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第一話

 新田音矢は夢の中でイタリア人の画家になっていた。


 一筆ごとに魂をこめて、愛する人の肖像画を彼は完成させた。

 それは瀬野の顔だが、夢の中の名前は違う。


『ポーシャさん……僕の愛を、この絵にそそぎました。

 どうか受け取ってください』


 そうつぶやく彼の前には誰もいない。音矢は彼女が住む屋敷の前で、絵を渡すときのセリフを練習していたのだ。


 何回か繰り返し、気恥しさを克服して滑らかに話せるようになったので、音矢は門をたたく。


 取次の侍者につれられて、音矢は広間に通された。


 そこには美しいドレスをまとった彼女がいる。包みを開けて、音矢は会心の傑作を見せた。


『ポーシャさん……僕の』


『あら、気がきくわね』


 音矢の真剣な告白を途中までしか聞かずに、彼女は絵を受け取る。


『ちょうど、私の肖像画を注文しようとしていたのよ。ありがとう』


『え?』


『お父さまったら、

 私のお婿さんを選ぶのに、特別な方法を思いついたんですって。

 三つの箱の中に私の肖像画を一枚隠しておいて、

 それを当てた人と結婚しなさいなんていうのよ』


『そ、そんないい加減なやりかたで

 生涯を共にする相手を決めるなんて!』


 音矢は止めようとしたが、


『うふふ。なんだかロマンチックね? 

 まるで、おとぎ話のお姫様になったみたい』


 彼女は彼にかまわず、しゃべり続ける。


『そんな特別な趣向があれば、評判になるわよね。

 噂を聞きつけて、

 モロッコやアラゴンの大公たちが、

 お婿さん候補として来るかもしれないわ。

 そして、もしも……

 モントフェラット公爵のお連れとして私の家にいらっしゃった、

 バッサーニオさまが当ててくださったら……私……うふふふふ』


 彼女は大いに乗り気だ。そして、貧しく無名な画家である音矢など、まったく眼中にないのがその態度でわかる。


『そういうことで、これはいただくわ。代金は執事にもらっておいてね』


 彼女は絵を持って去っていく。


 音矢はただ、それを見送ることしかできなかった……





 目を覚ました音矢は、枕元にうずくまる等身大の白い塊に、心の中で語りかける。


(オバケくん、夢の中の出来事であっても、

 好きな人に……振られるどころか相手にしてさえもらえないって、

 悲しいね)


 現実の世界に戻ってきたというのに、何とも言えないみじめさが音矢の胸の内から消えようとしない。


(もし、実際に僕の心を瀬野さんに素直に告白したとして……)


(きっぱり拒絶されたら、気まずさから、仕事がやりにくくなるよなあ)


(あ、そうだ。そういえば)


 音矢は過去の出来事を思い出した。


(横濱に行ったときに、つい本音を漏らしてしまったことがある。

 瀬野さんも僕の恋心を理解したようで、動揺していた。

 でもあれ以来、

 その話題を彼女が持ち出すことはなく、うやむやになっている……

 これが、瀬野さんの答えか)


 さらに気持ちが落ちこんだその時、金縛りが解けた。オバケくんの気配も感じ取れなくなる。やっと動くようになった体をそのままに、音矢はため息をついた。


 敵と戦う時には勇敢かつ大胆な音矢だが、自分から女性に働きかけて健全な恋愛関係を作り上げていくのは苦手だ。


(このまま、表面上は仕事仲間としての付き合いを維持する。

 そうして、どさくさまぎれに瀬野さんの体を触るとか、

 発言の矛盾をついて

 瀬野さんがジタバタ悪あがきするところを見物するとかで、

 心の慰めにしていく……それでいいか)


 好きな女性に拒絶されることを恐れる多くの男たちがするように、音矢も恋愛という戦場から転進した。





――さあ、昔々の物語を始めましょう。


  これは異なる世界の物語。


   そして、我が身を削り愛する人のために捧げる物語――





 [真世界への道]から届いた手紙を、水上文雄は読んでいる。


(ふむふむ、魔術師になる試練を受ける前に、

 かなえたい望みを絵にかいて[秘密の首領]に提出するのか)


(首領様は、最初に送った手紙を読んでおれの悩みを知った。

 一般会員にとどまるなら、

 その悩みの解決法を適切な時期に首領様が教えてくださる。

 けれども、上級になることを目ざす者、

 真に世界の改革をめざす魔術師をこころざす者は、

 具体的な解決法を自分で考え、

 それを表現する力があることを証明しなければならない。

 だから、望みがかなったときの自分自身を絵にする)


 手紙を置き、しばし彼は考える。



   ◆◆◆◆◆◆



 受け取った報告書7号を、義知は興味深く読んだ。


《孤島での実験と、[真世界への道]の患者には違いが出てきました。

 それは、[願いをかなえる薬]と暗示をかけてあるか否かという

 要素が関係しているのかもしれません。

 その仮説をもとに、現象の説明をしてみます。


 孤島で前主任が投与した、そして新しく行われた三人の水晶細胞実験台は

 とくに暗示をかけられていなかったので、

 まんべんなく増殖するだけにとどまりました。

 でも、[真世界への道]が騙した信者はそれぞれ異なった変化を見せました。

 

 1号はピアノを弾くための体力と腕の強化を願い、

 腕を中心に筋肉が発達しました。


 2号は芸術家になりたいと願い、

 孤島での実験のような経過になりました。

 これは肉体的な変化を必要としない望みだからだと考えられます。


 3号はヤマトタケルのような英雄になりたいと願い、

 神代細胞は刀のように変形しました。それは実用に足る剣でした。

 肉体も増強しました。

 その変化は歪みがほとんどなく、体格の向上に成功しています。


 この結果から、これまでの中では、

 特に3号の結果が一番実用に適すると考えられます。

 暴走さえしなければ戦闘力は非常に高いでしょう。


 なりたいものを具体的に語り、

 床の間に飾られたヤマトタケルの掛け軸を見ることで、

 意識が集中したのではないでしょうか。

 今回の実験台4号の変化もそれを裏付けています。


 4号は美しくなりたいと願い、彼女が若かったころの姿に戻りました。

 また、背中から触手を生やして仲間の死体に差しこみ、

 それを支えとして自分の体を宙に浮かせていました。


 始末の後、4号の部屋から、[真世界への道]関連の文書と共に、

 自筆で書かれたノートも発見しました。

 それには4号が悪魔を倒すための計画が、絵としてかかれていました。

 庭に書かれた魔方陣について、

 そして未来の夢と題名のついたスケッチもありました。

 そのスケッチには、

 大きな羽をクジャクのようにひろげた衣装をつけた若い4号が

 レビュウの舞台にあがり、大勢の脇役を従えて主役を務める姿がありました。

 その羽が伸びたところを想像したことで、

 背中からなにかが生える姿を連想したのではないでしょうか。

 

 このようなことから、

 水晶細胞を制御するには肉体的な変化を、

 絵や写真などで意識を補助しながら願うようにすれば

 効果があるのではと推測しました》



 報告書を読み、義知は思った。


(なるほどな。それでは礼文に命じて、

 魔術師候補に神代細胞を投与する前に、

 願いを絵にして提出するようにさせよう)


 水上文雄が受け取った手紙は、このような経緯で作成された。



   ◆◆◆◆◆◆



 文雄は [真世界への道]に入会するきっかけになった出来事について考える。しかし、彼の心はすぐに別の方向に向かう。


(……あの時は真剣に悩んでいたが、状況が変わった。

 今のおれの望み……それは)


 文雄は、愛する人の姿を思い浮かべた。


穂村彩子ほむらあやこさんとの恋愛を成就じょうじゅさせること)




 音矢と同年配である、明治後半〔1910年前後〕生まれの男性に共通する性質がある。


 彼らは1930年〔光文5年〕では青年期に達していたが、全体的な傾向として恋愛に消極的だった。だが、それは女性に興味がないということではない。彼らが色恋沙汰で余計なエネルギーを消費することなく仕事や国家防衛に励むようにしむけるために、[富国強兵]を国是とする当時の日本社会は若い男たちを甘やかしていたのだ。


 公娼制により、金さえ払えば性欲は遊郭ゆうかくで満たせる。それは不道徳ではあるが、必要悪として認められていた。この時代では、初心者を先輩が遊郭に案内することは、親切な行為とされている。


 たとえ実際の恋愛をしなくとも、日本で大量に発行されている小説や各地で公演される演劇、そして映画で美しく心地いい恋愛を彼らは疑似体験することができた。


 民間にしろ軍務にしろ、青年が仕事に慣れて安定した収入を得られるようになれば年長者が世話を焼き、[お見合い]をあちこちから紹介してもらえる。


 そして結婚した後、夫婦仲や家庭生活を円満に保つのは妻の務めだ。


 近所や親戚との付き合い、日常を維持するための家事、そして子女の教育は妻に任せきり。男は外で働くので疲れているという大義名分をかかげ、家の中ではとくに何もしなくていいし、妻の機嫌を取る必要もないと決めつける。それを不満に思っても、夫に負担をかけず自分で解決するのが良き妻とされていた。


 ようするに、女性の気持ちを理解し、自分を好きになってもらえるように努力しなくとも、この時代の男性には相手が供給された。そして全ての責任を背負ってくれる立派な妻を得たならば、夫は負担を感じることなく家庭を維持できたのだ。


 だから21世紀のように[婚活]などの積極的求愛行動をしなくとも、20世紀前半の男たちは不足を感じない。


 しかし、何事にも例外がある。明治生まれの男であっても、女性の好意を手に入れようと、積極的に努力する人物も存在していた。水上文雄は、その一人だ。


(では、彼女とおれが手を取り合っている、

 いや、もっと直接的に……くちづけをしている絵を……いや、まてよ)


 文雄はもう一度手紙を読み直す。


(やはり魔術師の試験には、彼女を参加させることができないようだ。

 だって、彩子さんは魔術師志望者どころか、

[真世界への道]の会員でさえない。

 だから絵にかくのはおれ自身だけだ)


(つまり、この絵には彼女の愛を勝ち取るため、

 おれにどんな姿、どんな力が必要なのか。

 それを表現しなければならない……

 どのような絵をかくべきだろうか)


 彼は宙を見つめ、考えをめぐらせた。





次回に続く。






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