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第三話

 宴席で、音矢は酒をまた一口飲む。


「そうすると、僕の武器は敵にとどめをさすリベットペンと」

 それは、万年筆に偽装された特殊な武器だ。相手に突きさしてペンの後部側面にあるボタンを押すことによって弾丸が発射され、金属ナトリウムを主成分とした特殊火薬が体内の水分に反応して爆発し、肉体を破壊する。


「このペンギンくんだけですか」

  音矢は懐から、瀬野にもらったキーホルダーを取り出した。金属製の輪と、ペンギン人形を細い鎖でつないであるものだ。


 ペンギンのクチバシを押してから輪を引くと、鎖が延びる。その長さは大人が手をひろげたくらいだ。

重りとなるペンギンを投げて、敵の首にまきつけ、締め上げる。そのような武器を音矢は与えられていた。


「大丈夫だろうか。それで絞めても、呉羽には利かなかったぞ」

  翡翠が心配そうに言う。


「でも、せっかくいただいたんですし。

 もっといい使い方を僕なりに工夫してみますよ」

  音矢はそれを大事そうにしまってから、さらに酒を二口飲んだ。胃から発した熱が頭も温め、心がやわらかくほぐれてくる。


  横を見ると、瀬野の茶碗に残った酒が残りわずかとなっていた。

「あ、これはすいません、気が付きませんで」

  音矢は瀬野に酌をする。


「ありがとう」

  注がれた酒を飲んでから、瀬野は音矢の持った一升瓶に手を伸ばした。

「はい、ご返杯」

  酒瓶を見せて、瀬野は音矢に自分の茶碗をとるようにうながす。


「あ、その、ええと」

  落ち着かない様子で、音矢は茶碗を持った手をもてあます。音矢の知る酒宴の作法は上座にすわる目上の者との盃のやりとりだ。

 だから、茶碗に残っている酒を飲みほしてから出すべきなのか、そのまま差し出してもいいのか、彼にはわからない。


「いいのよ。今夜は無礼講でいきましょう」

  中途半端に浮いている茶碗に、瀬野は微笑んで酒をそそぐ。

「どうも、ありがとうございます!」

  音矢は頬を赤くして、瀬野の酌をうけた。


  注がれた酒をゴクゴクと飲んで、音矢は熱い息をはく。

「まあ、僕は弁慶じゃあないので、

 七つ道具なんて持ち歩いたら邪魔になるかもしれません。

 かえって、そのほうがいいかも」


「弁慶とはなんだ?」

  翡翠が小首をかしげた。彼は孤島で隔離されて育ったので、一般常識に疎い。


「昔の人の名前です」

  音矢は翡翠に弁慶のことを説明してやる。


「敵と戦うために、七つの道具をそろえていた人ですね。

 そして、目的を達成するために、

 自分の主人である、源義経をボコボコに殴った人ですよ」

「そうか、悪い人なんだな」


「違う! 七つ道具はともかく、あとの説明は違うから! 

 弁慶は悪くないから!」

  瀬野があわてて打ち消した。


「音矢くん、ボクに嘘をついたのか?」

 とまどったように、翡翠は尋ねた。


「嘘なんてついていませんよ」

  茶碗の酒で、口をうるおしてから音矢は言葉を続ける。


「瀬野さん、安宅の関で弁慶が義経を殴ったのは有名な話で、

 一般常識としてみんなが知っている。

 これは事実ですね」

「でも……」


「なぜなら、この話は能や歌舞伎など、伝統芸能の題材にもなっていて、

 しょっちゅう上演されているからです。これも事実ですね」

「まあ、そうだけど」


「はい、これで、僕が嘘をついていないことが証明されました」

  音矢は軽くなった茶碗をちゃぶ台に置く。


「ああ、それから、種明かしをします。

 翡翠さん、弁慶は悪い人じゃありませんよ。

 弁慶の目的というのは、関所の番人をだますことだからです」


  音矢は[安宅の関]の故事を翡翠に説明した。


「なるほど。義経だとわかると追っ手に捕まるから、

 荷運び人夫に変装させていたのか。

 そして、弁慶が義経を殴るような男ではないと、みんな思いこんでいた。

 だから、わざと殴って、この二人は弁慶でも義経でもないと錯覚させたのだな」


「初めから、そう説明しなさい」

「それじゃあ、つまらないですよ」

  音矢は揺れ始めた身体を、両手を畳につけて支える。


「嘘をつかずに、誤解させるのが僕は好きなんです。

 本当のことには、いくつかの要素が含まれている。

 その中から僕の目的にそった要素だけをとりだして、並べてみせる。

 そうすると、一見では真実と逆のことを言っているように見える。

 これが僕には面白くてたまらない」


「悪趣味ね」


  音矢が述べたのはチェリー・ピッキングという詭弁術だ。この術の知識も[萬一口話]で音矢は仕入れた。


「探偵小説でいうと、機械的なトリックでない、叙述トリックですね。

 僕はあれが好きなんです。

 その見本として【アクロイド殺し】があります。

 あれは面白かった。あはは」



「そういえば、君は萬文芸の探偵小説が好きだったな」

  翡翠が尋ねる。

「ほかに面白い本はないか? ボクも読んでみたい」


「そうですね。【アクロイド殺し】のアガサ・クリスティさんは

 まだ新人なので翻訳されている作品数が少ないですから……

 探偵小説入門として読み始めるなら、

 コナン・ドイルの【シャーロック・ホームズ】シリーズがお勧めでしょう。

 あと、探偵小説でないですけれど、

 ウエルズの【宇宙戦争】【タイムマシン】【透明人間】などの

 空想科学小説もおすすめします。それから……

 ……作者の名前はど忘れしたけど、

 【ロビンソン・クルーソー】【ガリバー旅行記】【不思議の国のアリス】

 これも面白いですね。

 古典では【ガリア戦記】【オデッセイア】【トロイア戦記】。

 それから……小説ではなくて戯曲。演劇の台本のことですけれど、

 シェークスピアは読んどいたほうがいい。

 【ハムレット】【マクベス】【オセロ】【リア王】の四大悲劇。

 それ以外でも

 【ロミオとジュリエット】【ベニスの商人】

 【テンペスト】【お気に召すまま】

 などもいいですね。

 歴史を描いた劇では

 【ジュリアス・シーザー】【リチャード3世】……」


「ちょ、ちょっとまって」

  瀬野が音矢の長広舌をさえぎった。


「あんた、最終学歴は尋常小学校卒でしょう。

 卒業して、すぐに奉公に出たって履歴書にも書いてたじゃあない」

「ええ、そうですよ」


 この時代に生まれたものにとって、それは普通のことだった。

  松下電器産業株式会社[パナソニック]を起業した、松下幸之助にいたっては、尋常小学校4年で中退し、9歳で宮田火鉢店に丁稚奉公に出た。それに比べれば、音矢は恵まれた環境にいたことになる。


「それなら、なんでそんなに教養があるの! おかしいわよ!」


「[門前の小僧、習わぬ経を読む]ってやつですよ。

  小学校に通ってたころ、ひょんなことから、傷痍軍人さんの家に出入りして、

  身の回りの世話をすることになりましてね。

  その人は片目がつぶれていて、反対側の目も弱っていたんです。

  でも本は読みたい。

  というわけで、僕がその人の持っている本を朗読することになったわけです」


  瀬野が納得したようにうなずいた。


「ああ、その手の本は、小学生には難しい漢字でも振り仮名がふってあるから」

 それが、この時代の標準仕様だった。


「平仮名さえ読めれば朗読できるのね」

「そういうことです」


「妙によく通る声だと思ったら、朗読を繰り返していたからなの」

「はい。まあ、やるならちゃんとやりたいですからね。

 唱歌担当の先生にも聞いて、発声練習もしました。

 おかげで、奉公にあがっても、

 口のききようがわるいと怒られずにすみましたよ。あはは」

  音矢はカツオの叩きを食べた。舌に残る魚の臭いを、酒で流す。


「その人……一ツ木って名前の元軍人さんには、

 本を読ませてもらうだけでなく、いろんなことを教わりました。

 負傷のせいで、銃剣術みたいな格闘の練習はできなかったけど、

 モールス信号とか、野営のしかたとか。

 それから、あのおじさんはもともと山登りが好きだったそうで、

 食べられる草の見分け方や、ロープの結び方なんかも仕込んでもらいました」


「ああ、孤島で三人と戦ったとき、君はそうして罠をつくっていたな。

 そのおかげでボクは助かった。

 つまり、その一ツ木さんはボクにも恩人だ。その人はいまどうしている?」


「亡くなりました」

  音矢はうつむいた。


「2月の早朝……

 用を足そうとして暖かい室内から急に寒い縁側に出たのが悪かったって、

 お医者さんが言ってました。

 それでめまいを起こして動けなくなって、そのまま体温が下がって」

  音矢はそこまで言って、口を閉じる。


「あ、あのね……その、悲しいこと……思い出させて……」

  瀬野は歯切れの悪いことを言う。

「あはは、今は悲しんでないですよ。あはは」

「え?」


「おじさんが亡くなったときは、

 まだ僕は10歳だったからワアワア泣いて悲しみましたけど

 ……大人になってから考えて、いろいろわかりました」

  音矢はため息をつく。


「おじさんにいろいろ教えてもらって、ご褒美ももらって、

 あのころの僕は感謝していたけど……

 よく考えたら、専門の看護人を雇うより、安上がりなんですよね。

 お菓子や小銭で、いろいろ働いてもらえるんだから。

 つまり、僕は無知な子供であることを利用され、

 搾取されてるのに気付かなかった間抜けだった。

 ただそれだけです。あははは……それに」

  笑ってから、音矢は真顔になってみせた。


「おじさんの目は、きれいにつぶれたわけじゃあない。

 顔の左側全体に大きな傷が残っていた。

 ……そして、そんな姿を気味悪がられて、

 ご実家の庭に建てられた離れ屋に追いやられていた。 

 母屋で一緒にくらしていたら、いくらなんでも気が付きますよ。

 廊下に倒れっぱなしなんてことはなかったはず。

 そう、家族全員に、おじさんはうとまれていたんだ。

 どんだけさびしかったんだか。


 ……それに、あのおじさんは、もう体がボロボロになってました。

 砲弾の破片が、手術しても取れないところに食いこんでいて、

 内臓がやられてましてね。

 骨折したところを金属でつなげはしましたけど、

 元通りに動くようにはなっていなかった。

 だから、大好きだった山登りに行くこともできなくなって……


 たまたまおじさんの家に迷い込んできた、

 僕みたいな子供を相手にして、暇つぶしをするしかない。

 そんな絶望しかない人生から、おじさんは解放されたんだ。

 悲しむ必要なんかありませんよ。あはは」


「また、身もふたもないことをいうのね」

「だって事実ですから。ようするに、おじさんは人生に失敗したんです。

 その結果が自分に返ってきただけ。

 他人である僕が同情したり、悲しんだりするのは意味のないことです」



   ◆◆◆◆◆◆



(あ痛たた)

 また頭痛がぶり返してきた。音矢は頭をさする。


(そうだ。おじさんは失敗した)

(帝都の私立大学に受かるほどに頭が良くて、

 そこに四年間通わせるくらい実家が金持ちで、

 山登りができるくらい身体が丈夫だったのに)


(あんな死に方をした)


(正義とか、公正とか、忠誠とか、世の中で流通している考えを本気で信じ、

 それに従ったから失敗した)


(まあ、その手のものは、

 民衆を都合よく動かすために、昔の偉い人が作り出したんだからね。

 おじさんがだまされるのも無理はない)


(そうだ。親が金持ちなんだから、

 うまく手を回してもらえば、おじさんは兵隊にとられなくてすんだのに)


(そのうえ、

 おじさんは上官の不公正なやりかたに楯突いて、機嫌を損ねたせいで、

 特に危険な任地に回されて、負傷した)


(僕はそんなの嫌だ)


(正義、公正、忠誠……そういう、世の中で良いとされていること)

(僕はそんなものに従わない。でも反抗もしない)


(正義、公正、忠誠、親切、勤勉、正論、誠実、ほかにもいろいろある良いこと。

 それを僕は利用し、使役し、冒涜してやる)


(なにしろ人を操るのに便利だからね。昔の偉い人もよく考えたものさ。あはは)


(と、いっても……たいしたことはできてない)

(世界のすみっこで、上におべっか使いながら、

 チマチマと人を殺すくらいが精一杯だ)


(僕にもっと力があればなあ。この世界を丸ごと壊してやれるのに)



   ◆◆◆◆◆◆



音矢が恩人について語り終えると、翡翠は自分の感想をのべた。


「確かに……あまり嬉しくない人生のようだ。

 家族というのはいいものだと本に書いてあったが、

 うとまれてしまうこともあるのか」


「翡翠さんには、水晶さん以外の家族はいな」

 音矢が質問するのをさえぎるように

「ああ、もう、辛気臭い! 別の話をしましょう!」

  瀬野は二人の会話に割って入る。


「あはは、そうですね。探偵小説の話から、

 なんでこんな暗い話になったんでしょう。あはは」


「なによ、他人事みたいに」

「すいませんねえ。あはは」

  音矢は茶碗の酒を飲みほし、横の席を見た。


「あ、すいません。翡翠さんのコップがカラっぽでした。はいどうぞ」

  音矢はポートワインの瓶をとって、翡翠に酌をした。


「こんどは、ボクがつぐのだな」

 ぎこちない手つきで、翡翠は音矢の茶碗にワインをいれる。

「あ、どうも。あはは」

  彼は茶碗の中身を飲んだ。


「なんだあ、こっちのほうが甘くておいしいや。もっとくださいな」

「わかった」

  再びつがれたワインを、音矢は飲み干す。


「家族ではなく、友達というのはどうなのだろう? 

 いいものなのか、よくないものなのか」


「それは……一概には言えないですねえ。

 人間には個性がありますから、組み合わせによって違いますよ。

 ……なんでそんなことを聞くんですかあ?」


  翡翠は音矢をみつめて言った。

「ボクは友達が欲しい。瀬野さんにもらった道徳の副読本によると、

 友達とは平和な時には一緒に楽しく遊び、危険が迫ればお互いに協力して戦う。

 そういうものらしい。それは本当のことなのか?」


「まあ、そういいますねえ。あはは」


「つまり、友達とはいいものなのだな。ならばボクは音矢くんと友達になりたい。

 どうすればなれる?」

「そりゃ、光栄です! あはは。ぜひなりましょう。あははは」


「なに、その安請け合いは」

  瀬野があきれたように言った。


「じゃ、高値をつけましょうかあ。

 僕は仲間が欲しいですねえ。

 僕のできないことをやってくれる、信頼できる仲間」

  音矢はふらふらと揺れる頭を片手でおさえる。


「そのかわりにい、僕は仲間のできないことをする。

 お互いに分業して、目的を達成できる。

 そういう仲間が欲しいですよ。

 あははははは。翡翠さん、なってくれますかあ。

 なれますかあ? あはははははは」

  音矢はちゃぶ台を叩いて笑った。


「……この望みは、矛盾しないぞ」

  翡翠はうなずいた。


「音矢くん、ボクの友達になってくれないか? 

 平和な時には一緒に遊び、危険が迫れば協力して戦う友達に。

 そして、ボクは音矢くんの仲間になりたい。

 お互いに分業して、目的を達成できる仲間に」


「いいですねえ! あはは。よーし、契約成立の握手しましょ。あくしゅ」

  音矢は右手を差し出した。翡翠はその手を握る。


「はい、これで、僕と翡翠さんは友達で仲間だ。あははっははははは」

「ありがとう。ボクはとてもうれしい」


「……なによ。二人で盛り上がって」

  瀬野がすこしすねたように口を挟む。


「それでは、瀬野さんも友達で仲間になりましょうよ! 

 あはは。ほら、お手をどうぞ」

  音矢の差し出した手を、瀬野は払いのけた。


「ちょっと、飲みすぎよ。いいかげんにしなさい」


「……ひどいや。瀬野さん、無礼講っていったじゃないですか。

 飲めっていったのは瀬野さんじゃないですか……」


  音矢は瀬野に拒否された自分の手を見つめて、

「そうか、そうですよねえ」

  一人、うなずいた。


「僕が人殺しだから、握手したくないんですか?」

「……それは」


「この手が血で汚れているから、嫌なんですか? 

 残念でした。瀬野さんが今日食べた料理は全部

 このけがれた手で作ったものですよーだ。あはは。

 そのうえ」

  音矢は皿にもられた二つの料理を指さす。


「あんたがパクパクと食べたのは、鶏とカツオの死体なのに」

「う」

  瀬野は反射的に口をおさえる。


「あはは、人殺しが加工した死体を食べて、うまかったですかあ?」

「そんな言いかたないでしょう!」


  翡翠は瀬野の顔を不思議そうに見た。

「なぜ、怒る?」


「あはは、翡翠さん、それが普通の反応ですよ……

 みんな、死体を食べて生きているのに

 ……それを[食材]と、きれいな言葉に換えて……真実から目をそらしてる」



   ◆◆◆◆◆◆



 そこまで回想が進んだとき、

(あ痛たたた)

  音矢は布団のなかで頭をさする。頭痛はなかなか消えない。


  人前で、残酷で無慈悲な世界観を自分だけが見抜いたと得意顔で披露する。

 それが恥ずかしいことだと気づいていない。音矢は、この点においては普通の青年だった。


  彼と同じことを考えた先人は多数いた。

 その一方で、残酷な真実に耐えきれない弱い人もいるということを、彼らは知っていた。

 だから、弱者のために、世界の真実をふんわりとした虚構で包んで隠してあげていたのだ。

 そのような優しさを、彼はまだ知らない。



   ◆◆◆◆◆◆



「ねえ、瀬野さん」

  音矢は揺れる身体をささえきれなくなって畳に両手をついた。その姿勢から、無理に顔をあげる。


「僕が、女の子を罠にはめて殺しておいて、笑いながら、

 [人殺しなんて誰にでもできる普通のことです]とかいうから、

   気味悪いんですか? 

   答えてくださいよ」


  瀬野は沈黙を保つ。


「たしかに僕は殺人を普通って言ったよ。

 普通の人間は普通の生活をしながら自分より弱いものを痛めつけ、

 ときには殺す。

 そういうものだとも言った……でも!」


  音矢は拳で畳を叩く。


「それ以外、何が言えるんですか! 

 自分の犯した罪を後悔して、

 そんなことなかったことにしたいと思うのも普通でしょう!

 真実から目をそらして、表面だけとりつくろうのも、

 よくある普通のこと、みんなやってることだ! 

 もし、僕が、[人殺しなんて誰にでもできる普通のこと]と自分に言い聞かせて

 むりやり開き直って平常心をたもっているとしても、なにが悪い! 

 こんなのたいしたことないって、

 笑ってごまかすしかない気持ち、わかりますか!」


「……それは……」


「それでも記憶は消せない。

 鮮血で赤く染まった光景も、その臭いも、僕は忘れることができない」


  音矢は口を押えた。

「うぷ」

  彼の肩が大きく動く。その呼吸が乱れている。


「だって、僕だって、人間だもの。ちゃんと、心のある……にんげ……うぷっ」

  彼は障子をあけて、よろめきながら庭にでる。その隅には生ゴミをうめるために掘られた穴があった。

  音矢はそこにうずくまり、嘔吐する。



   ◆◆◆◆◆◆



(あれで、瀬野さんはごまかせただろうか)


(呉羽ちゃんを罠にはめた計略が成功して、殺し合いに勝利をおさめて、

 つい気がゆるんで)


(僕の本音を言ってしまったからね)


(そのせいで、瀬野さんは僕のことを普通の人間じゃあないと思い始めた)


(呉服屋にいた時にも、僕がうっかり本音をもらしたせいで

[普通の見本、ただし人格を除く]とか

[頭痛発生機]とか言われてからかわれていた)


(でも、それはまだ洒落ですまされる段階の本音。

 ちょっと社会問題に毒舌をはいたくらいの本音。

 若気の至りで済まされる程度の本音)


(でも、今回の本音は危険度がケタ違いだ。

 なにしろ僕が実行した殺人に関する考えなんだから)


(僕は後悔なんかしてない。正当防衛をしただけだもの)


(でも、僕の本音を聞いて、

 瀬野さんは僕の人格の根本が信用できなくなっている。それはまずい。

 信用できないからって、僕がせっかく手に入れた仕事を解雇されたくない。

 まだ不景気は続いているし)


(だから人を殺したことを後悔しているようなそぶりを瀬野さんにみせた)


(ただし、その発言には、主語を入れてないけど)


(そう、あれは単なる一般論。そして仮定法も使った)

(僕の大好きな詭弁術きべんじゅつ……)


(世間のみんなは、本当のことより、もっともらしい幻影が好きなんだ。

 瀬野さんだって、同じ)


(もし本当に僕が普通の[お人よしの働き者]だったら)


(これまでに四人も殺しているんだ。後悔しないと変だよね。

 それは普通じゃない)


(だから、僕は彼女が望んでいるもの……

[殺人者としての苦悩]を提供してやった)


(まったく僕は親切だよ。あはは……)


  次回に続く

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