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第二話

 事務所で報告書8号を受け取った礼文は、彼に向かい合って座っている瀬野の胸元に目を向ける。豊かな眺めを楽しむためではなく、そこにある飾りが気になるからだ。


 ブドウの房をかたどったペンダントヘッドは、神代細胞を加工した[回収石]でできている。さきほど、彼女はそれが贈られた経緯を誇らしげに礼文に語った。しかし、彼は納得できないでいる。


「それは人間の死体から採れたものが原料だろう。

 知っていながら、よく平気で身に着けられるな」


 自分の感想を、礼文は正直に口にした。それを聞いた瀬野の表情が変わる。


「原料のことなんか気にしていたら、絹服も着られやしない」


 このペンダントには翡翠の感謝がこめられている。大切な贈り物にケチをつけられ、瀬野は腹を立てた。


「あれは芋虫が吐いた糸からできていて、

 その上に、紡ぐときには繭をサナギごと煮るから

 虫汁が糸の芯まで染みこんでいるでしょう。

 そんなことは誰でも知っているわ。

 けれども、日常生活の中では原料と製法なんかを考えもせずに、

 みんな喜んで絹服を着ているじゃないの」


「それはそうだ。しかし」


 瀬野の怒りはまだおさまらない。礼文の反論を聞こうともせず、彼女はまくしたてる。


「礼文さんて、泥酔して、理性を失ったときの音矢みたいなことを言うのね。

[おいしい食べ物の正体は、動物のしかばね]みたいなことを、

 あいつは酔っぱらった時に言っていたわ。

 でも、素面しらふのときには、気分が悪くなるようなことを口にしないわよ。

 それが普通のたしなみでしょうが」


 音矢は小卒の下請けだ。そんな男が泥酔した状態と同じと言われ、礼文の自尊心は傷ついた。思わず、彼はかたわらの杖に手をやる。それは津先を脅し、時には実際に痛めつけるために使っている頼もしい道具だ。


「あら、ステッキ……それをどうするの?」


 しかし津先とは違い、礼文の動作を見た瀬野はおびえることもなく、不敵な笑みを彼に向けている。椅子に腰かけた彼女の姿勢は変わっていない。が、漂わせている気配は格闘に慣れた武人のものに切り替えずみだ。


 故国での戦闘経験から、礼文は瀬野の実力を推し量ることができた。しなやかで強靭きょうじんな彼女の体は、礼文に攻撃されても素早くかわし、すぐさま反撃にうつるだろう。


「別に、なんでもない」


 静かに答えて、彼は武器を手放す。


 礼文が以前、瀬野自身から聞いた話だが、彼女は人を殺すことができないので[諜者]の試験に落第したそうだ。しかし、殺さない程度の痛い目にあわせる技術ならば持っている。今の礼文には、ステッキ1本で瀬野を倒す自信がない。


「……さて……報告書を届けてくれてありがとう。

 これは責任もって私が義知さまに渡すよ。

 君にも、次の予定はあるかな?」


 だから、彼は話をそらした。


「ええ。法律関係の書類仕事を手伝わなければならないの。

 今日はこれで失礼するわ」


 瀬野も、仕事相手への暴力はまずいと判断してくれたらしい。愛用の革バッグを手に、彼女は身軽く立った。礼文も椅子から腰を上げて彼女を先導し、紳士らしく事務所のドアを開けてやる。


「それでは、また来週」


 挨拶をして外に出る彼女の背に、礼文は声をかけた。


「君はずいぶん屁理屈をこねるようになったな。

 それは音矢くんとやらの影響なのか?」


 廊下で、瀬野は動きを止めた。礼文はそれを見た瞬間、すぐさまドアを閉める。


「いやあああああ!」


 扉越しに聞こえる彼女の悲鳴を聞いて、礼文は溜飲を下げた。



   ◆◆◆◆◆◆



 ペンダントヘッドの[10粒のブドウ]にするビーズを作るために、その5倍以上の不良品が出た。しかし、無駄ではない。この細かい回収石を使う方法も、音矢は考えている。そして、この作業は翡翠にとって、いい経験となった。


 音矢の書いた報告書を翡翠は筆写している。ペン習字の手本とするのは[研究組織]に提出する分ではなく、音矢が清書する前に作った下書きだ。


 下書きといっても、誤字脱字、テニオハなどが間違っていないか最終点検するために作られた物なので、ほぼ完成品と同等の丁寧さで帳面に書かれている。語句の訂正や文の前後を入れ替えるなどして消しゴムで消したり書きこみをして汚れてしまう草稿は、チラシの裏を使う。


 今日の稽古を終えた翡翠は、何かを思いついたように帳面のページをめくり、読み返した。


「おお?」


 彼は、ちゃぶ台の向かい側で家計簿をつけている音矢に帳面を差し出した。


「以前より、ボクの字は上達したとおもわないか?」


 音矢はそれを受け取り、最初のページと今日写した分を見比べた。


「ええ。特に最近の分が、うまくなっていますね。

 神代細胞でビーズを作成するという、あの細かい作業に耐えたおかげで、

 指先に力がついた上に、集中力も向上したからですよ。

 まさに[努力が実を結び]ましたね。ブドウだけに」


「そうか! やはり努力には効果があるのだな」


 ほめてもらい、翡翠は得意そうな表情を浮かべた。


「……はい。日々の積み重ねこそが、実力を作るんです」


 自分の洒落が無視された失望は顔に出さずに、音矢は正論を吐く。


「だから、体力づくりのためにもラジオ体操をまた始めてみましょうよ。

 庭の松につけた縄バシゴでの運動も、このところやってないようですし」


「……それは……」


 翡翠は目をそらした。


「ブラブラ揺れるのは、最初は楽しかったが……なんだか飽きてきたし……

 ラジオ体操は、指令に従って決まった動きを

 毎日同じように繰り返すだけだからつまらない」


「あれは、そういうものなのですからしかたありません。

 つまらなくとも、飽きてきても、毎日欠かさず続ける。それが努力です」


「その理屈はわかる。わかるが……」


 翡翠は畳の上に寝転がり、あおむけになった。


「……しかし、苦しくもある。

 ボクは体を強くしたいが同じことの繰り返しは退屈だ。

 なんとかならないものか」


「退屈を乗り越えるために、みんなも工夫しているんですよね。

 目標回数を設定しておいて、それに届いたときに達成感を味わったり、

 能力が向上したときになにか褒美をもらえるようにして頑張ったり。

 そういうのはいかがです?」


「……それでも行為自体がつまらなく退屈なのは同じだ」


 音矢は、しばし考える。


「そうだ、ラジオ体操ではなく……

[かっぽれ]を踊るなら楽しく体幹がきたえられるかもしれません。

 あれなら即興で身振りを変えても……

 むしろ場に応じて変えるほうが、踊るがわも見るがわも面白いから」


「ああ。君が瀬野さんに強制的に酒を飲まされて、

 酔っぱらってしまった時に踊ったアレか」


 そのとき音矢は、瀬野の肌へ触れたために体の一部が自己主張を始めたことを感じた。


 それを隠すために、酒を飲んだせいで暑いといいながら、着物のえりを開き、両袖から腕を抜いて音矢は上半身を露わにした。これは[もろ肌脱ぎ]という姿だ。


 古傷のある左胸をさらし、視線を上に集めておいてから、下に垂れた袖を帯のところで結んで下腹部を隠す。さらに踊ることで気分を変え、体を動かし血液を全身にまわして一部に集中することを防いだのだ。


「……たしかに楽しそうな様子だったな」


 音矢が願ったとおり、翡翠は音矢の肉体的変化には気づいていなかったようだ。


「そうだな。できるなら、ボクも音矢くんといっしょに踊ってみたい」


「では一つ、ご教授いたしましょう」


 ちゃぶ台を片づけてから、二人は茶の間の真ん中に向かい合わせに立つ。


 まず音矢が片足をあげる。[かっぽれ]とはこの姿勢のまま手さばきで舞ったり、さらにはその場で跳ねて右や左に回るなどする滑稽こっけいな踊りだ。歌に合わせて足を踏みかえたり、大きく踏みこんでみせるなど、演者の即興によって振り付けは様々に変化する。


 翡翠はその姿をまねたが、音矢のように安定しない。


「はあ、かっぽ」


 コテ


 歌い出しの段階で、翡翠は倒れた。


「もう一度……かっぽれ、かっ」


 コテ


 不機嫌な様子で、翡翠は立ち上がる。


「もういい! 今日はこれまでだ!」


 小さな肩を怒らせて、彼は書斎にこもった。


「ああ、ヘソを曲げてしまった……

 まあいいや。

 こんどの食事会でコップ一杯だけ僕がお酒を飲んで、

 いろんな踊りを見せていたら真似したくなるかもしれない」


 音矢はかっぽれ以外にも、盆踊りとドジョウすくいが踊れる。


([酒はうれいの玉箒たまははき]……

 青春の昂揚こうようをごまかすためにやったことだけど、

 お酒を飲んで踊ったら気持ちよかった。

 僕だって、翡翠さんにつきあわされて、

 この家に軟禁されているわけだからな。

 なにかしら、気晴らしが欲しいよ)


(それに、僕が楽しそうに踊って翡翠さんが喜んだら、

 瀬野さんもそれに対抗して、

 芸者さんがするような色っぽい踊りを……)


 期待しつつ、音矢は計略をめぐらす。





次回に続く







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