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第十話

 ちゃぶ台と、それに乗せられた食べ残しは金色に輝いている。


「そうだよ。

 おれは、うちの者がみんな嫌いな稲荷寿司を金に変えたんだ。

 二人の会話に入れなかったから、

 魔術師の力を見せて注意を引こうとして。

 それでも信じてくれなかったから、こんどはこれを変えて……」


 文雄はちゃぶ台を手で撫でる。金地にくれないの鮮やかな線が引かれた。


「理解してくれたなら当然、

 親父も弟も、喜んでくれたはずなんだ。

 生活費の心配が無くなるから」


 彼は茶の間の床を見下ろす。


「なのに、なんで……こうなっているの?」


 そこには父と弟の死体があった。二人の顔の下半分は引きちぎられて上アゴの歯列がむき出しだ。首も折れているらしく、不自然な角度に曲がっている。


「……おれがやったのかなあ。覚えがないけれど」


 文雄は手を見た。ちゃぶ台になすりつけても、まだ赤い汚れは残っている。


「まあ、とにかく生贄はささげたわけだ。

 そのうち[天使と悪魔]が来るだろう……

 そうだ。出迎える準備をしなくちゃ」


 文雄は自室に戻った。



   ◆◆◆◆◆◆



 地図で進路をたしかめながら、音矢は車を走らせていく。


「こっちでいいんですね?」


 正面を向いたまま、彼は後部座席の翡翠にも確認を求めた。


「ああ、このまま真っ直ぐ進んでくれ」


 閉じていた目を開き、翡翠は答える。


「瀬野さん。

 今回は[萬文芸]の読者交流欄に乗っていた通りの住所で、

 ほぼ確定のようです。

 たぶん、投書した本人である水上文雄さんが暴走したんでしょう」


「ええ……」


 翡翠の隣で、彼女はあいまいに返事をした。


「[研究機関]で

 [萬文芸]の読者交流欄に掲載された人を調べるって

 話はどうなっているんですか? 

 きっと、暴走患者は家族か同居人を、

 例のごとく皆殺しにしていますよ。

 早めに手を打って、

 水上さんが[真世界への道]に入会していたなら

 実態を教えて退会させるなりしていれば、

 生贄の儀式と称する殺人も起きなくて済んだ。

 出さなくてもいい犠牲者を発生させてしまったのは、

 そちらの責任です」


「わかっているわ! でも、いろいろと差し障りがあるの! 

 現状がこうなっているのは、それなりの事情があるのよ!」


 瀬野は声を張り上げて弁解する。しかし、彼女自身でさえ納得できない発言だ。さらに追及されることを恐れ、瀬野は身構えた。しかし


「ああ……ひょっとしたら、

 上層部で今後の方針について仲間割れでもして、

 会議がごたついて実効性のある行動をとれないんですか?」


 音矢は助け舟とも言えるようなことを言いだす。彼女はそれにすがりついた。


「そ、そうなのよ! それもあるし……

 私だって、このままではいけないと思うから、

 個別に接触して説得しようって上申書をあげてはいるのよ! 

 でも直属の上司が、機密の漏洩ろうえいを防ぐためって、却下を……」


 自分を守るため、即座に瀬野は音矢の発言をもとにした嘘をつく。


すると


「……統帥権干犯で紛糾ふんきゅうしている国会と、

 現場で苦労する軍人みたいなもんですか。

 日本の組織はこれだから困りますねえ。あはは」


 音矢は彼女の言い分を素直に聞き、


「瀬野さんも、苦労してくださっているんですね。

 責めるようなことを言ってしまってすいません」


 謝罪までする。


「うん……どうも……わかってくれればいいのよ」


 そうされたら、瀬野は受け入れるしかない。表面だけとりつくろった嘘のせいで、彼女は胸に石が詰まったような気分になった。



 進路は直線で、対向車も歩行者もいない。そうと見てとった音矢はハンドルから左手を放し、右手首を撫でた。前回の始末で負傷した部位だ。


 もう回復はしているが、その時感じた恐怖は心に刻まれたままでいる。あの日、利き腕が自由に動かせない状態で、彼は暴走患者の猛烈な体当たりを食らいそうになった。翡翠が空間界面でかばってくれなければ、音矢は殺されていただろう。


 胸の中で広がろうとする恐れと不安を打ち消そうとして、音矢は瀬野にちょっかいを出した。そのついでに組織の正体についての探りも入れている。


(瀬野さんが礼文と通じているなら、

 上層部だって同じ穴のムジナということか)


(僕と翡翠さんが受けた説明では、

[研究機関]が礼文を止めようとしているということになっている。

 でも本当は神代細胞の実用化を強行している組織だから、

 実験台候補に真実を告げてわざわざ逃がしたりはしないんだ。

 たぶん、上申書の件も言い逃れさ)


(あはは。まったく、瀬野さんに嘘をつかせるのは楽しいな。

 もうバレているのに、悪あがきをして、なんて滑稽こっけいなんだろう)


(苦しい言い訳をするさまを見物したおかげで、少し落ちついたよ)


「あそこから反応がある」


 翡翠が指示した家の前で車を止めた。表札には、やはり[水上]とあった。だが、あまりしつこくイジメて瀬野に職務放棄されると帰りの足がなくなる。だから音矢は何も言わなかった。


 音矢と翡翠は車内で作業着と半長靴に着替えた。翡翠は角を隠すために作業服に合わせた帽子もかぶる。


「さて、[楽しい楽しい遠足の準備]といきますか」


 音矢は背嚢を開け、それに詰めた装備を指さし確認した。


「水筒よし、氷砂糖よし、応急処置用の救急箱よし、

 おしぼりよし、古新聞よし」


 これは第1号患者の松木呉羽を始末したときから始めた行為だ。


 次に、音矢は作業服のポケットに手を入れる。


「ハンカチよし、鼻紙よし、ペンギンくんよし」


 瀬野からもらった鎖つきキーホルダーを、音矢は愛称で呼んでいる。


「軍手よし、リベットペンよし」


 暴走した信者の脳を破壊するための武器を、音矢は胸ポケットに差した。


 恒例の行動をとることで、彼の心は平常心をとりもどしていく。音矢にとって、これは出撃前に行う清めの儀式のようなものだ。


 印籠ほどの大きさをした道具、乾電池式小型電波送受信機は翡翠に渡し、他の装備は革鞄に入れて音矢が持つ。


「それでは行ってきます」


「行ってくるぞ。瀬野さん」


 開け放たれた玄関に向かう二人の背中を見送ってから、瀬野は後部座席から操縦席に移動した。深い息を吐いて、座席にもたれかかる。


(あいつの言うとおりよ。また、死体が新しく増えたんだわ……

 ああ、いつまでこんなことが続くのかしら。嫌になる)


 そんなことを考えながら、彼女は周囲の気配を探る。やがて自動車が近くに止まる音とドアを開ける音が聞こえた。片足を引きずる足音と、杖の音が近づいてくる。実験の成否の確認、そして音矢が失敗した場合の補助を行うために礼文が訪れたのだ。



   ◆◆◆◆◆◆



 マキビシを仕掛けられる危険を恐れて、二人は土足のまま上がる。


 玄関からはすぐに中廊下に繋がっている。その側に二階に続く急な階段があるのは、呉羽の家と同じ作りだ。違っているのは、階段下の斜めになっている部分に便所があること。


 廊下の奥にあるのは、ガスレンジと水道の設備がある台所だ。ガラス戸が開いているので、その間取りは見て取れたが、人影はない。


 階段の反対側にはフスマがある。それも開いていた。


 音矢は翡翠を背中にかばいつつ、和室の中をのぞく。


「やあ、すごい景色だな」


 音矢は思わず歓声をあげた。

 六畳の茶の間は、壁も天井も畳も家具も、全てが金色の光を放っていたのだ。


「まるで、あの秀吉が作ったという黄金の茶室みたいですね」


 音矢は部屋の真ん中にいる男に話しかける。


「これこそ、おれが手に入れた魔術の力だよ」


 金色のちゃぶ台に腰を下ろして音矢を出迎えたのは、背の高い男だ。


 顔立ちは彫が深く、西洋人のように見える。たくましい体には、肩から胴体にかけてカーテンが巻きつけられていた。それを見て、音矢は西洋の歴史に関する雑学記事に添えられていた挿絵を連想した。


「……その服は、古代ギリシャ人が着ていたトーガですか?」


「そうだよ。

 ミダス王の改良版こそが、おれの望む魔術師のありかただからね。

 ほら、ちゃんと絵にかいた。礼文さまにもほめてもらったよ」


 男は腰を下ろしているちゃぶ台から紙をとって、音矢に見せる。

 それを膝に置いて、次に小冊子を開いた。


「さて、口上を……」


 男はそれに書かれた文章を棒読みする。


「魔術師生誕の儀式、開場。

 我のもとに天使と悪魔もろともに現れり……あれ?」


 顔をあげて、男は音矢に訊ねた。


「あんたは大きいから悪魔だよね。天使は?」


「はいはい。こちらにいらっしゃいますよ」


 音矢はそっと翡翠を招き入れた。


「こんにちは。あなたは水上文雄さんですか?」


 一礼をしてから、翡翠は男に問いかける。


「そうだよ。よろしく、天使さん」


 挨拶してから、文雄は中断していた読み上げを再開する。


「しかして、

 我は天使に回生の望みを抱く理由を明言する。

 我は天使に生贄を捧げしことを宣言する。

 我は悪魔を打ち砕いて力をしめし、魔術師の資格を得ることを誓言する

 ……ってことで、はいどうぞ」


 男は絵と小冊子、そして他の紙束を差し出した。


「え?」


 いままでにないことだったので、音矢はとまどう。


「だから絵と[魔術師への階梯]と、その他の文書だよ。

[真世界への道]の住所は切り取ってあるけれどさ……

 あんた、礼文さまに聞いていないの?」


 不審な目で見られ、音矢はあわてて取り繕う。


「……ああ。すいません。

 ちょっとした行き違いがあったみたいですね、あはは」


 彼はいつものように笑ってごまかした。


「はい、確かに受け取りました。ありがとうございます」


 会釈をする音矢には目を向けず、文雄は翡翠を見た。


「次は[回生の望みを抱く理由を明言]だね。天使さま」


 しかし、翡翠は[真世界への道]が決めた段取りなどは無視する。


「この状態は初めて見るものだ。

 どうやって部屋を金にしたのか教えてくれ……ください」


 翡翠は自分が興味を持ったことをまっさきに質問した。これは音矢とも事前に打ち合わせ済みだ。まだ丁寧語を使い慣れていないせいか、その言葉遣いはぎこちない。


「ああ、いいよ」


 文雄は特に腹を立てる様子もなく説明にかかる。


「ほら、こうやってね」


 身にまとっているカーテンを右手で撫でると、それは金色の輝きを帯びた。


「おおっ」


 驚く翡翠を見て、文雄は満足げな笑みを浮かべる。新しく得た力を自慢したいようだ。さらに彼は輝きを放つ範囲を広げていく。それにつれて、カーテン生地は硬度と重量を増したのか、固まったまま垂れ下がっていく。


「元素変換? 

 あなたは……布を構成する炭素の原子核や電子を合体させて、

 金に変えているの……ですか?」


 翡翠は夢中になって、文雄の手元を見ている。


「もし、そんなことが出来るというなら、科学の常識がくつがえる! 

 まさに奇跡だ!……です!」


「えへへ。なにしろおれは魔術師だからね。こんなの朝飯前さ」


 文雄は胸をはった。


 作法はぎこちないが、好奇心いっぱいで、かわいらしい[天使]とのやりとりに実験台は気を取られている。その隙に音矢はそっと後ずさりして、持参した革鞄に文書をしまった。そして、畳の上に横たわる死体を観察する。


 その二人は、ただ殺されているだけではない。うつぶせになった死体の肩から背中にかけて、背骨や肋骨などが露出するほど、大きく肉が削がれている。だが、切り落とされた部分は見当たらない。しかも傷口は血液ではなく焦げ茶色の液体で汚れていた。


 傍らには血と脂のついた包丁がある。そしてもう一つ、醤油の入った一升瓶も。


(まさか、そんな……でも、他に考えようが……)


 音矢はその三つが意味するところを推理した。


「撫でただけで、物を金に変えられる。しかも任意でだよ。

 手で触れても変化しないようにだってできる。

 だからお腹いっぱいに食べられたんだ」


 胸をはる文雄に、音矢は話しかける。


「……食べたのは、刺身ですか?」


「刺身?」


 唐突に出てきた単語に、翡翠はとまどった。


 文雄は別に動揺もせずに答える。


「そうだよ。なんだか急にお腹がすいてたまらなくなったんだ。

 でも、家にはろくな食べ物がないからさ。

 こんなに腹がへるなら、

 自分が嫌いだからって稲荷寿司まで金にするんじゃあなかったよ。


 しかたないからお肉を切って、刺身にした。

 おれは煮たり焼いたりするのはできないからね。

 それに、もしも伝説通りだったら、

[包丁式]みたいに箸で押さえながら切らなければならなかっただろうけれど、

 おれの能力なら普通に左手で作業の補助ができたんだよ」


 翡翠は死体を見てから、文雄に訊ねた。


「旨かったのか……ですか?」


「ううん、まずい」


 文雄は首を横に振る。


「ワサビでもあればまだましかもしれないけれど、

 そんなものの買い置きがないし、

 皿を出すのも面倒だから、醤油を切り身に直接かけたんだ。

 それだけの味付けだから、血なまぐさいしね。

 うまくさばけなかったから、

 皮ごとブツ切りにして口に入れたけれど、

 そのせいで固いから噛んでも噛んでも細かくならなくて、

 しまいには丸呑みしたし。

 お腹がペコペコでもなければ、とてもじゃないけれど食べられないよ」


「そうか」


 うなずいてから、翡翠は話を元に戻す。


「あなたはどういう仕組みで、

 布を金に変えているん、ですか? くわしく教えてください」


「わからない。

 とにかく、金になれって念じながら撫でていると、こうなるよ」


「なるほど。まるで制御石の作り方と同じ……ということは」


 グー


翡翠の言葉の途中で、文雄の腹がなった。


「……またお腹がすいてきた。ちょっと失礼」


 彼はよろけながら立ちあがった。その身長は天井に届きそうなくらい高い。南方実篤も自分の体を大きくたくましく変えたが、それよりも水上文雄は巨大化していた。


「おっと」


 しゃがもうとして、彼は尻もちをつく。その拍子にぶつかったので、上に乗せていた稲荷寿司と共にちゃぶ台はひっくりかえった。


(よし!)


 音矢は隙に乗じて空間界面による窒息攻撃をしようとした。が、ぎりぎりでそれをやめる。


 肉を切りながらも、文雄の目がこちらを向いていたからだ。やはり、悪魔とは戦わなければならないと、音矢を警戒しているのだろう。


(確実に仕留めるには、もっと大きな隙を作らなければならない。

 慎重にいこう)


(それには、どうしたら……)


 音矢は手がかりを求めて、部屋の中を見回す。


 ちょうど金色に光る稲荷寿司が、さきほど足元に転がってきたので、彼はそれをなにげなく拾った。


(あれ?)


 音矢は違和感を覚えた。そしてさきほどの翡翠の言葉もあわせ、文雄の力について考えをめぐらせる。





次回に続く



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