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勝てば官軍 【魔術開発物語】  作者: 桜山 風
第十一章 憑依 
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第十三話

「リベットペンよし! ペンギンくんよし!」


 素早く作業着に着替えてから、いつもの出撃前準備を略式の早口で行い、音矢はドアを開ける。


「行ってくる!」


 瀬野に手伝ってもらい着替えを済ませた翡翠も車から降りる。


「これまでに比べて現場が暗いな」


「日の入りが早くなったうえに、今日は到着が遅い時刻ですからね」


 車から持ち出した懐中電灯を音矢は翡翠に渡し、


「はい。これを持ってください」


 スイッチの入れ方を教える。


「こういう古い家は照明が行き届かない位置がありますからね。

 暗がりに罠を仕掛けてくるかもしれません」


「わかった。死角にならないよう照らすのだな。

 それに加えて、エーテルエネルギーの反応にも注意しよう。

 あれなら暗闇でも位置がわかる」


「ああ、そうですね。お願いします」


 二人は前庭を通って玄関に向かう。


 玄関は例のごとく施錠されていない。引き戸を開けると電球の光が、そこに置かれたものを照らしているのが見えた。


「これは?」


 玄関から奥に続く廊下に、不審なものが置かれていた。


 客用のぜんが四つ、真ん中に通路を残す形で横に並んでいた。その先にもまた一つの膳がある。手前にある膳は全て空だ。だが、奥の膳には蓋つきの客用湯呑と皿に乗せられたカステラ、そして三角柱型に折られた紙が横倒しになって添えてある。


「あれはどういう意味だろう」


 三角柱の、こちらに向いた面に書かれた文字を翡翠は読めなかった。


 翡翠は瀬野に小学校の教科書と副読本を与えられて学んでいるが、1930年〔光文5年〕の小学校教育課程に英語教育は含まれていないからだ。


 しかし、自分も小卒でしかないにもかかわらず、音矢は翡翠の疑問に答える。


「あれは……[drink me   eat me]。

 【不思議の国のアリス】にでてくるセリフです。

 挿絵に書いてあった英語の読み方と意味を

 [一ツ木のおじさん]に教えてもらいました」


 音矢は幼いころ、大卒の傷痍軍人と交流があった。視力の弱った彼のために音矢は朗読を行い、その本の中に【不思議の国のアリス】の翻訳版も含まれていたのだ。


「英語を使うとは、今回の患者さんは教育がありますね。

 雑誌に載っていたのは14歳の芹川真奈美さん……女学生なのかな? 

 そして僕らのことを、

 同じくらいの知識があるだろうから

 このくらい読めると見こんでくれているらしい。

 どうも照れます。……実際は小卒と独学なのに」


 苦い笑いを音矢は浮かべたが、翡翠はそれに気づかず自分の疑問を口にする。


「それでも君は解るのだから、大したものではないか。どういう意味だ?」


「[私を飲んで  私を食べて]

 でも、あの話では書かれた言葉を信じて素直にいただくと、

 体が変化してアリスちゃんは大変な目にあいました」


「そうか、では手を出さずに先に行こう。

 あそこにはいつも回収している小冊子もあるぞ」


 奥の膳の下にあるものを見ながら、翡翠はいつも通り土足のまま廊下に上がろうとする。


「待ってください!」


「なぜだ? 靴を脱がないのは、マキビシから足を守るためだろう」


「そういう意味ではありません」


 翡翠を下がらせておいて、音矢はポケットから[ペンギンくん]を出す。これは仕掛けつきのキーホルダーだ。おどけた顔のクチバシを押してから、丸い留め金を引くと細い鎖が1メートルほど伸びる。


「えい!」


 ペンギン型の分銅で、手前に並んだ膳と膳の間の廊下板を打ってから、すぐに音矢は飛びのく。


 ガタン


 それは衝撃で簡単に落ちこむ。テコの原理で反対側が高く跳ね上がり、そこから粉状のものがまき散らされた。


「板を外して簡易落とし穴を作るとともに、目つぶしも仕掛けたようです。

 板の裏に灰を詰めた紙袋をつけて、

 持ち上がると破けるよう、

 袋の片端を隣の固定された板にくっつけておいたんですね」


 舞い上がる灰煙を避けながら、音矢は分析した。


「お茶とカステラをもらおうとして手前に並んだお膳の間を通ると、

 これにひっかかる仕掛けです。

 道筋を狭くして、どうしてもこの位置を通るように罠をはった、と」


 解説しながら、音矢はペンギンくんを振り回して全ての膳を散らす。だが、他の仕掛けが発動することはなかった。


「発想はいいけれど、仕上げが荒いですね。

 力任せに外したのか、傷のついた板が少し浮いていたから見破れたし、

 灰の目つぶしもそれほど広い範囲に散らばらなかった。

 二の矢、三の矢も仕掛けていない。おかげでこちらは助かりましたけれど」


 慎重に足を進め、音矢は膳の下にあった[読みました]というメモが添えられた小冊子と手紙、そして画用紙にかかれた絵を回収した。こぼれた茶で濡れたので、彼はハンケチで水気を拭う。


 それを持参した革鞄にしまってから、彼は絵の感想をのべた。


「小人さんたちを糸であやつって、物を運んだり人を驚かせたりする……

 今回はこんな戦法をつか」


「暴走患者がこちらに接近してくる!」


 音矢の言葉は翡翠にさえぎられる。


「これまでとは違い、本土での実験では初めて、完全に暴走しきった状態だ!

 ああ、恐れていたことがついに」


「孤島の実験で最初に暴走した人のようになってしまいましたか」


 あのときの情景を、音矢は思い出す。


「どんどん浸食がすすんで、ナメクジみたいな目と皮膚になり、

 そして……『熱い、暑い』と言って丸裸になってしまいましたね。

 今回もそうでしょうか」


「たぶんな。ああ、またあんな気持ち悪いものに追いかけられるのか」


 心底嫌そうに、翡翠は身震いをする。神代細胞を全身に持つ彼は、普通の人間よりも多量のエーテルエネルギーを放出している。宿主の脳を食い尽くし、エーテルエネルギーの発生源を失った暴走細胞は、飢えを感じると翡翠を求めるのだ。しかし、暴走した実験台が持つのは翡翠の双子の兄からとった水晶細胞。だから同じ神代細胞ではあるが種類の違う翡翠細胞を持つ彼と同化することはできない。そのため孤島での実験では、翡翠に接触して、とりあえずエーテルエネルギーを補給しては、新しい宿主を探すためにまた離れることを繰り返していた。音矢は孤島に食料を運んでくる瀬野にこれが感染することを恐れ、ガソリンをかけて焼き殺した。


 そして残りの二人は、暴走した結果のおぞましい姿が自分たちの末路だと理解した。彼らは絶望を怒りに変えて翡翠を殺そうとしたので、音矢は罠で捕らえて二人とも殺した。


「まあ、今回はあんなむさくるしい男たちではなく、

 かわいい女子学生ですから、不幸中の幸いですよ。

 体を覆った神代細胞をさっさと剥がして、裸の女の子を楽しみましょう」


「……それは、冗談か?」


「はい。なにしろ帝都、そして世界の危機が迫っていますからね。

 笑いで緊張をほぐさないと本来の実力が発揮できません」


 ひきつった笑みを浮かべて答えてから、音矢は背後に叫んだ。


「瀬野さん! 回収石のペンダントを準備しておいてください!」


 続いて彼は、翡翠のほうを向いた。


「患者さんの現在位置は?」


「ボクらの斜め左前にいる。たぶん、この先で廊下が曲がっているのだろう。

 移動速度はそれほど早くない」


「了解。それではこのまま僕たちも進んで遭遇戦といきますか」


 音矢は翡翠にこれからの作戦を伝える。


「孤島から出てきて以来に開発した新しい技術を実験してみましょう。

 まず、僕が発するエーテルエネルギーにも食いつくか、ためしてみます。

 うまくいくならしがみついて足止めしますから、

 翡翠さんは空間界面の糸で患者の細胞をそぎ取ってください。

 落ちた細胞は回収石でまとめて大人しくしてもらいます」


「わかった」


 広い家の長い廊下を移動し、曲がり角に差し掛かろうというとき


 ズルッ ズルッ


 湿った音が近づいてくる。


「来ましたか」


 音矢は床を蹴ってその場で跳ねた。

 体が浮いている間に空間界面を発動し、着地した時には緑の膜をまとっていた。空間界面はエーテルエネルギーの凝縮した物なので、音矢はこれで釣れると考えている。


「お嬢さん、こんばんは!」


勢いをつけて廊下を曲がった、次の瞬間。


「えっ!」


音矢は驚きの声を上げる。


「うあああああああ!」


「音矢くん、どうした!」


 翡翠は後を追って角を曲がった。



   ◆◆◆◆◆◆



 健二は机に向かい、香への手紙を書いている。自分が香を彼女の意に反して手籠めにするつもりがないことを伝え、安心して活動に参加してもらうためだ。


《もしも、私の態度が誤解させてしまったのならお詫びいたします。

 私は徴兵されて、少し前まで軍隊で生活していたので、

 口の利き方や物腰が高圧的でガサツになっているようです。

 あそこでは女性のことを人格のない物体のように扱い、

 その価値をおとしめることこそが

 男らしい行動だという意見が幅を利かせていました。

 私はそれに反発していましたが、

 朱に染まって赤くなっているのかもしれません》


 そこまで書いて、健二の脳裏に白い柔らかい肉体がぼんやりと浮かぶ。


 厳しい訓練と規律ある生活を強制される、徴兵された二十代の若者たちは、その反動で監視の目を盗み、寝る前のわずかな自由時間では性的なことを語り合うのが日常だった。


 潔癖な道徳観を持つ健二はそれを好まず距離を取っていた。しかし、同じ兵舎に押しこめられているのだから、どうしても耳に入る。そこで得た様々な武勇談は健二にとって不快だが、一方で強く引き付けられる感覚もあり、彼を混乱させていた。


「こらこら、まじめに釈明しようとしているのに、

 こんなことを考えてどうする」


 自分を叱り、健二は脳裏の映像を消そうとしたがうまくいかない。


《でも、私は女性の人権を尊重しております。

 そして、女性の能力は男性に引けを取るものではなく、

 しかるべき教育さえ受けさえすれば、

 社会で大いに活躍できる素質を備えていると考えています》


 万年筆を便箋から離し、健二は自分の左手を刺す。


「こんなもっともらしいことを……女体を妄想しながら書くとは。

 俺はなんていやらしい男なんだ……」


 痛みで理性を取り戻し、健二は文章を綴る。


《特に、あなたが[真世界への道]への活動に邁進まいしんする姿勢を

 私は尊敬しています》


 しかし、ここで筆は止まった。


「由井さんが真剣にとりくんでいることはわかるが、

 どうも行動がちぐはぐというか……正直言って……」


 涙を浮かべた香の顔が目に浮かんだ。その眉をよせた険しい表情が、妄想のなかでは次第に変化し、兵舎で聞いた話に結びつく。


『行為の最中には、女性はむしろ苦し気な様子になり、その声も……』


「こらこらこら! ああ、どうして俺は! 馬鹿野郎!」


 女性の人格を尊重したいという道徳と、青年の持つ欲望のはざまで、健二は苦しむ。


「そうだ……俺は由井さんを安心させるとともに、

 [真世界への道]に協力してくれることを感謝していることを伝えようとして

 手紙を送ることにしたんだ。それを思い出し、まじめに書け!」


《理想社会を建設するために、

 ずっとあなたがこの会にとどまって協力していただけたら、

 とてもうれしく思います》


 やっとのことで、健二は結びの言葉にたどりついた。


 この手紙が、もしもそのまま送られたなら、香はとても喜んだろう。しかし現実は違った。


 深呼吸してから、健二は自分の書いた文章を読み直す。


「……なんだか、恋文みたいにも解釈できるのでは?」


 それを送った結果、香と男女の関係になるところを健二は想像してしまった。熱情だけでなく、まったく未知の体験をすることの不安と恐怖が彼を襲う。そして肉欲のとりことなった自分への嫌悪感も加わる。


 しばしのためらいの後、健二は便箋を丸めて屑籠に放りこんだ。


 かわりに彼は引き出しから紙片を取り出し、丁寧に開く。クローバーの押し葉を見つめる健二の心に、呉羽の笑顔、そして無残な死に顔が交互に浮かぶ。



   ◆◆◆◆◆◆



 体を半透明な粘体に覆われた全裸の中年男が、緑色の繭にのしかかっている。彼の体は肉体労働と無縁なようだ。肩や背の筋肉などは貧弱で腕も細い。


「おお、これは!」


 翡翠は自分の身を守ることも忘れて、その傍に寄った。


「なんだろう? 初めて見るぞ」


 ウニ状の塊が三つ、首のあたりから伸びた触手の先で揺れている。


「とりあえず、武器のようですから切り離してください!」


 音矢は繭の中から翡翠に頼んだ。


「わかった」


 翡翠の空間界面は音矢のものより強度があるので、個体に触れたままでも発動できる。体を包んだ緑色の光は、反発力でジワリと彼を持ち上げた。


 両手を合わせてそっと引き、空間界面を延ばした糸を作ろうとしたとき、中年男が顔を上げる。


「変な光を出しているから、化け物なのか? 

 だが中身は普通の人間だから泥棒……

 いや北原や南方のかたきかもしれない。ならば覚悟しろ、悪漢め」


 ヒュッ


 ウニ状の塊が素早く動いた。しかし繭を叩いても柔らかく衝撃を吸収されて効果がない。そのまま下に滑って、床に突き刺ささり、板を割りながら引き抜かれる。その針の鋭さを横目で見て、音矢は冷や汗をかいた。


「なんで廊下板には刺さるのに、人間相手には効果がないんだろう……

 やはり、ワシの潜在意識は夢の中であっても殺人を拒否しているのかな。

 意外と良心的な精神を持っていたものだ。

 せっかく明晰夢めいせきむを見ているのだから、

 現実ではできないことをやりまくって、

 もっと羽目を外したいのだが、うまくいかないな」


 どこか他人事のような口ぶりで嘆く男へ、


「こんな姿勢から失礼します。ええと、あなたはどちらさまでしょうか?」


 音矢は丁重に話しかけた。


「ワシはこの家の主人、芹川正義(まさよし)だ」


 問いに気を取られたのか、再び振り下ろされそうになっていたウニの動きが止まる。


「そうでいらっしゃいますか。

 わざわざのお出迎え、ありがとうございます。

 こんな夜分に、いきなり訪問して申し訳ありません。

 真奈美さんは御在宅でしょうか」


 芹川氏の顔が、歪んだ笑みを浮かべる。それを見上げた音矢は、異常な状況にもかかわらず、日常的な挨拶と敬語での会話をしていることに滑稽味こっけいみを感じてくれたのかと思った。


 それこそが彼の狙いだからだ。さきほどは緊張をほぐすためだと言い訳をしたが、命がけの状況で冗談を話すという不謹慎な行為を、音矢は好んでいる。


 しかし、芹川氏が笑ったのは、もっと黒い意味によるものだった。


「真奈美? お前の目の前にいるぞ。ほら、これだ」


 男がつまんだのは、その頭から伸びた触手だ。


「おや、ずいぶん小さくなったな。少し前は、もっと大きな目玉だったのに」


 触手の先端には、眼球の痕跡らしいものがあった。


「他にもほら、このプヨプヨしたものも、三つのウニも、みんな真奈美だ!」


 芹川氏が体を叩くと、粘体が飛び散って、音矢たちの空間界面の表面を這った。しかし、翡翠はそんなことは気にする様子もない。


「そうか、暴走した患者はすでに死んで、

 体から水晶細胞が抜け出していたのか。

 そして、そばに未感染の生体があったので、そちらに取り憑いたのだな。ふむ」


 空間界面の糸でウニを切り落とすことも忘れ、翡翠は芹川氏の体を観察し、その分析結果を口にする。


「見たことのない状態だ。

 これまでの実験では内部から侵食していたのに対し、

 今回は表面にまとわりついて、そこからエーテルエネルギーを吸収している。

 いきなり大量の水晶細胞を浴びたせいだろうか。

 孤島で暴走した時は、全員感染していたので、

 暴走した細胞は行き場がなかった。

 人から人に移動した場合を、ボクは初めて見られる。……ええと、せ……」


「芹川さんですよ」


 男の下から逃れようともがきながら、音矢は翡翠に助け舟を出した。


「ああ、そうだ。芹川さん。実に興味深い症例を拝見させていただきました。

 ありがとうございます」


 翡翠は音矢から教育された通りに、お辞儀をして礼をいう。自分の考えを即時に丁寧語へ変換するのはまだ苦手だが、紋切り型の言葉ならつっかえずに言える程度には彼の言語能力は向上していた。


「え……」


 その様子に気を取られたのか、芹川氏は脇見をした。


「よいしょ!」


 隙を逃さず、音矢は彼を横に倒し、自分は反対方向に転がる。距離を取ってから、空間界面を解除した。


「はあ、はあ」


 繭の中の酸素を使い切りそうになった音矢は、新鮮な空気を深く呼吸する。


「光を出すし、礼儀正しいし、子供のくせに学者みたいな口をきくし、

 変な悪漢たちだな。やはり夢はわけがわからない」


 暴れるのをやめ、芹川氏はその場にアグラをかいた。そうすると肥えた下腹がたるみ、股間を覆う。見苦しいものが隠れてくれて、音矢はホッとした。


「僕らは悪漢ではありません。真奈美さんをお迎えにまいったのです」


「こんな姿でもいいのか?」


 芹川氏は体についた粘体を手ですくって音矢に見せた。


「はい、大丈夫ですよ」


「連れて行ってどうする」


「静かな場所で休んでいただいてから、

 人の役に立つ美しい石に生まれ変わってもらいます」


 芹川氏は、すべて夢だと思いこんでいるらしい。そう音矢は推理した。だから、わざと不条理でナンセンスに聞こえるように説明をする。もちろん彼の主義として、嘘はついていない。保存用瓶の中はとても静かだ。


「そうか……」


 わずかに芹川氏は戸惑ったが、


「このままブヨブヨの気持ち悪い怪物でいるよりは、

 きれいな石になったほうがましだろう。大事にしてやってくれ」


 音矢の思惑通り、夢のなかの非論理的な出来事として受け入れてくれた。


「はい。お任せください」


 うなずいてから、音矢は翡翠に目を向けた。


「空間界面を解除して、ポケットから回収石をありったけ出してください。

 それでまとめていきましょう」


「わかった」


 宿主から攻撃する意思が伝わってこなくなったせいか、ウニはその姿を失い、ヒルのような群体にほぐれた。


 音矢たちはそれを拾うとともに、芹川氏の体から神代細胞をはがし、飴玉大の回収石に紐をつけたものや、細かい石のカケラをガーゼで包んだものを芯にして丸めていく。大きさはマクワウリくらいだ。


 作業をしながら音矢は玄関で見た絵と現在の様子が違うことに気づき、芹川氏に質問する。


「すいません。娘さんは小人を操っていたはずなんですが、

 今あなたに憑いているのはウニですよね。 

 どういったわけで変化したんですか?」


「小人? そんなもの知らんぞ。最初からウニだった」


 これは嘘ではない。真奈美の作ったダルマはほぼ透明なので、芹川氏には見えていなかった。奈緒美がダルマを捕らえたときも、彼はダンゴムシのごとく丸まっていたのでその姿を目にしていない。だから彼は自分の知るところを堂々と語った。


「そうですか……」


 芹川氏の反応を見て、音矢はそれ以上の質問は無駄と判断し、神代細胞の回収作業に集中する。

 細胞を半分くらいまとめたところで、翡翠が小首をかしげた。


「……なんだか、変だ」


 そう言って作業を中断し、目を閉じる。


「エーテルエネルギーの様子が、ですか? 

 それでは回収は僕がやりますから、じっくり調べてください」


 そう声をかけながら、音矢は細胞を剥がす手を動かしつつ、ゆっくりと芹川氏の周りを移動していく。

 背後に回りこんでから、隙をついて始末しようと彼は胸ポケットに挿したリベットペンに手をやった。

 しかし、


「真奈美は、なんでこんなことに?」


 殺そうとした男から、いきなり質問をされて、音矢の動きは止まった。


「魔術師になって願いをかなえるとか言っていたが」


 動揺を抑えつつ音矢は無難に答える。


「ちょいと手違いがあったのでしょうね」


「魔術か……」


 アグラをかいた芹川氏は、音矢の返答を無視するかたちで自分の思考を口にした。


「ワシも願いをかなえたいな。

 暗闇でも見える視力が欲しい。そうすれば闇に怯えないですむ」


「おお、顔が変形するぞ」


 翡翠の言葉を聞いて、音矢は芹川氏の前に回った。


 中年男の目が、もぞりもぞりと動いている。マブタも、それどころか眼窩周辺の骨までも連動して変形し、肥大化しつつある眼球を支える。


「いや、それだけでは足りない。[怯えなくてすむ]なんて弱虫の発想だ。

 どんな敵でも鉄拳一発でやっつけるくらい強ければ、襲われても平気……

 むしろ、化け物のほうが恐れて逃げるな。

 ああ、力が欲しい。

 ワシに嫌な思いをさせるやつ、逆らうやつは片っ端からぶちのめしてやる。

 小作人どもは、ワシの命令通りに働け。

 小作料なんてケチなことを言わず、収穫をすべて差し出せ!」


 独り語りと同時進行で、労働とは無縁の貧弱な体躯が増殖した筋肉で強化される。たるんだ腹も、臓器が神代細胞の群体に置き換わったことによる見かけ上の体積が多くなり、皮下脂肪でなく内部からさらに膨張していった。


「音矢くん、もう暴走が始まった! しかもすでに最終段階に入っている」


「早いですね。

 呉羽ちゃん以降の実験台の話では、礼文から投与されてから暴走するまで、

 一日ちょい程度の猶予があったし、

 肉体が変化し始めるまで三、四時間はかかっていたけれど」


 翡翠を後ろにかばいながら、音矢は芹川氏から距離をとる。


「まとわりついた細胞を剥がし、体内のエーテルエネルギーを観測してわかった」


 翡翠は分析結果を音矢に伝える。


「すでに、体内には彼を暴走させ、

 肉体を変化させるのに必要十分なだけ侵入していたようだ。

 外側に取りついていた神代細胞はその余りだろう」


「食堂に入りきれない客が外で行列を作っていたようなものですか」


 のっそりと立ち上がった芹川氏は、拳で壁を打つ。簡単に穴が開いた。反対側はフスマだ。彼はそれを外し、床にたたきつけてへし折る。


「あのう、自分の家を壊すのは、いかがなものでしょうか」


 音矢は牽制するが


「どうせ夢だ。かまうもんか」


 芹川氏は意に介さない。


「そうだ、目が覚めたら、家族も使用人もみんな生きていて、

 いつも通りの生活が始まるんだ。

 ならば、朝が来るまで盛大に暴れてやる!」


 脳に侵入した神代細胞の影響で、芹川氏の意識は酒に酔ったような状態になった。理性で抑えていた衝動が解放されたうえに、夢だと思いこんでいるから歯止めが利かない。フスマの骨組みをつかみ、癇癪をおこした幼児のように、彼はでたらめに振り回す。


「翡翠さん、空間界面を!」


 自分もその場で跳ねて緑の繭に包まれた。二人の防御態勢はギリギリで間に合う。


「ええい!」


 気合を発し、芹川氏が棒を振る。音矢の空間界面はそれを受け止めた。


「この! この!」


 何度もたたきつけられる棒に抵抗せず、音矢はそのまましゃがみこみ、手を足元に出した。そして床についた部分の緑の膜を座布団状に伸ばす。


 フワフワと不安定な膨らみを踏みつけ、芹川氏はバランスを崩し床に倒れる。


「翡翠さん、顔の上にしがみついて!」


「わかった!」


 前回とは逆に、音矢が転ばせ役となった。しかし非力な翡翠には攻撃手段がない。それでも顔を覆う形を取れば敵の呼吸を妨げることができる。


 音矢から同じ攻撃を受けたとき、南方実篤は顔を覆われたまま窒息しかけた。一方、水上文雄は背中から伸ばした神代細胞の表面を肺のように使って酸素を吸収した。


「さて、今回はどう反応するか?」


 音矢は素早く距離を取り、いったん空間界面を解除して深呼吸しつつ経緯を観察する。


「んもああ!」


 鼻と口を空間界面でふさがれたが、芹川氏は籠った叫びを放ちつつ、強化された筋肉を使って難なく起き上がる。体重の軽い翡翠では重しにならなかったのだ。


「んーっ!」


 まるで歌舞伎の鏡獅子のように、芹川氏は上半身をグルグルと回す。自分の体が壁にぶつかってもやめようとしない。


「わああああ」


 翡翠は空間界面に守られているので衝撃は受け流される。だが、遠心力に負けて足がずれ、相手の首に引っ掛けて体の支えとしていた糸だけでぶら下がる形になった。体重のかかった糸は芹川氏の首肉を削ぎ、太い頸骨けいこつで止まった。その傷口にむりやり手を入れ、指がちぎれそうになるのもかまわず引っ張って、彼は翡翠を首から外し、放り出す。


「何をするんだ!」


 彼の怒りは、窒息させられそうになったことではなく


「前が見えないだろうが!」


 視界を塞がれたことに向けられていた。

 その言葉で、音矢は始末する計略を思いつく。


 次回に続く







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