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第十二話

 5月30日、松木家皆殺し事件が、注文を取りに来た米屋の御用聞きによって発見された。司法解剖の後、父と健二は叔父一家の身元確認を求められた。


〔昭和〕ではなく、元号が〔光文〕となった世界の法律にそった手続きが、しめやかに行われていく。


 死亡時に着用していた衣服は鑑識課に運ばれたそうで、寝台に横たわる叔父一家は薄緑色をした貫頭衣のようなものを身に着けていた。


 叔父と叔母の遺体は傷ついてはいたが、顔を見れば身元が確認できた。しかし、従妹である呉羽の遺体は頭部に布がかけられていた。そこはひどく損傷しているので、顔以外の特徴で確認してくれと、係官に松木父子は頼まれた。


 幸い、はっきりした特徴を二人は覚えている。


 呉羽の右肩には豆粒ほどのホクロがあったはず。ピアノの発表会で肩を出したドレスを着たところを、父子は見ていた。


 そのことを申し述べると、係官は貫頭衣の肩部分をまくりあげた。


 しかし、彼女の肩から腕は、まるで虫に食われたように皮膚も肉もグズグズに崩れていたのでよくわからなかった。腕だけではなく、布で覆われた胴体にも健二は異常を見て取ったが、それを口にする前に係官が質問した。


『他に特徴は?』


『耳にもホクロがあるはずです』


 それに答えたのは父だ。


 呉羽の左耳の後ろにはホクロが三つならんでいる。それは彼自身にも、宗吾にも健二にもあるホクロだ。血縁の印をさがして、彼は係官が許可を出す前に姪の頭部にかぶせられている布をめくった。


『わあああああああああああ!』


 隠されていたモノを見て、父と健二は絶叫する。


 そこには目も鼻も無い。かろうじて舌と下顎だけが残っている、空っぽの顔。


 顔面が破壊されたため、頭蓋骨の内側が外気にさらされていた。内側にこびりついた赤黒く変色している血の後ろから、白い骨が、ところどころに露出している。二人が想像したこともない、無残すぎる遺体だ。


 後で聞いたところによると、遺体の横には大きなクリスタルの果物皿が落ちていたそうだ。それには血と肉片がこびりついていた。犯人はそれで呉羽の顔面を何度も殴打したらしい。階段下に置かれた火鉢も割れていた。それも凶器として使われたようだ。


 ピアノが上手うまく、読書が好きな14歳の少女。


 赤ん坊のころから見守ってきた、かわいい姪であり、従妹。


 いずれ彼女は美しい花嫁となり、そして愛らしい子宝に恵まれると、彼ら父子は想像していた。普通の女性が望む幸せを、彼女も当然受け取る。そのはずだった。なのに、人格のかけらもないほどに冒涜ぼうとくされた死体として、今の呉羽は冷たい寝台に横たわっている。あまりにも悲しすぎて、父と健二の目から涙があふれ出した。


 泣いている彼らにかわって耳の後ろを確認してから、係員が声をかける。


「お気の毒です……でも、不幸中の幸いです。

 この子は乙女のまま亡くなりました。暴行された形跡はありません」


「……それは……良か……」


 係員は自分たちを慰めてくれている、その意図は理解できた。しかし、その言葉から導き出される事実が、健二を逆上させた。


「お前らは、そんなところを調べたのか!」


 呉羽は貫頭衣に着替えさせられている。つまり、証拠品を求める鑑識官の手で、身にまとっていた衣服を脱がされたのだ。そのうえ、監察医には乙女のあかしを見分された。


「は、はいっ! 

 これは犯人を捜すための重要な手がかりを求めてのことで、

 法に定められた正式な」


「法律がなんだ! 

 法律が呉羽を生き返らせてくれるっていうのか! その上……」


 非道な犯人でさえ手をつけていない場所を、警察が凌辱りょうじょくした。つまり、国民の安全な生活を保障するはずの国家が率先して猥褻わいせつ行為をしたのだ。健二にはそのように思えた。他人に起きたことなら、司法解剖の必要性を認めただろう。健二の理性も、自分を押えようとしている。しかし、湧き上がってくる感情は、どうしようもなく暴走した。


 これが、世界は間違っていると、彼が感じ始めたきっかけだ。



   ◆◆◆◆◆◆



 音矢たちの住む貸家を訪れた瀬野が監査を終え、食事会になる。この席で酒を出すのは恒例になった。


 ちゃぶ台の上に音矢の手料理が並び、乾杯をする前に、翡翠が小さな紙包みを瀬野に差し出す。


「あら、なあに?」


「開けて見てくれ。ボクたちからの贈り物だ」


 贈られたものをその場で開封するのはマナーに反するが、翡翠が願うので瀬野は特例として行う。


「まあ……きれいね」


 包みの中にあったのは、手作りのペンダントだ。首にかけるのは絹糸を編んだ紐。ペンダントトップは、ブドウの房の形をしている。紫の小さな色石が、一つ一つに糸を通され、飾り結びでつなぎ合わされていた。それには緑色の石で作られた葉も二枚添えられている。


「これを私に?」


「ああ。回収石を使ったペンダントだ。

 もしも神代細胞の漏出が起きた場合、

 瀬野さんの身を守るための物であると同時に、

 ボクたちからの感謝の印として……受け取ってほしい」


 少し恥ずかしそうに、けれども誇りをもって、翡翠はあらかじめ考えてあった言葉を述べる。


「私への感謝……」


 瀬野は贈り物を首にかけ、ブドウの房をそっと手で押さえた。


「そうです。僕たちの生活を補助するとともに、

 実験台の始末をするときは

 後方支援を責任もって果たしてくれていることへの感謝です。

 瀬野さんが逃走手段である車を確保してくれているから、

 安心して僕たちは全力で戦えるんですよ」


 音矢は翡翠の言葉を捕捉してから、頭をさげた。


「瀬野さん、いつもありがとうございます」


「瀬野さん、ありがとう! これからもよろしく」


 翡翠も笑顔で礼を言う。


「私こそ……ありがとう」


 愛用の革バッグから取り出したハンカチで、瀬野は目元を押えた。


「もし、神代細胞に襲われたら、

 ブドウを一粒つまんで強く引いてください。

 そうすると糸ごと抜けます。

 石だけでは軽くて投げづらいですけれど、

 糸の端を持って振り回せば遠くまで飛びます。

 [三枚のお札]よろしく、[十粒のブドウ]を投げ、

 神代細胞の注意をそらしながら安全なところまで逃げてください。

 葉っぱは翡翠さんの細胞でできていますけれど、

 機能はそれほど変わりません。最後の身の守りとして使ってくださいね」


「へえ……そんな工夫がされているの……」


 瀬野はブドウをつまんで眺める。


「贈り物制作にあたって、翡翠さんはがんばったんですよ。

 僕が手を出したのは最初のアイデアと最後の仕上げだけです」


 彼は翡翠の求めでパリの風景を描こうとしたときに、ペンダントのアイデアを思いついた。


 パリ→ワイン→ブドウという連想と、回収石の紫、制御石の緑が結びついたのだ。それをチラシの裏にかいて、音矢は翡翠に説明した。


「ブドウの粒を整えるために元の細胞を同じ大きさに切り分けて丸め、

 爪楊枝を刺して乾かしながら、

 エーテルエネルギーを浴びせて

 神代細胞を引きつける能力を与えるところまで、

 翡翠さんは全部一人でやり遂げました。

 瀬野さんに良いものをあげたいから、

 一生懸命に自分の苦手な細かい作業に励んでいたんですよ」


「……そうなの……」


 瀬野はまたハンカチで目元を押えてから、翡翠の手をとった。


「翡翠くん、ありがとう。よくがんばったわね。私……うれしい」


「ボクもうれしい! 瀬野さんが喜んでくれて、とてもうれしい!」


 頬を上気させて、翡翠は微笑む。


 その姿は、音矢を満足させる。


(翡翠さんの努力がむくわれて、よかった)



 音矢は自分が手助けをしたことで相手が喜ぶのを見るのが好きだ。


 逆に、誰かが自分の計略で困ったり怒ったりするところを見るのも好む。


 音矢は自分の態度が矛盾しているとは思っていない。


 彼は甘い豆大福が好きだ。しかし、辛いカレーライスも好きだ。


 それと同じことだと音矢は考えている。



(せんに、翡翠さんの箸づかいや算術の上達を見せた時は、

 瀬野さんが機嫌を損ねてしまったけれどね)



 それは、[自分の教え方が悪いから翡翠はうまくできなかった]と瀬野がひがんだからだ。

[お試し]に落ちてから、彼女は自信を失っている。だから、劣等感を刺激されたときに彼女は怒った。


 幼いころ、瀬野は[諜者]の使命を教えられた。それから彼女は、政府直属の秘密組織に所属し、尊敬できる上司に指導され、頼れる仲間と共に悪と戦う有能な自分を夢想してきた。


 その試験に不合格となってからも、夢は消えていない。むしろ、うまくいかない現実生活の苦痛から逃れるため、夢はより鮮明な空想となった。その幻に浸るのは、彼女にとって美しい花畑に遊ぶような心地だ。


 彼女は翡翠にその夢を現実として話した。翡翠はそれをそのまま信じた。


[研究機関]について音矢に説明したときも、瀬野はその夢の中にいる自分と重なった意識でいた。だから、どうどうと自信を持って語れたのだ。



 一方、音矢は瀬野を観察し、[自分の価値を認めてほしい]という願望を心の中に秘めていることに気づき、そのうえで彼女が素直に翡翠をほめざるを得ない状況を演出していた。



(瀬野さんは微笑んでいる。

 本音では瀬野さんだって翡翠さんの成長がうれしいんだよ)


(意地を張って隠している本音を瀬野さんが素直に表現して、成果をほめる。

 翡翠さんは努力を認められて喜ぶ。僕はそんな姿が見たかったんだ)


 音矢は探偵趣味の発現として[隠れた情報を探しだす]ということを楽しんでいる。




 ――これは――


  ――オカルト(隠されたもの)を探究する物語――




 しかし、音矢が[隠された真実]を見つけようと探索行動をとるたびに、瀬野の精神は刺激され、心が乱される。これは感情の急激な変化を好まず安定を望む彼女にとって、とても不快なことだ。


 そして、暴かれていく真実は、彼女がその存在を認めたくないもの、傷つかないために目をそらしているものだ。


 そう、[翡翠の成長]と[それを素直に喜ぶ心]さえも瀬野はある理由から拒否していた。


 美しい花畑で静かに夢見ていようとする人にとって、真実をあらわにするために地面を掘るイヌは敵。


 だが、音矢は隠れている真実を見つけるのが大好きだ。そこに悲劇の元がある。


 義知が彼に与えた神秘思想の知識は、今のところ中途半端にとどまっていた。


 音矢は、土の中からマンドラゴラを引き抜くイヌがどうなるか、まだ知らない。





 ――そして、これは――




「今日は楽しいな。これも音矢くんのおかげだ」


 翡翠の言葉を聞いた瀬野の頬が、かすかだが引きつった。


 音矢は謙遜して[最初と最後を手伝っただけ]と言ったが、それがペンダント制作の要であることは、彼女にも理解できた。瀬野の目に浮かんだのは、普段の働きぶりを二人に認められた喜びの涙だけではなく、音矢の有能さをあらためて見せつけられた悔し涙もある。


「チラシの裏にかいたペンダントの作り方といい、

 亡くなった人の願いがかなった光景といい、

 音矢くんは自分の頭の中にある想像を、

 他の人でも見えるように具体的な形であらわすことができる。

 これは驚異的な能力だとボクは思う」


 翡翠はその発言が瀬野をイラつかせることに気づかず明るく話す。


 彼は[ほめられた人は、とてもうれしい気分になる]と実感をもって学習したからだ。


「頭のなかで考えているだけでは、

 他の人にはそれがどんなものかわからない。

 でも、音矢くんは自分が考えたアイデアを絵としてかくことで、

 誰にでも認識できるような実体を与える。

 さらに、その絵をもとに作業をすることで、

 空想上の物だったペンダントは本物となった。

 まるで、音矢くんは不思議な力で無から有を生む[魔術師]のようだ」




  ――純粋な眼が、隠れた本質を見抜く物語――




「あはは。こんなことが不思議なものですか。

 僕が魔術師だというなら、

 日常生活の助けになる工夫や発明にはげんでいる人々すべてに、

 魔法の素質があるってことになりますよ」


「それならば、今ここに無いものを想像し、

 いつか実際に作り上げようと工夫している人や、

 すでに成功したエジソンのような人たちは、みんな魔術師なんだろう。

 そのおかげでボクたちは発明の恩恵おんけいを受けることができるんだ。

 魔術師万歳! すべての魔術師に乾杯!」


 手にしたコップを掲げてから、翡翠は機嫌よく酒を飲む。


 音矢は、瀬野にそっと話しかけた。


「翡翠さん、とっても明るくなったでしょう。

 隠し事から解放されて、僕と話すときに気を使わなくてもいいし、

 どうどうとお酒が飲めるようになったからですよ」


「そうね……」


 言葉少なく、瀬野は翡翠を見る。


「だから、[研究機関]について

 まだ隠していることがあるなら、遠慮せずにどうぞ。

 そうすれば、瀬野さんもサッパリしますよ」


「な、なにを言うの! 私はなにも嘘などついていないわ!」


 このような反応は、音矢も予測していた。


(情報を意図的に伏せているだけではなく、

 瀬野さんは嘘でごまかしているということか。

 これまでの推理が裏づけられたぞ)


(瀬野さんをつつくと、面白いだけではなく情報が獲れて好都合だな)


 しかし事態は彼の予想を超えた展開をみせる。


「どうした? 瀬野さん」


 突然大声をあげられてとまどう翡翠に、瀬野は答える。


「翡翠くん、音矢に酒を飲ませましょう。

 一人だけ素面しらふだと、場の雰囲気が壊れるのよ! 

 お酒というのは、みんなで楽しむものなの!」


 素早く音矢の背後をとり、瀬野は左手で彼の首を極めた。動きを封じられた音矢の口元に自分のコップを当て、傾ける。


「わっぷ」


 とっさに口を閉じて彼は酒を拒んだが、瀬野はさらにコップを傾ける。


「むーっ! むむーっ!」


 液体は音矢の鼻まで浸した。呼吸ができない。


「瀬野さん! 音矢くんをいじめないでくれ!」


 翡翠が瀬野の腕を引っ張ってはずそうとするが、力では彼女にかなわない。それどころか、揺れるのでよけいに酒が鼻を刺激して音矢は苦しい。


「んく、んく……」


 必死で音矢は口から酒を吸いこむ。


「ぷはあっ!」


 やっとコップに残っていた液体を飲みほし、音矢は息をついた。


 何度か荒く呼吸してから


「……いきにゃり、ないおすりゅんですかあ」


 わざと呂律の回らない口ぶりで、音矢は文句を言った。


 しかし、内心では別のことを考えている。


(瀬野さんの飲みかけな酒だ。

 ……間接的に口づけができた……

 こんなことを瀬野さんにやらせようなどとは意図していなかったのに……

 あはは、なんて僕は運がいいんだろう。まったく僕は幸せだ)


 音矢の心に気づいたようすもなく、瀬野は止めにはいる翡翠と口論している。


「音矢くんは、飲みすぎたせいで苦しい思いをしたから、

 もう酒は飲まないと言っている。

 それなのになぜ、むりやりに飲ませるんだ!」


「嫌な目にあったからって逃げていたら、いつまでも酒に強くなれないわよ!

 私は音矢くんの肝臓を鍛えてあげるの!」


 言い争う二人をよそに、音矢はそっと瀬野の太ももに手をのばした。スカート越しではあるが、張りのある感触がつたわってくる。


 そして彼の首を押えている、すべすべした腕。


 背中にあたる豊かな胸。


 どれもが彼を喜ばせた。


(翡翠さんに気をとられて、

 瀬野さんは自分が僕に抱きついていることを忘れているようだ。

 いい気分だなあ。うははは)


(この方法は、応用できそうだ。

 でもしょっちゅうやらかすと、

 僕が瀬野さんと触れ合うことを喜んでいることがバレてしまう。

 しばらく間をおいてからがいいな……)


 計略を練るのは一時中断し、音矢は快い感触に集中する。




 負けることを避けるために正面攻撃をせず、搦め手から敵の弱点をつき、言葉巧みに誘導し、罠をしかけ、時には敵より強いものを利用して叩きふせる。このような戦いを彼は続けてきた。


 しかし、彼の手口は敵と戦うのには有効だが、好きな女を口説き、恋人として付き合うためには、まったく不向きな方法だ。


 そのことを音矢は自覚していない。






次回に続く






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