第七話
昼食を支度する途中、音矢は空模様の変化に気づいた。
慌てて洗濯物を取りこみ、自分の部屋に運ぶ。そこにはあらかじめ、室内干し用の準備がしてある。
彼は三畳の部屋を斜めに横断するように、柱と柱に折れ釘を打って縄を張っておいた。乾きかけの作業着二人分を洗濯ばさみで縄にとめて、音矢は中断していた作業に戻る。昼食の支度と共に、彼は次の作業用の準備もすませておく。
音矢の予測通り、二人がウドンをすすっているときに、雨は降りだした。
食後の休憩を終え、音矢と翡翠は各自の丼と箸を持って台所に行く。瀬野が定期監査にくる水曜日までに、昨日収穫したものを瓶に詰めておかなければならない。
さっと食器を洗ってから、音矢は翡翠の様子を見た。疲れた色はなかったが、一応確認する。
「体力は回復しましたか?」
「ああ。問題ない」
翡翠はそう答えてから、乗せてある重石をのけて、大鍋の蓋を開けた。
「さあ、始めるぞ」
大さじを手に取り、翡翠はその中身を掬い取る。余分に盛り上がった部分を菜箸の側面ですり切ってから、約15グラムの物体を金ダライにいれた生理食塩水に落とす。
(……なんだか、ツクネを作っているみたいだなあ)
自分で手順を考えた作業なのに、いまさらながらの感想を音矢は持つ。
(これまでは自分でやっていたことを翡翠さんに任せたことで、
状況を客観視できるようになったからかもしれない)
考えながらでも、音矢の手は動く。
ツクネのようなものがくっつきあわないうちに拾って、瓶に入れて、四角く切った経木を重ねる。また入れて、経木を重ねて、交互に積んでいく。
小分け作業は、二本の瓶を満たすだけで充分だ。これは定期監査のために音矢たちが住む家を瀬野が訪れる瀬野を通じて[研究機関]に渡す。
ここで研究したり、回収石に加工する分はその都度必要な量をちぎればいいので、大きな塊のまま瓶に詰める。
二人は降りだした雨の音を聞きながら、作業を続けた。
カマドのある台所での手仕事は一見のどかな光景だが、今加工されているのは昨日入手した神代細胞。それは人の死体から採集されたものだ。
そして音矢の部屋に干されている作業着は、神代細胞を投与されて暴走した実験台を殺処分する際に返り血を浴びて汚れたものだ。だから帰宅してからつけ置いて、今朝きれいに洗濯した。
◆◆◆◆◆◆
「そこで、ワシは公衆の面前で無知をさらしている若いもんに言ってやったんだ。
『博物館の仏像は[魂抜き]がされているから、拝んでも御利益などないぞ』と。
そしたら、その青二才はひっこみがつかなくなったからか、
グチグチ言い訳をしていたが、結局尻尾を巻いて逃げて行きおったよ」
「へえ、鹿島さんに出くわして、その人も災難だったねえ」
「正しい知識を教えてもらって、なにが災難なものか。
むしろ感謝してしかるべきだ」
晴子が抜けたので、鹿島の長口舌の相手は俊樹が勤めている。
そのため、実務面の協議は健二と香で行われた。
「まだ参加人数が読めないから、
サンドイッチなどの軽食は出さずにおいて、
日持ちのする菓子類を多めに買い、
あまったら次回に回すことにしようか?」
「わたしも、それがいいと思う」
相手の同意を得て、健二はそろそろ頃合いと見た。
「……こんなところでいいか。まとめていこう」
テーブルに置いた懐中電灯で手元を照らし、健二の口述を香は手帳に書きつけていく。
「目的……飲食を共にして会員間の親睦を図る。
講演会の感想をお互いに語り合うことで、
[真世界への道]の教義の理解を深める。
対象……[真世界への道]の講演会に参加した会員
手順……茶碗、ヤカン、菓子皿などは集会所の物を借りる。
茶葉、茶菓子などは事前に購入しておく……」
健二は言葉をいったん切った。しばし考えてから口を開く。
「帰りに、近隣の店を回って、価格を調べておいたほうがいいな。
予算の見積額を提示したほうが具体的な案になる」
彼の言葉に、香はうなずく。
「……よかったら、わたしもいっしょに」
彼女の小さな声を聴かず、鹿島は健二に話しかけた。
「そろそろ腹が減ったぞ。公園で食べたセンベイ程度ではおさまらない。
昼飯時にはどこかの蕎麦屋にでも
みんなを誘おうと思っていたんだがなあ。
この雨の中を出るのもおっくうだ。何かないか?」
「ああ、オレがカンパンと湯冷ましを持っているよ」
俊樹がトートバッグから紙袋と水筒を出した。
「あの震災がおきてから、
おふくろが『非常食と水は手放すな』って
外出するたびにしつこく押しつけるんだよ。
公園ではもっといい物を笛田さんが提供してくれたから、出さなかったけど」
俊樹が開いてテーブルの上に置いた紙袋に、鹿島は遠慮なく手をのばす。
「ありがたくいただくが、
しかし……これだけではさびしいな。オカズになるものがあればいいのだが」
物欲しそうな目で見つめられ、その圧迫に負けて健二は立ち上がり、食器棚の下にある戸を開く。そこには彼の叔母が保存食をしまっていた。両手で缶詰をつかんで健二はテーブルに持ってくる。
「いかがですか。コンビーフに桃缶もありますよ」
「おお、悪いな。ついでに海苔はないか」
「海苔?」
「コンビーフを焼き海苔で包んで食べると旨いんだそうだ。
昔、[萬文芸]の随筆で読んだ」
「奇遇ですね……叔父もそうしていました。
たぶん、同じ随筆を読んだのでしょう」
健二は再び戸の前にしゃがみ、木製の小さな箱を取り出した。立ちあがったが、彼はそれを持ったまま、しばし回想にふける。
「そうだ、呉羽も[萬文芸]は好きだったな……
叔母は、その読書傾向を嫌っていましたが、
こっそり読んでいるから内緒にしてねと、俺に……」
健二の独り言を聞き、鹿島の目から食欲が消えた。かわりに浮かんだのは同情だ。
「殺された子は」
「なぜ、あなたの叔母さんは」
鹿島が言いかけた言葉を、香がさえぎる。
「娘が[萬文芸]を読むことを嫌ったの?」
「女の子らしくないと言っていたな。
吉屋信子が書くような美しい少女小説ならいざしらず、
[萬文芸]には社会の醜い現実をとりあつかう【帝都探偵団】や
荒唐無稽な怪奇物語である【巴里の吸血鬼】などが連載されているから」
「やはり、どこの親も同じ。
娘の意思なんか無視して既存の型にはめこもうとするのね」
「ふん、お前さんも年長者の心づかいに感謝しない性質らしいな」
うなずく香を鹿島は鼻で笑う。その目にはもう不幸な死を遂げた少女への憐みはない。
「ところで、その箱はなんだ?」
「焙炉という道具です。海苔をあぶって香ばしくするんですよ」
健二は縦横高さが約15センチほどの木箱をテーブルに置き、その蓋を取った。
そこには一回り小さく浅い箱が乗っている。さらにそれをどけると小型の炭皿が底にあるのが見えた。
「たしか、付属品と海苔の缶も、ここに……」
戸の中から、彼はその二つを取り出す。
小さく切った炭と着火用のモグサを炭皿に入れ、健二はマッチで火をつける。
その上に浅い箱を乗せた。こちらの底は銅板になっている。四角い缶から取り出した海苔を四つに折って切り、健二は浅い箱に入れる。
「叔父はこうして焼いてから、
コンビーフを少しずつはさんで食べていました。
生前、遊びに来たとき俺にふるまってくれたんですよ」
海苔はすぐに良い匂いを漂わせはじめる。健二はそれを皿にとった。コンビーフや桃缶も開ける。食器棚にある引き出しから割り箸を取り出し、彼は食卓を整えていった。
◆◆◆◆◆◆
別に作っておいた生理食塩水を神代細胞を入れた瓶の縁までそそぎ、蓋をして作業は終わった。
二人は道具を片づけて手を洗う。そのまま音矢はオヤツの準備を始めた。七輪にヤカンを乗せて湯を沸かそうとする彼を眺めながら、翡翠はふと思いついた疑問を口にした。
「実験台の総重量は増えないのに、
暴走した結果、体が膨張するのはなぜだろう?」
音矢はいったん火から離れ、収納棚に向かった。そこにある蓋つきのブリキ缶を持ってきて、翡翠の前で開ける。中にはいくつかの紙袋が入っていた。
「ほら、同じ200g入りの袋でも、
片栗粉の袋と金時豆の袋では見た目の体積が少し違うでしょう?
それは、金時豆は粒が大きいから、
細かい片栗粉のように詰められずに隙間ができてしまうせいです。
体組織も皮膚の中にみっちりと詰まり、
筋肉や内臓の細胞は仲間と同じにそろって動いていますが、
神代細胞の群体に変化するとヒルのような姿に分かれ、
それぞれが好き勝手に伸びたり縮んだりします。
そうやって群体たちの間に隙間ができるから、
見た目の体積が増えるのではないでしょうか。
無くなっても、とりあえずは生命維持に支障がない臓器……
腎臓の片方と、肝臓の一部が消えていましたよね
それが神代細胞に変化して腹腔内から体表に移動しているせいもあるから、
外見が大きくなるという理由もあります」
「なるほど」
うなずいてから、翡翠は別の話題に移る。
「実験台の死体を解剖した件を瀬野さんに話してはいけないと、
君は昨夜言っていた。
しかし、内臓を取り出してじっくり観察するのは研究に必要な行為なのに、
なぜ瀬野さんは怒ると予想するんだ?」
「まだ翡翠さんは、包丁を使うことを許可されていませんよね。
許されているのはハサミどまりです」
「あっ! ……そうだったな」
彼女の複雑な心理を、音矢はほぼ推測してはいる。しかし、それを言うと、瀬野への信頼が揺らぎ翡翠が傷つくと彼は判断し、詭弁をつかった。
「まあ、始末の時は軍手をはめていますから大丈夫なんですけれど、
瀬野さんは翡翠さんが指を切ったりしないかと心配しますよ」
「……そして、ボクは危険なことをしたといって瀬野さんに怒られる。
音矢くんは危険な行為を防げなかったと、やはり怒られる……
困った。解剖の結果わかったことを報告書に書けない。
きわめて興味深いことなのに」
「それなら、誰がやらかしたか書かなければいいんですよ。
結果だけを記述しておけば、[研究機関]の人も満足するでしょう」
「ああ、[事実の中で、都合の良いことだけを選んで提示する]
[主語を省く]……君の得意なチェリー・ピッキングか。
これはなかなか役に立つ手法だな」
「でしょう?」
二人は秘密を共有する者同士の笑みを交わす。
◆◆◆◆◆◆
「ああ、旨かった。ごちそうさま」
カンパンと海苔とコンビーフと桃をほとんど一人で食べつくし、満足そうに、鹿島はハンカチで口を拭った。それは長いことポケットに入れっぱなしらしく薄汚れ、畳み方も雑で余分なシワがよっていたが、彼は気にしない。乱暴な手つきでポケットにしまい、鹿島は窓を見る。
「雨もあがったことだし、お開きにするか」
勝手に仕切られたことに腹を立てたのか、香は鹿島をにらむ。
「もう少し、話し合いを」
「ワシは小便がしたくなった。便所はどこだ?」
彼女の抗議に耳をかさず、彼は自分の言いたいことを言う。
「すみません。ここは浄化槽つきの水洗便所なので」
これは、下水道の配管が半固体の汚物を流せるほど整備されていない場合に設置されるものだ。便所から流された汚物はいったん浄化槽に貯められ、定期的に汲み取り業者が回収するしくみになっている。台所や風呂場などの排水は普通に下水道に流す。
「水道を止めてしまったから、使えないんですよ」
「そういうことであれば、なおさら帰らせてもらうしかない。
元聖職者の誇りにかけて、
そこらで立ち小便などという下品な行為はできないからな。
急いで公園まで戻れば公衆便所がある」
「お邪魔しました」
鹿島に続いて香も席を立ち、勝手口を通って退出した。
俊樹はまだ座ったままで、汚れた皿を指さす。
「そうか、水道を止めてしまったなら、洗うこともできないな。
そんなことも配慮せずに、
ここを使わせてくれなんて頼んで、悪かった。ごめん」
「いや、俺もそこまで考えていなかった。
やはり、頭で考えたことと、実際に行うことには差異が……ああ!」
健二は額に手をあてる。
「しまった。由井さんから手帳を借りるのを忘れていた。
せっかく決めたことなのに……」
冷蔵庫の上に置いてある裏の白いチラシと鉛筆を彼は手に取り、テーブルの上に乗せた。
「しかたない、記憶にあるものをとりあえず書いておいて、
あとで便箋に清書しよう。
皿は……捨ててもいいボロ布を俺の家から大量に持ってきて、
残りがまだあるから、それでとりあえず拭おう」
「そっちの仕事はオレが手伝うよ。隅に積んであるアレかい?」
「ありがとう」
しばらく二人は無言でそれぞれの作業を行う。
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津先は指定された物を倉庫に運んだ。幸い雨はやんだので、もう濡れる心配はない。
次に彼は再び宿舎に戻った。そこの二階にあがって従業員の居室から敷布を集める。その五枚の中心に長さ30センチの切りこみを入れて、他の敷布は幅30センチくらいに長細く切る。これで礼文に命じられた仕事は終わった。
切った布をタオルとともに木箱に入れて、彼は外に出る。
次回に続く。




