第十一話
計略を立てる手がかりらしきものはつかめたが、もう少し考えたい。音矢は翡翠に時間稼ぎをしてもらうことにした。
「それでは、
水上文雄さんに[回生の望みを抱く理由を明言]してもらってください。
つまり、なんで[真世界への道]に入って魔術師になろうとしたかを、
そもそもの始まりから説明してもらうんです」
「わかった」
音矢にうなずいてから、翡翠は文雄に頼む。
「今の、それをおねがいします」
ほおばった肉を飲みこんで、文雄は口を開く。
「……なんだかなあ。人に物を頼むなら、
もう少しさ、まともな言い方を……」
不平をもらしながらも、文雄は語り始めた。
「まず、初めは家族の不和についての悩みを[萬文芸]に投稿したんだ。
そうしたら[真世界への道]から誘いが来て、
魔術知識の掲載された小冊子が送られてきたので読んでいるうちに、
自分も魔術師になろうと思ったんだ。
で、いろいろあって、
今の望みは穂村彩子さんとの恋愛を成就させることさ。
このとおり、体は立派な姿に整えた。
それに、この部屋を見てくれ。
こんなにたくさんの金を彼女に捧げれば、
きっと彼女はおれのことが好きになる。
それからまた新たに金を作って、
地位を手に入れるために使えば仕上げは完璧だよ」
「……やはり、恋愛成就には見栄えのいい姿と金と地位がいるのか」
翡翠は帽子を押さえてうなだれる。
「お?」
その表情が期待に満ちたものに変わった。
「あなたが変化させた体は、いままでで一番大きいものだ。
その能力でボクの体も変化させられるか、ためしてくれ、ください」
無造作に彼は文雄の前へと進み出る。
「ちょ、ちょっと待ってください。ご自分の体で試すのは危険ですよ」
音矢は翡翠の肩を押えて止めようとしたが、翡翠はその手をふりはらった。
「では、誰で試すというのだ。
君はきちんと成長しているだろう。背を伸ばす必要がない」
言い争う二人を見て、文雄は困った顔をした。
「仲間割れ? ……なんか、変なことになったな」
ふらふらと立ち上がり、翡翠と音矢の間に手をさしのべる。
「喧嘩はやめてよ」
割って入ったその手を音矢は見た。体に比べて小さい。
「おや? 手は変化させなかったんですか」
「ああ、とくに必要を感じなかったからね」
音矢は次に下を見る。
「ひょっとして、足の大きさも変えなかったんですか?」
「うん」
「それのせいですよ。ふらついたり尻もちをついたりするのは。
背を伸ばしたら足の裏も大きくしないと体を支えるのに不便です」
「ああ、そういうものなのかあ」
「そうだ。今、この場で調整してくれますか?」
「いいよ」
崩れるように腰を落として座り、文雄は自分の足先を手で撫ではじめた。
「翡翠さん、まず体が変化する過程を見せてもらいましょうよ。
きっと神代細胞の研究に役立ちます」
「そうだな。きわめて興味深い」
[相手のことを思いやるふりをして、自分の目的を達成する]
音矢の得意技だ。これを適用して、彼は翡翠が危険な行為に走ることを防いだ。水晶から採取された神代細胞の副作用は強力で、これまでの実験台はすべて暴走し、肉体が変化するだけではなく、精神状態も異常をきたしている。
翡翠はしゃがみこんで、文雄の足を観察し始める。その顔には心からの笑みが浮かんでいた。
「これまでの人は協力してくれなかったが、水上さんは違う。
ボクはとてもうれしい。あなたは良い人だな。ありがとう」
「……どうも」
ほめられ、礼も言われて、文雄はぎこちなく礼を言った。
「エーテルエネルギーが手から放出されている」
翡翠は薄目にして、脳で観察しているようだ。
「それと同時に……神代細胞も分泌されている」
「エーテルエネルギー? 神代細胞? それはなに?」
足から目をあげて、文雄は翡翠に訊ねる。
「神代細胞は、あなたの体に投与されたものだ。
エーテルエネルギーはそれが必要とするもので、
人の精神活動によって発生する」
自分が興味を持つ現象に夢中になった翡翠は、とうとう敬語を使うことを忘れてしまったし、文雄が知らされていない重要なことを口にした。
だが、
「ようするに、願いをかなえるためのお薬のことだね」
ものごとを深く考えない性質らしく、文雄はそれで納得している。
「手から湧いた神代細胞は足の皮膚から浸透して、骨に同化している……
手のひらを見せてくれ」
「ほい」
文雄は手を足から離し、上に向けた。
「ああ、じんわりと滲んでいる」
翡翠は手のひらの中心を右の人差し指ですくった。そのまま左手で指を覆い、念じ始めた。
「大丈夫ですか? 痛くなったら、すぐに」
音矢の心配は杞憂だった。
「ダメだ……やはり同化してくれない」
指先についた神代細胞はヒルのような形の群体となり、翡翠の皮膚を這う。
「な、なにそれ!」
「あなたの体から分泌されたものだ。
自分に投与されるとき見ていなかったのか?」
驚く文雄に、翡翠は質問した。
「ううん。あのときはボーっとしていたから」
しかしその返事をろくに聞かず、大きくなりつつある足の観察を翡翠は続ける。
「……ああ、今、中足骨や足根骨に同化した細胞が、
変形と拡大をしているようだ」
翡翠の脳にも目にも神代細胞はモザイク状に混ざっている。その働きで、彼はエーテルエネルギーの反応を感知することができる。
「あのヒルが、おれの体を構成しているってこと?」
少し気味悪そうに、文雄は自分の足を見た。
「そして物体の表面に張りつき、金色の光沢を与えているようですね.
たぶん、コガネムシの羽の表面と同じような構造に変化して
特定の波長の光を神代細胞が反射しているんだと思います」
「なん、だと……」
音矢の言葉で、文雄の顔色が変わった。
「シェークスピア曰く、[輝くもの、必ずしも金ならず]……
【ベニスの商人】のセリフですよ。
本当に金なら、こんなに軽いわけがないでしょう」
音矢は稲荷寿司をポンポンと、お手玉のようにほうり上げては受け止める。
「昔、羽織をお届けにあがった御宅で、
純金製の盃を手に取らせていただいたことがあるんです。
見た目の大きさより、ずっと重いものでした」
音矢の言葉を聞いて、文雄の記憶が復活する。
『こんなもの、金であるものか。本物の金とはもっと重いものだ』
『ほら、爪でひっかけば、すぐにハゲる。
兄貴がキラキラ光るものを張りつけただけだろう』
『まったくお前はバカだな。
こちらが真剣な話をしているのに、
横からこんなくだらない手品を自慢げに披露するとは』
『無能はあっちにいっててよ。
中学を卒業してから、
いくら仕事をあちこちから紹介してもらっても
すぐにクビになっては、
家でごろごろしてばかりのクズのくせに。
それでも飯の時だけはノコノコ出てきて
ろくな挨拶もしないで親父や俺が用意したものを勝手に食ってさ。
後片づけもせずに自分の部屋に戻る。
いちいちそれを咎めないのは、相手にするのも不快だったからなのに、
調子に乗らないでくれよ』
『このごろ、穂村さんのところに行っては恥をさらしているそうだな。
駄目男のくせに色気づいて、情けない』
『ほんと、バカなんだから』
『だ、黙れ!』
『バカ息子に』
『バカ兄貴に』
『命令される筋合いは』
『だまれえええええ!』
回想から、文雄は目覚めた。
「……は、はあっ、はあっ」
だが彼の手のひらには、父と弟のアゴを引きちぎっていく感触、さらに力を入れて首の骨をへし折った感触がまざまざと蘇っている。その手を握りしめ、
「があああああ!」
文雄は自分の頭を再び強く殴った。神代細胞により強化された筋肉に動かされる拳が、彼の側頭骨を砕く。その衝撃で手根骨もへし折れた。眼窩も壊れ、目玉が外にこぼれる。
「うあ」
「おお」
驚いて後じさりした音矢と翡翠の目の前で、歪んだ頭と、折れた骨が肉を貫いて露出した拳は、モゾリと動いて元の姿に戻る。
眼球と脳をつなぐ糸のような視神経には半透明な神代細胞がまとわりつき、まるでウドンのように太い。垂れ下がった目玉はカタツムリやナメクジの角のような動きで、後ずさりするように引っこんでいく。
これは神代細胞が脳を不可逆的に浸食した証だ。
体の支配権を奪った神代細胞は、さらに繁殖するために強化された脚力で逃走し、次の宿主を襲う。新たな犠牲を防ぐには、この段階で文雄の脳全体を破壊し、体の動きを止めて神代細胞を回収するしかない。
「えーと……どこまで話したっけ?」
頭部への衝撃による記憶の中断を、文雄は単なる度忘れと解釈しているようだ。音矢はそのように解釈し、平静な態度で接する。
「すこし脇道にそれてしまいましたが、
もともとは神代細胞を使って
体を変化させる過程の観察をしていましたよ。
今度は、あなたの愛する女性について話してください。
きっと魅力的で、長所の沢山ある人なんでしょう?
あなたはどんなところにひかれましたか? 知り合ったきっかけは?」
「うんうん。彩子さんはね」
音矢に話をふられ、文雄は嬉しそうに語ろうとする。だが、
「それは神代細胞の研究に関係ないのではないか?」
横から翡翠が口をはさんだ。
「作り話である小説ばかり読んでも、
本当の恋愛について理解できません。
他の人の実体験を知れば、自分が行動する時に役立ちますよ」
「なるほど」
すかさず音矢は言いくるめて、翡翠を納得させる。
「ああ、翡翠さん。話の途中で中座するのは失礼ですからね」
音矢は翡翠の肩を二回たたき、廊下を指差した。
「今のうちに、用を足してきてください」
「ボクは、べつ……」
言いかけた言葉を飲みこみ、翡翠はうなずく。
「わかった」
茶の間の外に出た翡翠は、ピシャリと襖を閉めた。
それを確認した音矢は、文雄に話しかける。
「やれやれ。あの人は少し世間知らずでしてね。
いろいろ失礼なことをやらかしてしまって、
さぞご気分を悪くしましたでしょう。申し訳ありません」
「いや、おれはかまわないよ」
頭を下げた音矢を文雄は鷹揚に許した。
「さすが、ミダスを名のるのは伊達ではない。
まさに王者の優しさがありますよ」
「……そんなでもないよ。優しくされたら……」
文雄に見えている景色が歪んだ。さらに増殖した神代細胞が眼窩からあふれたのだが、彼は涙が滲んだのだと思い、それを手の甲で拭う。
「優しさで答えるのは当然さ」
てれくさそうにする文雄の目の前に、黄金色に輝く稲荷寿司が突きつけられた。
「作る金は偽物の、インチキなミダス王ですけどね」
一瞬で、文雄の顔は真っ赤に染まった。
「黙れ!」
叫びながら、彼は強化された拳をふるう。
しかしその動作を先読みしていたのか、敵はすばやくかわす。
「あはは。暴力による言論弾圧をおこないますか?
そういうところだけは王様らしいですねえ。あはは」
嗤われて、文雄の怒りは爆発した。
「があああああ!」
認めたくない事実を口にした[悪魔]に、文雄は無駄の多い動作でつかみかかる。
しかし、またも敵はヒラリと身をかわし、
「ひゃあ、怖い。退散、退散」
からかうようなことを言いつつフスマを開けて廊下に逃げた。
「うぐあああああ!」
怒りに我を忘れた文雄は、足元の変化に気がつかない。そのまま廊下に出て、奇妙な緑色の敷物を踏みつけた。
それは急激に引かれ、彼は体のバランスを崩した。仰向けにひっくり返る文雄の上に、緑に輝く[悪魔]がのしかかってくる。
「むうっ」
まるで口づけをするように、[悪魔]は文雄の顔に緑の膜で覆われた自分の顔を押しつけた。文雄は鼻と口を塞がれ、呼吸ができなくなる。
「ぶはははははっは」
そのうえ、目の前で滑稽な表情をされたからたまらない。
爆笑した文雄は、肺の中にある空気を吐き出してしまった。しかし、膜に邪魔されて新しい空気を吸うことができない。首にからみつく腕を外そうとしたが、柔らかい膜につつまれて太くなっているので、非常につかみづらい。身体全体を揺らして上に乗っている者を振り落とそうとしたが、酸素が不足しているために手足がしびれている。
窒息死の恐怖に、文雄はおびえた。なすすべもなく横たわる彼の首筋から背中にかけて、[冷や汗]ではなく、生暖かいものが触れる。
次回に続く




