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勝てば官軍 【魔術開発物語】  作者: 桜山 風
第十一章 憑依 
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第五話

 10月1日、水曜日。瀬野は翡翠と音矢が住んでいる貸家を5時に訪問する。定期監査と、神代細胞の受け取りが目的だが、それに加えて二人と夕食を共にするのが習慣となっていた。


 翡翠は彼女を玄関で出迎える。もう彼は素足で三和土たたきに降りることはない。上がりがまちで足を止めた彼は、瀬野をしげしげと見つめた。


「瀬野さん、いつもと違うな」


「あら、うふふ。わかる?」


「ああ、土曜日に来たときより……」


「ちょっと待って!」


 翡翠を制止しておいてから、車から米袋を運んできた音矢に、瀬野は声をかけた。


「どう? わたしのどこが違うか、音矢くんもわかる? あててみなさい」


重い袋をいったん廊下に置いて、彼はしばし考えてから口を開く。


「…………ええーと、髪型は……服は……バッグは……」


「どれも外れよ。ほらほら、わからないの?」


「降参です」


音矢は頭を下げた。


「観察力には自信があったのに、くやしいなあ。

 翡翠さん、瀬野さんのどこが変化していますか?」


「良い匂いがする。これまでも……

 直近では土曜日も瀬野さんは良い匂いだったが、今日はより良くなった」


「ああっ! そうかあ。なるほど」


 大きくうなずいてから、音矢は運搬作業を再開する。


「……見た目だけに気をとられた、それが敗因ですか……」


 ブツブツ言いながら米袋を運ぶ後ろ姿を見送って、瀬野は満足げな微笑みを浮かべた。


 今まで使っていたものよりも上質な香料の入った、やや高額な基礎化粧品を使い始めたことを、翡翠に気づいてもらえた。それも嬉しい。


 しかし、より一層彼女を喜ばせたのは、瀬野よりも上司から高評価されている、音矢が失敗したことだった。



   ◆◆◆◆◆◆



 帰宅した真奈美は、小間使いが届いた郵便物を玄関で整理しているところに出くわした。その束に横から手を出し、自分あての封筒を探す。目当ての差出人は[津先 花子]だ。


「あった!」


 残りを小間使いに押しつけて去り、真奈美は自室にこもってフスマに心張棒しんばりぼうをかまし侵入を防ぐ。


 女の名前を使って文通を装っているが、この手紙の本当の差出人は[真世界への道]代表だ。


「まあ……」


 手紙の内容を読み、彼女は笑みを浮かべる。


 講演会に欠席したことを、孤高の魔術師としてふさわしいとほめられて、真奈美は自尊心を満足させた。それは礼文の思惑通りだった。


「二次試験のために、絵をかいて提出するのね」


 それについていくつかの指示が書かれている。指定された画題で書くこと、使う画材は自由であること。 そして


「……“提出期限厳守”……」


 この部分は“”で区切るばかりではなく、ペンで重ね書きをして太い字で記されていた。


「こんなに強調するということは、期限をすぎたら不合格になるのね。

 気をつけなくては」


 読み終わった真奈美は、


「10月20日、月曜日」


 カレンダーに印をつけた。



   ◆◆◆◆◆◆



 ちゃぶ台を挟んで向かい合い、音矢は瀬野に家計簿の監査を受けた。それが終わると、彼は昨日のニュースについて質問した。


「どうです? 水上家について、

 殺人事件捜査本部の状況は、[研究機関]に入ってきてますか?」


「大丈夫。捜査は一応してはいるけれど、

 仲間たちが警察の上層部に手を回して、

 深く追求しないように圧力をかけているから、

 翡翠くんも音矢くんも逮捕されることはないわ」


 きっぱりと、瀬野は嘘で答える。


[研究機関]などは音矢たちをだますためにでっち上げられた、名ばかりの組織でしかない。だから、もともと何も力など持っていないし、構成員は瀬野と、その上司である入谷弁護士の二人だけだ。


「それはよかった。あはは」


 音矢は笑って本心をごまかした。彼は瀬野が嘘をついていることに感づいているが、まだ確証をつかめていないので、とりあえず様子見をしている。


「とにかく、ラジオで事件の報道を聞いたときは驚きましたよ」


「あら……発覚するのは、どうしようもないわ。

 死体や殺人現場となった家屋まで消し去るほどの強い圧力をかけると、

 不自然な痕跡が残る。

 だから、型通りの捜査をしておいて、迷宮入りに持ちこむ。

 ……そういうことで警察上層部と話がついているんだから……」


 いごこち悪そうにする瀬野に、音矢は再び笑いかける。


「いえ、死体の数のことですよ。

 ほら、僕たちが知っていたのは三体でしたが、

 あとからもう一つ出てきたでしょう」


「ああ、そういえば、そうね」


 しょっちゅう[研究機関]について追及していると、瀬野は警戒して心を閉ざしてしまう。それを防ぐため、音矢は瀬野の嘘を認めるふりをしている。今日は捜査状況について刺激するだけにとどめたほうがいいと、音矢は判断したのだ。


「今日の新聞に、続報が載っていました。

 夫婦の部屋から見つかった長持の中に、

 奥さんの死体が入っていたそうですね」


 長持とは、衣類などをしまうために使われる大きな木箱だ。


「それも死後約一か月だそうで。

 畳に血痕もかすかに残っていましたから、犯行現場もその部屋です。

 息子が両親の部屋で母を殺害し、

 それを長期間にわたり父に隠し続けたというのは不自然ですから、

 共犯もしくは実行犯は旦那さんでしょう。

 近所の人も、旦那さんに奥さんのことを(たず)ねても言葉を濁すので、

 不審には思っていたようですが……

 北原福子さんの始末をする時にも使いましたけれど、

 長持は、中に閉じこめられた人が窒息するくらい気密性が高いから、

 死体の臭いもあんまり漏れなかったみたいですね。

 それでずっと殺人が発覚しなかったらしいです」


「窒息? そんな事件あったかしら」


「ああ、江戸川乱歩の【お勢登場】っていう小説の話ですよ」


 この短編小説は1926年に発表された。


「小説では、閉じこめられるのは夫のほうでしたけれど。

 きっと、水上家の旦那さんもあの小説を読んでいて、

 自分が犯した罪の隠蔽工作に応用したんでしょう。あはは」


「……つまり、その人は妻の遺体と一か月も同居していたのね……」


 瀬野は気味悪そうに眉をひそめる。音矢はそれを見て、満足した。


 やはり、礼文との関係などで嘘をつかれたままではしゃくにさわる。だから、彼はときおり[研究機関]とは関係ない話にことよせて瀬野の心を揺らし、反応を見ては楽しんでいた。特に今日は、別の思惑もある。


「おかげで余計に謎が深まって、警察さんは困ってるみたいですね。 

 首の骨を折られて顎をひきちぎられて背中の肉を削ぎ取られてる死体が二つに、

 リベットペンで顔面を吹き飛ばされたうえ

 肉も骨もボロボロになった死体も一つ。

 それだけでも謎なのに、加えて死後一か月前の遺体まであるとは。あはは」


 音矢は瀬野が残虐で凄惨な光景が苦手なことを知って、それゆえにわざと現場の状況を語った。彼の狙い通り、彼女は恐ろしそうに身を震わせる。


「笑いごとじゃあないわよ。人の死……」


「いえいえ、僕らの得になることなのですから、大いに笑いますよ」


 瀬野が音矢の言葉を非難する前に、彼は防衛線を展開した。


「僕も証拠隠滅につとめていますが、

 [真世界への道]の暴走患者が原因不明の妙な死体になったうえ、

 その生贄さんが別の殺人を犯していた。

 こんな大混乱な状態なんです。

 捜査本部も、[謎が解けずに迷宮入り]ともっていくのに不都合はありません。

 そういうわけで、僕らも逮捕されずにすみます。

 [研究機関]も機密が保持されて、よかったよかった。あはは」


 事態が自分たちの有利に動いていると言われて、瀬野は非難を止める。


「リベットペンの件が報道されないのも[研究機関]が手を回しているのか?」


 読んでいた新聞から顔を上げ、翡翠が会話に加わった。


「ええ、もちろん」


 瀬野は、ここぞとばかりに答える。


「あれを使うことも、僕らに有利に働いていますね。

 殺人に特殊な武器が使われていることを、

 犯人しか知らない情報として秘匿ひとくしておき、

 容疑者を捕らえた際に[秘密の暴露]があるか確認して、

 真犯人であるとの証明に使う。

 こんな名目を立てれば、報道管制もしやすいでしょうし」


「そう! そのとおりよ!」


「ならば、ボクたちは今まで通り、

 逮捕されることなく、ここで暮らしていけるのだな。安心した」


「そう? うふふ」


翡翠の笑顔を見て、瀬野も微笑みを浮かべる。


「瀬野さん、[研究機関]に戻ったら、他の人たちにお礼を言ってくれ。

 ボクたちを守ってくれてありがとう、と」


「……」


「さて、今度は空間界面の新しい使い方を見せる。

 これも[研究機関]の人に伝えてくれ。

 ボクは一生懸命、研究開発に勤めていると」


「もちろんよ。みんなは今までの報告を読んで、

 翡翠くんがすごく頑張っているってほめているわ」


 瀬野は同じ表情で嘘をつく。


「そうか!」


 翡翠は彼女の内心を知ることができない。だから素直に喜んだ。



   ◆◆◆◆◆◆



「よいしょ」


 今度は翡翠が音矢にのしかかった。腕立て伏せのような体勢をとった彼を瀬野は見物している。


「どうだ!」


 毬のようになった空間界面に両手をついて体をピンと伸ばした翡翠は瀬野のほうを向いた。


「お」


 とたんにバランスを崩し、彼は畳の上に落ちる。


「これはいい鍛錬になると思うんですが、どうでしょう?」


 緑色をした繭の中で体を丸めた音矢は瀬野に質問する。


「どれ、ちょっと試させてみて」


 瀬野は翡翠と同じ姿勢をとった。


「ああ、これはいいわ。腕と体幹を鍛えるにはもってこいよ」


「そうか! この鍛錬は面白いから、やりがいがあるぞ!

 頑張って強くなろう」


 嬉しそうにする翡翠に、瀬野は顔を向けた。しかし彼女は姿勢を崩さない。


「もっと高度な技もできるわよ」


 瀬野は片手を離した。それでも彼女はバランスをとり続ける。


「おおお! すごいぞ瀬野さん!」


「うふふ。体を柔らかくしたいなら、こんなふうにも使えるわ」


 膝を畳に降ろしてから再び両手をつき、瀬野は空間界面の毬を前に転がし、肩から背中を伸ばす。


「うひゃあ」


 いきなり毬ごと転がされて、中身の音矢は悲鳴を上げる。

 膝をかかえたまま仰向けになった彼は、自分の真上を指さした。


「あのう、瀬野さんの運動神経なら、

 サーカスの玉乗りみたいにできるんではないでしょうか?」


「もちろん……」


 瀬野は身を起こしたが、動作はそこで止まった。


「今日はスカートだからダメ。

 こんど来るときに、

 私が走りこみに使っている運動着を持ってきて試してみるわ」


「あ、あはははは。そりゃあそうですねえ。あはははは」


 普段よりも長く笑って、音矢は空間界面を解除する。


「翡翠さん、心拍数の件も瀬野さんに説明してください」


「わかった」


 さっそく翡翠は報告書をちゃぶ台に広げる。


「ボクが休眠するとき……」


 翡翠の話を聞く瀬野の横顔を見ながら、音矢は心の中で舌打ちをした。


(ちぇっ)

(あと少しのところで、気づかれてしまった)

(下から覗こうとして立案した計略だったのになあ)

(でも……)


 1928年にアムステルダムオリンピックの800メートル走で2位に入賞した、人見絹江の写真を彼は思い出す。日本人初の女子メダリストということで、当時の新聞はこぞって彼女の姿を掲載した。


(あの人は、まあ、ちょいとばかりアレだけれど)


 写真の中で、彼女は半袖のシャツと太ももをむき出しにした短いズボンで走っていた。


(あんな服を、胸が大きくて脚のきれいな瀬野さんが着たなら……)


 その姿を音矢は想像し


(大いに良し!)


 ちゃぶ台の下で、ギュッと拳を握りしめる。



   ◆◆◆◆◆◆



 まだ冷蔵庫無しで生ものを保存するには気温が高い。だから音矢は食中毒を防ぐために工夫をした。


 彼は朝食の支度をするついでに醤油、酒、ミリンと出汁コンブを煮てフタつきの鍋ごと井戸水で冷やしておいた。午後3時ごろ買い物に行くときにその鍋を持参し、魚屋にきれいな氷のカケラを分けてもらってマグロの柵と一緒に入れ、汁がこぼれないように輪にしたゴム紐でフタを押さえつけて運び、4時半すぎに帰宅した。


 夕方、瀬野が家計簿を見分したのちの食事会を始める6時ころには、ちょうどよく味のしみた漬けマグロになっている。それを薄切りにして、ワサビと共に大根やキュウリや青シソの千切りをツマとして添え、大皿に盛りつけた。この一品が、今夜の食事会での主役だ。


「これは旨い、うまい」


 音矢に頼み、作ってもらった品に箸をつけ、翡翠は大喜びした。


 翡翠がそう望んだのには理由がある。神代細胞に脳を侵食された患者が[刺身]のことを語ったからだ。

その患者、水上文雄は、神代細胞を大量に増殖させるために栄養を補給する必要があった。だが、彼の家にはろくな食料がなかったので、生贄として殺した父と弟の肉を切り取り、それを刺身として食べたのだ。しかし、血抜きをしなかったので臭く、皮ごとぶつ切りにしたので硬くて噛みづらいと、文雄は文句を言っていた。


「やはり[マグロの刺身]は旨いな。

 臭みもないし、噛めば自然に口の中でほぐれる」


「そうね、さっぱりとして、お酒によくあうわね」


 瀬野は翡翠が比較対象としているものを知らず、ただ目の前の料理を喜んで食べている。それを見て、音矢は暗い喜びを感じた。


(さて、次は寄席に行くための計略だ)


 音矢は慎重に、話題を誘導していく。



次回に続く




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