理不尽にも長谷川綾人の気遣いは空振りに終わる
一通りクラスメイト達と話し終えると、俺は席に着いた。
そして始業時間一分前、教室の戸が静かに開かれた。
「みんな、おっはよー!」
麗華が教室に入ると、一瞬で周りの空気が明るくなったような気がした。
ただ、そんな中で今日は少しだけ違う印象を持っている奴がいた。隣に座ったそいつは、何やらひそひそと前の奴と話し始めた。無論、隣にいる俺には丸聞こえだ。
「ねえ、麗華ちゃんってなんでこんなぎりぎりに来るんだろう? もしかして寝坊だったりして」
それは至って当然の疑問だった。ここ、鵜森高校は県内でも有数の進学校だ。近年ではトップとの呼び声も高く、みんなそれなりに勉強への意識が高い。
だから、ルールとかはないもののみんな自然と始業十分前くらいには来て予習やら、復習やらをしている。まだ、一年の一学期ということもあり、俺たちはさほどそういうことはしていないが、周りがこの時間に来ている分、合わせている奴らも多い。
クラスでも俗にいうウェーィ系の奴らがこの時間に来るのならこんな疑問を抱かれたりはしなかったかもしれない。多分、あいつアホだもんなの一言で終わる。ちなみに俺も多分それで終わる。
しかし、麗華は違う。あいつは優等生とかそういう類だ。だから、こういう疑問を抱かれてしまう。まずいな、このままいけばあいつのだらしなさが露点してしまうかもしれない。いや、俺がまずいわけじゃないんだけど。
ただ、あいつがあいつなりに装って生きてるのを俺は知ってる。だからここであいつを助けるのは俺の幼馴染としての義務だろう。
来る前にカフェで勉強しているところを見たとかいえば納得するだろう。そう思い、俺が口に出そうとした瞬間、先に前に座っていた男子が口を開いた。
「バカ野郎! 麗華ちゃんは学校に来たらみんなに構わなくちゃいけないから家で勉強してきてるに決まってんだろ!」
「ああ、たしかに!」
俺はずっこけた。ずっこけ一人組だった。いまなら新喜劇に出ても違和感ないんじゃね? とか勘違いしてしまうくらいには完璧なこけっぷりを俺は披露した。
なんで納得しちゃうかな? 合ってるよ、あいつは寝坊だよ。むしろ多分いま「ふうー、何とか間に合ったー」くらいの気持ちでいるよ。あの涼しい顔とか清々しい感じとか全部作り物だから。
「綾人くん、おはよう」
そんな麗華はこちらの気遣いだとか、ずっこけだとかは知る由もなく、仮面をかぶったまま、俺に挨拶をした。
起こしに行った時との対応の違いに軽く引く。でも、そんな顔をみんなに見せれば、せっかく麗華ちゃんが挨拶してくれたのにあいつ嫌そうな顔しなかった? と、たちまち嫌われてしまう羽目になるのでそんなことはしない。
だから、しっかり心の中で言っておく。理不尽め、爆発しろ!
ちなみに、当然のことながら俺と麗華は一緒に登校したりはしない。幼馴染と登下校、などというのは、フィクションの世界、もしくはお互いに釣り合いが取れていたり、周りが二人の関係を容認するようになってようやくできるものであり、釣り合いもとれておらず、俺たちの関係が周知されていない以上、その択は取り得なかった。
べ、べつに麗華と一緒に学校に行きたいわけじゃないんだからね! などとツンデレ風に言うと本心は行きたいと思っているように聞こえるけど、本当に麗華と登下校を共にしたいとは思っていない。
人間一人になる時間は必要である。だからこそ、昨今はそういう時間がとりやすくなっているのだろう。
上司からの飯の誘いを深夜アニメが見たいからと断っても、最近の若い奴だから仕方ねえか、と思われる程度である。これでも十分に悪く聞こえるが、昔のようにやれマナーがどうの言われるよりは幾分もましである。
だが、こと俺に関してはそうもいかない。むしろ四六時中、君に夢中で監視されているまである。いや、監視は言い過ぎか。とはいえ、家に帰ると俺より先に幼馴染勝手に居座っているのだから似たようなものだ。
よって、俺が一人の時間を取ることができるのは麗華が帰ってから就寝までの数時間と登下校の時間のみだ。え? なにそれ。短過ぎない?
一日って二十四時間あったと思うんだけど。一体いつから一日が二十四時間だと錯覚していた? とか、もしかしてそういうやつか。
とはいえ例え一人の時間が取れたとしてもつまらないことを考えるだけなのでどうってことはない。
こんな生活も十年以上していると慣れてくるものなのだ。
麗華は席に座ると、ギリギリに着いたくせにやけに伸びた背筋をしていて、その様子からはとても寝坊しそうになったようには思えなかった。
俺がそんな風に麗華の背中をぼーっと眺めていると、思い出した、とでも言いたげな表情で麗華は俺の方へ振り向いた。
その瞬間俺に見せた、ただ美しいだけの薄っぺらい笑顔に嫌な予感がした。
声は出ていない。ただ少し唇を動かしただけ。きっと、周りのみんなはその言葉に気づいていない。ただ、麗華が振り返っただけに見えるだろう。
あまりにもわかりづらいサイン、俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。癖になってんだ、読唇術。いや、なってねえけど。
ただ、実際声なく伝えられた「罰ゲーム」のワードはしっかり俺の元に届いてしまった。
ちっ、覚えてやがったのかよ。家で聞かれたら「忘れちゃってた〜、私ダメだな〜てへぺろ!」とまで言う準備をしてたんだけどな。どうせ、そのことを見越されて予防線を張ってきたんだろうけど。
それからというもの、俺はずっと麗華に話しかけるタイミングを伺っていた。授業中、休み時間、昼休憩、掃除etc…。
とにかく、ずっと見ていた。変態とかストーカーとか言われるのも時間の問題かもしれない。
でも、これは俺が悪いわけではない。むしろ麗華が悪い。こいつ自分から話しかけろとか言っておいて休み時間わざと俺が話しかけにくいように女子とばかり話してやがる。
なんでわざとかわかるかというと、休み時間の度にあいつが俺の方を見て少し口角を上げるからである。さあ、話しかけてこいとでも言う風に。
だが、俺はこの挑発には乗らない。
この麗華の挑発にはある弱点がある。というか、あいつの人気に弱点がある。
この世には二種類の人間がいる。なんて、よくある言い方だけれど、本当にそうだ。
圧倒的なカリスマ性を誇る人間には人が集まる。要するに仁王立ちでも人が寄ってくる人間だ。
そして、寄ってくるというのだから、もちろん寄る側の人間も存在する。その他大勢とか取り巻きとか長谷川綾人とか言われるやつがだいたいそんなところだ。
この二種類でいうのなら麗華は間違いなく前者だ。つまるところ休み時間、あいつは動いていない。
席に座ってわざとらしく話したい人の方を見るだけで寄ってくるのだ。まったく解せない。だが、席を動かないということは常に俺の前にいるということになる。
ならば話は早い。麗華が話しかけられる前に話しかければ良いのだ。と、この結論に辿り着いた。
結論は出たもののもうすぐ五限が終わる。入学して間もない俺たちに七限はない。要するに、次の休み時間は最初で最後のチャンスだ。
これを逃してしまえば今日中に話しかけることはできない。そうなれば家に帰ってなにを言われるかわかったもんじゃない。
罰ゲーム増やすとか言われたら、もう不登校になっちゃうレベル。よし、そうなったら麗華に養ってもらおう。うん、それがいい。あいつ勉強もできるし将来安泰だろうし。そうと決まれば帰って料理の練習でもしようか!
と、いつも通り現実逃避を挟んでもう一度現実世界に戻ってきた。憂鬱だ、陰鬱だ。それでも俺は話しかけなきゃいけない。
五限の終了を意味する鐘がなる。「起立、礼」の号令を終え、みんな口々に話し出す。
そんな中、俺は一人覚悟を決めた。
「中坂さん!」
俺は麗華に話しかけた。
読んでいただきありがとうごさいます!
ブクマ、評価、感想もよろしくお願いします。
ジャンル別日刊ランキング35位を取ることができました。本当にありがとうございます。
これからも沢山の方に楽しんで読んでいただけると幸いです。