第三話
礼文は銀座の事務所で、次の実験台に手紙を書くことにした。彼は前回から、[真世界への道]の会合に参加しない者を候補者に選んでいる。
講演会自体は津先が抜けて礼文が多忙になったので、しばらく休み、次の実験後に開催する予定だ。その会場準備は松木健二が引き継ぎを申し出てくれた。
彼はまだ入会して間もないし、津先のように歴史の知識もないので弁士は務まらない。しかし、それでも自分に出来る仕事を探して働こうとする健二の姿勢は、なかなか積極的で頼もしい。この調子なら、[真世界への道]は均分主義活動の隠れ蓑として、ますます発展していくだろう。
だから、その集会に非協力的な会員は実験台にして処分していく。ようするに間引きだ。
もちろん、摘み取られる対象には、そのようなことを教えない。
《おめでとう。君は魔術師資格取得一次試験に合格した》
彼は便箋にペンを走らせていく。
《秘密の首領さまは、ふるい分けを試みられた。
魔術師とは、孤高な賢者。
集会などに参加して仲間内でつるみたがる烏合の衆などに、
真の秘跡は授けられない》
《その点、君は違う。
馴れ合いを拒否して孤独を選んだ君には、魔術師となる素質がある》
礼文は得意の嘘を使い、非社交的な信者たちを実験に参加させるつもりだ。
◆◆◆◆◆◆
あの二人と一緒に下校したくないので、真奈美は便所にこもる。
この女学校は裕福な家庭の娘が通うところなので、幸いにも水洗化されている。だから汲み取り式に比較すれば、悪臭はわずかだ。しかし、和式なので腰かける場所はない。個室の中で立ちつくし、校門が学校主事員に閉められるぎりぎりまで通学バッグを抱きしめて時間をつぶす。
そうしていると、あの日の記憶が思い出したくないのに脳裏に浮かぶ。
二学期が始まって間もないころ。夏休みで緩んだ心が通常の生活へと気持ちが切り替わってきたあたりの出来事だ。
芹川真奈美と姉の奈緒美は同じ私立女学校に所属している。その奈緒美は卒業間際なので、10月半ばには部長を引退しなくてはならない。だから引継ぎを行うため、放課後に片岡美也子たち部員とテニス部の部室で打ち合わせをしていた。
板谷万里江は、茶道部の活動に行った。真奈美は文芸部に所属しているが、居心地が悪いのでサボることにした。それがあの日の少女たちの行動だった。
ふと、悪戯心をそそられ、真奈美はテニス部の部室にこっそり近づく。親友が真奈美の見ていないところで、どのように過ごしているか知りたくなったのだ。
茶道部は校庭の隅に建てられた茶室で活動するから、関係者でない生徒が下手に近づくと人目に付く。
しかし、テニス部の部室は校舎の一階にあるので、接近しやすい。花壇の花を眺めるふりをして、そっと窓の下にしゃがんだ。まだ暑いので、窓は開け放たれている。だから、中の声がよく聞こえた。
「……次の部長は広田さん。副部長は鈴木さん。会計は……」
どうやら、役つきになる生徒を決めたらしい。奈緒美はその生徒の名を読み上げている。
「これで、今日の会議を終わりとします」
拍手の音が響く。
「さあ、ここからは、おしゃべりの時間よ」
さらに拍手は大きくなった。
「ねえねえ……」
「あら……うふふ」
和気あいあいとした声が教室からあふれ出す。その中には美也子のものもあった。彼女にはこんなに友達がいるのに、わざわざ孤独な自分に声をかけて、理解者になってくれた。なぜ彼女はそのようなことをしたのか。真奈美は考え、こう結論づけていた。
[テニス部では、俗っぽい仲間に合わせて軽薄にふるまわなければならない。
だが、本当はもっと優れた相手とともに
高尚な活動をしたいと望んでいたのだ]と。
しかし、それは勘違いだった。窓から聞こえる声が、その証拠だ。
「ねえ、あの件どうなったの?」
質問したのは奈緒美。
「ああ、うまくいってますよ」
答えたのは美也子だ。
「よかった。あの子、うちでは全然話してくれないのよ。
だから学校での様子がわからなくて心配していたの」
「やっぱり、場所が変わると本人の心持ちも変化するし……
あと、それまでの経緯を知らないってふりしたから、
芹川さんも信頼してくれたんではないでしょうか」
「……」
まるで、ため息をついたような間をおいてから、奈緒美は語り始める。
「うちは、お父さまがあの手の……心霊現象?」
そこで一斉にクスクス笑いが広がった。
「そういう非科学的な話が大嫌いだから、
マナちゃんが『幽霊が見える』って」
クスクス笑いは、本格的な爆笑に変わった。
「そんなことを、法事の席で言うから、お父様にたいそう叱られて……
でも、お母さまや私がかばうとマナちゃんはスネてしまうし。
正ちゃん……ああ、わたしたちの弟ね……は、
生意気にもマナちゃんのことをからかうし。
それですっかりこじれてしまったのよ。本当に困っていたの。
その愚痴をここでこぼしたときに、
片岡さんが協力を申し出てくれて、助かったわ。ありがとう」
「どういたしまして。
お世話になった先輩に、ご恩返しができて、わたしもうれしいです」
まだ暑い日だったが、真奈美の全身は寒気に包まれた。
「それでも、
わたし一人だけで芹川さんの面倒をみるのだったら、きつかったかな。
だけど同級で一緒に集配係を務めている板谷さんが手伝ってくれてるから、
なんとか続けられています。
夏休みに、心霊を追うと称して帝都巡りをしたときは、
三人で[ごっこ遊び]をしているみたいで、楽しかったですよ。
ほかの同級生たちにも、彼女が根回しをして、
芹川さんが変なことを言っても批判しないようにしてくれました」
「あら、それなら板谷さんという人にも、お礼をしなくてはね」
カラン カラン カラン カラン
回想は、閉門10分前を告げるハンドベルの音で中断した。このままでは閉じこめられてしまう。
真奈美は便所から出て、校門に向かった。しかし、そこにはあの二人がいた。
「芹川さんが、いつまでたってもいらっしゃらなかったから、心配したのよ」
「どうしたの?」
美也子と万里江はいかにも親友らしく、優し気に話しかけてくる。
しかし、本当の理由などいいたくない。
「……ワタシは」
部活動日でもない放課後、帰宅もせずにずっと便所にこもるという行為をどう説明しようか。そう考えた瞬間、真奈美の脳に[かくあるべき状況]がひらめいた。
「お手洗いに、自分が死んだことを気づいてない霊がいたのよ」
そのひらめきを言葉にしたことで、真奈美の脳裏には次々と情景が浮かんでくる。
「あのままではみんなに害を与えるから、ワタシが説得していたの」
彼女には嘘をついているという自覚はない。
つまらない日常を[きらびやかな空想]で覆い隠す。それは小説家が架空の物語を構築するのと同じ心理状況だ。
「時間はかかったけれど、なんとか成仏してくれたわ」
それを聞いた真奈美の親友を騙る二人は、
「まあ、すごーい!」
「そんなことなら、わたしたちも手伝ったのに。
一人では大変だったでしょう? お疲れ様」
おおげさに褒めたたえた。
これは夏休みも同じだった。少女たち三人は、小説家と愛読者たちが物語の舞台となった場所をめぐるような体験を楽しんだ。その場で即興の短編を小説家が作り、語る。愛読者はそれを聞いて口々にほめ、感想を話す。
だが、もしも解散したのちに参加者の一部が『あの先生、作中世界にひたりすぎて痛い』など語り合い、その陰口を小説家が耳にしたら非常に傷つくだろう。
真奈美の今の気分はまさにそれだった。恥ずかしくていたたまれない。愛読者のふりをした観察者と顔を合わせていたくない。
「かなり危険な霊だったからね。あなたたちを巻きこみたくなかった」
だから、そう言い捨てて、真奈美は帰宅しようとした。しかし彼女の両脇に、二人は寄りそう。
「みずくさいわよ。わたしたち、親友じゃないの」
「そうそう。友達が助け合うのは当然なんだから、
なにかあったら遠慮しないで。いつでも協力するわ」
嘘だとわかっているのに、二人の言葉だけは暖かかった。
だからこそ、二人をこのように仕向けた張本人である奈緒美が憎かった。
◆◆◆◆◆◆
明日は瀬野が定期監査と神代細胞の受け取りに来る予定だ。
それに合わせて、音矢と翡翠は彼女に渡す報告書を作ろうとしていた。朝食後、片づけを終えた二人はさっそく取り掛かる。
まずは翡翠が開発した技術が音矢にも使用可能かを試すことにした。彼は自分だけの力では空間界面を制御できない。翡翠が調整した制御石を飾り石に偽装して、耳たぶにつけることで音矢は空間界面を操ることができる。新しい機能を付けた小さく緑に輝く制御石を二つ、耳にはめて彼はその場で軽く跳ねる。音矢の体が宙に浮いている間に、緑色の膜が彼を包んだ。
音矢は空間界面を展開してからしゃがみ、足元に手をかざしている。
「どうも、うまくいきませんね」
しかし緑の膜は翡翠のように変形しない。本来なら影のように薄く広がるはずだが、彼の空間界面が形作ったのは、ちょうど座布団くらいの厚さと面積のふくらみだった。音矢の持つ翡翠細胞は翡翠本人よりも少ないため、空間界面の複雑な制御ができない。
孤島に残されていた研究日記によると、人体に投与された翡翠細胞の一部は脳表面を覆うだけで内部には浸透しない。そして、残りは血液に擬態して全身をめぐるだけだと記述されていた。
「まあ、これはこれで何か使い道があるかもしれません。
とりあえず置いておいて、他の実験もしてみましょう」
「他の? 君もなにか思いついたのか」
「ええ。翡翠さん、普通に空間界面を出して、そこに丸まってください」
「わかった」
言われたとおりにした翡翠に、音矢はのしかかった。
「おおお!」
翡翠は思わず声を上げる。
次回に続く




