#4 おはよう、世界
───鳥が、鳴いている。
どこかから微かに差し込む光と、テレビ番組の声に混ざり聞こえたのは、聞きなれた鳩の鳴き声らしき音。
俺はよく知っている。この一筋の光と、この声は。
この、状況は。
「───朝…?」
───俺、ちゃんと眠れたんだ。
───あ、でも待てよ。
───昨日のは、夢…だった、なんて───
「おっはー☆ねぼすけさん!」
「うわー!?」
───夢、じゃ、なかった……
「おはよーさん!元気か?元気だよな?」
やけに人懐っこい少年が、ベッドのそばをぐるぐる回る。
散歩をねだる犬のようにそれはもうぐるぐると。
うーん。朝早くから元気だなあ───
寝ぼけ眼に近い状態の俺は、がくがく揺さぶられながらぼんやりおはようございます、と呟いた。
「元気ならさぁ、朝飯食って遊ぼーぜぇ!」
少年はさらに俺を強く揺さぶる。あああ、元気が良すぎる。今何時だってんだ。一体なんだってんだ朝早くから。
おねがいします揺さぶらないでください、そう言おうとしたら開いていたドアの先からなにやらばたばたと騒がしげな足音が。
徐々に。
近づいて。
部屋の前で、『きゅっ』と可愛らしい滑り止めの音を奏でて。
「緋依!おまえという奴は朝っぱらから…!」
次に部屋に駆け込んできたのは、黒髪を後ろで束ね、たすき掛けをびしっとキメた、和服の青年。
「あ、おはよー雅史!朝飯なに?」
「『朝飯なに?』じゃなかろう!珍しく早起きしたと思えば朝早くから騒ぎおって…!」
「朝飯、白飯?パン?」
「白飯予定だがパンもある。…いやいや話を聞け!騒ぐなと言っておるのだが!?」
まさちか、と呼ばれた青年が少年の首根っこを掴み、騒がしくしてすまなかった、と部屋をあとにした。
「…もう一眠りしよ───」
「おはようございます〜!今朝もと〜っても、良い朝ですよ♪」
「ね、チョコレートコスモスがすっごい綺麗に咲いたから見てくれない!?」
───この家の人たち、朝早いな〜…。
「おはようございまふ…」
俺は結局二度寝叶わず、いつもより2時間くらい早い、7時30分頃に1階の部屋に降りてきていた。
「あ、おはよ〜。朝早いんだねえ」
「違うよ右京、この子達が騒いだんだ」
「スマーヌ」
「ちゃんと謝れ緋依。私からも、誠にすまなかった」
和服の青年が、緋依と呼ばれた少年の頭を掴んで下げさせる。
いたたた、ちょっとやめろ髪が乱れる、とか言いながら、緋依さん(?)はじたばた。元気な少年らしくもがく。
「ダメじゃないか、緋依くんに雅史くん。今日はおやつ抜きだね」
「あー!!以後気をつけるから許して!」
「わ、私は別におやつ無くても良いのですが緋依にはどうか与えてやってください」
「うわー雅史!雅史さま!!愛してる!!」
あ、意外と仲良しなんだなこの人たち。
「朝はパン?ご飯?響月くんはどちら派だい」
「あ、俺はパン派で───」
ナチュラルに名前を呼ばれたことに、身体が無意識に強ばる。
「…ああ、私としたことが…」
「左京、わかるよ。だって知ってるんだから」
───知ってるんだから。
右京さんのその一言で、ぞくり、身体の中をなにかが駆けて行くのを感じた。
「…右京、おまえも失言したな」
「あ…っと、あの……うん、ごめんなさい」
右京さんは申し訳なさげに頭を下げる。部屋の住人達がみな、余計なことは言うまいと口を閉ざす。
そんな静まりかえる室内に、唐突にひとつ、あ、と小さな声が漏れる。
次の瞬間────
ぐ───。
「…ええっと」
緋依さんが頭をぽりぽり掻きながら、恥ずかしそうに笑い、口を開く。
「ま、そんなの後にして飯食わね?」
───
「と、いうことで」
普通のダイニングテーブルに並ぶ、サラダやパン、フルーツ。ご飯、焼き魚、味噌汁。
和と洋入り交じる、不思議で豪華な食卓。
「───いただきます!」
ぱん、と手を合わせる音。一斉に響く。
「「いただきまーす!」」
あ、そういう。
学校給食みたいなシステムなのね。
完全にタイミングを逃した俺も慌てて手を合わせて。
「い、いただきますっ…」
「ふふ、どーぞ。たくさん食べて?」
「はいっ、新入りさん♪こちらどうぞ〜!」
「それ、俺お気に入りのチョコレートクリームなの。甘さ控えめで美味しいよ」
先程まで2階にいた王子様のような人───セシルさん?と、渚さんも合流した食卓はそれはそれは賑やかであった。
「なあセシル、そこのジャム取って」
「む?どれです?」
「緋依だしどーせ苺でしょ。はい」
「Thank you.」
「おお…美しい発音。今度からは英検の勉強もしようか」
「勘弁してくれよセンセ…」
「というか手、届くだろう。伸ばせ」
「緋依くん、面倒くさがっちゃだめだよ」
会話の感じや、穏やかで和やかな雰囲気。
一緒の空間で一緒に楽しくやってるけど、どこかほんの少し個人主義っぽくもある、至って普通の"家族"のような食卓の風景。
───いや、"ような"と言ったがもしかしてこの人たちは…本当に家族だったりして?
素性の分からない彼らと、共に過ごせば過ごすほどその関係性や在り方が気になって仕方がなくなってゆく。
───この人たちは一体、何者なんだろう。
「…口に合わなかった、かな…?」
家族か、いやもしかしたらただのシェアハウス…?などとぼうっと考えていたら、食事の手が止まっていたらしく、心配そうに右京さんが顔を覗き込んできていたことに気づく。
「ほ、ほら、サラダとかなら…私、特に調理してないし食べられるかも…だよ…?」
右京さんの語尾が、悲しげにだんだん小さくなっていく。
「い、いえっ、今ちょっと考え事をしていて…あ、み、味噌汁すごい美味いです!」
それを聞いて右京さん、そっかぁ、と心底安心したように元の笑顔に変わる。
細切りの大根と人参、油揚げに豆腐にわかめ。具沢山で豪華で、家で食べる味によく似ていて…とても安心感のある味噌汁は、確かな美味さだった。
あとでおかわりしよう。
「ていうか、珍しい組み合わせだね。パンと味噌汁、合うのかい」
次は左京さんが俺の手元を覗き込む。
「あ、でもだし巻きのパンとかあるし。出汁系の味とパンって意外と合うんじゃない?」
俺は時々、朝に母親が父親のために作り、余った分をパンと共に食べていたから違和感がなかったが、世間的にはこの組み合わせは珍しいのか。
俺は少し、世界って広いんだな、と思った。
なんて。ちょっとしみじみしていたら、俺の手を誰かが握る。
「なーあ、飯食ったら遊ぼーぜぇ。新作のゲーム、やる相手いなくてつまんねーの」
きゅるん、と目を輝かせて俺を遊びへ誘う緋依さん。
ミルクチョコレートのような甘めの茶髪が眩しい。
「ダメだよ緋依くん。彼は今日、知らないといけないことがたくさんあるんだ。遊ぶのは彼の勉強が済んでからにしようね」
知らないといけないこと───
「ああ、まあ…あんた賢そうだしすぐ理解できるよ。だいじょーぶ」
緋依さんはにこりと笑った。年頃の少年らしい、悪戯な笑顔。やがて、握っていた手が離れ、次は指が繋がれる。
「だから、終わったら遊んで。これ、予約だかんね?」
指切りげんまん、だよ。と緋依さんは指切りをして、ごちそーさまー!と元気よく居間へ駆け出して行った。
「…すまないね、我儘な子で」
食事を終え、コーヒーを飲みながらビスケットを齧る左京さんが困ったように緋依さんが駆けて行った方を見つめる。
どこか、悲しげな瞳には、居間でテレビを見て楽しげに笑う緋依さんの背中が映っていた。
「歳の近い"友達"が出来て、嬉しいんだ。許してあげてくれ」
そう言うと左京さんは、先程の緋依さんと同じように俺の手を握る。
暖かくて、結構がっしりした、ちょっと褐色肌の大きな手。
「勉強は早めに済ますように心がけるから、終わったらどうか、彼と遊んであげて欲しいな」
「は、はい…」
続いて、緋依さんが抜けて空いた俺の隣に、雅史さんがすいっ、と流れるように座りに来た。そして耳打ち。
「良いか少年、あまりひどい我儘を言うようだったら、1発殴っても良いからな」
…この人たち、仲がいいのか悪いのかわからないな。
「まぁ、とりあえず。響月くん、食後は紅茶派?コーヒー派?」
「え?あ、あぁ…えっと、紅茶派です」
「ん、了解♪」
右京さんは鼻歌を歌いながら紅茶を入れ始めた。私も紅茶派なんだけど、この家の人、みんなコーヒー派だから…なんて、そんな話を交えながら。
「あ、この後8時30分から講義をはじめるね。私は部屋を準備してくるから、雅史くんか右京に、私の部屋に案内してもらって欲しい」
「わ、私はちょっと用事が…えと、あの、来週提出の課題がありまして───」
左京さんの一言に、雅史さんはたじろぎながら逃げ道を探し始めた───が、すかさず右京さんがその型をがしりと掴む。
可愛らしい姿からは、想像も出来ないくらい強めに。思わず雅史さんも『痛いッ!?』と叫ぶ。
「雅史くん、一緒に案内しよっか♪」
虎のように眼光鋭く。だが、あくまでも"脅し方"は可愛らしく。
「…は、はいぃ…」
その場に崩れる雅史さんを放り、はいできました♪と上機嫌に俺の前へ置かれる、右京さん特製(さっきティーバッグで淹れてるの見たけど)ミルクティー。
「いやだ…私の、私の貴重な休みが…」
項垂れ度MAXの雅史さん。
「わ、私も、見たいテレビ番組、あったんだけどなぁ…し、仕方ないよねぇ……」
にこにことしつつ、右京さんも若干憂鬱そうに笑顔を曇らせる。
…い、一体、なんだっていうんだ。
「あ、センセの部屋、俺達の中では"長門刑務所"て、呼ばれてんの。あの部屋、センセの"スイッチ"入ると出らんないから」
突然背後に現れて物騒な名前をあげると、緋依さんはたったかたー、と元いた場所へ戻っていった。俊足。
「最長記録は3日だ。私は、あまりに物覚えが悪くて3日あの部屋にいた」
項垂れる雅史さんが項垂れポーズのまま、ちょっとやばそうな話をしている。
本当は聞かなかった事にしたいが、うっかり聞こえてしまったから、もうその情報からは逃れられない。
「違うよ、雅史くんの物覚えが悪いんじゃないんだ。あいつが勝手に、雅史くんへのレクチャーに白熱しすぎただけなんだ…」
左京さんが部屋を後にしたことを確認した右京さんも、雅史さんにつられてその場に崩れ落ちる。
「きみがあまりに可愛いと、雅史くんの二の舞になっちゃうかもだから、気をつけてね…」
…なんだかちょっと怖くなってきたぞ。
「ま、今日は俺との約束もあるし、なるはやで済ましてくれると思うけどね!思いたいね!」
…思いたいだけかい!