とまらず駅
「とらまつ駅って知ってる」
少女達の話し声で幸雄は目を覚ました。
昨夜も遅くまでバイトだった。どうしてもはずせない講義があったため、眠い目をこすりながら早朝の電車に駆け込んだのだが、いつの間にか眠ってしまったらしい。
乗換駅まではもうしばらくだったが、席の前に女子高生の集団が来てしまった以上、安眠を諦めざるをえなかった。
観念して、彼女達の会話に耳を傾けることにした。
「知ってる。○○と××の間の駅でしょ」
「そう。あそこって、普通電車も停まらないんだって」
「マジ。なんで」
「使う人がほとんどいないんだって。両側の駅に急行が停まるから、みんなそっちにいっちゃうみたいだよ。だから普通電車も一時間か二時間に一本くらいしか停まらないんだって」
「全然普通じゃないじゃん」
「だからみんな、とらまつじゃなくて、とまらず駅って言ってる」
「受ける」
とらまつ駅のことは、その付近に住む友人から聞いて知っていた。
友人いわく、両隣の基幹駅までたいした距離もなく、また、とらまつ駅の周辺も寂れていたため、利用客がほとんどいないのだそうだ。
かといってまったく停車しないかといえばそうでもなく、何時間かに一本かは停まるらしい。いずれ廃駅になるだろうと、彼は笑いながら言った。
つけ加えて彼が、少しだけ気になることを口にしたのを思い出す。
「俺、二十年近く地元に住んでるけど、あの駅に電車が停まったの、見たことないんだよな。一度気になって駅員さんに聞いたことあるんだけど、停まりますよ、としか言わなかった。すぐに電車がやってきたから、それ以上は聞けなかったけど」
時刻表にも何本かは、この列車はとらまつ駅に停車します、と但し書きがある。
しかし、急行列車が頻繁に出ているのにわざわざそのために各駅停車を選択する理由もなかったので、確かめる気にもならなかったのである。
友人も車に乗るようになってからは電車を利用する機会も減り、どうでもよくなったとのことだった。
「あ、もうすぐ、とらまつだよ」
その声に何気なく顔を向ける。
「やっぱ人いね~」
「がら~んとしてたね」
「受ける」
その日は同じゼミの仲間達との飲み会だった。
そのまま誰かの家に泊まっていってもよかったのだが、なんとか終電に間に合いそうだったので帰ることにした。
久々の会合で飲みすぎたこともあり、乗換駅での待ち時間中に眠ってしまった。
アナウンスに慌てて飛び起きるも、本来乗るはずの急行列車はすでに発車した後だった。
あとは最終の普通列車が残っているだけだった。
しかし、それでは最寄の駅までたどりつけないため、とらまつ駅の近くに住む友人に連絡して迎えに来てもらうことにした。
最終電車に乗り込んだのは幸雄一人だった。
普通列車とはいえ、友人が待つ駅までは一駅しかない。
貸し切り列車のど真ん中にどっかと腰を下ろし、シートの背もたれに身をゆだねる。
ゆるやかな発進と真っ暗な外の景色が眠気を誘った。
うつらうつらし始めたころ、その車内アナウンスが幸雄の意識を覚醒させた。
『次は~、とらまつ~、とらまつ~……』
はっとなって起き上がる。
確かに、とらまつ、と聞こえた。
きょろきょろと周囲を見渡していると、しだいに列車は減速し始め、停車したのである。
猛スピードで通過する車窓からしか見たことのなかった、あの、とらまつ駅へ。
「とまらつ~、とまら……」
車内アナウンスを聞きながら、ぼんやりと乗降ドアから外の景色を眺める。
そこには人の気配も他の物音も感じられない。常夜灯にまとわりつく虫の羽音が、ジジジジと聞こえてくるだけだった。
ドアが開いていたのはほんの十秒くらいのことだろう。
そのわずかな時間の中で、幸雄は何度も葛藤を繰り返していた。
(珍しい)
(こんなチャンスは滅多にない)
(降りてみたい)
(それほどのことでもない)
(でも話のネタになる)
(降りてどうする)
(友人に迎えに来てもらえばいい)
(次の駅ならば歩いてでもいける)
(こんなチャンスは滅多にない)
(道に迷ったら迎えに来てもらえばいい)
(こんなチャンスは滅多にない……)
気がつくと幸雄は、列車から飛び降りていた。
ドアが閉まる寸前の決断だった。
プシューとドアが閉まるのと、列車が発車するのはほぼ同時で、ガタンガタンと音を立てながら消えていく明かりを、高架のホームにたたずみながら眺めていた。
なんとはなしに、やってしまった、と思いつつ、幸雄が改札へと向かう。
そして絶句した。
その駅には改札がなかったのだ。
ホームから見えた階段を降りていくと、その先は壁だった。
何もなかったのである。
パニック状態に陥って線路を飛び降り、反対側のホームへと駆け上がる。
しかしそこにも何もなく、階段の下はコンクリートの壁があるだけだった。
ホームの端まで向かうが、そこから見下ろす先は漆黒の闇だった。線路の奥も一メートル先すら見通せぬ真の暗闇で、一歩足を踏み外せば十数メートル下へと落下することだろう。
否、それは永劫の闇のように幸雄の目には映っていた。
携帯電話も圏外のままで、途方に暮れ、駅名票に目をやる。
そして幸雄は気づく。
それが、『とらまつ駅』ではなく、『とまらず駅』となっていたことを。
立ちつくす幸雄の耳に、遠く列車の警笛が聞こえたような気がした。
*
「あそこの駅、最近使う人が現れたんだって」
「マジ」
「ホームに立ってるの、見た人がいたって」
「笑える。座って待っていればいいのに」
「ねえ。いつとまるのかもわからないのに」
「それがさ、ずっと通過列車の方を恨めしそうに見てるんだって。まるで何年もそこで待ってるみたいな顔で」
「受ける」
了
記憶の限り思い当たらないのですが、過去に似たような内容のものがあったらすみません。




