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勝てば官軍 【魔術開発物語】  作者: 桜山 風
第十章 食事 
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第九話

 人力で井戸から水を汲み、薪で風呂を沸かす場合、手軽に湯加減の調節をするわけにはいかない。スイッチを押すだけで湯量も温度も自動的にコントロールできる21世紀の風呂とは違うのだ。


 だから、やや熱めにしておいてから、音矢は自分が先に入って最終調整をする。この方法は、もともと音矢は江戸生まれの祖父の影響で熱い湯を好むし、翡翠は逆にぬるめが好きなので丁度いい。


 半分水遊びのようにして翡翠がゆっくりつかっている間に、音矢は夕食の準備をした。今日の献立は焼き飯と合え物、そして翡翠の晩酌用ツマミにはスルメを焼く。しかし、1930年〔光文5年〕ではマヨネーズを添える習慣はない。細く裂いたスルメを、そのままかじるのが普通だ。



   ◆◆◆◆◆◆



 雨上がりの夕焼けは、研究所を赤く染めている。


「ありがとうございました!」


 その光の中で、津先は礼文の車を最敬礼で送った。


 車の音が遠ざかってから体を起こし、駐車場に積まれた木箱や紙袋を彼は見る。その中身は保存がきいて、調理の必要のない食品だ。炭水化物を補給するカンパンに干し飯。タンパク質を含む煮干しや煎り大豆。ビタミンを取るための干し果物などもある。


 これだけあれば、子供たちに与える食事には充分だろう。礼文は津先を連れて登山用品店に行き、大量の食品を買い入れて研究所に搬入した。


 津先に与えられたのは、物資の支援だけではない。礼文は[秘密の首領]さまからの、いろいろなアドバイスを伝えてくれた。それはこれから子供たちを指導し、管理するのに役立つはずだ。


 彼は車内での会話を思い出す。




「コーカス・レースはとても良い鍛錬だ。

 これはきっと[秘密の首領]さまからのお告げだろう」


「え……あれは、ただ、あいつらを疲れさせるために……

 以前読んだ本の内容が、たまたまひらめいただけで」


「中心に天をつくヤグラを据え、

 その周囲を回ることで東西南北に住まわれる

 [四元素の王]たちの力を分けていただくのだ。

 《東には水の王たるウンディネ、

  西には風の王たるジルフェ、

  南には火の王たるサラマンダ、  

  北には地の王たるコボルト》。君も読んだだろう」


 これは、[真世界への道]の小冊子に掲載された論文の引用だ。


 礼文の雇い主である義知は、裕福な親からもらう小遣いで海外から魔術に関する文献を取り寄せている。


 その中に【ファウスト】に登場する四大元素の王と東洋の風水学を対比して論ずる自費出版本があったので、著者に断りも入れずにその一部分を翻訳し、自分が考えたふうを装って信者に伝えた。


「読みましたが……そもそもアレは【不思議な国のアリス】に出てきた……」


「その本の作者はルイス・キャロル。彼は[魔術師]だったのだ」


「ええっ!……そんな……」


 突拍子もないことを聞かされ、津先はとまどっている。そんな彼に、礼文はさらに畳みかけた。


「【不思議な国のアリス】そして続編の【鏡の国のアリス】では、

 さまざまな暗喩を使って魔術の秘儀を書き表している。

 そう、モーツァルトが【魔笛】でフリーメーソンの入会儀式を描いたように」


「いえ、キャロルさんの本業は数学者で」


「そもそも数学というものは、

 ピタゴラスが創始した[数秘術(ゲマトリア)]が元になっている。

 ならばその流れをくむ者が魔術について書き記したとしても、

 不思議ではあるまい。


 ちなみに、彼と同時代、

 ロンドンではブルワー・リットンの率いる薔薇十字教会が活躍していた。

 魔道書【大いなる神秘の鍵】を記した

 エリファス・レヴィもそれに関わっている。

 当時のイギリスでは魔術が盛んに行われていたのだ」


「はあ……そうだったんですか……」


 礼文は義知からさまざまなオカルトに関する薀蓄うんちくを聞かされている。その知識を適当に使って、彼は自分の口から出まかせを、さも真実であるかのようにこじつけた。


 津先を説得しておいて、礼文はこれからの方針を支持する。


「この件を君の[ひらめき]という形でお告げをくだされた理由は、

 いずれ[秘密の首領]さまが詳しく教えてくださるだろう。

 新たな指示が下されるまで、しばらくはあのレースを中心に指導するように」


「はい」



 礼文は[秘密の首領]を持ち出してまで[コーカス・レース]を支持した。

 その行為の無意味さを彼は気に入ったからだ。


[どこにも行けない道]を進み続けるさまは、ただ命を消費されるだけの実験台にふさわしく思われた。


 そして[無意味な行動]を続ける苦痛は、心を壊す。


 礼文がリューシャの政治犯収容所に移送されるとき、見張り役に聞かされた噂話を彼は記憶していた。

 反抗的な囚人には、ただひたすら穴を掘っては埋めるという苦役が与えられるそうだ。


 これをくらうと、どんな思想強固な政治犯であってもジワジワと気力を失い、看守の残酷な扱いに反抗することもできない[生ける屍]と化すという。


 それを参考に、礼文はどんな苦しい目に合おうとも、命令に絶対服従する実験台を作り出そうとしていた。




「そうだ。君はあの子たちに与えた衣服についてどう思っている?」


 急に話題を変えられて、津先は口ごもった。


「え、と、その……」


「まさか、着替えを準備していなかったから、

 宿舎の倉庫にある材料で適当にこしらえた、などと思ってはいないだろうな」


「あ、あの! それは」


 動揺する津先に、礼文は苦笑してみせた。


「これも[秘密の首領]さまからのお告げだ。

 君があまりにも脱走を心配しているから、

 それを防ぐために今まで着ていた衣服と靴を捨てさせ

 一般的でない姿にしたてたのだよ。

 あの恰好、そして裸足でフラフラしていれば目立つから

 すぐに警察に保護される。そして、警察は[真世界への道]とつながっている。

 彼らはそのままここに送り返されるだろう」


 これも嘘だ。


 しかし、津先は信じてしまった。権威に弱い彼は、上司の言葉を批判的に見ることができなかったのだ。


「しかし、秘密が守られるに越したことはない。

 脱走すればすぐ捕まるということを子供に教えると共に、

 『外に出れば俗世間に汚染される。

  清めるためには再び苦行をしなければならない』と言って脅せ。

 彼らもまた檻の中で絶食するのは嫌だろうからな」


「はい!」


 心配していたことの解決策を教えてもらい、津先の心は軽くなる。


「ああ、それから今後のことだが、

 二か月ほどしたらまた新しい子供たちが来るだろう。

 これから先、順当に預かる人数は増えていく」


「は」


 しかし、上司がまたやっかいなことを言いだした。一瞬で彼の表情は曇る。


「大丈夫だ。子供たちが増えても管理に困ることはない。

 その方法を[秘密の首領]さまは告げられた」


「な、なんですか? それは」


「今預かっている五人を[セポイ]にするのだよ」


「それは……東インド会社が雇っていたインド人兵のことですか?」


「ああ。セポイを使って、新入りを管理させるのだ。

 そしてセポイには特権を与えて優遇してやる。

 だが、管理が不十分なら、格下げしてやると脅せばいい。

 そうすれば、彼らは真剣にとりくむだろう」


「でも……インドでは……」


「よく考えろ。

 本物のセポイと違い、彼らと君には宗教的な差異はないだろう。

 だからうっかり禁忌を犯して反乱される心配もない」


「ああ……そうですね。となると、管理体制は……」


「そうだ。新入りの不満は直接の管理者であるセポイに向けられる。

 階級差を越えて君がときどき優しくしてやれば、

 新入りからは感謝されるぞ。

 そうなれば、君は大嫌いな暴力をふるうことを逃れられる。

 体罰を行うのはセポイに任せればいい」


「ああ……」


 津先は重荷をおろせると期待した。


「だから、今は暴力をふるうことを自制してはならない。

 セポイを鍛え上げるためにな」


「え」


身をこわばらせる津先に、礼文は命ずる。


「さらに支配力を強めるために、犠牲者を作れ。

 少年の中の一人を適当に選び、痛めつけろ。

 他の生徒にも、選ばれた一人を攻撃するように勧め、

 命令に従ったものは、ほめる。ためらうものは、次の標的とする。

 不定期に犠牲者を変えることで、

 少年たちは君の意向をくむことに集中し、反抗しなくなる」


「……は……」


 一瞬のためらいの後、


「はい! ガンガン指導してやります!」


 津先は自らの信条を投げ捨てた。その言葉を聞く礼文の目は、実に心地よさげに細められている。





 夕日で照らされた駐車場で、津先は身をかがめる。


「さあ、荷物を……」


 持ち上げようとして、彼はその行動を止めた。


「そうだよ。あいつらの食い物なんだから、あいつらに運ばせよう。

 俺は労働せず、指導するだけ。

 もし、不平なんか口にしたら、これでぶっとばせばいい」


 ズボンのポケットに入れた鉄扇を、彼は握りしめる。


「なんたって、[秘密の首領]さまのお墨付きなんだからな」


 赤く染まった空を津先は仰ぐ。朝とはうってかわって、彼の心は晴れやかになっていた。



   ◆◆◆◆◆◆



 音矢はゆであがったインゲンをザルにあげ、水気を切ってから、あらかじめ作っておいた胡麻味噌に入れて合える。


 その間、彼は七輪を留守にしてはおかない。


 網の上ではスルメがジリジリとあぶられて、丸まりかけている。それをひっくり返しておいて、次の料理に必要なものを音矢は火のそばに並べた。


 弱まりかけていた火に炭を加え、ウチワであおいで火勢を調整する。そうしておいてから、ゴマ油を薄く引いたフライパンを乗せた。


 充分温まったら冷や飯を入れて蓋をし、蒸し焼きにする。フライパンに触れている側の飯がパリパリとした香ばしいセンベイのようになったら、頃合いだ。


 料理にとりかかる一番最初に、音矢はキャベツの葉をはがして洗ってから適当にちぎり、塩をかけてもんでおいた。その、水分がしみだしてきたキャベツを固く絞ったものと、ほぐしたコンビーフを焼き飯に混ぜる。このとき時間をかけると焦げつくので、手早くするのがコツだ。


 火から下ろして皿に盛りつけ、コショウをふれば完成する。音矢はこの料理を[一ツ木のおじさん]から習った。おじさんが大学生だったころ、山岳部の合宿で作っていたそうだ。


 風呂上がりの翡翠は、浴衣姿だ。しかし、まだ彼は帯を自分で締められないので、音矢はメリヤスの腹巻をその替わりに使うよう彼に勧めた。


 湯上りの熱気を発散するためにはだけた襟元からは金太郎のような腹掛はらがけが覗いている。これは大きな傷のある胸や腹を見せたがらない翡翠のために、音矢が手ぬぐいとゴム紐を組み合わせて作成した。頭には布袋の口をゴムで締めるようにした被り物をして、翡翠は角を隠している。これも音矢の手作りだ。


 ちゃぶ台に向かい合って座り、二人は料理に手をあわせた。


「いただきます」「いただきます」


 食事前の挨拶をしてから、翡翠は焼き飯を指差す。


「これは、あのときのと同じものを作ったのか?」


「ええ。乾物屋さんが割れた湯葉や、

 へこんだ缶詰を安く売り出していたんで、

 肝心の材料を手に入れたんです。

 正規の値段だと、コンビーフはけっこうお高いですからね。

 今まで買えなかったんですよ」


「そうだったのか」


 翡翠は匙を取って、焼き飯をすくう。口に入れて、よく噛んで飲みこんでから、彼は笑みを浮かべた。


「うまい!」


 さめないうちにと、翡翠は先に飯を食べる。酒はそれからゆっくりと飲むつもりだ。


「ずっとこれを食べてみたかったんだ。

 あのときはそれどころではなかったからな」


「はい」


 音矢は残念そうな顔になる。


「いけないことだとは思いましたが、

 どうしても、他に方法が考えつかなかったんです」


 翡翠も目を伏せた。


「ボクにも責任がある。

 まだ何もできなかったから……君は一人だけで戦うしかなかった」




――これは――


 二人が語る[あのとき]とは、礼文が騙して神代細胞を投与した最初の実験台、松木呉羽を始末した日の出来事だ。


「油断させて、襲うためのおとりに使えそうなものを、

 他に思いつかなかったんですよ」


 神代細胞の暴走によって呉羽は精神が歪み、自分の父と母を殺した。そして、始末に訪れた音矢を返り討ちにしようとした。


 神代細胞のもたらす怪力をふるう彼女を倒すために、音矢は焼き飯を作った。それを食べようとして隙をみせた呉羽に、コショウを浴びせて目つぶしをかけたのだ。当然、彼女は焼き飯の皿を取り落した。




「そばで匂いをかいだだけでも、うまそうだったがな……」


「さすがに、僕でも

 血まみれの床にぶちまかれた飯は食べることができませんでした。

 実にもったいないことをしてしまいましたよ……」



――失われた(食べ)ものを惜しむ物語――




「あはは。しんみりしてしまいましたね。

 昔のことを悔やむより、今この時を楽しみましょう」


 音矢は自分の焼き飯をほおばった。


「そうだな。目の前の飯に集中しよう」


 翡翠も匙を動かす。



   ◆◆◆◆◆◆



「ごちそうさま」


 俊樹は箸を置いた。


「あら、もういいの?」


 彼の母は心配そうな声をだす。


「いつもの半分くらいしか食べてないじゃない。お腹でも痛いの?」


「大丈夫だよ、お母さま。

 お昼は友だちといっしょだったから、つい食べ過ぎてしまったんだ」


「そう! よかったわね。

 嬉しいわ、トシちゃんが社交的になってくれて。

 この家に引っ越してきてから、あなたはずいぶん明るくなったわねえ」


「ぼくだって、成長するんだよ。高校生の時とは違う」


 ちゃぶ台に食器を残したまま、俊樹は自室に戻った。彼が片づけを手伝うことを、男らしくないと言って母は禁じている。


 俊樹はフスマに心張棒しんばりぼうをかます。これは戸が開かないように押えておくための棒だ。ドアロックができる洋室と違い、和室ではこうしなければ侵入者を拒めない。


「クソババア、いちいちうるせえんだよ」


 彼は小声でつぶやいた。紙と木と土でできた日本建築では、防音性能など期待できないからだ。


 俊樹は座卓に向かい、腰を下ろす。卓上には健二から借りたものが乗っている。

 あの家にあった焙炉(ホウロ)だ。


 彼はそれのフタをそっと開け、マッチで中のモグサと炭に火をつける。



黄泉戸喫よもつへぐいにて松木家のけがれ、我に感染うつれ」


 俊樹は自己流のしゅを唱えた。


黄泉醜女よもつしこめしこ葦原醜男あしはらのしこおしこなり。

 葦原醜男にはあまたの御名あり。

 すなわち大国主神おおくにぬしのかみ大己貴命おほなむちのみこと幽冥主宰大神かくりごとしろしめすおおかみ

 の国の大王おおきみの御力を我に与えたまえ。

 気吹戸主いぶきどのぬしよ、

 底の国のもろもろのけがれを逆しまに吹き返したまえ」


 彼は、古事記などの記述からこの儀式を思いついた。


 英文科に席を置いてはいるが、俊樹は本来なら日本の古典を研究することを志望していた。


 しかし、彼の父が『そんなものは古臭く、役に立たない。英語を学ぶほうが社会に出てから重宝される』と主張したので彼の進路は決められた。



 ――そして、これは――



 俊樹は[火のけがれ]という概念を種々の文献から得た。


 神事を行う神主かんぬしは家人が普段使用しているカマドで調理されたものを食べず、別に起こされた火で煮炊きを行い、我が身を清く保つ。


 それとは逆に、[喪家そうかの火]つまり、死人が出た家の火には[(けが)れ]があるので、神道で葬式を出す場合は自宅のカマドを使わずに余所で作った料理を参列者にふるまうといった習わしもあるそうだ。


 (けが)れを避けようとする行動は、普段意識しないが、日本人の心の中に隠れている。それが、一家心中事件があった廃工場を改造する際にも発揮されていた。つまり、便所紙の在庫が無くなっているのに、業務用の缶詰などが調理場に残っていた理由だ。


 工事を行う作業員たちは、用を足すためにやむをえず便所は使用した。しかし、缶詰や調味料には手をつけなかった。それどころか、彼らは飲み水と弁当を持参し、敷地内からわざわざ外に出て昼食を取ったのだ。


 建設現場で働く人々は事故を恐れ、21世紀になっても地鎮祭じちんさいなどをして縁起をかつぐ傾向がある。ましてや20世紀も半ばの1930年〔光文5年〕という時代においてはなおさらだ。


 彼らから見ると、一家心中がおきた敷地はひどく(けが)れている。忌まわしい場所でおこした火を使って茶をわかし、料理をするなどもってのほか。そんな調理をしたものを飲み食いしたら(けが)れが体に入ってしまう。そう考えて、改造工事を行った者たちは調理室を使わなかった。



 伊吹俊樹は、彼らとは逆に、(けが)れた火で調理されたものを食べることで闇の力を手に入れようとしている。まともな方法では、既成概念に閉じこめられた心を解放することができないと、彼は思いこんでいるからだ。


 ――自分を閉じこめた古い殻を壊し、生まれ変わろうとする男の物語――



 穢れた火で熱された銅板の上に、俊樹はにえとなるものを乗せる。


大物主おおものぬし形代かたしろに穢れ寄る」


 大物主とは、三輪山に祀られている神だ。大国主神の別名とも言われ、本体は巨大な蛇だという伝説もある。


「穢れを食らい、我は黄泉の力を得ん」


 蛇に見立てたそれを、俊樹は赤く粘るものに浸し、口に運んだ。心を集中して噛み砕き、飲みこむ。


「……」


つい、彼は感想を言葉にしてしまった。


「普通に美味い」


 味覚が彼の意識を平常に引き戻したのだ。呪術から覚めた目は、今食べたものの正体をまじまじと見る。

 銅板で加熱したのは、長く細い……



 パンの耳だった。そして赤いものはイチゴジャム。


 その現実が、自分の行為を冷たく批評しているように俊樹は感じた。


「だって本物の蛇なんて、怖くて捕まえられ……」


 誰にともなく言い訳をしかけたが、俊樹は首をふって打ち消す。


「これはただのパンの耳じゃない。

 いや、無料ただじゃなくて金を払ったという意味でもなくて、

 ちゃんといわくのある」


 また言い訳をしてしまった。俊樹はこんな自分が嫌いだ。


「穢れのもとになった呉羽ちゃんが、

 殺される前に手にしていたというパンの耳。

 それと同じ店で買った……そう、〈パンの大神〉製の耳なんだ。

 大神と言えば大神神社。そこは大物主を祀っている。

 だから、無関係とは言えない」


 彼は、考えを口にすることによって、自分自身を納得させようとした。


「店主の苗字も大神。

 公園を含む広範囲の土地を所有する大神一族の分家だから、

 あそこに店を出したんだ。

 そして、あのクソババアも大神家当主のイトコだから……

 オレもその血を引いている。かかわりはあるさ」


 銅板にのせて温めたパンの耳はまだある。その一本をとりあげ、またジャムにつけて食べた。


 その器を眺めるうち、心は再び現実を離れ、瓶に入った固まりかけの血を脳裏でる。そこから連想が飛んだ。


「ジャック・ザ・リッパー……」


 それは19世紀末に、ロンドンで起きた連続殺人犯の名前だ。といっても、その名を記した手紙が新聞社に送られてきたというだけで、本名は不明のまま。犯人逮捕にはいたらず、事件は迷宮入りとなった。


「いいなあ。あんな歴史に残る犯罪、オレも起こしてみたいなあ」


 彼が望みどおり、自らの手を血で染めるのには、あと一年ほど待たねばならない。




 【第十章 食事】 終わり   次回 【第十一章 憑依】に続く


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