After Party
今日、全てが、終わった。
今日は、驚くほどあっさりとやってきた。
わくわくも無ければ、どきどきも無い。
いつもと変わらない目覚め。
いつもと変わらない起床。
いつもと何ら変わらない準備。
いつものように出る玄関。
その全ては、いつもと同じ。
何も変わらない。
今日は、とても晴れていた。
晴れやか、という言葉がぴったりに思えた。
車窓の向こうの景色。
変わることなく流れる景色と、イヤホンから流れる音楽。
何も変わらないまま過ぎていく時間。
そう、全ては同じ時間の中の出来事でしか無い。
あまりにいつものことのようで、今日が本当に終わりなのかを錯覚してしまうほど。
その場所は、やはりその場所のままだった。
どんな場所になろうとも、どんな環境になろうとも。
全てが同じで、全てが変わらない。
どこにいようとも、自分達のホームへと変えることが出来る。
それだけは揺るぎない自信があった。
扉は、最初から開いていた。
自分で開ける必要が無い、その扉。
最後まで閉まることの無かった、その扉。
その向こうは当然に大規模で、大音量で、大それた場所だった。
けれども、そんな場所に臆することは一切無かった。
理由は明快かつ単純だった。
地点、状況に一切の関係は無い。
そこに出来たその場所が、その場所になる。
それがどんな場所であろうと、そこに集まれば、最早その場所になる。
その本質を知っていたからこそ、空気や環境に圧倒されることは、全く無い。
むしろ、臨むところとばかりに、最初の瞬間から楽しむことに集中する。
楽しまないことは、損ではないかもしれないが、後で悔しい思いをする。
それを体感、あるいは痛感しているからこそ、楽しむことへの専心は惜しみない。
一分一秒を無駄にはしない。
そうではない。
一分一秒を余すことなく、無駄に過ごす。
効率とは正反対の、情熱だけがそこには存在していた。
過ごし方、感じ方、考え方。
それらは各々で全く違うかのかもしれない。
ただ、少なくともこの場所においての楽しみ方だけは、同じ方向を向いていたように感じられた。
同じ視線、同じ方向だったからこそ、何も怖くは無い。
回り、飛び、転がり、跳ね。
めいめいに動いたとしても、最終的には同じ視線へと立ち戻る。
視線が集中した、その先。
あれだけ騒がしかった画面、音響、空間、そして、人。
ついてほしくない、証明。
終わる、その瞬間。
全ての音が、止まった。
それまで散々暗かったその場所に、光が灯った。
いや、灯ってしまった。
先んじて感じていた恐怖や、寂しさ、悔しさ、悲しさ。
不思議とそれらは一切感じられなかった。
ただただ、終了したという事実確認。
そう、いつもと変わらない、その終わり。
散々さまよって、ようやく見つけた光。
遠くから見たその光は、妖しく、いかがわしく、毒々しく見えたのかもしれない。
けれども、その光は、よくよく見てみれば華々しい、虹色でしかなかった。
だからこそ人を惹き付け、その色形がくっきりと映る。
その場所には、明日は、やって来ない。
それは紛れもない事実で、いつかはやってくることだと理解していた。
けれども、理解していても受け止められるかは、これからのことなのだろうと思っている。
ともすると受け止めきれずにどうにかなってしまうのかもしれない。
あるいは受け止めきって何事もなく過ごしてしまえるのかもしれない。
悲しいけれども、悔しいけれども、今日は過ぎて、終わっていく。
それは驚くほどあっさりと、やってくる。
ただ、全てが終わったその瞬間、「何か」の別の断片が、感じられたような気がした。
その場所には何もないようで、何でもある。
その時に感じた「何か」は、あの時に感じた「何か」と同じだったのだろうか。
時間を経てしまった自分には、悔しいけれど思い出すことは出来ない。
けれども、あの時の自分に感じた「何か」は、また別の「何か」へと変わりつつあるのかもしれない。
あるいは、その場所に居た誰かの中に、あの時感じた自分と同じ「何か」が芽生えたのかもしれない。
そうやって、明日は、やってくる。
そして、明日が、やってくる。




