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勝てば官軍 【魔術開発物語】  作者: 桜山 風
第十章 食事 
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第六話

 午後、研究所に連れてこられた15歳と14歳の少年は、ふてくされたようすで、庭先で引合された津先にろくに挨拶もしない。遅れてきた仲間に対面させるためにつれてきた年少の三人は、彼らにおびえている。


 そんな状態なのに、礼文は早々に帰った。


 だから、舎監である津先はたった一人で五人の子供たちに立ち向かわなければならない。ありったけの勇気をかきあつめ、彼は礼文に渡されたメモを見て、年少者から名を呼んだ。


「戸塚、大船、藤沢、辻堂、茅ケ崎」

「はい」「はい」「はい」


 声はここで止まる。


 思った通り、午後に来た二人は返事をしない。津先は焦った。ここで怒鳴って示しをつけなければ、彼らは制御不能となるだろう。


「おい! 名を呼ばれたら、返事をセンカァ!」  


 しかし、気合を入れたせいで声が裏返ってしまった。


 五人の少年たちは、津先の失敗で笑い出す。そのうえ、最年長の子供は


「呼ばれたのは、おれの名前じゃないよ。他のやつのも東海道線の駅名だろう」


 などと反抗する。自分につけられた名の意味を、15歳の少年は読み取っていた。


 それは当然だ。礼文は、実験台を三浦半島に移送する計画を立てた時に、富鳥家の執事を通じて入手した国鉄時刻表を読んで、この国で最重要と解説されている路線の駅名を書き写しただけなのだから。


 年齢にそぐわない皮肉めいた笑みと口調で、彼は津先にからむ。


「ねえ、俺たちの名前を国鉄からとるなんて適当な選び方をするなら、

 なぜ帝都駅から始めなかったんですかあ?」


 その理由は、礼文の個人的な事情にある。自分がレフ・ダヴィードヴィチという本名を富鳥元子爵に奪われて悔しいが、雇用主には逆らえないので、その代理として彼に預けられた弱い立場にいる子供たちの名を剥奪した。


 先祖から受け継いだ姓と親が願いをこめてつけた名のかわりに、無意味な呼称を無造作に与えて子供たちの価値をおとしめ、憂さ晴らしをしようと考えたのだ。


 そして、彼が嫌っている新田音矢の出身地は横濱。起点である帝都から続けていくと、預かる子供が増えたら、いずれその名を使わなければならなくなる。礼文はそれを避けた。


 横濱の次は保土ヶ谷だが4文字で面倒なので飛ばした。その次の東戸塚から始めると、隣の戸塚とかぶってややこしいので、さらに飛ばした。


「うるさい! 口答えするな!」


 そのようなくだらない事情を、礼文から津先は聞かされていないので、説明のしようがない。だから問答無用ではねつけるしかなかった。


「とにかく、お前がここで使う名前は茅ケ崎だ! 

 親からも、すべてこちらの指示にしたがうよう、言われただろう!」


「あれは嘘だ」


 少年は津先の目を見て、恐れることなく自分の考えを述べる。


「……急にとんでもないこと言われて動揺している間に、

 杖をついたあの人に連れられてここに来たけれど……

 落ち着いてよく考えたらわかる。

 借金取りから逃げるために、

 名前を変え、親から離れて隠れて暮らせなんて変だ。


 うちはそんなに困っている様子はなかったし、

 もしそうだとしても母さんがそんなこと認めるはずがない。

 今までだって、母さんはずっとおれを守ってくれた。

 きっと、おれを嫌っている義理の親父が悪だくみしたんだよ。

 本当の父さんが亡くなってから、

 悲しみで心が弱っている母さんを騙して自分と再婚させた。

 そんなあいつだったら、やりかねない」


「言われてみれば、おれにも思い当たるところがあるぞ。

 これは不当監禁だ」


 茅ケ崎が口火を切ったことで、辻堂も逆らい始めた。


 午前中はおとなしくしていた戸塚、大船、藤沢までもが、尻馬に乗って騒ぎ出す。

あれだけ自分が優しくしてやったのに、三人の子供に裏切られた、と津先は思った。


 そのうえ、茅ケ崎はとんでもないことを口にする。


「もう一度、母さんにも同席してもらってから、

 あいつに嘘か本当か問いただしてやる! だから、おれは帰る!」


「お、おい。 待て。停留所までは歩けても、バス代がないだろう。

 車の送り迎えだってない。一人で帰れるわけが……」


 ここで暮らすと決められたことを拒否した件を舎監の立場から叱責しっせきするべきなのに、あわてていたので、津先は的外れなことを言ってしまった。


 彼はそれに気づいて、顔が赤くなるのを感じる。そして赤面したことを子供たちに見られた、と認識し、余計に頭に血が上った。


「うるせえ! こんなところに居られるかよ! 

 おれは一人でも帰らせてもらう!」


 狼狽ろうばいしている津先に言い放つと、茅ケ崎は鉄扉のほうに歩きだす。


 こいつに逃げられたら、自分が礼文に叱責される。津先の恐怖は頂点に達した。


 震える手が、ズボンのポケットに伸びる。そこに挿した鉄扇を、彼は握った。冷たく硬く重い手ごたえに、津先はすがりつく。


 そして、彼はもっともやりたくなかったが、もっとも効果的だと体が知っている方法をとった。いつも礼文から津先が受けている、体罰だ。


 バシッ


 彼は鉄扇をふるい、茅ケ崎の横面を打つ。武道の心得はないが、素人なりに手加減をしない一撃で、少年は倒れる。




「それから、俺は……気がついたら、茅ケ崎だけではなく他の四人も……

 みんな口の中を切ったり、鼻血を出して……」


「それで、鉄扇が汚れたのだな」


 苦悩する津先を適当にあしらいながら、礼文はカマドに残った熾火を火消しつぼに移した。これは蓋をしめ、密封することで酸素を遮断して消火する道具だ。


 建物を案内された時、火の始末に気をつけろと富鳥元子爵に命令され、礼文はそのための道具と使い方の指導を受けた。


「さて、子供たちに食事をさせてやろう」


 自分はわんさじを人数分取り、小鍋と玉杓子は津先に持たせて、礼文は外に出る。


「おや、降ってきたか」


 礼文は足の故障のため、津先はこぼれやすい荷物のために走れない。二人は雨の中を歩いて宿舎側に行った。



   ◆◆◆◆◆◆



 健二の先導で、他の三人も松木宗吾の家に向かう。


「あれかい?」


 俊樹が指さしたのは生垣にかこまれた赤い屋根の文化住宅だ。その二階外壁の一部、普通なら窓があるべき場所の外壁だけ新しく塗り替えたらしく、薄い境界線がある。


 生垣に開いた門は一つだが、その家自体の入口は二つある。正面の広い引き戸と、側面にあるドアだ。

この家の住人か、正式な客だけが正面を使う。


 米屋などの御用聞きが注文を取りに来たり、商品を運び入れる場合は側面のドア、いわゆる[勝手口]から入る。こちらは鍵で外から施錠できるので、健二はここから出入りしていた。正面の扉はクレセント鍵で内側からしか戸締りできないからだ。


 台所に付属する小さな三和土たたきに靴を脱ぎ、四人は家にあがろうとしたが、そこには一足しかスリッパを置いていない。それを香に履かせたので、男たちは靴下裸足だ。


「ガスコンロと水道とは、最新式の設備だな」


 鹿島はそう言いながら、部屋の隅にある木製の箱に近づいた。その高さは彼の腰より少し下くらいだ。


「おまけに冷蔵庫までもある」


 この時代の家庭用冷蔵庫は、電気を使わない。契約した業者から毎日氷の塊を配達してもらい、その冷気で庫内の温度を下げる。本体だけでなく、機能を維持するための経費も、それなりに高額だった。


「あんたの叔父さんはずいぶんと羽振りが良い。

 いったいどんな仕事をしていたんだ?」


「ええ……建築関係の会社の……重役を……」


 鹿島の無遠慮な質問に対し、健二はあいまいに答えながら、中央のテーブルに手をついた。これは四人掛けで、家族が普段の食事に使うものだ。来客は応接室でもてなすのが礼儀とされる。だが、健二は一行をそこに案内しようとしない。


「悪いけれど、この場所を使ってください。

 ガラス戸を開けると中廊下に出られるんですけれど、

 そこは犯人にひどく汚されて、

 落としきれない跡があちこちに残っているんです」


「それって……その……えっと……」


 健二が口にした言葉の意味を香は問おうとしたが、怯えから口にできない。しかし、


「へえ、血痕でもあるのかい?」


 気軽な口調で俊樹が発言した。健二は無言でうなずく。


 まるで、それを合図としたように、雨が台所の窓ガラスを叩く。室内は薄暗くなったが、電気は止めてしまったので明かりはつかない。


「やはり、移動は正解だったな。

 あのまま公園にいたら全員びしょぬれになっていただろうよ」


 鹿島が自分の手柄を誇るように言う。ためらう健二を説得したのは彼だから、あながち間違いではない。


 だが、最初に松木邸を勧めたのは俊樹で、しかも彼は多くの住宅のなかから迷うことなく、この赤い屋根の家を見つけた。


 1930年〔光文5年〕というこの時代では、テレビはまだ実験段階にとどまっているので、事件にかかわる映像が公に放映されることはない。つまり、新聞でもラジオでも殺人現場である家の外観までは報道されていないにも関わらず、彼はこの家の特徴を知っていたのだ。その意味に、他の三人は気づかなかった。



   ◆◆◆◆◆◆



 檻の中から伸びる手に、礼文は薄いオートミール粥を入れた椀を配った。次に匙を渡してやろうとしたが、少年たちはそれを待たずに口をつけて残さずすすりこむ。


 すかさず彼らは椀を鉄格子の間から差し出した。


 二杯目をそそぎ、礼文は優しげに声をかける。


「一度に大量に食べると体に悪い。

 しばらくしたら、また配ってやるから待っていろ」


 物欲しげな10の瞳に見送られながら、礼文は津先を伴って手術室を去った。会議室の長いテーブルを前に隣り合って座り、津先の報告を礼文は聞く。




 殴られたことで、少年たちは津先にひとまず服従した。


 1930年〔光文5年〕、日本の学校教育では、体罰が普通に行われていた。そして21世紀の常識とは異なり、[聖職]と呼ばれるほど教師の権威は非常に高かった。生徒は教師の言葉を無条件で受け入れなければならないと、自分の親や近所の人からも言い聞かされていた。


 だから、[悪いことをすれば先生に殴られる]という概念が皆にいきわたっていた。

 それは[先生に殴られるのは悪いことをしたからだ]と容易に変換される。


 生徒たちはこれまで教育されてきたとおり自己の行いを反省し、暴力をふるう者の命令に従ったのだ。


 五人で分担して砂利を素手でのけ、ヤグラの周りに円をえがく道を作る。作業が終わると、津先は彼らに走りこみを命じた。ただし、それは通常の鍛錬とは違っている。


 津先は少年たちに、ただ[走れ]とだけ命令したのだ。


 まだ恐怖と怒りで混乱したまま、明確な目的もなく津先は彼らをとりあえず走らせた。それを見ているうちに、津先は[コーカス・レース]のことを思い出す。


 それは津先が昔読んだ【不思議の国のアリス】に登場する、同じところを回り続けるレースだ。


 物語の中では、体を乾かすためという目的があった。だが、少年たちには何の目的も与えられていない。彼らは自分たちが作った円をえがく道を、ひたすら走らされるだけだ。


 普通の陸上競技では楕円形のトラックを走って、既定の距離に達するまでの時間を競う。時にはトレーニングとして、指定された時間内にどれだけ周回できるか競争することもある。


 しかし、少年たちは何周回れば終わりと指定されてはいない。何十分走れば終わりと決められてもいない。彼らは津先が[止まれ]と号令をかけるまで走り続けなければならない。速度を落とすことはとがめられないが、号令前に止まれば鉄扇で殴られる。


 ペース配分も正しいフォームも指導されず、いつ終わるかわからないレースを続ける。これは肉体だけでなく少年たちの心を疲弊させるだろう。


 心も体も疲れていれば、反抗する気力も脱走する体力もなくなる。それなら管理もたやすくなるはずだ。身体能力の向上ではなく、それによって得る疲労のみを目的として、津先は彼らを走らせた。



 

 そこまで話して、津先は礼文の顔色をうかがった。このようないい加減な指導で、叱責されるかと恐れたのだ。


 しかし、上司の目には怒りはない。むしろ面白がっているように見える。


 不思議に思ったが、それを指摘して刺激をあたえ、藪蛇やぶへびで叱られるのは嫌だ。だから、彼は話を続けた。


「いくら叩いても立ち上がれなくなったころ、日が暮れました。

 子供たちを庭に寝かせたまま、俺は飯を炊いたのですが……」


 オカズは缶詰を開けたので普通に食べられた。お茶を大量に与えたので、汗で失った水分も補給して少年たちはやや体力を回復させた。しかしその勢いで、焦げているのに芯がある不味い飯について、少年たちはまた不平を口にした。


 努力の結果を否定されたことで、津先の心に残っていた良心のカケラが壊れてしまう。


「もう、俺も限界になって……檻に入れてしまいました。

 これで脱走しないと安心して気が抜けて

 ……いつのまにか、俺は帰宅していました」


 問題を解決するために自分の主義に反することを行い、不本意ながらもその効果に頼るという精神的負担で、津先の思考は麻痺してしまった。


 しかしその一方で、彼の体は日常生活を通常通りこなしている。


 それは[萬文芸]に掲載された怪奇物語に登場する[屍傀儡しかばねくぐつ]が、死霊術師の命令を受けない限り生前の習慣通りに行動するようなものだった。


 彼が自分を取り戻したのは布団の上。


 帰宅した津先は、いつものように着替えを持って風呂屋に行き、体をきれいにしてから定食屋で飯を食い、そのまま下宿の一間に寝転がっていたのだ。


 彼が預かった子供たちは、泥と血と汗で汚れた身体のまま、空腹を抱えて板敷の狭い檻の中にいる。なのに、津先は自分だけ風呂に入って飯を食い、布団の上でのうのうと手足を伸ばしている。


 おのれの醜さ、そして浅ましさに、津先は泣いた。しかし、一日の疲れは彼を眠りに誘う。泣きぬれたまま意識を失い、朝を迎えた。


 嫌だ嫌だと思いながら買い置きのコッペパンをなにもつけずに丸かじりし、

 嫌だ嫌だと思いながら身支度をととのえ、

 嫌だ嫌だと思いながらバスに乗り、

 嫌だ嫌だと思いながら歩いて廃工場に向かう。


 奇跡でもおきて何もかもうまくいっていたならと、むなしく願いながら手術室のドアを開ける。鼻を突く異臭が彼に現実をつきつけた。




「あいつら、立って便器に小便をしたんです。

 それで、跳ね返りが周りに飛び散って、

 次の奴はそれを踏むまいとさらに離れたところから放出したので、

 さらに跳ねて……」




 結果として、床板と彼らのスリッパはひどく汚れた。それだけではない。生理的欲求に耐えきれずに、子供たちはその姿を隠すところもない場所で、かわるがわる大便を排泄していた。


 紙は傍らにあったし、檻の中から手をのばしてタンクに繋がる鎖を引き、水も流せた。だが、便器にこびりついたものを掃除するような命令も受けていないし、自主的に行う者もいなかった。





「それで、あの臭いか」


 礼文は思いだして、高い鼻梁びりょうをこする。


「もう、ほとほと嫌になって……

 また失敗するに違いないのに飯を炊くとか、

 薪をカマドにくべて風呂を沸かしてやるとか、

 再び庭に出して鍛錬させるとかいう気力も出てこなくて

 ……これまでバケツを檻のそばに置いて

 飲み水をやる以外は放置していました」


 津先は報告を終え、おびえた様子で顔を伏せ身を固くする。あまりの不手際が発覚したことで、礼文にひどく体罰を食らうと彼は予測したからだ。


 そのすくめた肩に、暖かい手のひらが乗せられた。驚いて、津先は顔をあげる。そこには上司の顔があった。怒りの色はなく、むしろ喜んでいるようだ。


「よくやった。[秘密の首領]さまの見立てどおり、君は正ししく行動できたな」


「……は、あ?」


意外な答えに、津先の反応は追いつかない。


「子供たちにも首領様のお言葉を伝えてやろう。

 彼らが受けた苦痛には、大事な意味があったと」


「はああああ?」


 何が何だかわからず、津先は言葉にならない声をあげた。


「その前にやることがある。ついてこい」


 礼文は会議室の外に向かう。津先はあわててその背中を追った。




 次回に続く



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