表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勝てば官軍 【魔術開発物語】  作者: 桜山 風
第十一章 憑依 
85/164

第一話

 5歳の新田音矢は、横濱尋常よこはまじんじょう小学校の講堂にいる。これから市役所の後援で、子供向きの芝居が上演されるのだ。そこに勤務している父に勧められて、母と兄弟で鑑賞に来た。


 3歳の光矢は母の膝の上だ。しかし音矢はお兄ちゃんだから、入り口で渡された日の丸の小旗を握りしめ、その隣に一人で座る。


 少し寂しい気持ちは、幕が開いた途端にふきとんだ。


 舞台の上に広がるのは草原。そこに立っているのは二つに分けた髪を頭の横で団子のように結んだ若い女性だ。当時の音矢は知らなかったが、彼女が着ているのは満州族の民族衣装、旗袍チーパオだ。これが原形となって、後にチャイナドレスが生まれる。


 明るい声で、彼女は客席に呼びかけた


『日本の良い子たち、こんにちわー!』


『こんにちわ』


 音矢はこっそりと答える。母から、芝居の最中に騒いではいけないと注意されていたからだ。他の子供も同じように言われていたらしく、小さな声があちこちから上がる。


 しかし、それは無駄な遠慮だったようだ。


 女性は小首をかしげて片方の耳に手をあて、よく聞こえないと言った仕草をする。


『あれあれー? 声が小さいぞ。

 日本のみんな、もっと元気よくお返事してね。

 はい、もう一度、こんにちわー!』


 おねがいされたら、答えずにはいられない。5歳の音矢はそういう子供だった。


『こんにちわー!』


 声をはりあげて、音矢は挨拶を返した。

 彼の声をきっかけに、客席のあちこちから子供たちが返事をする。


『ありがとう、みんな! 

 今日は、わたしたちの村を案内するね。

 もともとここは、なにもない平原だったのよ。

 お水がないから田んぼも畑もできなかった』


[満州のお姉さん]は子供たちと言葉を交わしながら、舞台を歩く。


『でも、それでは食べ物が作れないわ。

 それだとお腹がすいてしまう。

 みんなー!お腹がすいたままはいやだよねー!』


『いやだー!』


『わたしたちだって、いやだった。

 でも、わたしたちの村に、救いの手を差し伸べてくれた国があるの。

 それは大日本帝国よ!』


 彼女の背後で黒子たちが大道具を運びこむ。青い布が舞台を横切り、フワフワと波打った。


『日本の人が、用水路を作ってくれたの。

 それで、麦や野菜が育てられるようになったわ』


 青い布は下がり、黄色い布がそれに変わった。ゆっくりと左右に揺れる動きは、風に揺れる穂を表現しているのだろう。


 次に出てきたのは村の風景をあらわした書き割りだ。収穫された麦の絵や、野菜を積み重ねた絵、そして麦から作ったマンジュウ、そして焼いたトウモロコシを山盛りにした絵もある。


 白いヒゲを生やした男が、満州のお姉さんの隣に立った。


『おかげでこの村は豊かになった。村長として礼を言いますぞ』


『日本のみなさん、本当にありがとう!』


 二人は頭を下げる。舞台の両袖から、村人たちが出てきて村長とお姉さんの後ろに立った。


『たくさん作物がとれたから、今日はお祝いの祭りなのよ! 

 みんなも、わたしたちといっしょに楽しんでね!』


『はーい』


 軽快な音楽と共に村人たちの踊りが始まる。合間にトンボ返りや逆立ち歩きなどの曲芸も入り、客席の子供たちは喜んで見ていた。


『うはははははは! 豊かな実りだなあ。けっこう、けっこう』


その踊りを邪魔するかのように、男が現れた。恐ろしげな隈取くまどりで、その顔はいろどられている。


『あ、あなたは……だれ?』


 おびえるお姉さんに、男は答える。


『俺は馬賊の頭目だ! 

 野郎ども、麦も野菜もぶんどってやれ! あばれまくれ!』


『へーい!』


 隈取をした男たちがあらわれ、収穫物の書き割りを舞台の袖に投げる。別の男たちは家の書き割りを蹴倒す。止めようとした村人が殴られ、舞台に倒れた。


『なにをするんじゃ!』


『やめて!』


 とりすがる村長とお姉さんも、つきとばされた。


『このままでは、村がメチャクチャにされてしまう! 

 良い子のみんな! 助けを呼んで!』


『手に持っている小旗を振り、大きな声で叫ぶんじゃ!』


『せーの、兵隊さん、助けてー!』


 音矢は日の丸の旗を振りながら、全力で叫んだ。


『兵隊さん、助けてー!』


 勇壮なラッパの音が講堂に鳴り響く。

 大日本帝国陸軍の突撃ラッパだ。


『今いくぞ!』


 スポットライトに照らされて現れたのは、陸軍の制服をまとった男が五人だ。


 士官服の男が、サーベルを抜いて見栄を切る。


『平和な村を荒す悪人どもめ! ゆるさんぞ!』


おう!』


 兵卒たちが気を付けの姿勢で答えた。


『征伐!』


 士官の命令一下、軍人たちは馬賊に切りかかった。バッタバッタと無法者は倒れていく。子供たちは歓声を上げた。


 最後に馬賊の頭目との一騎打ちで士官が勝ち、村人と観客が声を合わせて万歳三唱したところで幕は引かれていった……



 体は動かないが、呼吸はできる。夢から覚めた音矢は布団の上でため息をついた。


 枕元にうずくまる薄白い等身大の塊に、彼は心の中で語りかけた。


(オバケくん……我ながら、僕はバカな子供だったよ)


 音矢の夢は、彼が昔みた芝居がもとになっていた。実際はもっと泥臭い演出だったが、それでも幼い音矢はその筋書きに引きこまれていた。


(政府の宣伝工作を本気にするなんて)


(現地の人と、満州を支配している関東軍との関係が、

 あんな友好的なわけがあるものか)


(でも……)


 音矢は劇が終わって帰宅する道でも、そしてその夜眠るときも、もらった小旗を手放さず大事に握りしめていた。


(本当に、かっこよかったなあ)


 幼い音矢の目には、善良な村人をいじめる悪者を、一刀両断にする軍人の姿は輝いて見えたのだ。


(そういえば、あのころの僕は、

 『大きくなったら兵隊さんになる』ってあちこちで言って、

 近所の人に『それは感心なことだね』ってほめてもらって、得意がって……)


(うああ。恥ずかしい。

 軍隊の実態も知らずに、お芝居を本気にして自分もなろうとするなんて。

 まったくバカだ。バカそのものだ)


 頭を抱えたくなったが、オバケくんがいる間は金縛りが続く。しかたがないので、音矢は動けないまま二度寝した。


――さあ、昔々の物語を始めましょう。

   これは、異なる世界の物語――


 ――そして、 

   怨霊にかれ、死の国に向かう物語――



 芹川真奈美は14歳。女学校の2年生だ。


 月曜日、彼女は朝食後、自室に戻った。鏡台に向かって、登校のために身支度をする。肩を過ぎるほど髪を伸ばしている生徒は、真ん中で分けてそれぞれを三つ編みにしてとめる髪型、いわゆる[お下げ]にするのが彼女の通う学校の校則だ。


 真奈美は一年前まで肩の上で切りそろえる[おかっぱ]にしていた。それは母と姉が彼女の丸い顔に良く似合うといったからだ。当時の流行であるモダンガールの断髪を例にとって、二人は真奈美を説得していた。しかし、おかっぱ頭にした自分はひどく子供っぽく見えるので、真奈美は嫌で仕方なかった。


 さんざん抵抗してやっと伸ばす許可をもらえたので、彼女は毎朝髪を整えるときに気分がよくなる。だが、右側を結い終えて、端を新しいリボンで結ぼうとしたとき、一昨日の記憶がよみがえった。それは彼女の心をチクチクと刺激する。




 土曜日の午後、仕立てあがった振袖を持参して呉服屋が彼女の家を訪れた。しかし、真奈美に与えられたのは、このリボンだけだった。それは振袖の端切れで作られたオマケにすぎない。


 母は受け取った振袖をさっそく広げると、木製の衣桁いこうにかけて、座敷に飾った。姉はそっと晴れ着に寄り添う。娘の姿を眺め、母は満足そうに微笑む。


「奈緒美ちゃん、すてきよ。

 花薬玉はなくすだまの刺繡もいいし、

 この鮮やかな撫子色なでしこいろは、ほんとにあなたにお似合い。

 すこし濃い目に染めてくれるように頼んでよかったわね」


 やや紫味を帯びた薄紅色の着物を前に、母ははしゃいでいる。[花薬玉]とは、さまざまな花を五色の紐で丸くまとめた模様のことだ。


「あら、お母さま。お見合い写真を撮るために仕立てたのに。

 どうせ現像したら白黒になってしまうわよ」


 1930年〔光文5年〕、この時代ではまだカラー写真が撮影できる[コダクロームフィルム]は発売されていなかった。


「だからこそ、濃い目にしたのよ。

 白黒になったら、肌がきれいに写るから。

 そして良く似合うきれいな振袖を着れば、

 ナオちゃんの表情だってそれにふさわしいものになるわよ。

 自信にあふれた美しい写真を撮って皆様にお配りして、

 稼ぎのいい旦那様を捕まえましょうね」


「やだあ。お母さまったら、はしたなくてよ」


 言葉では拒否しているが、姉の表情は母の発言を肯定している。真奈美はそう感じた。


「ゴホン、ゴホン」


「あら、お母さま、大丈夫?」


「心配しないで。いつものアレだから」


「それではゆっくりお休みになって。

 奉公人たちの差配は普段どおりでいいわよね?」


「ええ、お願いするわ」


 体の弱い母をいたわる姉。しっかりものの長女を頼りにする母。次女である真奈美は必要とされていない。そう感じた彼女は居心地が悪くなり、真奈美は座敷から退出する。





 結局、真奈美は新しいほうを引き出しにしまい、古いがお気に入りであるすみれ色のリボンで髪を留めた。


 大きく息を吐く。


 学校など行きたくない。真実を知ってしまった今では、教室は[氷の牢獄]に等しい。


 それでも真奈美は平気な顔をして登校しなければならない。

[自分が真実を知ってしまった]ということを[友人に知られる]のを彼女は恐れていた。


「やっぱり、[真世界への道]の会員さんたちと、なかよくしていれば

 ……こんな思いをせずにすんだかも……」


 8月17日に開催されたという、講演会。

 24日に行われたという[兎狩り]

 真奈美はそれに参加しなかった。


 箱入り育ちの彼女は、手紙を介したやり取りではなく、直接の対面で、まったく知らない人たちの中に一人で入っていくことに、ためらいを覚えたのだ。


 替わりに同級生の友人たちと夏休みに活動し、真奈美は盛大な恥をかいた。


 それは姉のせいだと、彼女は恨んでいる。




 次回に続く


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ