#3 Good night,
「いろいろ、ごめんね。ややこしくて」
半ば(てか完全に?)強引に泊まることが決められていたらしい俺は、借り物のパジャマ(右京さんの)を持って風呂場へ向かっていた。
「明日、ちゃんと説明させていただきます。だから、今日はひとまず許してね」
右京さんは申し訳なさそうに笑うと、ぺこりと頭を下げた。
バニラの香りが、ふわり、漂う。
「お風呂、今日は柚子の入浴剤なんだ。気に入らなかったら入れ替えるけど、大丈夫?」
「あ、大丈夫…です。うちも、毎日柚子の入浴剤だから」
「おや、そうなの。いいよね、柚子。いい香りだし、温まるし…」
はい、ついた。ここがお風呂ね。着いた部屋のドアを開けると、そこにはうちの家より遥かに広い脱衣所が。
「私、ちょっと洗濯物整理するから出入りするけど、邪魔だったら追い出してね」
ではごゆっくり、と残し、右京さんは洗濯カゴを片手に部屋を後にした。
てきぱきと家事をする姿に母親の姿が見えた気がした。
「…入るか」
ドアを開けて、風呂場を確認する。
湯船は大きめ。足を伸ばせる…程じゃないが、そこそこのサイズ感。
棚にはいろんなシャンプーが置かれていて、ザ・シェアハウスという感じがした。
…かつて友達と交わした『大きくなったら、みんなで一緒のお家に住もうね!』という約束が頭を過る。…あの約束が果たされたら、きっと…。
「シャンプー、私の使ってくれていいからね。青いボトルのやつ」
脱衣所から、右京さんの声が響く。
曇りガラス1枚隔てた先に、右京さんの金髪が揺れているのが見えた。
ほの暗い照明に照らされて、星屑を散らしたようにきらきら髪がきらめきを帯びているその様は、先程まで感じていたバニラの香りの記憶と相まって、なんだか不思議な気持ちになる。
女性の家に泊まりに来ているような、いや彼は…彼はどうしても声が男だから男で───
「お風呂あがり、牛乳派?ココア派?それとももっとほかの選択肢派?」
「うわあ!?」
急に扉を開ける音に驚いたのか、右京さんが入ってきたことに驚いたのか、はたまた両方なのか定かではないが俺は湯船から一旦ぴょっと若干飛び出した。
腰にはタオルを巻いていたので安全。…いや何の心配だそれは?
「ご、ごめん。そんな驚くとは」
若干引き気味の右京さんは濡れたタイルに踏み出した1歩を元に戻した。
「あ、そだ。思い出した。青汁もあるよ」
今日安売りしてて買ったやつ、と相変わらずのにこにこ笑顔で答えを待つ右京さん。何にしようかな…とちょっと迷っていると、右京さんはにこにこしながら青汁、美味しいよ?と付け足した。
「はちみつ入りなんだって。置いてあるワゴンがほぼ空になってた。きっと人気商品だよ」
なぜかやたらと青汁を推すなこの人。
「左京も美味しいって言ってたよ。だから、これかなりオススメだよ?」
「じゃ、じゃあそれにします」
半ば強引に青汁に決定させると、じゃあ決まりね♪と右京さんは風呂場をあとにした。
「…左京さん、信頼されてるんだなぁ」
確かに、話し方とか服装や佇まい、出で立ちなんかは品があって美しかった。
ちょっと天然なようだったが、竜退治(?)の時の俊敏な動きや凛とした表情なんかとはギャップがあって、そんな所も素敵に見えた。
「…しかし」
風呂上がりの青汁。
うーん、初めての経験。
ぐっすり眠れるのかしら。ああ、やっぱりホットミルクとかにしときゃよかったかな…でも右京さんが激推ししてくるし断りにくいしー…。
そんなことを考えながら、俺はゆっくり湯船に沈んでいったのであった───
「───ぅあちっ!?なにこれ追い炊き!?」「あ、お湯出るとこ気をつけてね。めっちゃ熱いよ。私、足乗せてて何回も火傷してる」
「そ、それ早く言ってください!」
─────
「…ふぅ。いい湯だった」
やけにいい香りのする、謎の犬柄がプリントされた右京さんのパジャマを着て、風呂上がりの俺は居間らしき場所にいた。
ダイニングテーブルでは、右京さんと左京さんが2人でまったりくつろいでいらした。
「あ、おあがりなさーい。私の寝間着、サイズあったみたいだね。よかった」
「あ、既視感があったのはそういうことか」
懐かしいものだな、と左京さんが俺をみてしみじみ、微笑む。
「ヨレヨレでごめんね、ほんと。緋依くんなんかに頼めば、もっときみに似合うのがあったのかなー」
右京さんは立ち上がり、棚から可愛らしいマグカップを取り出した。白い、犬のキャラクターの描かれたマグカップ。
うちにある、俺が普段よく使っているものに少し似ていて、なんだか安心感がある。
「青汁でいいんだっけ?」
「あ、は、はい。青汁…を」
了解しました♪と右京さんはポットのお湯を青汁の粉末の入ったマグカップに注ぐ。マグカップから柔らかな湯気が立つ。
「きみ、青汁飲むんだね。珍しい子だ」
「緋依くんは『絶対飲まないから!』って言ってたねぇ」
「あの子、野菜苦手だからね…」
時刻は午後9時30分───テレビでは、家でもよく見るバラエティ番組で、芸能人たちが美味しそうなご飯を食べていた。
「あ、明日の朝ごはんどうしよっか」
テレビに映るトーストを見て、右京さんが呟く。
「パンが沢山あるよ。食パンと、フォカッチャと…あ、最近出たとこの全粒粉のパンもある」
「わ、選び放題だね」
「ご飯もあるし、好きにできるよ」
きみは何が食べたいかな?左京さんは俺ににこりと微笑みかける。
右京さんによく似た、柔らかくて温かな、笑顔。
「…あ、お粥でも大丈夫だよ。私、作るから」
右京さんも微笑む。お料理、好きだからね。と腕まくりをして見せる。
どこからどう見ても、俺には彼が"頼れるお姉ちゃん"にしか見えなくて、つい何度も目を擦る。
目を擦っても、映るのは相変わらず…"お兄さん"なのだが。
そんな、目をごしごし…はて?の動作を繰り返す俺を見ながら、当の右京さんは我が子でも見ているかのように、ふふ、と笑みを零す。
「眠くなっちゃったかな」
「今日、いろいろあったからね。疲れているんだ、早めに休むといいだろう」
俺の飲み干した青汁のマグカップを、左京さんが流しへ持っていく。
「じゃ、寝よっか。寝室へ案内するよ。ついてこれる?」
そんなつもりはなかった俺だが、まあいつまでも起きていても迷惑をかけるだけなので、大丈夫です、と彼の背中についてぺたぺた廊下を歩いていく。
─────
右京さんに案内されたのは、1番初めに目が覚めた部屋…の、隣の部屋。
<TOUGO>、と書かれた可愛らしい木のプレートが掛けられている。
「今日はとりあえず、この部屋を使ってね」
「は、はい…」
がちゃり、ドアを開ける。中は───…
「あ、大丈夫。中の住人はね、今夜は別室で遊んでるから、気にしないで?」
「お、俺が追い出した、とか…?」
「あはは、違う違う。大丈夫だよ。彼ね、今日は別室で徹夜ゲーム大会だって。一昨日くらいからずぅっと言ってた」
新作が出たらしくてね、と彼は困ったように笑う。
きみはああなっちゃだめだよ?と言わんばかりに俺を見つめながら。
「でもあの子、きみに部屋を貸すために、ちゃんとベッド綺麗に整頓したみたい」
ほら。指さされた先には、高級ホテル(泊まったことないから想像だけど)のように美しく、しわひとつ付かぬよう整えられたシーツ。
綿菓子みたいにふわっふわの枕、羽毛ぶとん。そして、枕元の小さな机には、可愛らしいライトと…あれは、アロマポット?
「あ、アロマポットなんて準備して」
右京さんがぽち、と電源を入れると、蒸気と共にラベンダーの香りが漂う。
甘く、優しい嗅ぎなれた香りが俺を包み、なだらかな安心感が部屋中をを覆う。思わず、欠伸が出る。
「安眠効果、期待できそうだね」
安心した俺を見て同じく安心したのか、右京さんはつられて欠伸をする。
いけない、と慌てて口元を隠すと恥ずかしそうにはにかみ、俺の手を引きベッドへ導く。
まるで、おとぎ話の王子様のように。
「お疲れ様、だね。今晩はゆっくり休んでね」
ベッドにぽすんと座る俺の手を上からきゅっと握り、いい子だね、とその姿からは想像出来ないような低く、甘く響く声で囁く。
そのまま俺の胸元をとん、と柔く押し、ベッドへ寝かせ、ふわふわの布団を被せた。
続けてぽふ、と1度ゆるく布団を撫でるように叩き、枕元の電気を消す。
───部屋は1度、暗夜と静寂に包まれる。
「さ、じゃあ私も眠りに行くとするよ」
ぼんやりと、右京さんの声が微睡む耳に入ってきて、薄れていく。音をたてずすっと立ったと思えば、俺の顔を覗き込む。
「寂しかったりしたら、呼んでね」
赤い目を細めて。
「いつでも、そばに来るからね」
俺の、頬を撫でる。
優しい指、温かい眼差し。
「それじゃあ、おやすみなさい」
開いたドアの隙間から流れ込む光を背負い、俺の方に振り向きひらりと手を振り。
「─────響月くん」
では、と、お辞儀をして、部屋を後にする。
上品な動作、美しい笑顔。暗がりの中でも、見える。
今日、何度も見た笑顔の中で、1番やさしい笑顔───
「───え?い、今、俺の名前…えっ?ちょ、ちょっと右京さん?なんで俺の名前知ってるんです!?右京さん!?右京さーーーん!?」
─────
「…呼んだね?」
「ふふ、うっかり。呼んじゃった」
「彼、もう今ので目覚めちゃったよ。きっと」
「申し訳ないことしちゃった。ふふ…」
「反省してないな…」
次回、1度3.5話という合間の物語を挟みます。
更新がマイペースすぎてすみません…!