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勝てば官軍 【魔術開発物語】  作者: 桜山 風
第十一章 憑依 
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第七話

「すまない。瀬野さんは怪談に弱いと知らなかったんだ。

 これでは怪異の実験どころではない。もう百物語は中止にする。許してくれ」


 翡翠は頭を下げた。


「わかったからには、もう寄席に行きたいなんて言いませんよね?」


 音矢は偉そうに決めつける。


「ああ……興味はあるが、瀬野さんを泣かせるのはかわいそうだ」


「……ええ? なんでそんな?」


 少し落ち着きを取り戻した瀬野の質問に、翡翠は答えた。


「寄席というところについて音矢くんにたずねたら、

 いろいろな怪談を役に応じて声色も変化させながら

 身振り手振りもつけて演じる場所だと言われた。

 それで、ボクは怪談に興味を持って」


「なんだかんだあって、今日の百物語になったわけですね。

 いやあ、怖がらせてしまって申し訳ありません」


 音矢の詭弁きべんに気づき、瀬野の恐怖は怒りに変わる。


「また、あんたは![チェリー・ピッキング]とかをやらかしたの! 

 寄席はそれだけの場所ではないでしょう!」


 怒鳴りつけられて、音矢は困ったような顔をした。


「うあ、瀬野さん。

 [種明かし]をしてしまったら、

 翡翠さんが寄席に連れて行けってダダをこねるではないですか。

 そして歌舞伎座であったように、

 客席で騒いで他のお客に怒られてしまうかも……」


 翡翠はそれを聞いていきどおる。


「もうボクはそんなことをしない! 

 口にアメを入れている間は黙っている訓練をしたではないか!」


「それでも、絶対とは言えないでしょう。

 僕は翡翠さんのことを思って、ちょいと計略を」


「……つまり、あんたは翡翠くんをだましたのね。

 そのために私の苦手な怖い話を使ってまで」


 事態を理解していくうちに、瀬野は自分が利用されていたことにも気づいた。恐怖のあまり泣き、恥をさらしたという事実が、さらに怒りをつのらせる。


「あはは、そこは、いろいろと大げさに心配してしまう親心といいますか、

 ちょっとした退屈しのぎのイタズラ心といいますか、

 まあアレでナニなことでして。あはは」


「笑ってごまかしてもダメよ」


「はい……」


 きつい目でにらまれて、音矢は顔を伏せる。威嚇の効果を確認してから、瀬野は翡翠に笑顔を向けた。


「翡翠くん。寄席では怪談も上演するけれど、

 本来は、面白い落語や

 [色物(いろもの)]といって曲芸なんかも見せてくれる楽しい愉快なところなのよ」


「それは本当か?」


「ええ。私が嘘をついたことなんてないでしょう?」


「ん! く……ぷふ……」


 その発言に音矢は吹きだしそうになった。

 こらえてはいるが、その気配は瀬野にも伝わる。


「そんな楽しいところなら、行ってみたい」


 だが、翡翠は素直に瀬野の言葉を受け入れた。それがうれしくて彼女は、


「……そうね。こんどの金曜日、連れて行ってあげましょうか」


 翡翠の願いをかなえたくなった。


「おおおお! それは嬉しい! 瀬野さんありがとう!」


 はしゃぐ翡翠をよそに、音矢はしてやったりという顔をしている。


「あはは。それではお二人でどうぞ。

 僕は留守番をしっかり努めますから。あはは。ご安心を。あはは」


 それを見た瀬野は、これも音矢の計略のうちだと考えた。


「まさか、翡翠くんの世話を私に押しつけて、なにか一人でやらかそうと……」


 言葉の途中で、背筋に冷や汗を感じる。音矢が単独で動いて、礼文との関係を探り出そうとしている可能性に、彼女は思い当たったのだ。


「あんたも来なさい。

 翡翠くんが本当の寄席を鑑賞して喜ぶところをその目で見て、

 純真な心の持ち主を騙した悪事を反省するの。

 そうして、もしも突発事態がおきたときは、

 罪滅ぼしとしてあんたが対処しなさい」


「……はい、仰せのままに」


 がっかりしたような表情で音矢は頭を下げる。

 彼の計略をつぶし、屈服させたと判断して、瀬野は満足した。



  ◆◆◆◆◆◆



「ふう」


 机に向かった健二の口から、ため息がもれた。

 脳の処理能力が足らないわけではないが、やはり細かい計算を続けるのは退屈だ。


「……なんで由井さんは、熱心に議事録をとってくれたのに、

 それを持ったまま突然帰ってしまったんだろう?」


 彼の意識は数字から離れ、松木邸での会合を回想する。


「いや、彼女は女学校から女子大に進学したと言っていた。

 女だけの環境で育ってきた人が、

 家族でもない見知らぬ男たちの中で働くのは……

 身の危険を感じるのかもしれないな。

 こちらが悪心を抱いていなくても、かよわい女にはオオカミに見えるのかも」


 そのとき健二は、頬が熱くなるのを感じた。今までは世界を改革する理想に集中していたが、男女の違いを意識した瞬間、由井香の存在が気にかかるようになったのだ。


 香のつややかな黒髪、そして白い肌と細い首が脳裏に浮かぶ。目つきがきつく見える一重マブタも、彼の心の中では東洋風の魅力的なまなざしに変換された。動悸が激しくなるのを健二は抑えようとしたが、青春の血は騒ぎ続ける。


「いかんいかん! 邪念を発している場合ではない!」


 自分に気合を入れたが、すでに会計学に取り組む力は残っていない。


 すこし前から動きが止っていた鉛筆を置き、彼は引き出しから[クローバー 私を思って]と書かれた紙片を取り出し、開いて机に置く。これは[真世界への道]の会合でおこなわれた[兎狩り]という行事で彼が引きあてた紙だ。その後健二は呉羽が座っていたベンチの傍で、紙片にかかれたのと同じ草を摘み、それを押し葉にしてノリで貼りつけた。

 健二はその葉を見つめ、とりとめもない物思いにふける。



   ◆◆◆◆◆◆


 早朝、南天荘の前に瀬野は車を止め、帰宅する。顔は洗ってきたが、出勤前に着替えをするためだ。


 そっと戸を開けたが効果はなかった。管理人室から老婦人が顔を出す。


「朝帰りとはお安くないね。いい人と、ねんごろかい?」


 言葉では冷やかしているが、彼女の表情は明るい。


「おばあちゃん、そんなんじゃないわ。ただ……」


「いいんだよ」


 下宿の管理人は訳知り顔でうなずいた。

あけ夫兄ちゃんと朝子姉ちゃんはもう結婚していて、

 それぞれの相手も[諜者]さんだから、

 よその子供を預かるのは双方納得ずみさ」


 上の兄と姉が結婚したのは瀬野小夜子が[諜者]の試験に落第する前なので、見習いの資格で情報を与えてもらっている。しかし落第して組織から追放された今、下の姉と兄である三津子と夕次郎ゆうじろうの現況を小夜子に伝えられることはない。


「小夜子ちゃんも、結婚できない相手の赤ん坊ができたら、

 どっちかに面倒をみてもらえばいい。

 一族の血を引く子供は貴重だから、仲間から援助を受けて大事に育てられるよ。

 だから、安心して産みなさいな」


「だから違うし、私は子供なんて産まない!」


 他の下宿人に気を使って、足音を忍ばせ彼女は階段を駆け上がる。[諜者]としての訓練が、こんなところで役に立った。


(あんな話を聞かされて、夜道が怖くなったから、つい泊まってしまった。

 音矢のせいよ)


 怒りながら、彼女は自室に入る。


(そのうえ、翡翠くんを寄席に連れていく約束までしてしまった。

 音矢というオマケつきで)


 やや乱雑な室内で、瀬野小夜子は着替えの服を手に取った。


(入谷先生には、

 できるだけ二人を気晴らしさせるように、

 率先して外出させ、

 情報が漏れないように引率して見張りをしろと言われている。

 ……でも、私は世間知らずの翡翠くんが不始末をやらかしたら、

 それを取りつくろってあげるのが面倒だから嫌なのに)


(でも……朝食を食べながら翡翠くんに

 『金曜日といえば明日だな! とても楽しみだ!』

 なんて念押しされたら、今更なかったことなんかにはできない)


(せっかく音矢の計略を潰したのに、

 なんで私はやりたくないことをしなければならないのかしら)


 二日酔いではないのに頭痛がする。それでも彼女は手早く出勤の支度を整えた。身支度が早いのと遅刻をしないのは、瀬野小夜子の長所だ。



   ◆◆◆◆◆◆



 金曜日の夕暮れ時、三人の乗る車は雑木林の中にある貸家の前で止まった。後部座席で、翡翠は隣の瀬野に礼を言う。


「瀬野さん、ありがとう! 今日はとても楽しかった!」


「うふふ。どういたしまして」


 喜びを表現する翡翠を見て、瀬野も微笑む。しかし


「僕も楽しかったですよ。ありがとうございます」


「……うん、まあ……よかったわね」


 操縦席から振り向いた音矢に礼を言われて、彼女はまた頭痛を感じた。


 二人が降りてから、瀬野は自分で車を走らせて帰社する。音矢と翡翠はそれを見送って、玄関に入った。


「さっき軽く食べたから、夕飯はいらない。土産をつまみにして晩酌したい」


「そうですか。僕はちょっと物足りないので、冷や飯のおかずにします」


 音矢が手にしている包みは、焼き鳥だ。


 上野の寄席を楽しんだのち、翡翠たちは広小路周辺を散策し、食事と買い物をした。


「三越で食べたチャーシュウメンと似ていたが、

 今日食べたラーメンという料理は肉が一枚でネギやナルトなども乗っていたな。

 あれはあれで旨いから、また食べたい」


「帝都はハイカラですね」


 二人は並んで廊下を歩く。


「ああいうのは横濱だと[(から)ソバ]という名前なんですよ」


ところが変われば名前も変わるのだろうか」


 1930年、元号が[光文]となった世界では、中原大陸から最近もたらされた麵料理をこのように呼んでいた。


 音矢と翡翠はちゃぶ台をはさんで座り、雑談をしながらそれぞれ飲み食いをする。


「翡翠さんは、ダシの利いた汁物が好きなようですね。

 洋食屋に行ったときもコンソメスープがお気にめしたようですし、

 ラーメンも汁にひたっていますし」


「しかし、どちらも外出の時にしか食べられないのが困る。

 なんとかならないだろうか」


「そうですね。僕も和食だけでなく、

 洋食や中原食も作れるように頑張ってみますか。

 これから寒くなりますから、

 火鉢の上に鍋を乗せてじっくり煮こめば暖房と調理をかねてよろしいですし」


「外国の汁物とはそのように作るのか?」


「ええ、和食の場合は、昆布は水につけておいてから沸騰する前に引き上げるし、

 カツオ節だと沸騰したところにさっと入れて2分くらいでします。

 ニボシは水から煮て5分くらいでダシがとれます。

 でも唐ソバ……ラーメンの汁やコンソメは

 鶏や豚などの骨と香味野菜を長時間煮だして作るようですよ。

 それについては分量の配合や火加減などに複雑なコツがいるようですから、

 一回ごとに材料と手順を記録しておいて、

 よりおいしいものが作れるように研究しましょう」


「まるで科学の実験だな」


「あはは。これだって、加水加熱による成分の分解抽出ですから、

 科学に違いありません」


「それもそうだな。ボクにも手伝わせてくれ。いろいろ試すのは楽しそうだ」


 近い将来、[おいしいスープの作り方]が翡翠の博士号取得をもたらす。このことをまだ二人は知らない。



   ◆◆◆◆◆◆



 宿題をするといって、真由美は部屋にこもり[真世界への道]に提出する絵を仕上げている。そのために彼女は何度も下書きをして、自分の考えをまとめた。


(使い魔さんは、わたしの思うとおりに動く)

(使い魔さんは、わたし以外に見えない)

(使い魔さんは、物を自由に動かせる)

(使い魔さんは……)


 自分の考えたことを絵で表現する。それを目で見ることで、真由美の脳には新しいアイデアが生まれ、また絵にする。そのような循環に彼女は身をひたしていた。だから試行錯誤を繰り返すことも苦痛ではなかった。かくたびに、ますます良くなっていると実感できたからだ。


 そして最終的にこれと決めた下書きをもととして、真奈美は画用紙に絵の具で彩色していく。



   ◆◆◆◆◆◆



 丼飯を食べ終わった音矢は、翡翠につきあって晩酌に切り替えた。このごろは彼も酒の味を楽しめるくらいに慣れてきている。


 酒席の話題は寄席のことに移る。最初は楽しかったことを語っていた。だが音矢が油断したすきに、翡翠の関心は彼らを扱う瀬野の心理を推し量るほうに脱線してしまった。


「……瀬野さんは、結局どうしたいのだろう?」


 冷酒の入ったコップを手にし、翡翠はつぶやく。


「ボクらをよそに連れて行きたくないと、彼女は思っているようだ。

 しかし、君があおると反発するように外出させてくれる。

 瀬野さんの意図がわからない」


「あはは。瀬野さんの立場からすれば、別にどちらでもいいんですよ」


 すこし酔いのまわった音矢は、気楽に持論を述べた。


「僕たちが要望をあげたら、とりあえず拒絶する。

 これは自分が優位だと僕たちに知らしめ、服従させるためです。

 順位を確定し反逆を防ぐことは、

 組織に属する者にとってとても重要なことなんですよ。

 瀬野さんは

 僕らに彼女の意思を尊重してもらいたいのだと思います。

 そして、特別なお情けをもって僕らの願いをかなえてあげるという

 体裁をとることにより、瀬野さんは自分の力を実感できるわけです」


「……彼女は本当にそう考えているのか?」


「僕も読心術ができるわけではないので、絶対にそうだと言い切れませんが

 ……まあ、本人が自覚はしていないけれど無意識のうちに、

 優位を誇示しよう、

 そうして自分の権威で押さえつけ、

 僕たちが瀬野さんに逆らわないようにさせよう、

 と行動しているのかもしれませんね」


「別にそんなことをしなくても、

 ボクらは瀬野さんのことを大切に思っているのに。

 自分が怒られるのは嫌だから逆らわないというだけではなく、

 瀬野さんが怒るのは彼女が困るからだから……

 困らせたくないという感情もあるのに……」


 翡翠はそっとコップを置いた。


「なんでもかんでも拒絶すると決めてかかられるなら、

 ボクたちは自分の要求をかなえるために、

 あれこれとネジ曲がった計略を使わなければならない。それはなんだか悲しい。

 とくに今回の計略では瀬野さんを泣かせてしまったから、心苦しい」


 少し考えてから、翡翠は自分の望みを口にする。


「ボクは瀬野さんに真正面からお願いして、

 きちんと筋が通った説明をしたうえで、

 瀬野さんを納得させ、要望を受け入れてもらいたい」


 それに答える音矢の言葉は、


「つまり、僕の計略はネジ曲がっているから嫌だと、

 翡翠さんは感じているのですね」


 これまでにないほど冷ややかなものだった。


「……いや、そこまでボクは……別に……」


 人の感情を読むことが下手な翡翠でも、それに気づくほどに。



  次回に続く


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