような感覚がして、僕は思わず目を逸らしていた。
……あれ、なんで目、逸らしたんだろ。
まぁ、元から人の顔見るの苦手だし。
「知らないも何も、初耳なんだけど?」
ははぁん、僕そんなこと言われてたんだ。あーなるほどねぇ僕は結局陰の者なんだねはいわかってま……いや、そんな優しい顔して僕の肩に手を置くのはやめてください2人とも。
◆
早田智幸という担当官が挨拶に来て、2週間が経とうとしていた。
4月の間やっていたような相談事業は当番制となり、週に2日で続けている。それ以外の日は「訓練」だ。
今は基礎体力向上のトレーニングだが、今後は異能・対異妖武器の活用、異妖に関する知識、条例などを叩き込まれる。
つまるところ僕達は、原異形の現場に仕えるボランティアみたいなものなのだろう。
なぜ創治郎がこの部に入ろうと言ったかはよくわからない。創治郎のことだ、適当に選んだってわけじゃないだろう。
まぁそんなこと、僕が知ってどうするって話だよな。
今日は相談受付の日。
僕は相談室(化学室)の隣にある化学準備室で、缶ジュース片手に文庫本を開いている。
夕陽が差し込む相談室からは相談者と創治郎達の声が聞こえる。こうしてそれらに耳を傾け、放課後をくつろぐのは悪くない。
なのにどうして……
「あの、えーっと、早田さんが、どうしているんです?」
受付の日には決まって来ない早田さんが、今日に限って何食わぬ顔して準備室で缶コーヒーを啜っている。ほんと、この人のなんとも言えない胡散臭さはどうにかならないのだろうか。
「君たちの相談業は見たことがなかったからね。僕だってある種の教育者だよ?生徒たちが持つ悩みそのものには興味がある」
「はぁ、なるほど」
早田さんは缶コーヒーを振りながら準備室と相談室を繋ぐドアに首を向ける。
「僕は無能力者だからね。君たちの悩みなんて想像もつかないだろうしさ」
諦めるような、熱を持たないその言葉は僕の中にある温度さえ下げていく。それに抗うように、僕は本を閉じてじっと早田さんに視線を送った。
「そ、そんな、たいして変わりませんよ」
ピクリと早田さんの眉が跳ねる。そして目だけをこちらに向けた。
そのまま僕の目を見つめる。
その目には、先程のような氷の鎖に縛られた横顔のような冷たさはなく、もっと暗い、寒い何かが宿っている。
「どうして、そう思う?」
「……え?」
その整った顔をピクリとも動かさず早田さんは言う。
「悲しみがなくなったって、たいして変わらないって、どうして思うんだって聞いてるんだよ」
「……い、いや、それは……」
その気迫に圧倒され、僕は思わず俯いてしまう。
しばしの静寂。
耐えかねてチラと視線をやると、早田さんはいつも着ているグレーのスーツに袖を通していた。
「ど、どこか行くんですか?」
先程とはうって変わって柔和な笑みを浮かべる。
「相談室の仕事が落ち着いたようだから移動するだけさ。あっちの方が、綺麗な夕日を見られるからね」
さも当たり前のように並べられた理由は、ひとつとして真の理由だとは思えない。
さっきの目はそういう感じの目をしていた。
「は、はぁ……そうですか……」
それでも僕は、ぼそりと呟くことしか出来ない。その違和感を口にすることができない。
きっと心のどこかで、いや、もっと表面的なところで、僕は弱いんだ。
怖くて、言葉を発せられない。
昔から何も変わってない。
ほんと、情けない。
相談室のドアに手をかける早田さんを尻目に、深いため息をつく。と、同時に。
「討伐!?」
相談室から源光の素っ頓狂な声が聞こえてきた。
「討伐?」
ぽつりと早田さんがこぼす。
相談室では、依頼者がなにやら言っているらしい。
内容はあまり聞き取れないが、うっすらと「あの異妖のせいで……」だとか「彼がおかしく……」だとかが聞こえる。何か不穏な言葉を発しているのは間違いない。
様子を見ようと席を立った刹那、またぽつりとドアの前から声がした。
「……これだ」
それは、数学の問題に当てはめるべき公式が浮かんだ時のような、証明の道筋が見えた時のような、100字で答える問題の組み立てが頭の中だけでできてしまった時のような呟き。
次の瞬間、僕は思わず息を飲んだ。
その口角が、ゆっくりと上がっていくのが見えたから。心の底からの愉悦が漏れ出たような、そんな笑みが見えたから。
……いや違うんだ、これは答えがわかったなんて可愛いもんじゃない……まるで……それはまるで、嫌いな人間を落とすための落とし穴を掘っている最中のような、嫌いな人間が落ちていく姿を想像したかのような、純粋な笑み。
だから余計に、怖い。
こんなにも心臓ははやく動いているのに、全身は瞬間的に氷点下まで冷やされたかのように固まって動けない。
息が、詰まる。
この男の事を信じられないだとかそういう次元じゃない。
わからない。
意味が、わからない。
その男は僕のことなんて目もくれず、背筋を伸ばし、グレーのスーツの裾を翻しながら相談室のドアを開ける。
ドアの向こうから聞こえるのは、その男の声。
「いいね、その依頼、引き受けよう」
♦
依頼者の名前は萩野結美。
弓道部の副部長だ。活動の邪魔をする異妖に対し部長である男子生徒が立ち向かったところ、返り討ちにあって異妖の被害者となった。これに対して萩野先輩は対異研に該当異妖の討伐依頼を持ち込んだ。という流れになる。
創治郎が顎に手を添えながらつぶやいた。
「討伐依頼、ですか」
放課後の対異研の準備室、僕たちはひとつの実験机を囲んでいる。
机に広げられているのは、依頼用紙とアタッシュケースに詰められたナイフだ。
「僕たちの使う銃弾は、対異妖素材でできている。君たちが捕獲なんかで使う対異妖麻酔をより強力にしたものだと思ってくればいい」
早田さんはそういうとわざとらしく咳払いした。
「まぁつまりは、これさえあれば、別に異妖の討伐なんて大したことないってことさ」
たしかに、僕やみんなの能力があれば、少々異妖が手ごわくてもどうにかなってしまいそうな気がする。だから僕は案外、いまテンションが高かったりする。あんまり表情には出してやらないけれど。それには理由がある。
「大丈夫なんでしょうか、そんな簡単に討伐してしまっても」
創治郎だけが、いささか否定的なのだ。
はっきりとした否定をしているわけではないが、いくぶんか引っかかるところがあるといった様子。となりに座る内海も、僕と同じことを考えていたらしく、そっと、顔を、寄せてきた。
「ねぇ太田」
「な、なんだよ」
「玉置、なんかあるのかな」
こいつは本当に創治郎のことよく見てる。ほんとに、よく見てる。それはこいつが創治郎に好意を寄せているからで、それは僕が知らない感情だ。だから一体どんなものなのかはわからないけど、何だろう。心の底から、頑張ってほしいと、そう思う。こいつは僕にたてついてくるバカ女だけど、それでもいいやつなのに変わりはない。周りを見ることができるし、困っている人がいたらきちんと寄り添える。相談に乗っている姿を見ると一目瞭然だ。内海が創治郎に次ぐリーダー格として立ち続けるのは、ほかならぬ内海自身の実力で、努力なのだ。だから、報われて、幸せになるべきなんだと思う。
「太田?」
顔を覗き込まれた。
「さ、さぁな、僕は創治郎が今考えてることなんて知らないよ」
「なに慌ててんの…?」
「う、うるせぇ」
あきれた顔するなこのバカ女。
「いや、でもやってみましょう。捕獲ではないですが、それでも研究材料が集まることにかわりはありませんから」
「そうね、死んでからどうなるか、私も見てみたいわ」
「え、葵、え?」
「なに?光。なんか文句ある?」
「いやないけど…」
パチンと早田さんが指を鳴らす。
「よし、じゃ決まりだな。君たち二人も討伐依頼、やってくれるね?」
そしてその端正な顔立ちで微笑んでくる。
あまりにも整いすぎたその表情に、ある種の恐れを抱きながらも、僕と内海は首を縦に振った。
次回更新は5月26日(木)です。




