第十一話
部屋から出た真奈美は、まず台所に向かった。彼女の手には、あらかじめ人数分の布切れを入れておいたバケツがある。
引き戸を開けると、彼女はつぶやいた。
「礼文さまの言ったとおりだわ」
調理係の家政婦と炊飯係、そして彼女たちを手伝っていた二人の小間使いは床に倒れている。
腹痛と称して学校を早退した真奈美は、奈緒美が帰宅する前に、礼文から指示された準備をしていた。奉公人用と家族用。それぞれの湯呑に睡眠薬を塗りつけ、乾かしてから伏せて盆に乗せておいたのだ。
彼女は知らないが、この薬は実験台に神代細胞を投与し、耳に水晶の角を砕いた飾り石をつけるときに使っているものでもある。
彼女も礼文にジャム入り紅茶に混ぜたこの薬を飲まされている。話をしている間に真奈美は徐々に意識を失い、夢心地で耳に針を刺された。神代細胞のかけらをそこに埋めこんで痛覚が麻痺したことを確認した礼文は、水晶を印刷室から連れ出して二人の手のひらを重ね合わせ、五寸釘で打ち抜き、神代細胞を感染させた。
真奈美はカマドわきにある壺をあけ、中に灰がためてあることを確認した。この中身は本来なら庭木の肥料や野菜のアク抜きなどに使うのだが、真奈美は別の用途で使うつもりだ。
灰を確保してから、彼女はカマドの熾火を火バサミで引き出した。それを火消し壺に入れてフタをする。念のため、水甕からヒシャクで水を汲み、カマドの中に少しずつかけて完全に消火した。
次にバケツに水を入れて中の布切れを濡らす。
その一枚を手に、真奈美はまず調理係の家政婦に近づいた。足先でつついてみたが、目を覚ます様子はない。
安心した彼女は、心に秘めていた言葉をもらす。
「あんた、ずっと姉さまひいきで、ワタシのことをバカにしていたわね。
その姉さまを信用したから、こんなことになっているのよ」
礼文は真奈美に手紙でこう伝えた。
〈あらかじめ飲み物にこっそり薬を混ぜておく。そして姉の前で、いかにも怪しい儀式で容器にまじないをかけ、その中身を飲むことで魔除けになると言い張るのだ。そうすれば、お優しい姉は家庭の中で孤立している哀れな妹の主張に合わせて演技してくれと、皆に頼む。君の面倒をみてくれと部活の後輩に頼んだようにな。他者の人徳を利用して、生贄を確保する。この手法は魔術師に必要な技能だから、[秘密の首領]さまが有望な候補者である君に教育してくださるのだ〉
自尊心と姉への復讐心を刺激された真奈美は喜んだ。そして、具体的な作戦に必要なものが家にあることを思いついた。薬を直接茶に入れるのではなく湯呑に塗るのは、彼女が以前読んだ[萬文芸]の探偵小説にあったトリックだ。
ヤカンに入れると一人ずつの摂取量が不安定になる。茶碗に入れれば確実に必要な分だけ飲ませることができる。礼文の面接を受けるときにそのことを話し、他にも細かい手順を確認し、今日の実行に至った。
「生贄に捧げなければいけないんだけれど……」
真奈美は、中年女の顔を見た。毛穴の目立つ鼻。そのわきから下に刻まれた法令線。かさついた唇。
半開きになったそこからは、黄ばんだ前歯がのぞいている。
「気持ち悪い。触るの嫌だなあ」
しかし、儀式のためにはその口をこじ開け、さらに奥までのぞく必要がある。
「菜箸を使おうかな。……それでも……」
迷っていると
さらさら
衣擦れのような音が聞こえた。
自分の首筋から何か出て、それが真由美の着物にまとわりついているようだ。
(ひょっとしたら)
期待をこめて、真奈美は呼ぶ。
「使い魔さん?」
ふわり、と目の前の風景がゆれる。
透明に近い物体が移動するので、光が屈折し背後の景色がゆがんで見えるらしい。
彼女の首筋から伸びた細い触手に支えられて、真奈美の前に進み出たのは、小鳥ほどの大きさをした丸い物体だった。
それはダルマのような二等身の体で、短い手足を持つ。触手はその背中につながっていた。真奈美が絵にかいた西洋の小人のような姿とは違うが、必要な機能はそなえているようだった。
「ワタシの使い魔なら、挨拶をして」
すると、ダルマは短い体を曲げて、お辞儀のような動作をした。
そっと手を伸ばして真奈美はダルマの頭に触れてみる。餅のような柔らかさだった。撫でてやると、手のひらに頭を擦りつけてくる。
「よしよし……いい子ね」
ほめてやると、ダルマは短い手足をバタバタと振った。
この仕草は、神代細胞の塊が宿主の心に反応して、その意のままに動いているだけにすぎない。しかし、真奈美は[使い魔]になつかれていると解釈し満足する。そして物は試しとバケツの中を指さし、
「この布をこいつの喉に押しこんで」
命令をしてみた。
するする
触手はさらに伸び、ダルマは布を一枚つかんだ。滴をしたたらせながら調理係家政婦のところにたどり着くと、鼻の上に腰かけた。頬の上に布をいったん置き、小さな両手で下の前歯を押しながら全身を伸ばして、口を大きく広げた。しかし布を再び手に取ると、支えを失った口は半開きに戻ってしまう。
「困ったなあ」
その彼女の声に答えるように
さらさら さらさら
新たな衣擦れの音が聞こえた。
「使い魔がまた生まれた!」
二番目、三番目のダルマも調理係家政婦の顔に降り立ち、口を開けて支える。
最初のダルマは布を取ると、口の中に潜った。そして布をグイグイと喉の奥に押しこみ、外に這い出てきた。口元で待っていたダルマはバケツの布を取り、汚れた仲間を拭いてやる。
唾液をきれいにしてから、触手は三つのダルマを引き寄せ、真奈美の肩と頭に乗せる。
その間に、家政婦の唇の色が青ざめていく。
「よし、これで窒息死……」
そう言いかけたとき、中年女のマブタが開いた。
「きゃあ!」
意識を取り戻したと思い、真奈美は恐怖を感じる。
彼女の心が求めるまま、すかさずダルマたちが飛びかかり、家政婦の目を無理やり閉じる。女の手足はわずかに持ち上がったが、すぐに力なく落ち、そのまま動かなくなった。
ほっと溜息をもらし、真奈美は誇らしげに語る。
「ああ、ワタシは力を得た!
あとは試験に合格して、
[秘密の首領]の首領様に位階を授けていただけば
正式な魔術師になれる!」
これまでの実験台は[願いがかなう薬]の効果が現れ体が変化することが、魔術師化だと考えていた。しかし、彼らと真奈美の認識は異なっている。真奈美は生贄を捧げることで人を越えた力を取得し、天使立会いのもとで悪魔を倒してから[秘密の首領]にあらためて拝謁し、正式な魔術師として認可されると説明をうけた。それは、礼文が自分の矛盾に気が付いて、今回から訂正をしたからだ。
「さあ、急がなくちゃ。天使さんが来る前に生贄を捧げないと」
そんな行き当たりばったりの裏事情も知らず、真奈美は家人を殺害していく。
「でも……お父さまと姉さまは……」
殺しながら、彼女は考えた。
礼文には家族を生贄として皆殺しにすることを求められているが、あえて真奈美は父と姉を残すことにした。
これは善意でも良心の呵責でもない。
たとえ自分が魔術師となれたとしても、それは国家に公認されていない私的組織内の資格でしかない。一般社会で14歳の少女が日常生活を維持するには、保護者が必要であると彼女は考えたからだ。
だから財産は父に管理させる。病気がちですぐ寝こむ母は処分し、健康そのものである姉を世話係とすれば便利だろう。いままで自分を支配してきた憎い親族を逆に奴隷とすれば、きっと気分がいいとも思う。
「うん。ワタシの事情をわかってもらうために、天使さまを説得したいな。
そのためには悪魔がジャマだから、あの罠に誘導して先にやっつけよう。
……[回生の何とか]は後でいいや。
とりあえず[読みました]って札をつけて玄関に置いておこう」
素直に与えられた指示通りに行動するのではなく、己の価値観を優先し、自らの利益を優先して行動方針を決める。この点は音矢と似た性格だ。しかし、真奈美にはそれを成功させるための実力と経験が不足していた。
「礼文さんと相談した計画とは違うけれど、
臨機応変ってことで許してもらっちゃえ。
願いがかなうお薬をもらうため
提出期限が来る前に
早々と絵を送ってご機嫌取りをしたけれど、
手に入れたからにはこっちのものよ。
[断じて行えば鬼神も之を避く]って偉い軍人さんも言っていたし。
うん。要するに、やったもん勝ちね」
だから正論で表面を取り繕おうともせずに、約束したことを自己都合で放棄し、好き勝手にふるまう。
そのせいで家族や奉公人、同級生との関係が悪くなったのだが、彼女は自覚していない。
◆◆◆◆◆◆
書斎にこもった芹川氏は、小作人の中から自分に忠実な者を選び、工作員にしたてるという計略に没頭している。
地主である自身が均分主義の危険性を説いても反発されると、芹川氏は考えた。しかし、同じ小作人が啓蒙するなら、仲間同士ということで受け入れやすいだろう。
待遇の改善など望まず、これまで通り素直に地主に仕えることが国体の護持につながり、大日本帝国のためになるのだと皆が理解すれば、芹川家は楽に農地経営ができるはずだ。
連日書斎にこもって芹川氏は工作員に与える指示を決め、出版目録なども調べて小作人たちに読ませるべき良書なども本屋から取り寄せた。あとは誰に任せるかという問題だけなのだが、そこで詰まった。
小作人の名簿を見ながら、芹川氏は悩んでいる。
(誰が信頼に値するのだろうか)
(皆、ワシに挨拶するときにはニコニコ愛想笑いをしている。
だが、腹の底では何を考えているかわかったものではない。
工作員になるといって、報酬だけ受け取って仕事をしない可能性がある。
それとは別に、やる気だけあっても、
無能で成果をあげられない場合もあるだろう)
(どうすれば本音と適性を見抜けるのだ)
(小作人たち、それぞれが持つ性質を知るためには、
やはり、仲間内に工作員を潜入させて身近で観察させる必要があるのでは?)
(それを誰に……)
堂々巡りの思考を続けて疲れてきた芹川氏の耳に、戸を叩く音が聞こえた。彼は伸びをし、柱時計を見る。すでに7時を過ぎていた。
(食事の支度ができたのだな)
しかし、戸を叩いただけで、要件を伝える声はない。これはかなり失礼な態度だと彼は思った。
「誰だ! まったく! 一家の主に対してなっとらん!」
いらだちの声を上げて、彼は書斎の戸を開けた。
「……暗い?」
日はとうに沈んでいるのに、廊下の照明は灯されていない。
「馬鹿者! こんなところで節約してはならん!
暗闇で転んで怪我をしたら、かえって損になるぞ!」
自分が闇を恐れるゆえに明かりを絶やさせないことを、安全のためと芹川氏は家人に言い聞かせていた。
「早くつけろ!」
パッ
自分の命令で、廊下の電球が点いた。そう考えて芹川氏は安堵したが、すぐに背筋に冷たいものを感じた。電球の光に照らされた範囲にスイッチがある。しかし、その付近には誰もいない。
「……おい、どこに行った? 怒らないから、出てこい……」
そっと、彼はスイッチのほうに歩み出す。その背後で、書斎の戸が閉まった。
「あ」
その気配を感じて振り返り、あわてて芹川氏は戸を開けようとする。しかし、何かがはさまったかのように、びくともしない。
「……ああ……」
立ちすくむ彼の目の端を、何かがよぎった。それに焦点を合わせる間もなく、
バン!
戸が大きな音を立てた。
「ひゃああああ!」
もう我慢できず、彼は悲鳴をあげて明かりのほうに走る。電灯の真下に来た、そのときに
パチン
スイッチが切れた。
芹川氏は立ちすくむ。
パッ
その代わりと言わんばかりに、障子の向こうで電球が灯る。その部屋は衣装係家政婦が主に使っている場所だ。
和服を着る生活では頻繁に手入れをする必要がある。
例えば、汚れのつきやすい長襦袢の首周りには半襟を縫いつけ、それを毎日交換する。つまりいちいち針仕事をしなければならない。洋服の靴下に相当する足袋は、手洗いしてから一つ一つ形を整えて干す。留め具であるコハゼが緩んでいたら、それも針仕事で整える。着物の本体だけでなく帯も、一日締めたものは手で丁寧に伸ばし、衣桁にかけて湿気をはらう。
そして着物をタンスにしまうときは、畳紙という大きな敷物を広げてその上でたたまなければならないので、芹川家では作業用として部屋を一つ割り当てていた。
その部屋の障子は、きっちりとしまっていない。
1センチほどの隙間から、芹川氏は中の様子をうかがう。
「……また……誰もいない……」
言いたくもないのに、つい、疑問が口からこぼれる。
「人がいないのに、なぜ明かりがつく?」
その意味が恐ろしくてならない。
逃げ出したいが、廊下は暗い。
闇の中を手探りでスイッチを探すのか、嫌なものがいることを承知で明かりの傍にいるか。芹川氏は決断を迫られる。そんな時に
くすくす
部屋の中から笑い声が聞こえた。
次回に続く




