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第六話

「よし、決めたぞ」


 9月25日木曜、水上文雄は、机の上に画用紙を置く。資料用の本もその左に広げる。


 彼の絵をかく技量は、音矢ほどに上手くはない。速度も劣る。しかし、文雄は着実に色鉛筆を動かし、自分の望みを絵として表現していく。



   ◆◆◆◆◆◆



 3時のおやつは豆大福だ。翡翠は自分の前に出された物をしげしげと見る。


「お? いつものと違うぞ」


「ええ。なんでも駅前商店街にある菓子屋さんが

 独自に開発した新商品だそうです」


「そうか」


 普段の反応とは異なり、今日の翡翠は豆大福のことを詳しく聞かない。


(これは……他になにか翡翠さんにとって重要なことがあるのかな?)


 音矢の推理した通り、翡翠はさっそく今月号の[萬文芸]に掲載された空想科学小説について話し始める。


「あの話では相対性理論を利用して、質量をエネルギーに変換していたな。

 それなら、逆もできるかもしれないと、さきほど思いついたのだが」


「まあ、逆もまた真なりっていいますからね」


「エーテルエネルギーを質量転換できないだろうか。

 空間界面のエネルギーを物質に変えれば、

 ボクの体を大きくすることができるかもしれない」


「ああ、なるほど」


 反射的に相槌を打ったが、ひっかかるものがある。しばし考えてから音矢は口を開いた。


「でも、相対性理論を応用した核分裂反応爆弾は、

 小説に描かれたところによると、

 たった1gの物質がエネルギーになっただけでも、

 木造どころか鉄筋コンクリート製の建物でもことごとく破壊し、

 10万人も焼死させるという大被害を出してましたよね。

 その逆を行うとすれば、

 都市一つを壊滅させるくらいのエネルギーを変換しても、

 1gくらいの物質しか作れないということでは? 

 到底、採算が合わないですよ」


「………………そうだな」


 翡翠は手にした豆大福を噛みちぎる。目を伏せたまま何回か咀嚼してから、彼は小首をかしげた。


 飲みこんでから、翡翠は断面をあらためて見る。


「おお? 緑色だ。餅にまざっている豆と同じ。

 いつもは両方黒っぽいのに」


「いつもの、というか普通の豆大福は赤エンドウ豆を餅に混ぜて、

 中の餡は小豆を使うんですよ。

 これに使われているのはウグイス餡といって、

 緑エンドウ豆を柔らかく甘く煮てつぶしたものです。

 外の豆はそれを塩ゆでにしたものでしょう」


「なかなか旨いな。また食べたい」


 翡翠は自分のアイデアが不発に終わったことはきれいに忘れたらしい。今は目の前にある豆大福を味わうことに集中している。


 その場その場で興味の対象を次々と変えていくさまは、12歳という外見年齢にさえとどかない、幼児おさなごのようだ。


 音矢はそんな翡翠の性質をほほえましく思った。



   ◆◆◆◆◆◆



 文雄は本の挿絵を見ながら絵をかく。王冠をかぶり、豪奢なマントを羽織った西洋人風の男が正面向きになっている姿が紙の上に少しずつ姿をあらわしていく。


 この時代の日本人らしく、彼は西洋人のような顔と体格にあこがれていた。



   ◆◆◆◆◆◆



 昨夜の定期訪問では、まだ音矢の新しい報告書は書きあがっていなかった。しかし、入谷弁護士から神代細胞の研究が水晶側ではどのくらい進んでいるか聞いてくるように頼まれたので、瀬野は[真世界への道]の事務所を訪れている。


 礼文は実験台に絵をかかせて肉体の変化と精神を制御しようとしていることや、津先が配置換えになったこと、彼に金を渡して子供たちの受け入れに必要な雑貨を買い出しに行かせたこと、研究所で入谷が集めてきた五人の実験台候補を昨日から育成し始めたことなどの現状をあらためて瀬野に伝えた。


「……ねえ、ご飯の支度はどうしているの?」


 瀬野小夜子は、恒例の食事会で音矢が使っていた器の大きさを思い出した。井戸での水汲みや、カマドで使う薪をナタで割る、タライと洗濯板を使って衣服を洗うなどの日常の家事と、家から2,5キロ離れた商店街への買い出しに必要なエネルギーを、彼は丼飯で補給している。


 次に実家にいたころの記憶を彼女は探る。柔道場を経営する両親、そして五人兄妹たちの食事風景を。


 母と姉二人、そして小夜子自身の合計四人は、同じ一つの御櫃おひつから飯をよそって食べていた。だが、父と兄二人は、小夜子たちが使うのよりもやや小ぶりではあるが、それでも個人用の御櫃が必要なほどの量を摂取していた。


「うちの男衆は極端な例として……

 健全な成長のために

 毎日広い庭で適度に運動する程度の食べ盛りの男の子なら、

 一回の食事で一人あたり二合くらい必要かしら? 

 それなら、毎食ごとに一升は炊かないと。

 三食のまかないを365日欠かさず続けるって、結構大変よ。大丈夫?」


「あの研究所は染物工場の敷地内にある宿舎を改造した物だから、

 工員用の調理室も付属している。

 飯の支度など、大きな鍋に米を入れて煮ればいいのだろう。

 簡単なものだ」


 礼文の認識は現実に沿ったものではなく、楽観的にすぎる。そう思った瀬野は不安になって訊ねる。


「……礼文さん、料理の経験は……」


「無い」


 彼はきっぱりと答えた。


「実家では召使に作らせていた。

 士官学校と軍隊時代は支給されるものを食べていたし、

 均分団の活動をしていたときは外食したり……

 …………仲間が作ってくれたりした。

 今は母屋でまとめて作った食事を離れまで配食してもらっている」


「それでは、食事作りの大変さがわからなくても仕方がないかしら……」


 瀬野は、ため息をつく。


「……そうね。音矢みたいに、

 ご飯もオカズもヒョイヒョイ作れる男が異常なのよ。

 だから、入谷先生もそこまで気配りをしていないのだろうし……

 津先さんだって経験はないでしょう。

 下宿ぐらしならそれが普通だわ。

 でも、日本式の炊飯はとても高度な技術がいるのよね。

 住みこみの奉公人をかかえる大きな商家なんかだと、

 飯炊きだけの専門要員をわざわざ雇ったりしているわ。

 そもそも料理全般が難しいものなのよ。それを理解してほしいの」


 彼女は真剣になって礼文を説得にかかる。


「津先さんが食事作りに失敗して、ご飯が食べられなかったら、

 せっかく預かった男の子たちが飢え死にしてしまう。

 そんなのかわいそうよ。

 これ以上、神代細胞関係で無駄な死を遂げる人を増やしてほしくないの。

 おねがい、部下に任せきりにしないで、

 礼文さんがその目でどんな状態か視察して。

 そしてご飯だけはちゃんと食べさせてあげてよ」



 瀬野は、[かわいそうな弱者]に対しては慈愛深くふるまう。


 世話をしてくれる研究員が死に絶えた孤島において、翡翠は研究所に残された保存食を手づかみにして食い、野生化したカボチャやスイカなどをかじり、生水を飲むような生活をしていた。そんな彼をきれいに洗って伸び放題の髪を切りそろえ、清潔な服を着せ、自分の弁当をわけてやり、絵本を読み聞かせるなどして人間らしい生活を彼女は教えた。


 現在は、自分よりも賢く有能であることを上役に理解され始めた音矢を瀬野は憎んでいる。しかし、彼が騙されて生存が望めない神代細胞実験台にされたばかりのころは心から優しくあつかっていた。



「うむ……たしかに死なれてはまずいな。

 だが、大きな缶詰が調理室にいくつも残っていた。

 それを食べれば当座はしのげるだろう」


「軍隊の糧食でも缶詰は採用されているけれど、

 それは主食である米を炊いて、そのオカズにするという前提があってのこと。

 大釜を使わず個別に飯盒炊爨はんごうすいさんするとしてもコツがいるわよ。

 津先さんは陸軍の従軍経験あるの?」


「いや、無い…………しかし、腕のいい調理員を新たに確保となると……」


「もしも、ご飯が上手く作れないなら、

 孤島の研究員たちみたいにすればいいのよ」


 困り顔で考えこむ礼文に、瀬野は助言をした。


「あちらの施設にも調理室はあったから、

 最初のうちは自炊していたんでしょうけど」


 その結果、生ゴミとして捨てられた種からカボチャなどが芽生え、孤島で野生化した。


「でも、すぐに使われなくなったらしいわ。きっと面倒になったのね。

 震災がおきる前ごろは、

 実験台として育てられている翡翠くんのエサと同じもので、

 研究員は自分たちの食事をまかなっていたそうよ。

 栄養がかたよらないように、

 いろんな種類の保存食を取り合わせて混ぜてから、

 湿気や虫を防ぐために小分けにして、

 ビスケットやセンベイを入れるようなブリキの缶に詰めたものを、

 物資が船で運ばれてくるたびにまとめてたくさん作っていたの。

 その缶から一人分ずつ丼に移して、みんなで食べていたんですって」


「それはどのような食品だ?」


「カンパンに、干した果物に、クルミなどの木の実。

 ようするに、大航海時代の船員が食べていたようなものね。

 でも、それだけでは満足できなかったのか、

 日本人向けに、干し米や煮干しも追加していたわ」


 翡翠が食べていたのはその保存食だ。瀬野は缶に残されたクズから中身を推測した。


「これらの調理の必要ない保存食は

 登山用品店に行けばまとめて仕入れられるわよ。

 あとは、生で食べられる野菜。

 夏ならトマトにキュウリ、それ以外の季節には大根やカブやキャベツ。

 翡翠くんも孤島にいたときは、

 2週間に1回そういうものを差し入れるだけで充分生きていけたから、

 効果は実証済みよ。おわかり?」


 説明が終わり、瀬野は得意げに豊かな胸を張る。


 礼文の困っていることを自分が解決し、助けてやった。これで礼文よりも上位に立ち、彼の劣等感を刺激して悔しがらせたと彼女は考えている。


「ああ、わかったとも。君はなかなか役に立つな」


 しかし、礼文は軽く受け流す。


 彼は貴族育ちなので、自分のことを誰かが助けてくれるのが当然のことだと考えている。

 だから劣等感など、わくことはない。



   ◆◆◆◆◆◆



 おやつの時間は終った。


 音矢は夕食支度前の軽い作業として、縁側に針箱を出し、新しい作業服の裾上げをする。これまで使っていた服は始末のたびに血まみれになるので、落とせないシミだらけになってしまった。それで瀬野に新品を頼んだのだ。


 翡翠は茶の間に残り、切り抜きを終えた新聞の残りを読み返している。彼はふと、人生相談の欄に目を止めた。今回の投書は親の決めた金目当ての縁談に気が進まない、自由恋愛にあこがれる青年からのものだ。翡翠は縁側の音矢に声をかけた。


「……音矢くんは、自由恋愛というのをしたことがあるのか?」


「一応ありますけれど、片思いのままで成就じょうじゅはしなかったし……

 これからもどうですかね」


 音矢は針を持つ手を休め、ズボンを脇に置き、翡翠の方に体の向きを変えた。


 彼は質問に答えるというよりも、自分が普段心に秘めて思っていることを語り始める。


「向こうの親が説得してくれるならいざしらず、

 素人しろうとの女性に好いてもらうのは、とても困難です。

 素人の心は玄人くろうとよりも値段が高くて、

 提示される条件もむずかしいから……


 玄人だったら既定の料金さえはらえば、

 こっちが地位も名誉もないうえに、たいして見栄えがよくなくても、

 既定の時間内は相手にしてくれますけどね」


[玄人]とは性風俗産業の労働者だ。彼女たちのことは以前に[萬文芸]の小説などを読ませて、音矢は翡翠に教えていた。その際には、彼女たちの仕事は排泄行為の介助のようなものと伝えた。端的に表現した理由は翡翠の母親が[とうがたった娼婦]と研究日誌にかかれていたことを踏まえてのことだ。娼婦の実態を教えることで、翡翠を傷つけまいとした配慮だった。


「でも素人には、いくら現金や物を贈っても、

 愛する心のこもった手紙を届けても、

 『見た目が気に食わない。それに現在貧乏で、

  未来に出世する可能性もなさそうだから嫌』

 と言われてしまえばおしまいです。

 嫌だと言うのをむりやり押し倒したら強姦罪に問われますし」


「素人の女性を手に入れるには、どのようなことが必要なんだ?」


「今言ったように、見た目の良さと金と地位ですね。

 ……そのどれ一つもない人間は、

 初手しょてから相手にさえしてもらえないんですよ」


 主観的な歪んだ意見を述べて、音矢は肩を落とす。


 翡翠も目をふせ、水兵帽の上から額を押えた。


「……ボクには角がある……普通の人とは違って、鬼のように醜い姿だ。

 それなのに鬼が持つという怪力は出せない貧弱な体で、

 金も地位もない。

 ……だが……もし、神代細胞を利用して、

 音矢くんがかいてくれたような絵のように、

 ボクが立派な大人になることができたなら、

 瀬野さんに好きになってもらえるだろうか」


「瀬野さんは今でも、翡翠さんのことを好きですよ」


 答えてから、音矢はそっと体を庭の方に向け、針仕事を再開する。


「確かに……ボクは瀬野さんに大切にしてもらってはいる。

 それに感謝してはいる。

 だが……なんだか…………その……ああ、うまく表現できない!」


 乱暴に新聞を片づけると、翡翠は自室に去った。



   ◆◆◆◆◆◆



 文雄がかいているのは西洋の一般人ではない。ギリシャ神話に登場する[ミダス王]の絵だ。


(こんな平面的な顔でチビだから、

 彩子さんに心からの愛を訴えても、

 おれは好きになってもらえないんだ。だから魔術で姿を変えよう)


 豪奢ごうしゃな衣装をまとった王はテーブルに向かい、両手を広げている。


(そして、姿が良いだけではなく金持ちになり、

 その資金をばらまいて地位を手に入れれば、

 まさに[鬼に金棒]ってなもんさ。

 絶対にあの人はおれを好きになってくれるだろう)


 水上文雄は明治生まれの男であっても、女性の好意を手に入れようと、積極的に努力している。

 しかし、能力が伴っていない。彼が日々真面目に考えて、やっとたどりついた結論は、恋愛下手な音矢とたいして変わらないものだった。


(でも伝説通りだったら困るな)


 触るもの全てを変化させる力だと、食べ物も飲み物も金になるので飢えと渇きに襲われることになる。


(伝説のミダス王は、

 その苦しみから逃れるために力を捨てざるを得なかった……)


 ミダス王は、もとに戻してもらう代償としてロバの耳になった。

 別の説では水浴びをしたら力が流れ落ちて川の砂を金に変えた。そのように、文雄が参考にした本には書いてある。


(……まあいいや。それは今のおれには関係ない)


 彼は右手と左手で持っている物の色を変えた。


 右手には、黄金に変わったリンゴ。左手には普通の赤いリンゴ。ただし色鉛筆のセットには金色が無かったので、かわりに黄色でリンゴを塗り、その周りに集中線を描き、文雄は輝きを表現した。


 そして、テーブルに並んでいるパンやワインの盃も交互に色を塗り分ける。この表現は能力の特性を表している。


(美しく、たくましい姿が欲しい。

 そして手に触れた物を任意で金に変える力が欲しい)


 文雄はついに願いを具体的に表した絵をかきあげた。


 明日、彼は[真世界への道]の代表者に絵を提出し、魔術師候補となる資格を得る。





次回に続く






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